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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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準備-3


 ピニスン・ポール・ペルリアは困っていた。

 いや困っていたというのは軽い表現だ。なぜなら、彼女は現在、命の危機にさらされているのだから。

 とはいえ、彼女の感情的には困っていたという言葉が最も相応しい。

 自然の体現とも言うべき彼女からすると、生と死、奪うものと奪われるもの――弱肉強食はあくまでも自然の営みの一環なのだから、仕方がないと認識するしかないからだ。

 無論、だからといって死にたいわけではない。まだ彼女は若い――そう人間で言うところの30年も生きてはいないだろう。彼女の同族からすると幼い子供も同然だ。そんな若さで死を望むほどの変わった種族ではない。


 では何故、それに対して抵抗しないのか。


 確かに彼女が頑張れば勝てないまでも時間を稼げるはずだ。しかしながらそれを行わない理由のひとつは、ある意味、諦めが彼女を支配していたからだ。

 そして次に助けを求めるような種族が近郊にいないのも問題だった。時間を稼いだとしても、そこで話が終わってしまうのだ。次に打つべき手が無いために。

 無論、周辺に同族やそれに連なる種族はいる。

 だが、彼女の命を奪おうとするものを追い払うことのできる存在はいない。それは強さ的な考えから来るもの――戦っても勝てないから――であればまだ簡単だったかも知れない。しかしながらそれは生物の命の循環を重視する――弱肉強食なのだから仕方が無いという――種族的なものの考えから来ていたためだ。

 そのため彼女を助けてくれるような存在はいなかったのだ。


 つまり彼女の命は風前の灯火だったのだ。




 ■




 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の中央を走る境界線たる山脈――アゼルリシア山脈。その南端の麓に広がる森林――トブの大森林。


 膨大な広さを持つこの大森林は、王国で暮らす人間の生活圏の1/5に匹敵するほどの広い敷地を持っている。

 これは確かに大森林が広いこともそうだが、人の生活圏内というのはさほど大きくないことに起因する。人の生活圏は基本的には平野が主となっているのだ。

 これは幸運なことと言えるだろう。強大なモンスターの生活圏とかち合わないことが多いのだから。

 ――いや、だからこそ人間の先祖は平野を生活圏としたのかもしれない。


 単純に人という種族は弱いのだ。それゆえに群がり、知性から生み出される武器や魔法で身を守る。

 それに対しモンスターと分類される生き物の大半は強大である。

 鋼鉄を凌ぐ硬い外皮や爪や牙を持つもの、魔法にも似た特殊能力を持つもの、桁はずれた肉体機能を持つもの――そんな強大な存在であるモンスターの生活圏は、隠れる場所が多い、敵が少ない、もしくは直ぐに逃げられる、日差しに当たらない、等の障害物の多い地形を重要視するものが多い。それからすると丸見えな平野に生活の場所を求めるものは少ないのだ。


 平野とそれ以外。


 これで人とモンスターの生活圏が明確に区切られていると考えると分かりやすいか。そんなモンスターの生活圏である原生林に入るのは、一部の職業に付いた者であり、特に依頼を受けた冒険者ぐらいなのだ。


 勿論これは人の話であって、エルフやドワーフという種に関してはまた別の話なのだが。



 さて、蛇足から話を戻し、トブの大森林。

 浅い部分は猟師や薬草を探す者が入り込むものの、奥地まで入った者は少なく、出た者も少ない。そんな場所である。

 アゼルリシア山脈には膨大で多様な鉱床が眠っているのだが、取り囲むように存在する危険な大森林をわざわざ踏破する者はいない。大森林はあくまでも南端部分を取り囲んでるにしか過ぎないからだ。アゼルリシア山脈北部から入り込めば解決する問題だからだ。

 それに生い茂った原生林は闊歩が難しく、見通しが悪い。そのため何時何処からモンスターに襲われるか不明なために、絶えず注意をしなくてはならない。そのため原生林の冒険は非常に神経をすり減らす作業となる。


 それらの理由により、探検するものは少なく、詳しい地形はあまり判明していない。

 一部の冒険者たちがロマンや財宝を求めて冒険を繰り返してはいるが、本腰を入れてどこかの国が動いたということは歴史上一度たりとも無い。

 ただ、森で取れる希少な薬草には十分な価値がつけられるが、命と金のバランスを考えてみるとあまりに釣り合いが取れない。それぐらいならもっと別の――それこそかつての遺跡を探った方がメリットは良い。

 そのため依頼抜きでトブの大森林を冒険するものは、勇敢か無謀さのメーターがぶちぎれた本当に一握りである。


 そんな人の手のはいらない秘境であり、モンスターたちの楽園かつ生存競争に日夜明け暮れる場所。それこそがトブの大森林である。


 その南端部分。

 トブの大森林に入り、おおよそ直線距離で30キロ。アゼルリシア山脈より流れる人の手によっては名前が付けられていない川が巨大な湖を形成する場所より、3キロほど東――バハルス帝国側。


 巨木が立ち並ぶ一角。そこにピニスンの木があった。



 ピニスン・ポール・ペルリア。

 種族名はドライアド。

 森の妖精の種族であり、木の妖精だ。人ともエルフとも表現できそうな女の外見に、肌は磨かれた木の光沢を持ち、緑の髪は新緑を思わせる。超がつくような一級の芸術家が木から作り出した裸婦像、そんな姿だ。

 自らの木と密接な関係を持ち、そこより離れることはそれほど出来ない。それは離れれば離れるほど弱体化して行き、最後は命を失ってしまうためだ。さらには自らの木を切り倒されればそれでも存在を喪失してしまうために、自らの木やその他の木を大切にし、それを傷つけようとするきこり等と諍いを起こしたりもする。

 外見的は勇ましくは無いが、そんな木々の番人という言葉が相応しい種族だ。



 ピニスンにとっての幸せは日差しを浴びることであり、大地から吸い上げる水が自らの木の中を流れることであり、自らの木が風に揺れてその葉を揺らす音を聞くことである。

 そんな時間がどれほど流れたか。

 ドライアドにとっての時間という概念はさほど価値のあるものではない。数世紀に渡って生きる存在が、数年程度の時間に価値を見出すわけが無いのだから。

 そんな彼女が始めて困惑した。

 彼女が困惑するというのは、恐らく自我意識を持って以来初めてのことだろう。先ほども述べたとおり時間という概念が太陽が昇って落ちてという程度しかない彼女にとっては、それがどれぐらい前かを知るすべは当然無いし、答えるすべは無い。太陽の上り下りの回数を数えるようなことをしないためだ。


 そんな初めての困惑の元――それはゆっくりと自らの木に向かって伸びてきつつある蔦だ。


 絞め殺す蔦<ギャロップ・アイビー>。

 木に巻きつき、ゆっくりとその木を駄目にする植物だ。ただ、普通の蔦との違いは、ギャロップ・アイビーはモンスターにも属する植物ということだ。

 名前の『絞め殺す』。これは木を絞め殺すのではない。生物を締め殺すために付けられた名前なのだ。

 蔦を伸ばし、木を巻きつくと同時に、鞭にもなる蔓を巻きついた木の枝から幾本も垂らす。そして木の近くを歩む生物めがけ巻きつけるのだ。そして絞め殺し、栄養を取る。そんな植物モンスターが正体である。

 木に巻きつくのは、当然、その木の栄養を奪い、自らのものとするためだ。死体から栄養を補給できない間は、巻きついた木から奪う。そのために奪われる木は、いずれは枯れていくこととなる。


 そんな植物モンスターが枯れつつある近くの木から、ピニスンの木を目指し蔦を伸ばしつつあるのだ。

 このままでいけばその内、ピニスンの木に巻きつき、ゆっくりと栄養を奪っていくだろう。


 ピニスンも幾つかの魔法を使うことはできる。だが、その中で植物に有効な魔法は持っていない。ピニスンの持つ魔法の力は、魅了や困惑といった精神に作用するものが少しである。残念ながら当然のごとく植物には効かない。


 もし友好的な人型生物が通りかかればお願いしたり、敵意ある人型生物なら魔法をかけてギャロップ・アイビーと戦ってもらうことはできただろう。しかしながら、このドライアドの住処まで来る人型生物は数年に一度あるかないかである。

 残念ながらピニスンはそんな人型生物を見たことが無かった。

 そのため、徐々に諦めが彼女を支配しつつあった。



 そんなある日。

 普段はピニスンは自らの樹の中で眠りについている。無論、妖精である彼女にとっての眠りというのはぼんやりとした夢現状態であり、半ば覚醒した状態といっても過言ではない。

 そんな彼女の感知能力に引っかかる何かの存在。


 瞬時に覚醒状態に移行したピニスンは、注意深く周囲を伺ってから、自らの木から顔を覗かしてみる。


 それは傍から見ると、木に芽が出来、それが枝になっていく過程で人にも似た顔になったという光景だろう。一種異様な光景だ。

 そんな風に頭だけを覗かせたピニスンの視界の中、4体の奇妙な生き物がゆっくりと歩いているのが木々の隙間から垣間見えた。


 体長4メートル。身長は2メートルを越える。下半身は四足のまるでトカゲやワニのような爬虫類を思わせるもので、その上に筋骨たくましい人と爬虫類を融合させたような体が乗る。

 ケンタウロスの爬虫類版というのが最も簡単な説明か。

 片手に2メートルはありそうな、良く磨かれた鋼鉄のハルバードを持っていた。鋼鉄以上の強度を誇る鱗の上には、馬用にも転用が利きそうなプレートメイルで更に身を包んでいる。

 盛り上がった肉体はその内に秘めた力を感じさせ、きらびやかに磨かれた武器や鎧は練度の高さを髣髴とさせ、いかつい顔に宿る英知の輝きは深い知性を思わせた。

 ピニスンが遠くから見たどんな森の生き物よりも強大な存在に感じられる生き物達だ。



 ピニスンが見たことが無いこの種族。

 それはユグドラシルでいうところのドラゴタウロスという種族だ。

 彼らはその中でハイ・ウォリアーと呼ばれるモンスターである。38レベルと然程レベルが高いわけではないが、豪腕という特殊能力によって強化された武技ウェポンブレイクをもって、剣しか使わない幾人ものプレイヤーを泣かせた事があるだろうモンスターだ。



 その内の1体。先頭を歩くドラゴタウロス・ハイ・ウォリアー。

 その目がぎょろっと動き、ピニスンを捕らえる。

 ピニスンは慌てて木の中に潜り込んだ。

 見つかっただろうか、いや見つかってないだろう。そんな不安を抱きながら、自らの木の内部から透かすように様子を伺う。


 ゆっくりと先頭のドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーが向かう先を変え、ピニスンを正面から見据えるように歩き出す。後ろの3体は歩くのを止めると、視線だけを向けてくる。

 無論、木の中にいるピニスンは見つからないはずだが、それでも鋭い眼光が正面から叩きつけられるのは非常に恐ろしい。

 やがてドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーはピニスンの木まで来ると、周囲を見渡した後、小首をかしげながら手を差し出す。ピニスンの頭ぐらい簡単に包んでしまうような四本指の巨大な手だ。

 それがピニスンの木を触り、撫で回す。

 偽装しているのではないだろうかという疑惑を解くための行動だろう。


 突如、一本の蔓が鞭のようにしなり、ドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーの分厚い首に巻きつく。近くの木に巻きついたギャロップ・アイビーが餌にするために蔓を伸ばしてきたのだ。

 そしてブチブチという音を立てて、容易く引きちぎられる。

 再び、今度は数本飛んで来る。だが、結果は同じだ。時間をかけるまでも無く容易く引きちぎられる。それ以上は蔓が無くなったのだろう、飛んで来る気配は無かった。


 その間、ドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーはギャロップ・アイビーをチラリと一瞥する程度。大したことがないといわんばかりの態度を表した。


 このモンスターなら私を助けてくれる。

 ピニスンはそんな確信を抱く。だが、どうやって頼むかだ。


 ピニスンの視線がドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーの持つハルバードに動く。ピニスンの木を簡単に切断しかねないそんな武器に。


 魔法をかけるのはどう見ても命取りだ。ならばお願いするしかないだろう。

 しかし、大丈夫なんだろうか。ピニスンは迷う。下手したらこのモンスターに自らの木が切り倒されるのではないだろうかと。

 だが、ここで彼らが行ってしまったら、もしかするともう奇跡は起こらないかもしれない。


 ピニスンは逡巡し、そして決心する。


 ――あのー。




 ピニスンは待っていた。

 さきほどのドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーは主人の命令を受けて、近隣を捜索していた部隊だということで、助けていいか主人と連絡を取り合うということに交渉の結果なったのだ。

 太陽が一度沈み、最も高い位置まで昇った頃、1つの小さな影がピニスンの方に歩いてくるのを発見した。


 先頭を歩く人影の後ろに複数の影。ドラゴタウロス・ハイ・ウォリアーも入ればもっと別のモンスターもいる。その姿はつき従う従者を思わせた。

 ならば先頭を歩く小さな者が主人か、そう判断したピニスンは目を凝らし、絶句する。


 その人影はダークエルフ。

 ピニスンは驚き、眼を大きく見開く。長老より話には聞いたことがあるが眼にするのは当然初めてだ。

 ダークエルフ。それはエルフの近親種族。だが、エルフが森に住居を構えるのに対し、ダークエルフは洞窟や地下に住居を構える。性格は普通。悪でもないし善でもない。エルフのような自然に強い敬意は持っていないが、ある程度は無為なことはしない種族である。

 何よりの驚きは、まだ少女といっても良い年齢だったことだ。


「ふふふーん」


 ダークエルフの少女は楽しげに鼻歌を歌いながら近づいてくる。後ろの複数――計8体のモンスターたちは20メートル以上後ろで立ち止まった。少女のみ、そのままピニスンの木の前まで来ると片手を気楽に上げた。


「こんにちわー」

 ――こんにちわー。


 ピニスンは木の中から全身を出して、鏡のように片手を上げる。そして同じように語尾を延ばして挨拶をすると、少女はちょっと驚いたような顔をしてから、満面の笑顔を浮かべた。


「何でも困ってるって話を聞いてきたんですけど?」


 ピニスンは口ごもる。ピニスンたち妖精や精霊とは異なり、ダークエルフは外見年齢はほぼ生誕と合致し、時間の経過と共に成長する種族だ。外見が幼いということは、中身もまだ幼いということ。そんなまだまだ幼い子供に危険を被ってくれとは言い出せない。

 そのピニスンの葛藤を看破したのだろう。ダークエルフの少女は朗らかに笑う。


「大丈夫ですよ、あたし1人じゃないですから」


 その言葉はピニスンに踏ん切りをつけるには充分な言葉だった。

 確かに考えてみれば後ろのモンスターたちが呼んで来たのがこの少女だ。少女に無理でも、あのモンスターであれば問題なく解決できるだろう。あれほどのモンスターなのだから。ピニスンは後ろのモンスターたちから少女へ視線を動かす。


 ――助けてくれるんですか?

「まずはお話を聞いてからかな。無理なお願いもあるかもしれないし」


 全くその通りだ。とはいえ昨日の様子からすると楽勝なことだとは思えるのだが。

 ピニスンは頷くと話し始める。しばらくピニスンの置かれている状態を話す。

 その話が終わった頃、少女は大きく頷いた。笑顔が浮かんでいた。


「なるほど、了解。ちょうど良かった。それなら何とかできるよ」

 ――本当に?!


 うんと頷く少女に、じゃあとピニスンは言葉を続けて、


 ――助けてくれま――


 そこまで言いかけると、少女はそこまでと言わんばかりに片手を突き出す。


「えっと、助けてもいいけど、こっちもお願いしてもいい?」


 確かに代価を要求するのは当たり前だ。モンスターと戦ってもらうこととなるのだから。


 ――どんなお願い?

「うん。あたしナザリックというところから来たんですけど、植え替えてもいい? ほらそうすれば助けることにもなるしね」

 ――……え?

「えっと、あたしの階層にあなたを持っていっても良いですか?」


 ピニスンはダークエルフの住居とする場所を思い出し、困ったように返答する。


 ――太陽と風、水が無い場所だとちょっと……


 それに対して少女は朗らかに笑った。


「大丈夫! 偽りの太陽だけどちゃんと光合成できるし、雨は魔法で起こしてるし、風だって魔法で操作してるから全然問題ないよ」


 ピニスンは驚く。

 自然の力を行使するスペルキャスター――ドルイドの魔法に天候操作というものは存在すると、聞いたことがある。

 実際、彼女も非常に弱いながらも自然の力を使った特殊能力や魔法を行使できる。そこから予測すれば確かに非常に難度は高いだろうが、ドルイドの力を持ってすれば天候操作も可能だろうとも思える。だが、そんな大自然を意のままに操る領域というものは、力の桁が違う。

 もはや御伽噺、伝説、神話――そういったものに足を突っ込んだような力だ。


 まさかそれが実際に存在するとは。


 ――……あなたがやるの?


「ん? 違うよ、マジックアイテム」


 ピニスンはそんな凄いマジックアイテムが存在することに驚き、続くダークエルフの少女の言葉を聞き逃す。いや、聞き逃して正解だったのかもしれない、少女の――無論、あたしもできるけど――という言葉は。


 ――凄いんだね……

「そうかなー?」

 ――凄いんだよ、そのマジックアイテム!

「ふーん」


 あまり納得のいってない少女にちゃんとそのアイテムの凄さを説明した方が良いかと思案する。

 それほどのアイテムなのだから恐らく、マジックアイテムの最高級品たるアーティファクトと呼ばれるものだろう。多分、部族か何かに伝わっている至宝ゆえに、大したことがないと思っているのか。

 無知は罪ではないが、時と場合によっては恥をかくものである。少女が恥をかかないように、折角出合ったのだから教えてあげるべきだろうか。

 幼い妹に物を教えるような気持ちになっていたピニスンはそこで頭を振る。

 とりあえず、その辺りは今現在は重要な点ではない。もし住処を変えたなら、そのときに説明してあげればよい。


 ――でもあなたがそんなこと勝手に決めてもいいの?


 ピニスンを野原に咲く花と同じように考えて欲しくない。持って帰ったら親に怒られましたので返します、では困るのだ。植え替えるという行為はピニスンが命をかけているという事を理解しているのだろうか。


「大丈夫だよ。許可もいただいてるし。それにあたし実はかなり偉いの」

 ――……本当に?

「ふふーん」


 自慢げなものを浮かべた少女だが、そこでピニスンの疑惑に満ち満ちた視線に気づいたのか、多少むっとした顔をする。


「あんまり信じてない?」

 ――うん、ごめん。結構。

「ぶー」


 間髪いれずのピニスンの返答に、不満そうに頬を膨らます少女。その姿を見て誰が偉いと思えるのだろうか。


「まぁ、いいや。来てもらえればあたしがえらいの理解してもらえるしね。そんなわけで植え替えて良い? それとも駄目?」

 ――植え替えて私は何をするの? 酷いことされるのは嫌だよ?

「そんなことしないって。あたしの部下になって働いて欲しいんだ」

 ――働くって?


 先ほどのモンスターを思い出し、ピニスンは遠慮したい気持ちで一杯になる。あれほどのモンスターとピニスンを一緒に考えてもらわれては困る。あまり荒事はピニスンは得意ではない。


「そんな不安がらなくても大丈夫。暴力沙汰にはならないから」

 ――本当に?

「ほんと。部下になってやって欲しい仕事のはね、あたしの守護している場所にある、森の管理をして欲しいの。今、あたし人の暮らせそうな場所を作りたくて色々やってるんだけど、森はあっても木が適当に生えてるだけなの。切っても良い木の選抜とか、木の育成とか手伝って欲しいんだ」


 個人的には木は適当に伸びるものだとピニスンは思うが、育成に関しては心惹かれるものがある。ただ、気になる点が1つ。


 ――人? ダークエルフじゃなくて?

「うん」


 人の事はピニスンも知っている。しかしながらダークエルフと仲が良かったのだろうか、という疑問が浮かんだ程度だ。まぁ、よくは理解できないが人にためにピニスンの力が欲しいということだろう。


 ――怖いモンスターいない?

「大丈夫。あたしの部下になれば襲われないよ」

 ――……いるんだー。


 ニコニコと笑う少女にピニスンは抵抗の意志を急速に無くしていた。


 考えてみれば悪い話ではない。

 問題は植え替えのときぐらいか。大地が合わなくて、もしくは根を傷つけられることによる命の危険。だが、このままここにいれば緩慢な死が訪れるのだ。

 そのピニスンの不安を読んだのか、少女は笑う。


「大丈夫。掘り返したときと植え替えるときに治癒系の魔法を発動するから。それにもやっぱりどうしても帰りたいということになったら、ここまで持ってきてあげる」

 ――治癒の魔法も使えるの?

「もっちろん」


 ここまできてしまってはもはや抵抗の意味は無い。死にたくないのなら今差し伸べられた手をとるべきだ。

 そして確かに住み慣れた場所を離れることへの寂しさはある。だが、それよりも大きな今までとは違う光景への好奇心があった。

 ピニスンは、了解したという風に頷く。


 ――よろしくお願いします。ご主人様

「よし、任しておきなさい」


 ドンと自らの薄い胸を、少女は丸めた手で叩く。


「そして――あたしの名前はアウラ。アウラ・ディベイ・フィオーラ。あなたのお名前は?」

 ――ピニスン・ポール・ペルリア。アウラ様って言ったほうが良い?

「うーん。別にいいよ、あなたはそういう意味で部下にするんじゃないから。ただ、守って欲しいこともいくつかあるんだ。その辺はあとで説明するから。まずは色々とやっちゃおうか」




 ■




「ふーん。それで移したわけでありんすか?」

「そうだよ。ピニスンの知り合いのドライアド数名と一緒にね」

「それ以外はどうしたんでありんすか?」

「放置。殺すのが目的ではなかったし。アインズ様は人と共存できそうなモンスターがいたら、交渉して仲良くなれ、そして第6階層につれて来いって言われたから。こんどは長老とかいうトリエントと交渉する予定」


 何故、弱い存在をわざわざナザリックに部下として引き入れるのか。捕虜にした人間の監視させたりするのが目的なのだろうか。

 シャルティアは理由を知っていそうな、横のアウラに問いかけようと口を開きかけ、口ごもる。アウラは楽しげに眼下のアンデッドたちを見下ろしている。その無邪気な姿を見ていると、理由を聞くのが負けたような気がするのだ。

 シャルティアも眼下のアンデッドに視線を動かす。


 シャルティアとアウラがいるのは、第1階層入り口入って直ぐの広間の少しばかり高くなったバルコニーだ。本来は弓兵やスペルキャスターを配置し、迎撃するための場所だ。現在は位置転換され、アウラとシャルティアしかいない。


 この弱いアンデッドの群れも謎だ。

 ナザリックのアンデッドの平均は恐らく16レベルぐらいだ。それから考えるとこの低レベルアンデッドの目的が予測できない。アインズの思惑が理解できればもっと適切な行動をとることが出来るのに。

 そんな風にシャルティアが思考の迷路に捕らわれている最中、横のアウラがポケットから何かを取り出そうとしている。


「ピニスンたちを招いたその働きを称えて――じゃじゃーん!」

「何だぇ、それ?」


 アウラはシャルティアの前に銀で出来た腕輪のようなものを突き出す。無骨な銀の作りの、手首に填めるのがちょうど良さそうな代物だ。実際、それは時計と同じ働きを持つ一般アイテム。ユグドラシルでは非常に見慣れたものであり、アウラほどの存在が自慢げに見せる価値があるかというと決して無い。

 だが、それをアインズから褒美として賜れたものであれば一転する。

 自らの失態とアウラの成功。それを見せ付けられるようで、ジリジリとした感情がシャルティアの心に浮かび上がる。只でさえ、指輪を下賜された守護者とされてない守護者という隔絶した違いがあるのだ。


 しかしながらシャルティアはそれを表に出すほど子供でもない。ただ、返答が冷たくなってしまったのは、仕方が無いことだろう。


「それが?」

「ふふーん」


 そのシャルティアの返答に気が付かなかったのか、アウラはそれをいじりだす。突如、女性の声がその腕輪から流れた。


『く、じ、じゅうはち、ふんです』

「こなたの声はもしかして……」

「すごいでしょー! ぶくぶく茶釜さまのお声!」


 至高の41人であり、アウラを創造した人物。そして今は姿を隠した存在。そしてシャルティアを創造したペロロンチーノの姉にあたる方。

 その声をいつでも聞くことの出来るアイテムともなれば、その価値は計り知れない。至高の41人によって生み出されたナザリックの高位者で、そのアイテムを欲しがらない者はいないだろうと断言できる。

 欲望がメラリとシャルティアの中で燃え上がる。そのアイテムを欲しくて欲しくてたまらないのだ。

 だが、その一方でアウラからそれを譲り受けることは出来ないだろうという、適中率100%の予測も立つ。

 当たり前である。

 自らを創造した人物の声を聞けるアイテムを、手放す者がナザリック内に存在するわけが無い。大体、逆の立場を考えれば当然の答えだ。しかしながら、淡い期待を抱くのは勝手だろう。


 シャルティアはアウラに話しかけようとして――空間転移による乱れを常時展開している防御魔法によって感知する。振り返った先にはアインズが立っていた。

 跪こうとする2人を手振りで止め、アインズはシャルティアとアウラの横まで来ると、広間に集められたアンデッドたちを一瞥する。


「兵の数は揃ったようだな」

「はい。ご命令どおり集め終わりんした。ゾンビ2500、スケルトン2500、グール900、アンデッド・ビースト400、スケルトンアーチャー200、スケルトンライダーが120です」

「……あれほど下等なアンデッドでもこうやって集めてみると壮観なものだ。数とは偉大だな」


 アインズは広間に集められた兵力を確認する。 

 レベル1以下のスケルトンとゾンビ。レベル1のグール。レベル差が色々とあるアンデッド・ビーストの中から、レベル1から2のものが集められている。そしてレベル2のスケルトン・アーチャーとスケルトンライダー。

 圧倒的な戦力不足だ。これなら予定通り不利な戦いが出来るだろう。ただ、問題はグールか。

 アインズはグールを今回の実験に参加させるべきか検討を行い、直ぐに答えを出す。


「……ご苦労だった、シャルティア。だが、グールは下げろ。グールの麻痺毒は少々奴らには手ごわいだろうからな」

「はっ!」


 何か言いたげだがそれを隠し、畏まったシャルティアから視線を動かす。向かった先で、アウラの手に持った腕輪を見たアインズが苦笑いを浮かべる。


「気に入ったようだな」

「はい!」

「そうか」深く頷いたアインズは楽しげに言う「なら、もう隠しボイスは発見したか?」

「え? なんですか? それ?」

「また見つけてなかったか。そうだな……連続して10回、早く起動させてみるといい」


 アウラは素早く、手の中の腕輪を操作する。


『く、じ、く、くくく、くくくくく――』


 突如、声が途切れ――


『あ゛ーん! 連続で押してんじゃねーぞ!』


 ――どすの効いた女性の女性の怒鳴り声が響く。


「! 申し訳ありません、ぶくぶく茶釜さま!」


 電気でも走ったかのようにアウラは飛び上がると、両膝をつき、リングを両手で掲げながらペコペコと頭を下げる。ぎょっとしたのはシャルティアもそうだが、アウラほどではない。驚いた表情でアインズを見つめる。


「今のは一体なんでありんしょうかぇ……」

「あー。すまん、そこまで驚くとは思ってもいなかった」


 まさかアウラがそこまでの反応をするとは思ってもいなかったアインズは、心底悪かったといわんばかりの口調で謝罪する。そして跪いたアウラを立ち上がらせる。


「今のは計10個ある隠しボイスの1つだ。暇なとき全部探してみるといい」

「他にはどのようなものがあるんですか?」

「うん? うーむ、確か」昔の記憶を蘇らせようと、呟くように言葉を発するアインズ「ロリ娘の口調でおにいちゃんと呼ぶ奴とか、チュパ――!」


 ぴたりとアインズの動きが止まり、ぎぎぎという擬音が相応しいような動作を持ってアウラの方に頭を向ける。


「なんでしょうか?」


 そんな無邪気なアウラの返答を聞き、アインズは困ったように顔を歪める。

 一度与えた褒美を奪うのは不味い。しかしながら幼い子にあんなものを聞かせて良いのか。それにあれを聞くことで忠誠心が目減りしないだろうか。いや、この世界には成人指定とかは無いだろうから問題ないのでは……。

 アインズはあんな声――いや音だろうか――を冗談でも入れたぶくぶく茶釜に文句を言いたい気持ちをぐっと堪える。まさか、あんな遊びアイテムにここまで苦悩しなくてはいけないとは。


 逡巡し、やがてどうすべきか決定したアインズは搾り出すような声を上げる。


「いいか、アウラ。これは絶対に守らなければならない命令だ」

「は、はい!」

「……7時21分の後に19時19分の音声案内を聞くなよ? なんでかは聞くな、分かったな?」

「は、はい。了解しま――」

「――そ、それで他には何の話をしていたんだ?」

「はい。他にはアウラが集めてきたドライアドの話をしていんした」


 話題を変えるためだろうと理解し、すぐにそれに乗ってくれるシャルティアに感謝の念を向けると、アインズは返答する。


「ああ、それか。――疑問があるような顔だな、シャルティア」

「はい……何故、弱いモンスターを集めておられるのでありんすか? 確かにナザリックには妖精系のモンスターはおりんせん。でありんすが、6階層まで侵入した者を撃退するには力があまりに足りていないように思われんす。わざわざ招く意味合いがあるのかと疑問に思っていんす」


 アインズは考え込むようにシャルティアを眺めてから、口を開く。


「我々がこの世界の存在と共存しているという建前を作りたかったんだ。交渉しなくてはならないような強敵が出現した場合のことを考えて、私達も良い事をしてるんですよ、という場所を設置することは悪いことではないと判断してな」


 仮に邪悪な行いをしているとして討伐対象になったとしても、そうでない部分を見せることで相手の矛先を鈍らせたり、交渉に持ち込んだり出来るよう、善なる部分を持ちたいという考えである。

 そして1階層から3階層までは地下墳墓、4階層は地下湖、5階層は氷結地獄、7階層は灼熱地獄。ナザリックの階層から考えれば見せ掛けの楽園を作るのに最も適した階層はやはり6階層だ。それに何より敷地面積が最も広いというのも適した環境だといえるだろう。


「上手くいくでありんしょうかぇ?」

「さてな。だが、第6階層に敵意なく集めた存在が、我々は優しい者でもあると証言してくれるだろうよ。それ以上は期待していない。それにもう1つ。多種多様の部下を持つ事は悪いことではない。だからこそナザリック大地下墳墓に元々所属してないモンスターたちを従属させようと思っている」

「なるほど」


 ようやく納得がいったような様子のシャルティアを見て、苦い思いがアインズの心中に生まれる。アウラはそうでもないようだが、シャルティアは力こそ全てと考える傾向が強い。恐らくはナザリックの中でも最もそうかもしれない。

 戦闘中の前線指揮官にはいいかもしれないが、現状のような微妙な問題が存在する中では使い勝手が悪いと言える。

 とはいえ、先の失態を半ば許したように守護者を遊ばせる余裕も無いのも事実。つまりはアインズがしっかりと手綱を取った上で行動させるほか無い。


 何でここまで頭を使わなくてはならないのか。自らの会社の上司は結構丸無げだったはずだ。それとも知らないだけで結構頭を使っていたのだろうか。


 そんな不満が頭を過ぎるが、そんな思いを振り払う。自らはギルド長であり、絶対権力者。このナザリックの――アインズ・ウール・ゴウンの栄光を守るものだ。最初っから困難は理解していたはずだ。

 その困難の1つ1つが栄光への道に繋がっているのだと思えば、歓喜の表情で受け入れられる。

 ……無論、嘘だが。


 アインズがそんな風に決心を固めていると、再びシャルティアから質問が投げかけられる。


「おしまいにアインズ様、差し出がましいことでありんすが、質問させていただいてもよろしいでありんしょうか」

「――許す」

「こなたのアンデッドの群れをあの部族にぶつけることに意味があるのでありんしょうかぇ? もし必勝を狙うならもつとも強大なアンデッドの軍勢を配備し、攻め込むのが得策かと考えんすが」


 当然の疑問だろう。守護者クラスの存在からすればあの程度のアンデッドでは5000もいたところで、掃討まで数分持たないかという程度でしかない。ただ、仮にデスナイトが相手をするとなると流石に1体では、1秒2体としても2500秒は掛かる。範囲攻撃を出来ない対象への時間稼ぎにはもってこいだ。

 しかしながら結局は時間稼ぎしか出来ない程度の存在を、これほどまでに集めて何をするんだというところだろう。


「アウラ、お前はどう思う?」

「あたしもシャルティアと同じです。弱い奴を指定で集めさせたということは、それ自体に意味合いがあるとは思うんですが、それがどういう意味なのかまでは……」

「故意的に波状攻撃を仕掛けるおつもりでありんしょうかぇ?」


 弱いモンスターほど早くPOPする。ゾンビやスケルトンであればかなり早い速度で出現するだろう。


「残念ながら外れだ。今回の全ては実験のためだ。私の思いどおりに事が進んだら、その時にこそ真意を話すとしよう」


 それで話は終わりだといわんばかり態度でアインズは言葉を切る。シャルティアもアウラも納得したのか、理解したといわんばかり態度で頭を下げた。

 実験が失敗するかもしれないのだから、あまり偉そうなことを言いたくないというアインズの考えだが、部下の2人はそう思わなかったようだ。

 感心したような、期待に満ちた目でアインズを見つめてくる。恐らくは深い思案あっての事だと判断したのだろう。自ら、ハードルを上げたことに対しての後悔がアインズの中で生まれる。

 これで大したことじゃないと思われたらどうするか。ならば別の話も準備してごまかせばよい。


「……今回の一連の件が終わったときシャルティア、お前に指輪――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの予備を渡す。今回の件で急な命令が下るとは思うが、適切な行動をとることを期待している」

「はっ!」

「それと――あのヴァンパイアは何処だ? ブレインだったか?」

「……はい。今、わたしの自室の方にいんす 」

「ふむ……なら行くか」

「アインズ様が行くまでもありません。今呼んで来ます」

「いや、色々としなくてはならないことが……何か隠してないか?」


 おどおどと目が動くシャルティアに鎌をかけてみる。


「あ……今……石です」


 石? アインズは思わずシャルティアを凝視する。何故か、シャルティアだけでなく、アウラも視線を避けるようあらぬ方角に目を向ける。

 また、何かあったのか。

 連発して起こる予想外の事態に、アインズは頭を抱えたい気持ちがぐわっとこみ上げてくる。

 組織運営ってこんなに苦労するものなのか。世界中の会社の上役の給料が高いのも当然だ。

 そう叫んで転がれたらどれほど楽か。しかしながらアインズ・ウール・ゴウンにそのようなことは許されない。

 アインズは瞬時に精神の均衡を取り戻す。

 石化はステータス変化の1つにしか過ぎない。容易く治せるものだ。ならばここは黙認するのが主人として正しい行為だろう。そう判断したアインズは気にしないこととする。


「…………理解できないが、まぁいい。解除して……いや、良い。共に行くか」

「はっ!」

「ではアウラ。ドライアドにナザリックの一般的な知識を与えておいてくれ」

「はい。分かりました」

「よし、行動を開始するとしよう」


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