おはようございます、今日はもにょもにょ黒keroyonです。
昨日、あるエントリを読んだら、頭の中の思考が、生ビールの泡のようにもこもこモコモコ膨れ上がり、あふれてきた。(とってもクリーミーなおいしさで♪)
その人は「環境がどんなになろうとも、受け止める覚悟がある。だから不安にはならない」ようなことを言っていた。
私も以前、生活が脅かされるような危機に直面し、貧困な想像力しかないけど、収入が途絶えた生活がどんななのか想像してみたことがある。
とりあえずは、何とかなりそうとは思ったが、長くは続かなさそうだ。
基本的には、収入を確保して支出を減らす。
それで日々の生活はできそうだけど、社会保険、税金、車の維持費(←ここは田舎だから車がないと仕事にもいけない)とか考えると、相当収入増を考えないと続けてはいけないだろなぁ。
社会福祉的な知識も0なので、「社会的サポートがなにかある」と期待しつつ、実は網からもれてて、気付いてないだけかもしれない。
でも、ま、そうならざるを得ないなら、それも受け止めようと、覚悟はあった。
そっちの生活ならそっちで、その時の苦しみから解放されるなら。なんて思ってた。
ここまでが覚悟の話。
そんな考えを踏まえ。ここからは能力の話。
私は今までにいろんな仕事をしてきた。
一応、仕事をする上での信条は「『keroyonさんがいてくれてよかったなぁ』と思われるような仕事をすること」
そうすれば、その社を追われたとしても、次に声をかけてくださる人がいつもいた。
それで、なんとなく「ほんわり技術畑」を歩んできたのだけど、
「技術ができるんだったら、事務職はできるだろう」そんな甘い考えが私にあった。
キャリアアドバイザーもそんなことを言って、私にある事務職を勧めた。
そして、その会社にめでたく再就職。
地元のプロバイダ。
事務といっても業務は幅広く、「電話対応」から「来客対応」「会員への請求処理」「お客様へのお茶出し」「荷物の受け取り」「掃除」「会社HPのメンテ」「会員のインターネット接続のトラブルサポート」と、いわゆるその他業務一般という仕事。
一点に集中すると、何の音も聞こえてこなくなる私には、「請求処理」をしていると「来客にきづかない」事が多く、いわゆる事務職には向いていない。自分の能力の限界に気づくきっかけだった。そして辞めた。
その後、ハンバーガーをつくってみたりもした。
作る方はすぐ頼られる存在になれた。集中したらいいから。人との関わりも必要最低限でいい。
カウンターもまだよかった。面と向かってなら言われることはなんとなく把握できた。
でもどうにもならないのがドライブスルー。
聴覚過敏があるのかないのか、インカムからどうしても注文が聞き取れない。
3年ほど働いたが、結局ドライブスルーはその時の2~3回の体験だけ。
私には、ドライブスルーをこなす能力はなかった。
そのうち、ポテトの箱や廃オイル缶を運ぶのも体力的に辛くなり、辞めた。
子どもの頃は可能性に満ち溢れていて、がんばればどんな道にも行けるような妄想を抱いてた。いや、35才くらいまで抱いていたかも。…鈍感だな。
そして、年を重ねることは、自分の可能性をそぎおとし、できる範囲を先鋭化していくことなんじゃないかと最近感じている。
どんな環境でも、やってみようという覚悟はあるが、どんな環境でもできるかと問われたら「できないかも」と不安に思う私の理由。
覚悟と能力は別。
能力のない方向に努力するのは辛い。
「ドライブスルーができないと死ぬぞ」って言われたら、私は死を選ぶしかない。
やっぱりひとそれぞれなんだな。
keroyon