第77号 2013.12.01発行 by 矢吹 晋
    東京五輪はロシアと中国の票によって決した <目次>へ
 2012年9月以来の尖閣衝突をめぐる日中対立は、依然緩和の兆候さえ見られないなかで、2013年が暮れる可能性が強い。衝突がここまで拡大し、対峙したままであることについては、むろん双方にそれぞれの責任がある。 9月7日、ブエノスアイレスにおける総会で開催地は「東京」に決定し、日本ではこれを歓迎する一大キャンペーンが行われた。安倍内閣はこの決定を最大限に利用したといってよい。そのウラでまったく報道されなかったニュースがある。
 経緯を見ると、1次投票でマドリードが落ちた。となると、2次投票は東京とイスタンブールの争いになる。ここで東京はイスタンブールを下して、1位を獲得したことを知らない者はない。そしてこの2次投票において、プーチンの4票(およびその関連票)が大きかったと、NHKは少なくとも2~3度、およそ「1カ月後に」解説した。10月初めに発売された『文藝春秋』11月号に体育界のボス森喜朗の「IOC総会熾烈な情報戦の勝利、中国とロシアの支持表明がありがたかった」と題する「この人の月間日記」の広告が各紙に大きく掲載されたので、いまではこの雑誌の読者はもちろん、「新聞広告から中身を読む」読者まで、ロシアと中国がその票を東京に投じたことは、ぼんやり知っている。
 中国票およびその影響下の数票が東京に投じられたことを私は偶然に信頼できる事情通から耳にした。そこで9月25日都内のあるロータリークラブで講演のマクラに使ったところ、「それは本当か」と会場からどよめきにも似た反応が返ってきた。誰も知らなかったのだ。その後、10月1日のある勉強会で同じ話題を仲間に持ち出したところ、やはり似た反応だった。




 森喜朗の「月間日記」まで、日本の主流メディアはこのニュースを報じなかったごとくである。「政治とスポーツは別物」として、日中関係の膠着状態の打開に一石を投じた中国五輪委の賢明な判断は日本マスコミの怠惰(あるいは意図的な情報操作)によって無視され、局面打開にはつながらなかったわけだ。
 北京で聞いた話では、中国外交部は記者会見でこのトピックを問われた際に、ケンモホロロ、「その話は五輪委員会に聞け」と応答した由だ。そこから「中国は東京五輪に反対した」と現場の記者は推測したという。当時の中国指導部には、対日強硬路線と、対日緩和(局面打開)路線の二つの考え方が存在したものと私は分析する。尖閣国有化1周年、9・18の前夜といった極度に微妙な時期であったからだ。
 後者の局面打開路線から、➊10月22日北京で日中平和条約35年記念式典が行われ、唐家璇講話が行われた。❷また言論NPOによる10月26~27日の北京会議も開かれ、福田康夫元首相が特別講演を行った。
 ❸同じ頃、すなわち10月26~27日に丹東市で中華日本学会が開かれ、同学会の会長であり、前中国社会科学院副院長の武寅女史が「中日関係史における民間交流の積極的作用」を基調報告し、日本大使館からは貝塚正彰公使が「アベノミクスの現状と将来」を報告した。最後に王洛林(中国社会科学院前副院長、全国日本経済学会会長、『資本論』の中訳者王炳南の子息)が会議の総括報告を行った。会議に出席した在北京のSE氏および北京大学のB教授らによると、この王洛林報告は、冷たい政治環境から「民間交流・経済交流・青年婦人交流・姉妹都市交流」等を区別し、後者を正常化する強い意欲に満ちたものであった。この文脈で私は解釈するのだが、「スポーツと政治」を区別した、中国五輪委員会の東京支持はその皮切りと読んで間違いない。


 王洛林 武寅 


 日本のマスコミは東京五輪決定を数兆円の経済効果とはやしたて、書きまくったが、重要なシグナルを見落とした。なぜ取材しないのか、と質すと次のような答が谺する。曰く「投票結果を公表しない建前だ、買収を防ぐためだ」、曰く「運動部が担当であり、彼らは政治に関心がない」。これらが苦し紛れの答であることは容易に読み取れる。猛烈な情報戦、票読み戦、合法・非合法すれすれの「買収合戦」が行われなかったと見るほうが不自然なのだ。非公表の建前にもかかわらず、この種の秘密投票はかなりの程度まで、把握できると見てよい。つまりこれは安倍内閣の情報操作に主流メディアが籠絡されている現状の端的な現れに相違あるまい。センカク騒動以後、安倍大本営発表に主流メディアが籠絡されている現状はまことに憂慮に堪えない。



[追記]東京五輪報道。『毎日新聞』は11月19日付東京夕刊で以下のように報じた。
 9月7日の決定以後、「2カ月+2週間以後」である。これがアベ大本営による言論統制下の日本大マスコミの実相だ。毎日はまだましか。朝日や読売はいつ報道するつもりなのか。NHKはいつ、「ロシアと北京が東京に投じた」と訂正するつもりなのか。これは日本マスコミにとって、ほとんど世紀のスキャンダルではないか、と思う。

20年東京五輪:中国、東京五輪に投票 1回目3人、2回目4人全員−−9月IOC総会
毎日新聞 2013年11月19日 東京夕刊
 【北京・工藤哲】2020年の東京夏季五輪・パラリンピック開催が決まった9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、中国が東京開催に賛成票を投じていたことが分かった。中国側五輪当局者を含む複数の日中関係者が毎日新聞に明らかにした。総会は日本政府による沖縄県・尖閣諸島国有化から1年(9月11日)直前で、中国で反日感情が高まっていた時期だったが、中国側は「対日関係の重要性を踏まえ、国益を総合的に検討した結果、『東京支持』に回った」という。
 関係者の話を総合すると、投票に参加した約100人のIOC委員のうち、中国出身者は4人(大陸3人、香港1人)。第1回投票では大陸の3人が東京、香港の1人がマドリード(スペイン)、決選投票では4人とも東京に投じた。東京は60対36でイスタンブール(トルコ)を抑えて、1964年以来56年ぶりの夏季五輪開催にこぎつけた。投票は無記名方式だった。
 中国が東京開催を支持したのは「首都・北京市と友好都市の関係にある東京都との関係改善を急ぐ狙い」(日中関係者)があったという。中国国内では、PM2・5など深刻化する都市部の大気汚染の解決が喫緊の課題で、先進都市・東京の協力を得ることが不可欠な事情がある。また東京では五輪開催に伴う特需が見込まれており、中国がインフラ整備や資材の売り込みなどの分野で有利に関与する狙いもあるという。
 また、北京市と張家口市(河北省)は2022年の冬季五輪開催地に立候補を表明しており、見返りに日本からの支持を取り付ける狙いがあるとみられる。加えて、中国は北京五輪(08年)に続く2度目の夏季五輪開催も視野に入れており、日本の後押しを受けたいという思惑もありそうだ。
 日本と尖閣諸島などの政治問題でこう着する中、日本に批判的な国内世論に配慮する立場から、中国当局は公式には東京投票への明言を避けている。ただ将来の五輪開催地選定の過程で、今回の投票行動を引き合いにして協力を求める可能性はある。
 民間や地方自治体レベルでは関係改善を模索する動きも出ている。10月下旬、日中平和友好条約35周年や中国の対日交流団体「中日友好協会」設立50周年に際し、日本側から日中友好協会の加藤紘一会長らが北京を訪問。中国側は北京・東京間の関係改善を望む意向を伝え、猪瀬直樹知事との関係構築に意欲を示した。10月末から11月にかけて北京市の環境部門の担当者が東京都を訪問し、環境保護対策で協力を進めることで一致している。
 ■解説
 ◇民間から関係改善模索
 中国が東京夏季五輪・パラリンピック開催に賛成票を投じた背景には、東京五輪の開催決定を契機に、民間やスポーツ交流を活発化させることを手始めに、冷え込む対日関係改善を進めたいという思惑がある。「東京五輪決定と、日本人を救助した中国人留学生の話題があり、両国関係の風向きが変化した」(北京の外交関係者)との指摘もあり、尖閣諸島を巡りこう着する両国関係改善に向けた動きも少しずつ見えてきた。
 中国は東京開催への投票は表向きには明かしていないが、祝意は示している。
 中国の対日交流団体「中日友好協会」の唐家璇会長(元外相、元国務委員)は9月、日本維新の会の訪中団と会談した際、「我が事のように喜んでいる」と発言。10月30日には北京市人民代表大会(議会)常務委員会の杜徳印主任が、訪中した東京都の各区議会関係者と会談し、祝意を示した。両国間では冷え込んだ関係を改善に導くための模索が続く。
 中国外務省の秦剛報道局長は今月14日の定例記者会見で、おぼれた日本人の子供を救った中国人留学生に安倍晋三首相が感謝状を贈ったことについて「救われた日本の子供が健康に成長し、中日友好に貢献することを希望する」と述べ、友好ムードを漂わせた。
 習近平国家主席は先月24、25日に北京で開催された「周辺外交工作座談会」で周辺国との外交を積極的に展開していく方針を示し、日本との関係改善策なども話題になったとされる。また、北京では今月、長崎県による交流行事が開催されるなど、民間や地方自治体の交流は回復基調にある。【北京・工藤哲】


 

               
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