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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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準備-1

 シャルティアはナザリック大地下墳墓9階層を黙々と歩く。

 その後ろにはブレイン。時折、興味深げに辺りを見渡し、コキュートスの配下の警備兵を見て、瞠目する。その表情の変化は自らの想像を超えた存在への畏敬でもあり驚愕でもある。

 ただ、そのキョロキョロと辺りを見渡す姿は、第三者からすれば少々恥ずかしくも感じるもので、シャルティアのシモベにはふさわしくない態度である。本来であれば主人であるシャルティアへの評価が下がるような行為だが、シャルティアはそれを黙認するかのように何も言わない。


 いや、単純にシャルティアにはそんな態度に反応する余裕は無かったのだ。


 通路を無言で歩くシャルティアは、普段の黒いドレスでは無く、白い輝きを放つ見事なドレスを纏い、そのドレスに合った装飾品で身を飾っている。宝石の嵌った金のティアラは見事な輝きを放ってはいるが決して派手ではない。大きく開いた首周りには白金の細いネックレスを3つ。白色の絹でできたような輝きの手袋をはめたその姿は、まさにどこかの王女のようだった。

 ブレインはブレインで豪華ではあるが、落ち着いた作りの黒色の服を着込み、その上に立派な胸当てを着用していた。鎧は非常に細かい装飾が掘り込まれてはいるが、単なる美術品ではなく、それが実用に耐えうるだけのものであるというのは一目瞭然で感じ取れた。そして腰には2本の刀。一本は昔から使用しているもので、もう一本は新たに与えられたものである。


 ブレインに服を宛がったのも当然、野盗崩れな格好でこの階層を歩かせることを忌避する感情によるものだ、そしてシャルティアのもう1つの感情によるものでもある。


 目的地近くになるにつれ、シャルティアの歩運びはより一層遅くなり、顔が引きつったものへと変わっていく。

 ナザリックに帰ったシャルティアは身嗜みを整えるという名目で、一旦自らの私室に戻っている。これ以上時間をかけることは不敬に値するだろう。

 それはシャルティアも当然理解している。だが、頭で理解していても、心では踏ん切りのつかないことというのは多々あるものだ。


 幾度目かのため息をついて、シャルティアは現実に立ち向かう。


 見上げた目の前、そこにある扉をノックする。左右に控えたビートル種のロードナイトは何も言わない。

 数十秒ほどの時間が経過してから、扉がゆっくりと開く。そこから姿を見せたのは1人のメイドだ。アインズの室内で仕えている一般メイドの1人である。


「……アインズ様にお目通りがしたいの、伝えてくれる?」

「……畏まりました。少々お待ちください」


 シャルティアの口調に違和感を覚えたメイドは一瞬口ごもるが、了解の意を伝えると、ゆっくりと、音がしないような速さで扉を丁寧に閉める。


「あー、逃げたい……」


 ぼそりとシャルティアが呟く頃、再びゆっくりと扉が開き、中から先ほどのメイドが姿を見せた。


「どうぞ、中へ、シャルティア様。アインズ様がお待ちです」




 アインズが最初に思ったことはシャルティアの表情が硬く、暗いということことから、任務を失敗したかというものだ。しかしながら後ろに控えたヴァンパイアらしき存在はアインズの記憶に無い。ならば最低限の任務は成功していると思えるのだが……。

 そこまで思考し、アインズは自らの考えを破棄する。

 推測してもしょうがない。なぜならもう少し待って、シャルティアの報告を受ければ疑問は払拭されるだろうからだ。そう判断し、ただ黙ってシャルティアの行動をそのまま伺う。

 シャルティアはシモベを引き連れたまま、無言でアインズの向かっている机の前まで歩くとゆっくりと頭を下げる。慌てたように後ろに控えたシモベも続いて頭を下げた。


「……ただいま戻りました、アインズ様」

「……良く戻った、シャルティア」


 僅かにアインズは眼を細める。 

 シャルティアがあの変な廓言葉を使わない。それはすなわち何らかの理由により、精神的に高ぶっているということだ。

 あまり良い報告にならない――そうアインズは考え、思考をマイナスに切り替える。そうすればどれだけ酷い内容を聞かされても、そんなものかと思えるから。


「……では早速報告を聞かせてもらえるか」

「その前に……失態を犯した身、アインズ様の前で頭を上げて話すことはできません」


 シャルティアはそれだけ言うと、片足を曲げかける。しかし――


「――シャルティア」


 突如響いた静かだが強い意志を込めた声に、シャルティアは自らの行動を止め、アインズを慌てて見る。


「シャルティア。お前はナザリック大地下墳墓の最大戦力の一角であり、階層守護者だ。そのお前が他者の目のあるところで敬意ではなく、その他の意味で容易く頭を下げようとするな。大体、まだ報告は始まっていないのだぞ? 謝罪は少しばかり早いな。――皆、出ろ」


 アインズは手を軽く振り、室内の全ての者に外に出るように指示する。それを受けて室内の一般メイドたちは扉の方へと歩き出す。アインズはメイドたちの後姿を見送ると視線を上に動かし、天井にいる者たちを見据える。


「お前達もだ」


 その声が届くや否や、ゆらりと空間が揺らめき、複数の天井に張り付いた何かが姿を現す。それは人間大の大きさを持つ忍者服を着た黒い蜘蛛にも似た生き物だ。

 それはエイトエッジアサシン。

 不可視化を自在に行い、8本の脚に付いた鋭い刃を用いて飛び掛りからの脅威の8回攻撃を行ってくるモンスターだ。特に恐ろしいのは首を狩って一撃死を与えてくることだろう。

 7体のエイトエッジアサシンたちは鳥が舞い降りるような静かさで床に張り付く。その内のチームリーダーと思しきモノが口を開く。


「しかし我らコキュートス様の命を受け――」


 だが、アインズはそれすらも許さない。


「――私の言葉は全ての命令を凌駕する。二度は言わん。下がれ」

「はっ、畏まりました」


 エイトエッジアサシンたちは一斉に頭を下げると、メイドたちの後を追うように床を這うような滑らかな動きで部屋を出て行く。最後の一体が扉から出て行くのを確認すると、再びシャルティアに向き直った。


「すまなかったな、シャルティア。では報告を始めよう。まずはそこにいる男のヴァンパイアが捕虜だな?」

「はい、左様です」

「あ、どうも初めまして、アインズさま?」


 突然、ブレインに蹴りが飛んだ。ブレインの体はそのまま空を飛ぶように吹き飛び、壁に大きくぶつかって跳ね返る。

 その一撃は容易く腹を突き破り内臓を幾つも破壊している。アンデッドであるために血はこぼれないが、苦痛までは完全になくなるわけではない。転がった状態で苦しげにブレインは呻く。

 蹴りつけたシャルティアは一気にそんな転がったブレインに肉薄すると、追撃として何度も蹴りを叩き込む。


 なんだ、一体?

 急激な状況の変化に耐え切れず、一瞬現実逃避しようとアインズはそんな思いを押し隠し、ただ状況を理解しようと眺める。この体になってから多少の動揺では表情に出ないのは良かったことなんだろう。


「シモベ風情が何で至高なるお方――アインズ様に対し馴れ馴れしく口を開いているの? 私が許可したか、おい! お前はただ聞かれたことだけ馬鹿みたいに答えればいいんだよ。アインズ様と許可無く話せるとか思うんじゃネェよ」

「ああ、ありがとごじゃいまず、ごじゅじんざま」


 シャルティアに蹴られながら、それでも恍惚とした表情を浮かべるブレイン。


「つーか、むかつくなぁ。お前がもっと早くあれも言っておけば叱られるのも減ったっていうのに。それにアインズ様に対する忠誠心低いんじゃないか、お前」


 なるほど理解した。

 アインズは頷く。

 しかしながらこれによって2つ問題が生じた。

 シャルティアの対応を見るに、シャルティアの作ったシモベはアインズに対して絶対の忠誠を抱いて無いかもしれないという問題だ。これではアインズの計画していた優秀な人間を強制的にシモベにすることで、情報収集等の組織運営を上手く行っていこうという計画は破棄する必要がある。

 下手にシャルティアに対する忠誠に駆られて、ナザリック内に不和を撒かれたり、他の守護者等に敵対意識を持たれてはたまったものではない。

 そしてこの問題はシャルティアのみの問題かということだ。実験の必要がある。


「シャルティア――」

「はい!」


 シャルティアのかんばせに浮かんでいた鬼が一瞬で変わり、無垢な美少女のものへと変化する。そして蹴られていたブレインのぼこぼこになった顔には、シャルティアへの歓喜が浮かんでいた。その2つが合わさった光景はアインズが引いてしまうほど違和感に満ち満ちたものだった。


「……罰は自らの部屋で与えよ。それとだ……シャルティア。敬意を向けてくれるのは嬉しい。だが、そこまで過剰な敬意を示す必要は無い。お前も私からすればアインズ・ウール・ゴウンの仲間が残してくれた宝の1つ。私の友人、ペロロンチーノが創造した存在だ。つまりは私はお前の後ろにかつての仲間を感じるのだ。そんなお前に強い敬意を向けられると少々むず痒く感じてしまう」


 シャルティアは目を潤ませ、アインズを真紅の瞳で凝視する。


「――感謝いたします」


 2度、3度言葉を発そうとして、口ごもり。必死にそれだけを紡ぐシャルティア。そしてゆっくりと深く――そう深く頭を下げる。それは神からの啓示を受けた巫女の崇拝の姿勢。

 崇拝とは神に向けるもの。

 今のシャルティアの行為はまさに神に捧げるためのものだった。


「では戻って来い。話を始めようか」




 一通り話を聞き、ブレインからさらに情報を得たアインズはゆっくりと顔の前で指を組む。


「なるほど……バニアラか……」

「はい……。アインズ様が本当にあの女にポーションをお渡しになられたのですか?」

「ふむ……」


 ポーションを渡した人物――モモン。

 その名前はアインズにとって非常に聞き覚えがあるものだ。

 ナーベラルが冒険者登録をする際に、名前を聞かれたとメッセージを送ってきたことがあった。そのときに適当な名前でよいと返答した際、アインズならどのような名前をつけるかと聞かれたので、モモンと答えた。

 どう考えても、その名前にそのポーションでは、渡した奴の正体はナーベラルだ。


 アインズは頭を抱えたくなる気持ちを堪え、シャルティアをただ黙って眺める。その視線を受け、シャルティアがおどおどとアインズの反応を伺っている。


 アインズが困っているのは、そんな報告をナーベラルから受け取っていないと言うこと。そしてモモンという人物に対する自らの考え――正体がナーベラルであろうという予想を、シャルティアに告げるかどうかだ。 

 素直に教えた場合、シャルティアとナーベラルの仲が悪くなるのでは。そんな思いがアインズの頭を過ぎる。


 今回のシャルティアの任務は多少のミスはあったものの、上手くいっていたと考えても過言ではない。もしバニアラという女が出てこなければ、ヴァンパイアが暴れているという情報だけで話は終わったはずだ。シャルティアの外見はほとんど知られなかっただろう。しかしながらバニアラを帰したことによってシャルティアの外見は完全にギルドに流れた。まぁ、逆にバニアラを捕まえて情報を聞き出したからこそ、レンジャーを逃がしたという情報が入ったのだから、プラスマイナス、ゼロと考えても良い。

 だが、それをシャルティアが納得するかは別問題だ。

 下手すると足を引っ張った、そうシャルティアが考えてもおかしくは無い。ではそんな存在をシャルティアはどう思うのか。おいおいナザリックの安定を揺るがしかねない問題に発展しないだろうか。


 ナーベラルから報告を受けていたならば、それを部下に伝えなかったアインズが悪いということで謝罪して話は終わったかもしれない。だが――いや、ここはやはりアインズが泥を被るべきだろうか? 真実を語らないということは問題になるかもしれないが。


 硬質な音が響く――。

 それは選択肢に迷った、アインズの指先がテーブルを叩く音だ。


「アインズ様。もし極秘の件であれば……」

「いや……。許せ。その女の件は実のところナーベラルの一件に拘ってくる話でな。聞いてはいたのだが、おまえに伝えるのを忘れたのだ。すまん……」


 アインズは机に額がくっ付くよう深々と頭を下げる。


「め、滅相もありません。わたしが調子に乗らなければこのようなことになりませんでした。お顔をお上げください!」

「私の失敗を許してくれて感謝する」

「なんて勿体ないお言葉」


 頭を上げたアインズは自らの考えに没頭する。

 ナーベラルとシャルティアのミスは置いておくとしても、致命的な問題は騒ぎを起こすことがどのように不味いかを理解して無いということだ。


 アインズのユグドラシルの魔法職としての強さは、確かに死霊系魔法や即死効果の魔法を使わせれば上位にはいれるだろう。だが、そういった魔法は対策がしやすい。それらも評価の対象にすれば、一点集中タイプのアインズの総合的な魔法的な強さ評価は中の上程度だ。マジックアイテムをフル装備して上の下、仲間たちが残した全ての最高位アイテムを装備してようやく上の中ぐらいだろう。

 つまりアインズよりも強い存在はいくらでもいる。


 そしてアインズが取っていない、クラス的にも強い職は多くある。

 バランスブレイカーと称される魔法職『ワールド・ガーディアン』。アインズの天敵ともいえる対アンデッド最高の魔法職『ホリー・バニッシャー』、攻撃魔法極限特化型魔法職『ワード・オブ・ディザスター』。そういったクラスを持っているプレイヤーは厄介な強さを持っている。


 アインズは昔の最も輝いていた頃を思い出す。


 かつてナザリック大地下墳墓に1500人が攻め込んできた際には仲間たちがいた。

 ワールド・ガーディアンの職についていた者もいたし、公式チートとも言われたユグドラシル上10人しかいない戦士職最強の存在もいた。『アインズ・ウール・ゴウン』最盛期の総合力は恐らくギルド最高峰だっただろう。その上で侵入者を消耗させつつ、分散させ各個撃破していったから勝利をつかめたのだ。

 しかし、仲間は今は誰もいない。


 もしユグドラシルのプレイヤーの中でも最上位500人に数えられるような存在が100人でも攻めてきたら、ナザリック大地下墳墓は落とされる可能性がかなりの確率であるだろう。そうでなくとも100lvのプレイヤーが150人でも攻めてきたらほぼ落とされると考えても良い。

 アインズの保有する最大の切り札たる8階層の存在を全力で動員すれば、150人程度でも落ちないだろうが、代価が莫大なものなので容易くは動かしたくは無い。

 現在は絶対無敵でも最強でもないのだ。だからこそ世界情勢がつかめるまで、静かに行動するよう強く諫めてきたのだ。

 仮にユグドラシルプレイヤーがいたとして、敵対するような状況を避けるために。


 それは外装に変化していたとしても自らが人間であるという意識を捨てられるかどうかは不明のためだ。異形であれば今のアインズのように精神的に多少の変化が見受けられる可能性があるが、エルフやドワーフという人間に近い種の場合は、罪の無い人間が殺されている現状を見たら敵対行動に出たり、敵意を抱く可能性は非常に高い。

 だからこそ、何らかの理由を欲して行動していたのだ。

 先に向こうから攻撃してきた。人を助けるために仕方なく殺した。誰かから命令されたために仕方なくやった。

 そんな言い訳ができればまだ交渉の余地があるだろうと。


 つまるところ討つべき悪という、大義名分を相手に与えたくないのだ。旗印を与えてしまっては、その下に集う者を許す結果になりかねない。


 確かにばれなければ何をしても良い。デミウルゴスにばれないように動けといったのもそんな意味合いでだ。逆にばれるという行為は非常に不利な立場に追い詰められるのだ。

 それが理解できているのだろうか。


「分かってないのだろうな」


 思わずもれ出た呟きにシャルティアがピクリと肩を震わせ反応する。おどおどとアインズの様子を伺うシャルティアに質問を投げかける。


「――結局生存者はバニアラ、逃げたレンジャー。あとは別働隊の冒険者だな」

「はい」

「ふむ……顔を見られたのはバニアラのみか……」

「殺しますか?」

「馬鹿を言うな。その女1人しかお前の顔を知らないんだぞ? 例えモンタージュを作ろうとも、その女の証言が一番信用されるんだ。なら大切にしておいて、重要なところで記憶を上手く改変させて操った方が良いだろう。殺したらそのモンタージュこそが最大の情報になってしまう。それをどうにかする方が面倒だ」

「あ、あと実は……」

「……構わん。言え」

「女が……」

「? バニアラ以外にか? なんだ、先ほどの話には出てこなかったぞ? どういうことだ!」


 アインズの怒りが含まれた声に、ビクリとシャルティアの肩を跳ねる。


「……すまん。少々興奮した」幾度か深呼吸を繰り返し、アインズは口を開く。「……もう隠し事はなしだ、シャルティア。会ったことを最初から全て語れ。理解したな?」


 鋭く睨むアインズに、硬直した顔で幾度も頭を上下させ、シャルティアは再び話し始める。



 シャルティアの隠していた内容も全て含めて話を聞いたアインズは、一度だけ手をパンと――骨だったのでカツンというほうが正解だが――鳴らした。


「素晴らしいぞ。シャルティア」


 何故褒められているのか理解できないという、不思議そうな表情をするシャルティア。


「シャルティア、お前は優しいな。その女達を助けに行ったのだろう?」

「……は?」

「女達が慰み者になっている。それを知っていたから、助けに行った。そして冒険者との遭遇は不幸な出会いだ。そうだな?」


 シャルティアの顔に理解の色が浮かび、深く頭を下げる。


「その通りでございます」

「ではそれを踏まえたうえでちゃんと報告してくれないか?」


 口を開きかけたシャルティアに手を向け、それを黙らせるとアインズは言葉を続けた。


「――たまたま馬車に乗っていたら盗賊どもに襲われ、捕まえて話を聞いてみたら、幾人もの女が酷い目にあっているという話を聞いた。同じ女としてそれが許せずシャルティアは盗賊の塒を襲ったわけだな?」

「はい、おっしゃるとおりです」

「そして女たちを救うところまできたのだが、新手が入り込もうとしていた。女のあまりに酷い境遇への怒りで我を忘れたシャルティアは冒険者達を皆殺しにしようとしてしまった。良くある悲劇的な話だ。悲しいものだな。……だが、ナーベラルが好意――ここが重要だな。好意で渡していたポーションによって我を取り戻し、自らの失態を知ったというわけだ」

「まさにその通りです」

「本来であれば謝罪するのが最も正しい行為だが、悲劇的な遭遇で殺害に至ったと言っても信じてもらえないだろう、と考えて恐怖のあまりに逃げてしまった。……最後がちょっと上手くいってないがこんなところか」

「はい、全てその通りです」

「と、私はお前から報告を受けたわけだ」

「はい。今、そのように報告させていただきました」


 アインズは一度だけ深く頷く。


「よし分かった。なら問題は解決だ」

「よろしいのでしょうか?」


 驚いたシャルティアに諭すようにアインズは口を開く。


「今の話で我々は自らの行動を正当化させるに相応しいだけの根拠を得た。そうだな?」

「はい……そうだと思います」

「……私が恐――警戒しているのは同等の存在のみだ。もし仮にそいつらが今回の話を聞いた場合、我々を悪と断定するかもしれない。そして我々を退治しようと行動を起こすかもしれない。だが、今の我々の正当な理由を聞いた場合、そいつらはどのように行動すると思う?」

「退治しようとする行動を止めますでしょうか?」

「正直分からないな。だがな、そいつらとて我々と戦うことで命を失うことは忌避したいはず。つまりそいつらも本気で戦いたいとは思わないだろう。ならばもしかすると我々の話を聞くことで、矛を収めようとするかもしれないだろ? 一応、無理があるが多少は納得がいくお話なんだからな。それに邪悪な行いをしている奴を攻撃するのは心が痛まないだろうが、もし仮に相手が自らを正当化させる理由――それも善意から来ているものを持ち出して来たらどうだ? 戦うべきか迷うんじゃないか?」


 アインズはシャルティアの表情を眺めながら言葉を続ける。


「無論、謝罪として何か――金銭が妥当だと思うが――を支払うことになるかもしれないが、その程度大した出費でも無いだろう。向こうが嵩にきて、無理難題を突きつけてくるなら跳ね除け、そのときは戦いに持ち込めばよい。我々を侮ったことを後悔させればな」


 そうシャルティアに言い切りながらも、アインズは無論、そんな上手く話が転がるとは思ってはいない。

 だが、ユグドラシルプレイヤーが本当にいたとしても、絶対に死は恐れるはずだ。例え復活のアイテムがあるとしても本当に自分が復活できるかどうか確かめたいと思うものはいないだろう。

 そして100レベル等、高位レベルというのは恐らくこの世界においては絶対者的な存在だろう。欲しいものは殆ど得られるような。それだけの力を得ながら、好き好んで失うかもしれないような手段に出るとは、普通に欲望のある者ならとうてい思えない。性欲や金銭欲、権力欲、食欲――欲望というものは力が大きいものだ。もし仮にナザリックが攻められるとしたら何らかの欲望からだろう。


 敵意を恐れているのも、ここに繋がる。

 まずナザリック大地下墳墓に攻めるべき悪という印があった場合、攻め込むものは正義や善になるのだ。攻め込んで宝を奪ったとしても気が咎めないだろうし、攻め落とせれば英雄扱いにされるのだ。これほど欲望を満たしてくれることは無いだろう。

 そして宝の山が2つあると仮定して、敵意を持っている奴が守ってる宝の山と、友好的な奴が守っている山、どちらを狙う? 普通は敵意を持ってる側だろう。

 まぁ、友好的な奴を騙してという者も中に入るかもしれないが、それは流石に少数だろう。そんな奴が同じような仲間を集めて、チームを構成し維持できるとはあまり思えないので、さほど警戒する必要は無いと思いたい。何かのきっかけで内部から崩壊すると考えても良いだろうから。


 例外的な存在は英雄願望の持ち主だが、それ以外は交渉でどうにかできるのでは、とアインズは現状では考えている。

 例外というのはあくまでも例外だ。そんなポンポンいるものではないのだし。



「さて、シャルティア、お前にあった話は理解したぞ。その上で私の判断だが――今回は私のミスが大きい。シャルティア、お前のミスを許そう。情報源をつれてきたことでかなりの情報が入ったことも考えれば、充分に許される範囲だ。今後はこのようなことが無いよう情報を共有する準備をしたいものだ」

「ですが、わたしの失態は間違いありません。罰をいただかないことには示しが」

「ふむ」


 アインズは困惑の表情を、顔の前で手を組むことで隠す。

 シャルティアに罰を与える。実のところそれは非常に難しい問題だから上手く誤魔化そうとしたのだ。それにシャルティアはかつての仲間、そしてアインズ・ウール・ゴウンが作った存在。それを自分の考えだけで罰を与えるというのも少々嫌な感じがする。

 だが、シャルティア自身にそう言われてしまっては仕方が無い。


 ではどのような罰が相応しいのか。

 金銭的処分といっても給料を払っているわけでもない。地位を下げるといってもシャルティア以外に守護者を任せられる強さを持つものはセバスかパンドラズ・アクターのみ。どちらも相応しくは無い。謹慎という手が一番良いかもしれないが、現状最大戦力を1つを遊ばせておくというのも少々アレである。鞭打ち? 勘弁してくれだ。

 単なる一般人であるアインズにはこの場合に最も適した罰を与えるアイデアが浮かばない。

 前例というものが無いのが最も厄介だ。

 基本的に罰というのは会社内であれば、前例または法律といったものを基準に考えられる。ナザリックには特定の法律もなければ、前例も当然無い。下手するとこの一件が前例になる場合もある。簡単に決められることではない。

 ならば一先ずは――


「……そうか。では追って知らせる。とりあえずは下がってよい」


 ――時間を稼ぐ。



 シャルティアとブレインが部屋を出て行く。

 扉が閉まると同時にアインズは頭を抱える。


「頭が痛いな」


 実際この世界の戦力はたいしたことが無いことが分かりつつある。表に出てこない力はあるのかもしれないが、現状では警戒すべきは存在するのか不明な同じユグドラシルのプレイヤーだろう。


 しいて問題を述べるとしたら、守護者に代表される部下達が力に自惚れすぎていることだ。

 今回のシャルティアのミスだって相手を洞窟内におびき寄せた上で襲えば問題は生じなかっただろう。

 ナーベラルもそうだ。報告によると怪しまれてはいないということだが、今回シャルティアが連れてきたヴァンパイアの話からするとポーションはかなり高額なアイテムだということ。それを簡単に渡して怪しまれないというのは虫の良い話だ。最も納得できる話は怪しまれているが、ナーベラルが気づいていないというところか。

 最強であるが故の過信。

 これは注意しろといってもなかなか難しいことなのかもしれない。


 それにシャルティアはクラスで『血の狂乱』というペナルティにも近い特殊能力を持っている。シャルティアなら余裕で抑えられると思っていたのだが、自ら興奮状態になるというのは予想してなかった。

 やはり単純に人選を間違えたというところか。

 今のところアウラは上手く任務をこなしているようだし、各員の性格の違いへの認識不足から来るミスであることを祈るだけだ。

 この辺りはアインズ、自らが注意し、なおかつ時間の経過によってこの世界の一般常識を学べば、解決されることを祈るぐらいが関の山なんだろうか。

 しかし、都市に潜入しているナーベラルの件は早急に解決すべき問題だろう。


 そう考えると今回のシャルティアのミスを帳消しにしつつ、手段を講じる良いチャンスかもしれない。とりあえず、単なる村人は難しいかもしれないので、突っ込まれたときのアンダーカバーを作り直しておくべきだろう。


 そこまで考え――


「はぁ……だるい」


 ――アインズはぐったりと机の上に顔を伏せる。


 元々単なる一般人であるアインズにカリスマや重厚感といったものは皆無である。だが、それでは上に立つ者としてあまりに情けなさ過ぎる。ナザリックの元NPCの全員がアインズを主人として仕えるなら、アインズもまた主人に相応しい姿勢をとる必要があると考えている。

 ゆえに必死に口調を変えたり、重々しく行動を行っているつもりなのだが、そのため気ぐるみの中に入ってるような疲労感が残る。無論アンデッドには疲労というバッドステータスはないのだから、そんな気がしてる程度なんだろうが。


 さらに最上位者であるアインズの周囲には、常時複数の誰かが傍についている。これは現在ナザリック大地下墳墓の警備状況が一段階上がっている状況に起因するものだが、視界の隅にちらちら映る影は知っていたとしてもどうも気になるものだ。

 勿論、命令すれば今のように全員外に出すことはできる。だが、支配者というのは複数の部下を周囲にはべらすものなのでは、というイメージがアインズにあるためにその方法を取るのもどうも気後れする。


 結果、体の芯にずっしりとした重みがかかり、だるさがアインズを襲うのだ。


「慣れれば楽なものなのかね」


 ドアが突如ノックされる。

 アインズは跳ね起きるように体を起こし、着ている柔らかなローブを整える。


「失礼します、アインズ様」


 再びドアが数度ノックされる音が響き、それからゆっくりと開きながら、優しげでかつしっとりと濡れたような女性の声が滑り込んでくる。

 室内に1つの人影が入ってきた。


 その人物を簡単に称せば、艶やかな茶色と白色の毛並みを持つ直立歩行する雌のシェットランド・シープドッグだ。それもメイド服を着た人間大の。

 つぶらかな瞳は英知と慈悲が宿り、そのシェットランド・シープドッグを漫画家が擬人化したような表情に、一目で分かる慈母の微笑みが浮かんでいた。

 何らかの香水だと思われる芳しい匂いが、歩く動作と共に揺れる全身の体毛から漂ってくる。

 その後ろから先ほど外に追い出した3人のメイド。そして不可視化を行いながら入り込んでくる7体のエイトエッジアサシン。

 アインズは先頭を歩く犬人ともいうべき存在に話しかける。


「ペス、良く来た」

「はい。色々とご相談事をお持ちしました。アインズ様」


 ペストーニャ・ワンコ。

 現在ランドステュワードのセバスがいないため、替わりにナザリックの生活面を完全に管理しているメイド長である。守護者よりはレベル的にはかなり落ちるが、最高位の神官魔法まで使いこなす存在でもあった。

 そして愛称はペス、である。


 メイド服からどうやって出しているのか、茶色の尻尾がパタパタと動く。恐らくはメイド服の尻尾の部分に穴を開けているのだろうが、本当にそうなんだろうか。微かな好奇心がアインズの心の中に生まれる。


「簡単なものなら良いのだがな」


 好奇心を表に出さないようにしながら、アインズは机の前まで来たペストーニャに話しかける。


「はい」


 ニコリと笑ったペストーニャは、突然何かを思い出したように恥ずかしそうに顔を歪める。


「申し訳ありません。忘れていました」


 何を? アインズがそう問いかけようとするよりも一瞬早く、ペストーニャが言葉を続ける。いや言葉というよりは違うものなんだろうか。


「――わん」

「…………」


 アインズは眼をぱちくりさせるが、ペストーニャは満足したように微笑む。


「どうかしましたか、わん」


 アインズはペストーニャの設定を思い出し、次に作った人物を思い出し、何も言わないこととする。だいたい元々は自分が食べ物系の名前だからといってペスカトーレと付けようとした人だ。流石に漁師は可哀想だろうと言うことで変更になったが。


「…………いや、なんでもない。それより来た理由から解決していこうか」

「はい。わかりました、わん。まずは副料理長よりです、わん。ポーション瓶の数量が残り3000本を切りました。補給はどうされるのかという質問です、わん」

「そんなに使ったのか。日産何本ぐらいだった?」

「はいです、わん。ポーションの種類にもよります、わん。一体何のポーションの日産数量をお答えした方が良いですか、わん」

「そうだな……」


 アインズの脳裏に浮かんだのは先ほどのシャルティアとの会話にあったポーションである。


「マイナー・ヒーリング・ポ-ションだな」

「はい……副料理長個人でなら、およそ日産464本ですかと……わん。あとアインズ様ならご承知だと思いますが、これは6時間の休憩を取ってMPが全快した状態から、作成に時間の経過を必要としないということを前提にしたものです、わん。つまりは4回転した場合です、わん。実際は休息時間や作成時間も掛かりますのでこれよりもっと遙に少ないです、わん」

「その計算方法で、最高位のポーションだと?」

「20本です、わん」


 魔法は第10位階まであるが、ポーションに付与できる魔法の最高位階は通常は第5位階までだ。特殊なクラスを取っている事で第6位階まで可能とするが、それはまぁ例外である。通常、単純な計算で表現してしまうと、最高位――第5位階のポーションを作った際のMP消費量は、魔法を発動した場合の20倍に匹敵する。

 それだけで考えると、MPの消耗量的にポーション作成にMPを使うことは勿体無く感じられるが、魔法を使用することができない人物が、魔法を発動させる手段としては安価であり、便利なものである。MPを費やして作ったとしても、そして高い金を出して買ったとしても惜しくないぐらいに。


「ペスが協力すればもっと多くなるんだろ?」

「はい、ですわん。先ほどと同じ計算方式でしたら、マイナー・ヒーリング・ポ-ションが日産1332本です、わん」


 アインズは頭の中で商売について考える。

 ブレインの話ではマイナー・ヒーリング・ポ-ションは売れば結構な値になるという話だった。商業ルートを開発して冒険者ギルドに卸すと言うのも悪くは無い。

 無論、そんなことをすれば色々と面倒なことがあるかもしれないので、今の状態では難しい話だ。やるにしても十分な――様々なバランスについて検討した上でだろう。回復のポーションが大量に出回ることで、無数の問題が生じるのは簡単に分かることなのだから。

 とはいえ現金を稼ぐ手段があるというのは心強いことだ。

 マイナー・ヒーリング・ポ-ションが1本、50金貨。掛け率半分だとして25金貨。金貨1枚が日本円での価値で考えると10万円。日産1332本の場合は桁外れな金額となる。


「ポーション瓶以外の原材料は?」

「ユグドラシル金貨は数え切れないという言葉が相応しいだけありますし、ゾルエ溶液も同じように無限といっても良いほどあります、わん」


 ユグドラシルでのポーションの作り方はゾルエ溶液という液体を満たした瓶の中に、ポーション作成系技能者のスキル発動にあわせて、込めたい魔法を使える人物が魔法を発動させるという方法になっている。その際に製作費としてユグドラシル金貨は自動的に消費されるのだ。

 特殊なポーション作成溶液もあるが、それは基本的にイベントアイテムであり、一般的にはゾルエ溶液以外は使われない。


「ならまずはポーション瓶を他のもので代用するところから考えよう。シャルティアが良いシモベを作ったので、その話を聞けばアイディアも浮かぶだろう。とりあえずは生産を中止しておいて、ポーション瓶は取っておいてくれ」

「かしこまりました、わん」

「次に司書長から同じく巻物の羊皮紙の件で話がありまして――」

「それは私が自身で出向く予定だ。それは彼の口から直接聞こう」

「かしこまりました、わん。では次の件ですが……入りなさい…………わん」


 一瞬、口調を忘れたペストーニャに、大変だなという感情がこみ上げる。

 そんな中、1人のメイドがゆっくりと室内に入ってきた。手には蓋の付いた銀の盆を1つ丁寧に持っている。

 アインズの前まで来ると、メイドは無言で蓋を外した。ペストーニャはその盆の中に手を入れ、乗っていた食器を取り出し、アインズの前に置いた。


「ん……」


 アインズはそれを直視し、うめき声じみたものを漏らした。

 黒い塊が食器皿の上にドンと鎮座している。拳2つぶんほどの大きさだろうか。炭特有の焦げたような匂いが辺りに漂いだす。

 何も言わずにアインズは添えられたナイフとフォークを持って、それを二つに切り分ける。中も完全に炭化している。もはやこれが元々なんだったか、外見から予想できる者はいないだろうという酷さだ。


「これが……ドラゴンの霜降り肉で作ったステーキか?」

「はいです、わん」


 注文していたものの、あまりの酷さにアインズは持っていたナイフとフォークを銀盆の上に投げ出す。2つがぶつかり、澄んだ音色を立てる。


「……では作ったメイドにそのまま料理の勉強をするようにと伝えておいてくれ。料理長にも頼むぞ」

「かしこまりました、わん」

「他には?」

「いえ、これぐらいです、わん。あとはアウラ様がナザリックに戻ってきましたので、後ほどご報告に来るかと思います、わん」

「アウラがか……分かった。ではその前に私はこれから図書室に向かう。転移で向かうので付いて来る者はいらん」

「かしこまりました、わん」

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