【ルカクが語る壮絶な過去】「ずっと言いたかったことがある」

ワールドカップで日本とも対戦したベルギー代表の躍進を支え、

プレミアリーグファンのみならず世界中のサッカーファンに名を轟かせた

マンチェスター・ユナイテッドFWロメル・ルカク。

強さと速さを兼ね備える圧倒的なフィジカルと両足でも頭でも決められる得点能力から、

現在では世界最高のストライカーの1人にも挙げられる彼本人が

6月に公開されたThe Players’ Tribuneで綴っていたのは想像を絶する過去だった。

本稿ではそちらの全訳を掲載する。

 

「ずっと言いたかったことがある」

 

僕たちがイカれていることが分かった瞬間を今でも覚えている。冷蔵庫の前にいる母さんの顔をじーっと見つめている僕を今でも思い描くことができる。

 

当時6歳だった僕は、学校の昼休みに昼食をとるために家へ帰っていた。母さんは毎日同じメニュー、パンと牛乳を用意していた。子供の頃はそんなこと考えないだろうけど、僕はそうやってやりくりしていたことを知っていたんだ。

 

その日家に帰って台所へ向かった僕が目撃したのは、冷蔵庫の前で牛乳パックを持っている母さんだった。

 

いつものようだった。

 

でも、このとき母さんは何かをそこに混ぜていて、それを振っていたんだ。

 

想像できるかい?

 

僕には何が起こっているのか分からなかった。そうして昼食を運んできた母さんは、何もかも上手くいっているかのように微笑んでいた。

 

でも、僕はすぐに何が起こっていたのかを悟ったんだ。

 

 

 

母さんは牛乳に水を混ぜていた。

 

 

 

僕たちにはその1週間それを買えるだけのお金がなかったんだ。僕たちはイカれていた。貧しいだけじゃなくて、イカれていたんだ。

 

父はプロのフットボーラーだったけどキャリアの終盤に差し掛かっていて、お金は底を尽きていた。最初になくなったのはケーブルテレビだった。

 

フットボールなし。

 

マッチ・オブ・ザ・デイなし。

 

信号なし。

 

夜に帰宅すると、電気が止められていた 。当時は2、3週間電気が使えなかった。

 

お風呂に入ろうとすると、お湯が出なかった。母さんがストーブの上のやかんでお湯を沸かして、シャワーの前に立っている僕にコップで頭の上からお湯をかけてくれた。

 

通りにあるパン屋から母がパンを「借りて」いたのは1度どころではなかった。僕と弟のことを知っていたそのパン屋は、月曜日にひとかたまりのパンを母さんに持たせて金曜日に支払いをさせてくれていたんだ。

 

僕たちがもがき苦しんでいることは知っていた。でも、母が牛乳に水を混ぜていたのを目撃して、一線を画していることを悟ったんだ。何が言いたいか分かるかい?これが僕たちの人生だったんだ。

 

言葉が出なかった。母さんのストレスにはなりたくなかった。昼食をとってから神に誓った。その日自分自身に誓いを立てたんだ。まるで誰かが指をパチンと鳴らして、僕の目を覚ましたかのように。何をしなくてはいけないか、これから何をしていくかが手に取るように分かっていた。

 

もう母親がそんな生活をしているところを見たくはなかった。

 

いやだ、いやだ、いやだ。

 

もううんざりだ。

 

フットボール界の人々はメンタルの強さについて語るのが大好物だ。まあ、僕以上に強い奴なんていないだろうけど。兄弟と母と暗闇の中で座りながら、祈りを捧げて、考えて、信じて、知ってしまった…なんとかしなくては。

 

しばらくその誓いを心の中にしまっていた。でもある日のこと、学校から家に帰ると母が泣いていた。だからその日、ついに母に告げたんだ。

 

「母さん、変えてみせる。僕はアンデルレヒトでフットボールをプレーする。すぐに叶うよ。僕たちは皆助かる。だからもう心配しないで」

 

6歳のときだった。

 

僕は父に尋ねた。

「何歳になったらプロのフットボールをプレーできるの?」

 

父は言った。

「16歳だよ」

 

僕は言った。

「分かった。16歳になればいいんだね」

 

なんとかする。終止符を打つんだ。

 

いいことを教えてあげよう。

 

プレーした1つ1つの試合全てが決戦だった。

 

公園でプレーしたときも決戦だった。

 

幼稚園の休み時間にプレーしたときも決戦だった。

 

マジで本気だった。

 

シュートを撃つときはいつもボールの皮を剥ぐ勢いだった。

 

全力だった。僕たちはR1ボタンなんて押していなかったんだ。高精度シュートなんてなかった。僕は最新のFIFAなんて持っていなかった。プレイステーションなんてなかった。遊びなんかじゃなかった。相手を殺す勢いだった。

 

背が伸び始めると、一部の教師や保護者がストレスになった。初めて保護者の1人に「ボク何歳?何年生まれ?」と聞かれたのを忘れたことはない。

 

僕は思った。何だって?正気か?

 

11 歳のときにリールセのユースチームでプレーしていると、他のチームの保護者が文字通りピッチに入るのを止めようとしてきた。

 

「このガキは何歳だ? 身分証明書はどこだ?どこから来た?」

 

僕は思った。

 

どこから来たかって?

 

何を言ってるんだ?僕はアントワープで生まれたんだ。

 

君たちと同じベルギーに決まってるだろ。

 

父さんはそこにいなかった。アウェイの試合に駆けつけられる車がなかったからだ。僕は完全に独りぼっちで、自分のために立ち上がらなくてはいけなかった。鞄にあるIDを取り出して保護者全員に見せつけてやると、奴らはそれを手に取り合って食い入るように調べていたから、全身の血が逆流したのを覚えている…僕は思った。

 

「おい、今すぐにでもお前の息子を殺してやろうか。殺しにいくどころか、 ぶっ壊してやる。泣きながら坊やを家に避難させることになるぞ 」

 

ベルギー史上最高のフットボーラーになりたい。

それが僕の目標だ。良いでもない。偉大でもない。最高だ。僕はそんな大きな怒りと共にプレーしていた。

色んなことのせいで…うちのアパートを駆け回るネズミのせいで…チャンピオンズリーグを観れなかったせいで…他の保護者がああやって僕を見たせいで。

 

僕にはミッションがあった。

 

12歳には、34試合で76点決めた。

 

父さんのスパイクを履いてそれら全ての得点を決めた。一時期僕たちの足は同じサイズだったから、共有していたんだ。

 

ある日僕は祖父、母の父親に電話をかけた。彼は僕の人生の中で最も大切な人の1人で、母さんと父さんの出身地であるコンゴとの繋がりそのものだった。ある日彼と電話をして言った。

 

「うん。本当に上手くいってるよ。76ゴールを決めて、リーグで優勝した。ビッグチームにも僕の名が知れ渡り始めてる 」

 

普段であれば、彼はいつも僕のフットボールについて聞きたがる。でもこのときは何かがおかしかった。彼は言った。

 

「そうかい、ロム。そうか、凄いじゃないか。なあ、ちょっとお願いしてもいいか?」

 

僕は言った。「いいよ。何?」

 

彼は言った。「娘の面倒を見てやってくれないか?頼む」

 

とても困惑したことを覚えている。おじいちゃんは何を言ってるんだ?って。

 

僕は答えた。「母さん?うん。僕たちは元気だよ。皆大丈夫さ」

 

彼は答えた。「いや、誓ってくれ。私に約束してくれないか?娘のことを頼む。私のために彼女の面倒を見てやってくれ。いいか?」

 

僕は答えた。「うん。おじいちゃん。分かったよ。約束する」

 

5日後に彼はこの世を去った。そのとき彼の本当に言いたかったことを理解した。

 

そのことを考えると、とても悲しくなった。彼がもう4年生きていればと思わずにいられないのは、僕がアンデルレヒトでプレーしている姿を見れたからだ。僕が約束を守る姿も見れた。ほら言っただろ?全部上手く行っているところも見れた。

 

16歳になったらそれを果たせると母さんに告げた。

 

11日の遅刻だった。

 

2009年3月24日。

 

プレーオフ決勝。アンデルレヒト対スタンダール・リエージュ。

 

それは人生で最高の1日だった。でも少し時間を巻き戻さなくてはいけない。そのシーズン当初、辛うじてアンデルレヒトのU19でプレーしていたからだ。監督は僕をベンチに下げた。僕は思った。

 

「まだU19のベンチだっていうのに、一体どうやって16歳の誕生日にプロ契約を結ぶというんだ?」

 

そこで監督との賭けに出た。

 

彼に言った。

 

「約束します。僕を出場させてくれれば12月までに25点決めますよ」

 

彼は鼻で笑った。文字通り僕を鼻で笑ったんだ。

 

僕は言った。

 

「さあ賭けて下さい」

 

「いいだろう。でも12月までに25点決めなかったら、お前はベンチ送りだ」

 

「構いません。では僕が勝ったら、選手の送迎車全部磨いて下さいね」

 

「いいだろう。交渉成立だ」

 

「もう1つあります。毎日僕たちにパンケーキを作って下さい」

 

「やってやろうじゃないか」

 

それはその男がした賭けの中で最も空いた口が塞がらない賭けだっただろう 。

 

11月には25点を決めていた。クリスマス前にはパンケーキを食べていたんだ。

 

それは教訓になったことだろう。飢えた少年で遊んではいけないんだ。

 

誕生日の5月13日に僕はアンデルレヒトとプロ契約を結んだ。真っ先に買ったのは最新のFIFAとケーブルテレビのパッケージだった。

 

既にシーズン終盤に差し掛かっていたから僕は凍えながら家に帰ったけど、その年のベルギーリーグは荒れていた。アンデルレヒトとスタンダール・リエージュが勝ち点を並べて終えたからだ。だからタイトルを決めるホーム&アウェイのプレーオフが行われた。

 

ファーストレグではファンのように家のテレビの前にいた。

 

セカンドレグの前日にリザーブチームの監督から電話があった。

 

「もしもし?」

 

「もしもし、ロム。今いいか?」

 

「公園でフットボールをしようと出かけるところですけど…」

 

「待て、待て、待て、待て、待て。荷物を詰めろ。今すぐにだ」

 

「何ですって? 何かしましたっけ?」

 

「違う、違う、違う。今すぐスタジアムに行くんだ。今ファーストチームが君を求めてる」

 

「え…マジですか?僕を?」

 

「そうだ。君をだ。急いでくれ」

 

父さんの部屋まで文字通り全力で走って、言った。

 

「父さん!今すぐ仕度してくれ!早く行かなきゃ!」

 

「は?何だって?どこに行くんだ?」

 

「アンデルレヒトに決まってるだろ」

 

忘れることはないだろう。スタジアムに着いた僕が真っ先にロッカールームへと向かうと、用具係は言った。「よう少年。どの背番号がいいんだ?」

 

僕は言った。「10番をよこせ」

 

笑っちゃうよね!

 

たぶん、怖いものを知るには若すぎたんだと思う。

 

「下部組織の選手が着けられるのは30以上の番号なんだけど」

 

「そうなのか。うーん。3+6=9、いい番号だ。じゃあ36番を下さい」

 

その夜のホテルで、夕食のときに先輩の選手たちがからかって僕に歌を歌わせた。どの曲を選んだのかも覚えていない。僕の頭の中はこんがらがっていた 。

 

翌朝にフットボールをプレーしたがっているだろうと友達が僕の家のドアを文字通り叩いたけど、

 

母さんはこう言った。

 

「プレーするからいないわよ」

 

友達は言った。

 

「プレーするって、どこで?」

 

母さんは言った。

 

「決勝よ」

 

皆スタジアムでバスを降りて、中へ入っていく1人1人の選手がイカしたスーツを着ていた。僕1人を除いて。クソみたいなジャージ着ている僕がバスから降りると、全てのテレビカメラが僕の顔へと向けられた。ロッカールームまで約300m歩いた。たぶん徒歩で3分だった。ロッカールームに着くとすぐに、僕の携帯電話がはちきれんばかりに鳴り始めた。皆テレビで僕の顔を見たからだ。3分で25通ものメッセージを受け取った。友達は狂喜乱舞していた。

 

「おい、何でお前が試合に?」

 

「ロム、どうなってる?何でお前がテレビに?」

 

僕が返信したのは親友だけだった。僕は言った。

 

「なあ、プレーすることになるかは分からない。どうなるかは分からないよ。でもテレビから目を離さないでくれ」

 

63分に監督が僕を途中出場させた。

 

16歳と11日で、僕はアンデルレヒトでそのピッチに駆け上がった。

 

その日決勝では敗れてしまったけど、僕はもう天にも昇る気持ちだった。母親と、おじいちゃんと交わした約束を果たしたんだ。僕たちはもう大丈夫だと分かった瞬間だった。

 

次のシーズン、僕は高校最後の学年を終えようとしながらも、ヨーロッパリーグでプレーしていた。学校に大きな鞄を持ち込んで、午後には飛行機に乗れるようにしていた。大差をつけてリーグを制覇したし、年間最優秀アフリカ人選手賞(エボニー・シュー)では2番目だった。

 

それはただただ…イカれていた。

 

それら全部本当に叶うとは思っていたけど、こんなに早く叶うなんてたぶん思っていなかった。突如メディアは僕を担ぎ上げ始めて、あらゆる期待を僕に押し付けてきた。特に代表チームで。

 

理由は何にせよ、ベルギー代表では上手くプレーできなかった。

 

機能しなかったんだ。

 

でも、考えてみてほしい。

 

僕は17歳だった!18歳だった!19歳だった!

 

上手くいっているときに新聞を読むと、彼らは僕のことをベルギー人のストライカー、ロメル・ルカクと呼んでいた。

 

上手くいっていないときは、彼らはコンゴ系ベルギー人のストライカー、ロメル・ルカクと呼んでいた。

 

もし僕のプレーが気に入らないなら、構わない。

 

でも僕はここで生まれたんだ。

 

育ったのもアントワープ、リエージュ、ブリュッセルだ。アンデルレヒトでプレーすることを夢見ていた。ヴィンセント・コンパニになることを夢見ていた。フランス語で始めてオランダ語で終えた文章に、近所で使われているスペイン語か、ポルトガル語か、リンガラ語を添えてやってもいい。

 

僕はベルギー人だ。

 

僕たちは皆ベルギー人だ。そうすりゃこの国もイカすだろ?

 

僕には理解できないのが、母国の一部の人々が僕の失敗しているところを見たがることだ。本当に理解できない 。僕がチェルシーに行ってプレーできなかったとき、僕への嘲笑を耳にした。ウェストブロムにレンタル移籍したときも、僕への嘲笑を耳にした。

 

まあいいんだ。シリアルに水がかかると、そういう人々は寄り添ってくれない。何もないというだけで僕に寄り添ってくれないということは、僕のことを本当に理解できていないということだ。

 

何がウケるかって?

 

子供の頃、僕は10年もチャンピオンズリーグのフットボールから離れていたんだ。そんな余裕はなかった。学校に行くとどの子供も決勝について話していたけど、僕には何があったのか見当もつかなかった。マドリーがレヴァークーゼンと対戦した2002年を思い返すと、皆言っていた。「あのボレーだよな!ヤバいよあのボレーは!」

 

彼らの話題には知ったかぶりをしていた。

 

その2週間後にコンピューターの授業を受けていると、友達の1人がインターネットからビデオをダウンロードしていて、ジダンがゴールの左隅に左足でそれを叩き込んでいる姿をようやく見れた。

 

その夏、彼の家に遊びに行った僕はワールドカップの決勝で怪物ロナウドを観た。その決勝トーナメント全てが、学校の子供たちから聞いた話の通りだった。

 

ウケる!2002年の僕のスパイクは穴だらけだった。それも大きな穴ばかり。

 

12年後、僕はワールドカップでプレーしていた。

 

今はもう1つのワールドカップでプレーするところだけど、どういうことか分かるかい?

 

今を楽しむことしか頭にないんだ。人生があっという間なのはストレスとドラマがあるからだ。僕たちチームや僕について皆好きに言えばいいさ。

 

なあ、聞いてくれよ。

 

僕たちが子供の頃はマッチ・オブ・ザ・デイでティエリ・アンリを観ることすらできなかったんだ!

 

今では代表チームで毎日彼から学んでいる。

 

気づいたときには、その伝説と並んで立っていて、彼がかつてやっていたようなスペースへの飛び込み方を手取り足取り教えてくれるんだ。

 

ティエリは僕よりフットボールを観ている世界で唯一の男だ。僕たちは何だって議論する。隣に座ってドイツ2部のフットボールについて議論するんだ。

 

僕は言った。

 

「ティエリ、フォルトゥナ・デュッセルドルフのスタメンは分からないだろ?」

 

彼は言った。

 

「馬鹿言うな。分かるに決まってるだろ」

 

僕にとって、これ以上イカすことは世界中のどこにもない。

 

本当に、本当におじいちゃんにはこの証人になって欲しかった。

 

プレミアリーグのことを言ってるんじゃない。

 

マンチェスター・ユナイテッドのことでもない。

 

チャンピオンズリーグのことでもない。

 

ワールドカップのことでもない。

 

そういうことじゃないんだ。僕がただ望むのは、今の僕たちにある生活を彼に見てもらうこと。もう1度彼に電話をかけられたら、彼に知らせることができるというのに…

 

「ほらね?言ったでしょ?あなたの娘は元気だよ。もうアパートにネズミが出ることもない。もう床で寝ることもない。もうストレスもない。今はもう皆大丈夫。大丈夫なんだ……」

 

「…もう奴らに身分証明書を確認されることもない。僕の名前を知ってるからね」

 

 

 

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編集部 A

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アメリカの大学に編入するもサッカーへの愛を忘れられず、どうせ英語を学ぶならイギリスの大学へ行けばよかったとちょっぴり後悔している20代。現在は卒業して東京で絶賛就職活動中。
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