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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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昇格試験-1


 モモンは冒険者ギルドの外に出る。通りはちょうど昼時になったらしく、仕事の手を止めた人たちによって騒がしさが増していた。それは食事をする場所を求めているのか、飲食店を中心に人の出入りが激しくなっている。

 モモンはそんな通りを歩きながら、顔に思わず浮かび上がる冷笑を、手で覆うことで隠す。人の目のあるこんな場所では勝ち誇った笑みを浮かべることはできない。無論、道行く人がモモンを気にしているわけが無いとは思うが、それでもどこに目があるともしれない。

 そこまで分かっていても、何も知らないで思うように操られる人間たちを思い出すだけで、どうしても笑みがこみ上げてくるのだ。


 モモンは下唇を噛み締め、必死に笑みを殺すと、のんびりと歩く。日差しを浴びることに満足しているような、そんな歩み方で。


 モモンは宿屋に向かって歩く最中、変な行動は一切しない。振り返ることも、道を遠回りすることもだ。それは警戒を完全に怠っている歩き方だ。

 不意に襲撃を受けたなら、その一撃は確実に食らうだろうという無造作かつ無警戒な歩みで、モモンは歩を進める。


 スペルキャスターであるモモンは、尾行等の察知は複数の魔法的な防御手段によって行うところである。しかしながら立場上、下手な魔法行使が不味いことぐらい当然理解できる。そのため基礎肉体能力に通常は頼っているのだが、流石に本職が相手となると誤魔化される可能性が高いし、このように人通りが激しいと看破できている自信は残念ながら無い。

 そのためにシャドウデーモンを借り受けたのだが、現在は全て出払っている。

 今はモモン自身に警戒能力がゆだねられているのだ。

 ただ、本職でもないのに無理に警戒という行為を取るとなると、どうしても動きに違和感が出る。そう考えたからこそ、逆にモモンは完全に警戒というものを取ってないのだ。


 昼時の騒がしさが満ち満ちた広場を抜け、モモンが滞在している宿屋近くまで近づく。この辺りでもやはり昼の休憩に入っている者の姿はちらほら見れる。騒がしさに若干顔を歪めながら、宿屋の近くまで来たとき、モモンは急に道を折れる。

 向かう先は裏路地だ。

 歩き、曲がり、やがて静かな一角に出る。そこでモモンは壁に背を持たれかける。一応は周囲を目線だけで見渡すが、尾行者やモモンを伺っている者の気配は感じ取れない。

 モモンが僅かに不満げに唇を尖らした、その時。モモンの背中が接触している部分――影が一瞬だけ揺らめく。


『参りました。ナーベラル様』


 シャドウデーモンの抑揚の無い冷たい声がモモン――ナーベラルの耳、直ぐ後ろから聞こえる。

 短距離だが影から影への転移を可能とするシャドウデーモンの特殊移動方法、シャドウ・ワープによってナーベラルの背面に移動したのだ。

 シャドウデーモンは影状になり、身を潜めることができるモンスターである。

 そんな平面に過ぎない影が三次元になろうと蠢く様は、異様なものを感じさせただろう。しかしながらこの周囲にその光景を目にするものはいない。

 ナーベラルは何かを考え込むように口元に、握りこぶしを当てる。無論、口を読まれなくするための動作なのだが。


「周辺の警戒は?」

『見て回りましたが、こちらを伺っているものはいません』

「それで、私が出た後の会議の様子は?」

『とりあえずはナーベラル様が退出されたあとすぐに会議は終わりました。内容としては――』


 一通りの話を聞き終わったナーベラルは頷く。とりあえずはこのシャドウデーモンはまた仕事につける必要がある。


「行きなさい。冒険者ギルド長に付き、情報を入手しなさい」

『了解いたしました』


 再び影が揺らぐ。ナーベラルは周囲を目線だけで軽く見回すと、自らの主人と連絡を取り合うこととする。そして《メッセージ/伝言》を発動させる。


「――アインズ様」

『ナーベラルか。今回はご苦労だった』


 主人の口調が非常に嬉しげなのは何故か。

 色々と考え、ナーベラルは相手を上手く誘導できたことを喜んでいるのだろうと納得する。


「いえ、私は何も」


 事実、ナーベラルは何もしていない。会議に呼び出される前、カーミラという存在の設定やモモンの役目の修正事項について打ち合わせたぐらいだ。その所為で指定された時間には遅れることとなったが。


「全てはアインズ様のご計画通り。このガントレットの一件といい、敬服いたします」

『うむ……まぁ、結果よければすべて良しだな』


 ナーベラルがアインズよりガントレット――イルアン・グライベルを受け取った際、アインズの想定していた用途は、ナーベラルの肉体能力の高さを追求された時だ。このガントレットをしているから高いんだ、と偽りを述べるための準備だったのだが。そしてもう一点。ナーベラルの幻術は完璧ではないために、触られると鋭い人間であれば若干の違和感を感じる可能性は高い。それを避けるためでもあったのだが。

 それがアインズやモモンの評価を高める方面でも、使用されるとは思ってもいなかった。


「しかしこれがアーティファクトだということですが」

『困ってしまうな』


 アインズの口調に苦笑いにも似たものが生まれる。


『この世界のマジック・アイテムも大したものがないということだろうな』


 それからフフン、と鼻で笑うアインズ。口調にかなり色々な面で満足している雰囲気が漂う。


『それよりかはこの一件によって、アインズ・ウール・ゴウンという名が売れたということは、王国からの勧誘はかなり高い評価になるだろうと思ってよいだろう。……まさに一石二鳥。うむ、うむ』

「流石はアインズ様です。私なんか何もしていないのに、全てアインズ様のお望みのままに全て進んでいます」

『おっと、そのようなことは無いぞ、ナーベラル。お前の働きが無ければ、ここまでうまく事は進めなかっただろう。さて、次なる手を打つ前にあのポーション職人に関する情報を集めておけ』

「はい。それはシャドウデーモンを中心に、ということでよろしいでしょうか?」

『そうだ。現在のシャドウデーモンはどのように配置している?』

「はい。都市長、冒険者ギルド長、Bクラスの冒険者パーティーにそれぞれつけております」

『では手が足りないな』

「残念ですが」

『ならば仕方が無いだろう。追加であと何体か送るとしよう。準備に少々時間が掛かるが、送る際には《メッセージ/伝言》で連絡する』

「畏まりました」

『では、これ以降の行動を言い伝える――』


 アインズから下される様々な指令。それはやはり情報収集関係の仕事だ。しかしながら今までに比べれば非常に詳細になったといえる。つまりは計画の第一工程が終了し、第二工程――より細かなところまでアインズの計画が進んでいることを意味する。


 自らの主人の計画が進むことへの、そしてそれに対して自らが働いているという実感。

 それがナーベラル・ガンマにとっての何よりの喜びだ。いや、ナザリックでアインズに使える全ての喜びだろう。その中において――


「――皆より少しリード」

『ん? 何か言ったか?』

「いえ、何でもありません。アインズ様」

『ふむ。そうか……』


 伝わってくる、頭を傾げながら言っているようなアインズの雰囲気に、ナーベラルは本当に微かな笑顔を見せるのだった。




 裏路地を離れ、宿屋に戻ってみると最初に出迎えたのが、主人のむっつりした顔だ。

 何か言いたげな表情を浮かべているが、モモンはそれを完全に無視する。言いたい事があるなら直接言いに来れば良い。それに観察の対象になる気はしない。

 ミシミシと音の立つ木の階段を昇り、あてがわれている部屋の扉を押し開ける。

 その瞬間――


「モモンさん!」


 ばっとベッドから飛び上がった女がいた。バニアラだ。


「ありがとうございました!」


 ばたばたと慌ててバニアラは駆け寄り、モモンの足元のひれ伏す。


「頂いたポーションのお陰で命が助かりました! ありがとう。本当にありがとうございました! 何があったかは実のところ言うことはできないのですが――」

「いえ、いえ。大変だったみたいですね。ギルド長から聞きましたよ」


 モモンは優しげな笑顔を浮かべ、ひれ伏すバニアラの手を取り、優しく立たせる。バニアラは眼を潤ませながら、そんなモモンの手を硬く握り締めた。とはいってもガントレットをはめているモモンにとっては、バニアラの手の感触なんか無いのだが。

 そのとき、初めて何かに気づいたというようにバニアラの目が大きく見開かれる。


「ギルド長? 何かあったんですか?」

「ああ、大したことではないです。ポーションの件で呼ばれまして」

「申し訳ありません!」


 再び足元にひれ伏し、頭を下げる。


「起こった一件を聞かれた中で、モモンさんからポーションを頂いたという話まで聞きだされて――。ご迷惑をおかけしました!」

「ああ、本当に気にしないで」


 再びモモンはバニアラの手を取り、立たせる。


「そうなんです。絶対に殺されたと思いました。頂いたポーションを投げつけたら、何か怯えたみたいで。本当にありがとうございます。命が助かりました」


 かすかに涙ぐんでいるバニアラ。それは恐らく目の前で起こった仲間の死が関係しているのだろう。そして実際に自分も死を覚悟していたはずだ。それが九死に一生を得たともすれば、その感動の度合いも分かるというもの。


「ありがとうございます。本当にありがとうございます」


 ペコペコと頭を下げるバニアラにモモンは微笑む。

 モモン自体としてはバニアラという劣る人間に、このような笑顔を向けなければならないというのは、憤懣やるかたない。しかし、そうせざるを得ない。

 というのもアインズよりモモンに下された指令の中に、バニアラと仲良くなるようにというものがあるためだ。モモン自身としてはカーミラという情報を握るという意味でも、唯一にも等しい目撃者は殺すべきだと思い、そう進言した。しかしアインズの返答は違った。

 殺さない方が、そして記憶を操作する方が、より完璧なカーミラという偽者ヴァンパイアの情報を与えるのに役立つ。という目論見を口にしたのだ。

 無論、その目的や狙い。そういったものはモモンにも理解できるし、自らの主人の決定に異論を挟むような理由も無い。


「ああ、ですから気にしないで」


 再びモモンはバニアラを立たせる。それから自らのバックに手を入れる。


「使ってしまったんでしょ? こちらをどうぞ」


 出したのは前にあげたのと同じ下級治癒薬<マイナー・ヒーリング・ポ-ション>だ。それをバニアラの手の中に押し込む。




 バニアラは不思議そうな顔で貰ったポーションを眺めた。


「あの時、2本しかないと――」

「ああ、あれから作りましたから」

「ええ!」


 バニアラは経験豊富な冒険者ではない。だが、それでも貰ったポーションの価値は、先ほどの冒険でしっかりと実感した。

 さらにはポーションの工房で作成するところを眺めたことがあり、その作業の大変さを知るバニアラからすると、この目の前の冴えない男の発言はまさに驚きだった。特にその辺の水を汲んできましたといわんばかりの気軽さは。


「如何したんですか?」

「あ、いえ、あ、そうなんですか」


 バニアラの顔に完全に理解したものがあった。

 それは目の前の男がどれほどの人間かということだ。旅立つ前のこの宿屋の主人との会話で、薄々ながら理解していたことが今、ここで完全に証明されたのだ。

 金貨50枚にも匹敵する価値――もしかしたらそれ以上の価値のあるポーションを、無償で提供できる人間は只者であるはずが無い。


 ――世界が違うんだ。

 僅かながら、バニアラの心に寒々しい風が吹く。


 バニアラは英雄というものに憧れる。御伽噺に出てくるような人を助け、ドラゴンを倒し、街を救うような。それは彼女が幼い頃、幸せだった――そしてまだ生きていた母親に寝物語として聞かされた物語に起因するものかもしれない。もしかすると自らの村がモンスターに簡単に滅ぼされたとき、誰も助けてくれなかった悔しさの――英雄がいれば助けてくれたのにという渇望から来るものかもしれない。


 だが――そう、しかしながら彼女は憧れるだけだ。なぜなら実際に彼女は自らが英雄になれるとは考えていないのだから。

 例えば王国最強とされる戦士ガゼフ・ストロノーフ。彼は若い頃から天賦の才を持っていたとされる。そして噂に聞く、そのガゼフと互角の勝負をした戦士ブレイン・アングラウスも。

 英雄に近づける存在は、すべからく才能を持っているのだ。

 しかしながらバニアラは才能を持っていない。彼女はそれを事実として認識している。冒険者として大成できるかは知らない。しかしながら彼女では英雄にはなれないのだ。


 そんな中――自分が努力しても追いつけないような人間。バニアラが必死に昇ろうとする巨大な階段を一段抜かしで軽やかに超えていくような存在。それが今、目の前に立っているのだ。


「――ああ、英雄の可能性を持っている人なんですね、モモンさんは」


 不思議そうな顔をするモモン。

 羨ましいとも憧れとも、嫉妬ともしれない感情がバニアラを包む。


「羨ましいです。よくは知りませんが、多分、凄く強いんでしょうね」


 モモンの顔に初めて困惑というものが浮かぶ。何故に自分がこんなことを言われているのか分からないのだろう。事実バニアラだって何でこんなことを言ってるのか自分でも理解できていない。


「どんな感じなんですか? 劣るものを見るという感覚は。優越感なんですか? それとも哀れみなんですか?」


 なんということを言っているのだろうか。それが理解できながらも止まれない。バニアラは自らの心の奥からにじみ出る黒いものに飲み込まれていた。


「羨ましいです! 持ってる人が! 私もあなたのように英雄としての才能が欲しい!」


 感情が高ぶったバニアラの瞳から涙がほんの少しこぼれる。

 そんなバニアラを見ているモモンの目が冷たく、鋭いものへと変わる。そしてバニアラに激しい怒りの炎が伝わってきた。それは殺意にも似たほどだ。

 バニアラはぐっと言葉に詰まる。

 当たり前だろう。あれほど善意を持って優しくしたのに、その対象からあんな言葉を叩きつけられれば怒って当然だ。どんな罵声が飛び出るのか。バニアラが首をすくめながらそれを持っていると――モモンの表情が急激に変わる。


 それはまるで空から飴玉でも降ってきたような驚愕の表情だ。それから不満げな顔に変わり、怒りが再燃焼し、空虚なものになり、がっかりしたものと変わる。そんな百面相を得て、最後に行き着いた表情はぶすっとしたものだ。

 そしてモモンの言葉がまるで平坦なものと変わる。


「あー。おま――いや違う。えっと、あなたは生き残ったんでしょ?」


 不思議そうなバニアラに向かってモモンは言葉を続ける。


「えっと、英雄としての才能って言うけど、英雄というのは、人にはできないことをする者の意味だと私は思う。さらにその結果として多くの人が救われるということも必要かもしれないけど。それって才能が必要なものなの?」


 非常にしどろもどろにモモンは呟く。バニアラは思わずキョトンと目をぱちくりさせてしまった。


「えー、あなたが生きて帰ったことで、ギルドにヴァンパイアのより詳しい情報が流れたわけ。だからこそ、ギルドはいろいろな面で動くことができた。これによってどう世界が転がるかは不明だけども、命が失われるよりは助かる命の方が多い方向に進んでると思う。ならば、それはまぁ英雄とはいえないまでも英雄に近い行為なんじゃないのかな?」

「でもそれは、モモンさんがポーションをくれたお陰で……」

「モモン……じゃない。私はポーションを渡したけれども、そのポーションを投げたのはあなた自身でしょ? 私が投げろといったわけじゃないでしょ? 違う? あなたが決めて、あなたが選んだ。そうでしょ? それに多くの人とか言っていたけど、個人的な考えで言わせてもらえれば、1人でも人を救えれば英雄だと思うけど?」


 慰めようとしてくれているんだ。バニアラはそう思う。非常に言葉は拙い。だが、その分、何故か。必死さが伝わってくるような、心がほのかに温まるようなそんな気がする。


「それに――」


 モモンは眉をひそめる。まるで何か信じられないことを言わなくてはならないように。


「……個人的には努力して力を得ている、あなた方のほうが凄いと思う……」

「慰め、ですか?」

「……本気みたい」


 まるで別人が語っているのを聞かせているようなモモン。それはもしかしたらモモンも昔同じようなことを誰かから言われたのかもしれない。


 バニアラは思う。

 多くの人を救うような英雄にはなれないだろう。才能が無いのだから。でもモモンの言ったようにほんの少しの――たった1人かもしれないけど――人を救う、英雄未満な冒険者にはなれるかもしれない。


 バニアラの涙はいつの間にか止まっていた。


 モモンは話は終わったといわんばかりに自らの与えられた寝台に歩き出す。そんな後姿にバニアラは声をかけた。


「――あの、モモンさん。――ありがとうございます」


 モモンはぶすっとした顔で振り返ると、肩をすくめ、再び寝台に向かう。

 照れ屋なのかな。

 寝台の上に横になったモモンに対して、そんなことをバニアラは思った。




 ■




 2日後――


 呼び出されたモモンは冒険者ギルドのドアをくぐる。

 時間帯の指定は早朝。武装等を整え、約1日間の仕事をこなせる準備をしてくること。そういったギルドからの呼び出しである。扉の先は市場の朝のせりにも似た熱気が満ちていた。

 張り出された羊皮紙を前に、仲間共に吟味する者。壁際によって他のパーティーだろうメンバーと、何かを交渉する者。他のパーティよりも一瞬だけ早く、羊皮紙を剥ぎ取り、カウンターに持ち寄る者だっている。

 そんな活気に溢れた場所を縫うようにモモンは歩く。

 カウンター席に座っていたイシュペンがいち早く、そんなモモンの姿を見つける。というよりも視線のみをきょろきょろ動かしていたのに、モモンが入ってくるなり固定したところを考えると、待っていたという方が正解か。

 それを察知したモモンは他の受付に行くのではなく、まっすぐにイシュペンの元に向かう。

 モモン自身としてはあまり望んではいないが、イシュペンが直接なんらかの指示を受けているとしたら、他の受付嬢の所に行くのは無駄になるからだ。


「モモンです。呼ばれてきたのですが?」

「よくいらっしゃいました。ギルド長が待ってます」


 ざわりと空気が蠢く。それは驚愕によるものであり、誰何のものである。

 当たり前だ。ブラスのプレートを下げた人間がギルド長の部屋に呼ばれるなんてことがあるわけが無い。それは常識的に考えれば当たり前のことである。ギルド長と最下級の冒険者がどうやったら接点が持てるというのか。トップと底辺である。実際ここにいる冒険者の中、ギルド長の部屋に呼ばれたことのある冒険者なんか、一握りもいない。


 その中にあってイシュペンのみがやはりな、という予想通りという顔をしているのが混乱に拍手をかける。つまりはギルドの受付嬢からすると当然と思っても良い出来事だということ。

 そしてイシュペンがニヤリと笑う。


「――場所を案内いたします」

「あ、知ってるから結構です」


 モモンのバッサリと断ち切るような言葉を受け、笑顔を浮かべたまま、イシュペンの表情が凍りつく。


「え?」

「いや、だから知ってるから案内はいりません」


 なんだと? 凍りついた笑顔が砕け散り、そんな言葉が非常に似合うような、ショックを受けたような表情が浮かんだ。


「……」

「では」

「あ、待ってください! 勝手にギルド内を歩かれては困ります」

「なら、後ろから付いてきてください」

「……はい」


 必死に頭を回転させても上手い言葉が浮かばない。やがて、イシュペンはさっぱりとした笑顔を見せる。なんというか、一枚取られたと強敵に送るような笑顔で。




 モモンはイシュペンを後ろに引きつれ、カウンター後ろのドアから冒険者ギルド4階を目指す。ドアが閉まり、足音が聞こえなくなった辺りでざわめきが戻った。

 だが、先ほどのより良い仕事を求めるものとは違う。


 あのモモンという人物は誰だと、声なき声が上がっているのだ。

 互いが互いの顔を目配せしあい、情報を持ってる者を探す。


 冒険者というものが酒場で管を巻いて、酒場の主人から仕事を請け負う――そう思う一般人は非常に多い。というのも冒険者のドロップアウト組みである、俗にハンターと呼ばれる存在はそういった者が非常に多いのだから。

 しかしながら本当の冒険者は違う。

 彼らは酒場にいるときでも情報交換を密に行う。周辺のモンスター状況とその能力、マジックアイテムの相場、他の冒険者達の噂や請け負った仕事の中身、周辺都市の冒険者の話。非常に精力的に情報収集を行うのだ。

 なぜなら、それを怠った冒険者は、生還率が下がるといっても良いからだ。


 モンスターの状況知っていれば、出てきたモンスターを的確に対処できるだろう。

 マジック・アイテムは高額だ。それゆえに的確な時期を見定めて買うことによって、より良い武装の強化を図れる。

 さらには他の冒険者の話を聞くことで様々な知識、そして警戒すべき点、注意すべき点を得ることもできる。


 情報は冒険者にとっての、冒険というモンスターに対する最初の一撃なのだ。この一撃を積み上げているか、積み上げていないかで生還率が大きく変わるのは当たり前だろう。


 そんな冒険者たちがモモンという異様な人物の情報を求めて、知る人間を探すのは極当たり前の光景なのだ。いや、逆に行わなければそちらの方が不自然だろう。


「罰則じゃないのか?」

「罰則でギルド長の部屋までは普通呼ばれんだろう」


 どこかのパーティーの誰かが自らの考えを呟き、即座に別のパーティーの誰かが否定する。幾つもの予想が上げられるが、次の瞬間には否定される。そんなことが続き――


「やはりな」


 静まり返った一階受付に、ぽつりと小さな納得の声が上がった。

 一斉に目が集まる。口にした冒険者は誰だと。


 そこにいたのは旋風の斧というパーティー名で名の知られる一行だ。Eクラスという冒険者では最も多いランクの一行だが、能力的にはその1つ上のDクラスに匹敵すると評価されている。さらには構成員の1人である、ニニャにいたってはCクラスの能力はあるとされる人物だ。


 周囲の目が集まったことで、旋風の斧のメンバーがしまったという顔をする。


「おい、ペテル知っている人物なのか?」


 旋風の斧のリーダー、ペテル・モークと仲の良い冒険者が話しかける。


「ああ」


 言葉を濁し、逃げようとする意志を見せるが、周囲の視線を受けてそれは不可能な望みだとペテルは気づく。諦めた表情を浮かべたペテルは、自らが雇ったときの話を聞かせることとなった。無論、全てではない。要約した重点だけの話だ。

 しかし、同じ冒険者として生活をしているものたちからすれば、様々な点でモモンという人物の変な部分に、違和感というものを強く感じてしまう。そのあまりにも経験と実力がちぐはぐとした行為。それは――


「ギルドの秘蔵っ子っていう線?」

「ありえるな」


 誰がか呟いた答えを、誰かが肯定する。

 そうだ。経験が少ないのは、英才教育を箱庭で受けてきたからではという答えだ。

 実際に魔術師ギルドで教育を受けている一部の魔術師に、頭でっかちのタイプは時折見受けられる。そんな人間を守ったりして共に冒険をした人間であれば、モモンという人物に酷似したものを感じ取れるのだ。


「王都の魔術師ギルドから来たとか?」

「いや帝国の魔術院とかどうだ?」


 王国の魔術師の最高学府を出身地だと予測するものもいれば、帝国の最高学府を出身地だと予測するものもいる。ただ、どうにせよ、まだ冗談半分だ。可能性があるな、という程度の噂話程度でしかない。事実、今だモモンという人物は真鍮<ブラス>のプレートを持つ最下級の冒険者でしかないのだ。これから注意すべきライバル。それがモモンという人物に相応しい評価だろう。

 しかしながら最後の爆弾が、彼らの考えを一撃で吹き飛ばした。


「ああ、そういえばあの人、都市長たちが会議していたときに呼ばれてましたよ」


 ウィナの手によって放り込まれた爆弾は、見事冒険者達の間で爆発した。

 静まり返った一階の受付室の中、誰もが互いの顔を見合わせる。


「昇ってくるな」

「ああ。しかし1人なのか?」

「だとすると……」


 そのコネクションを考慮すると、仲間として取り込む価値があるかもしれない。

 冒険者は互いに互いの顔を見合わせる。取り合えずはモモンという人物について多少、不味くない程度に調べようと。




「よく来てくれた、モモン殿」


 モモンがノックをし、入ってみると最初に出迎えたのはギルド長の笑顔だ。非常に好意的というか、最初にあった際の雰囲気が嘘のようである。ギルド長――プルトンは軽く両手を開き、歓迎の意思表示をする。プルトンは今まで座っていた仕事用の立派なデスクから立ち上がると、部屋の中央に置かれた向かい合う4人がけほどのソファーを指差す。


「さぁ、こちらにかけてくれ」


 室内はさほど広くは無いが、見事なものだ。

 15メートル四方ぐらいの部屋には柔らかな絨毯が敷かれ、壁の大きな本棚には何冊もの分厚い本や巻物の束が並べられている。部屋の中央には先ほどのソファーとテーブル。窓にはガラスがはめ込まれているが、日光を避けるために現在は薄いカーテンが掛かっている。

 室内の調度品はどれも豪華さというよりは、実用性を重視したような素朴な作りだ。


 モモンがソファーに座ると、プルトンはデキャンターと陶器のコップをモモンに見せる。


「飲み物はいるかね?」


 ガラス製のデキャンターの中に入っている液体に色は付いてない。水か、香料入りの水というところだろうか。貰う必要は無いが、貰ったとしても悪くはない。しかもギルド長自らがわざわざ入れると言っているのだ。貰ってやるのがここは正しい処世術だろう。


 はるかに劣る人間のことまで考えるとは、自分も丸くなったものだ。


 モモンは内心自らの成長にそう満足しつつ、軽く頭を縦に振る。それを受けて、プルトンはデキャンターの中の液体を陶器のコップに入れて、モモンの前に音の立たないよう丁寧に置いた。

 それはギルド長という――支部ではあるが――1つの組織の長ともいうべきものが、対外的な立場的には遙に下の者にする態度ではない。そのプルトンの取る姿勢こそが、今の現在のモモンという人物の評価であり、都市での立場ということだろう。


 モモンは目の前に置かれた陶器のコップを手に取る。ガントレットを外さないモモンに対し、プルトンは何も言わない。無論、マナー的には非常に失礼な行為だが、はめているアイテムは魔術師ギルドの長であるテオの言によるとアーティファクト。ならばそれを外したがらない気持ちは冒険者として理解できるからだ。


 モモンはコップを口元まで持っていき――

 恐らく――この都市に来て始めてモモンの目が驚きに見開かれる。驚きの元は単純だ。冷たい。その一点に要約される。


「冷たいです」


 モモンの呟きにも似た問いに、一瞬だけプルトンは目の中に困惑を浮かべるが、直ぐに納得したように頷いた。


「ああ、これは冷却の容器<デキャンター・オブ・リフリジレイト>と呼ばれるマジック・アイテムだから、飲み物が冷たいんだ」

「大きな奴は見たことがありますが、デキャンタータイプのものは私が知らないだけかもしれませんが、始めて見ました」

「そんなものかね? 私は大きい奴のほうが見たことが無いが……」

「幾らぐらいなんですか? それ」

「これは……確か金貨150枚ぐらいだった気がするな。今は違うのかもしれないがね」


 ナザリックに帰るとき、買っていくか。そんなことを思いながらモモンは陶器のコップを口元に当て、中の液体――かすかな香料の匂いが漂う水を喉に流し込む。

 モモンがコップをテーブルを上を置くのと同時に、モモンの前のソファーに座ったプルトンは口を開く。


「わざわざ来てもらったのは、昇格試験の内容が決まったからなんだ」

「なるほど」


 予測どおりである。モモンはその話の先を促すように、目配せを行う。


「今回、モモン殿にやってもらう仕事の内容は墓地の巡回だ」

「墓地ですか……」


 モモンがこの都市に滞在している時間はさほど長くないが、情報収集という仕事のために潜入した関係上、ほぼ都市の大雑把なことは熟知している。



 エ・ランテルは帝国との戦争の最前線の都市である。

 そのために通常都市とは違う点が多々ある。その際たるは3重の城壁を持っていることだろう。他にも武器等の鍛冶師が多くおり、薬師のいる治療院等も通常の都市よりも多い。そんな戦闘に密接に関係した職種が多くいるのだ。まぁ、娼館も多かったりするのだが。


 そしてもう1つ。

 外周部の城壁内にそれはある。

 それとは――巨大な墓地である。外周部の1/4。西側の区画を完全に使った巨大なものである。


 この世界において死者を戦場において転がしたままということは、ほぼありえないのだ。これはアンデッドという存在が事実として存在する以上は、当たり前の考えである。

 アンデッドは生者が死を迎えた、その場所その時に不浄なる生を持って生まれてくる場合の多いモンスターである。戦場や遺跡等で。そしてそれは生のある場所――人の世界の最も身近に存在するモンスターだということでもある。そしてその中でも無残な死者や、弔われない死者から生まれる可能性が高いのだ。

 そのために巨大な墓地――弔う場所が必要なのだ。これは帝国も同じであり、戦争中でも協定を結んで互いに丁重に弔うものである。なぜならアンデッドは生者共通の敵なのだから。

 多くの命が失われる戦争において、巨大な墓地といえども葬るだけの場所があるかというと、その疑問は正しいものである。


 実際、現在墓地の使用率は100%だ。新たな死者を葬る余地は無い。では死者が生まれたとき、どうするのか。それを答える鍵はこの周辺国家に共通の死生観にある。


 人の魂は肉体に宿る。そのために肉の無くなった骨というのは、魂の抜け切った残骸に過ぎないという死生観がこの周辺国家では一般的だ。これは帝国も同じであり、違うのはスレイン法国ぐらいである。

 つまりは古い死体――白骨化した死体は掘り返し、粉砕してしまうのだ。

 そしてこの掘り返す作業と、粉砕する作業の間。白骨化した死体がスケルトンとして動き出すということは時折あるのだ。

 そのために冒険者を雇って、その間の墓地の警備を行うことは多くある。いや、エ・ランテルの冒険者なら一度はやってみたことのある、ひどく一般的な仕事である。



 そんな珍しくない仕事を昇格試験にするのかと思い、モモンはその考えを否定する。一応、対外的にはモモンは低位の冒険者だ。高難度の仕事を昇格試験の内容にはできないだろう。

 逆にモモンはある意味、この都市の切り札的な存在になるかもしれない人物だ。そういう意味合いでは今回の試験内容は対外的にもちょうど良い仕事なんだろう。


「なるほど、了解しました」

「それでまだ、1人ということで良いのかね? 今回は昇格試験という関係上、ノービス以上の冒険者には参加しては欲しくはないのだが」

「ええ、構いません。」


「それより、今回の昇格試験の参加者は私一人で?」

「ああ、そうなっている。問題は無いだろう?」

「ええ。魔法の効果範囲に巻き込むという恐れは無い方が楽ですから。では詳しい内容を聞かせてもらえますか?」


 一瞬、プルトンが鼻白む。仲間と共に冒険をしてきた前衛の戦士としては、あまり気分の良い話ではないのだろう。


「では本日の17:00から仕事の開始となる。終了は明日の6:00。巡回の回数は3回。1度目が20:00、2度目が明日の1:00、そして最後の3度目が5:00だ。大体巡回にかかる時間は30分から1時間と思っている。待機する場所は基本、中央区画の墓守の建物を使用して欲しい」

「基本ということは何かあった場合は臨機応変にということですね」

「勿論。冒険者として適切な行動を取って欲しい」


 プルトンは眉をひそめ、モモンを観察するように言葉をつむぐ。


「本来であれば勝てないだろう難易度のモンスターが出た場合は、情報収集を中心に行動してもらって、離脱するようにという話をするのが一般的なんだが……モモン殿の場合は必要ないだろう?」

「そうですね。必要ないと思います。それでどのようなモンスターが出るんですか?」


 モモンの機嫌が悪くなっていないのを確認し、プルトンは安堵の息を漏らす。つまらないことを言ってモモンのこの都市に対する評価を下げられてしまっては厄介ごとなのだから。

 単純にカーミラという強大なヴァンパイアに現在太刀打ちできるであろう存在は、今現在目の前にいるモモンと師であるアインズしかいない。つまりこの2人は周辺国家が知れば、我先にと協力を要請するだろう人物ということだ。

 幸運なことにモモンという人物はエ・ランテルに来ている。このアドバンテージを失うわけには行かないのだ。


「ふむ……本当はそれを調べるところから昇格試験は始まっているんだが……まぁ、構わないだろう。モモン殿だしな」


 プルトンは思い出すかのように言葉にする。 


「一般的なのがゾンビ、スケルトンだ。戦争後だとゾンビ・ウォリアーやスケルトン・ソルジャー等の武装したモノが生まれるときがある」


 武装していない戦士の死体がアンデッドとなったとき、いつの間にか武装していることには様々な説があるが、最も有力な説が死者の念による武装化――魔法にも似た様なのがあるが、それが行われているのだろうという意見だ。


「他には死体喰いたるグールやグールの上位種ガストやワイト。本当に極まれに通常武器の効かない非実体な幽霊<ゴースト>や死霊<レイス>という存在も現れるな。あとは寄生蛆の母<パラサイト・マゴット・マザー>、とかそこから生まれる、卵を産み付ける大型蝿<ジャイアント・デポジットフライ>、死のオーラの集合体たる不浄なる闇<ヴォイド>とかかな」

「なるほど」


 特に聞く限りモモンが警戒しなくてはならないほどの強敵が存在するようには思えない。ならば問題は無い。いや、問題なんか元々無いのだが。

 充分とばかりに席を立とうとしたモモンにプルトンが声をかける。


「そうそう。都市長殿がモモン殿と友好の意を結びたいということで、軽くパーティーでもしないかという話だが、どうかね?」

「いや、興味ないので」

「……綺麗どころも集めるという話だぞ。胸の大きいのから小さいのまで――」

「やはり興味ないです」


 何言ってんだこいつ、という冷たい目でプルトンを凝視するモモン。


「……そ、そうだよな。今から昇格試験だしな。私は何を言ってるんだか」


 ハッハッハ。と乾いた笑いを浮かべるプルトンを前に、モモンは冷たい目のまま席から立ち上がる。


「話は終わりのようですし、私は行きます」

「では宜しくお願いするよ、モモン君」


 軽く握手を――ガントレット越しだが――交わすと、モモンは部屋を出て行く。




 そんな後姿を眼に、プルトンは1つ計画が失敗したことに、僅かな失望の思いをかき消せなかった。


 冗談交じりでの軽い口調での招待だが、モモンにはばっさりと断ち切られた。女では靡かないかと、プルトンは心のメモ帳に記する。

 いや、まぁその場になってみないと男というものは分からないものだ。下半身の頭は別物であるとプルトンは自らの経験上のことを思い出す。

 女なら一夜で数十枚もの金貨を使う、最高級の娼婦でよければ数人ぐらいはあてがえるのだが。

 こっそりと送り込んでみようか。そんな作戦をプルトンは去り行くモモンの後姿を見送りながら考える。実際、モモンを取り込む計画は都市長も深く賛同している。

 とりあえずは金、女、あとは権力。モモンが欲しいと思ったものを与えて、この都市に執着をしてもらわねばならないのだから。


「まずは酒で酔わせて、女を数人あてがってみるか」


 女衒ではないのだがなぁ、とプルトンは呟きつつ、自らのデスクに戻っていった。


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