『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(青山透子/河出書房新社)

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「人は二度死ぬんだよ。一度目は肉体の死。(中略)そして誰ひとりとして自分のことを覚えていなくなったら、二度目の死を迎えて、人は死ぬんだよ」──こう語った永六輔氏が作詞し、中村八大氏が作曲した名曲「上を向いて歩こう」。

「SUKIYAKI」と改題され、Billboard Hot 100で3週連続1位(1963年6月15日~6月29日付けまで)を記録し、日本人だけでなく世界に愛された歌手となったのが、坂本九さんだった。

 そんな坂本さんを含む、乗員乗客合わせて524名を乗せた、「日本航空123便(東京発大阪行き)」(以降、同機)が、約束の地大阪ではなく、群馬県多野郡上野村の山中に忽然と消えてしまったのは、1985年8月12日のことだった。

 520名の尊い命が奪われるも、4名が奇跡的に生還した「日航123便墜落事故」(以降、本件)から、今年で33回目の夏を迎える。

 多くの人たちにとって、航空機史上最大の犠牲者を出した本件は、「すでに終わった過去」かもしれない。しかし、「終わらせることのできない現在」として、真相究明を続けている人たちも多いことをご存じだろうか?

■「本当はもっと多く助かったはずだ」──そんな無念を捨てきれない人たち

 同機には、多くの帰省客や家族連れが乗っていた。夏休みチャレンジの一人旅小学生もいた。ビジネスマンたちや外国人客、そして最後まで諦めなかったクルーたちがいた。

 こうした人々が「本当はもっと多く助かったはずだ」──そんな無念を捨てきれないのは、当の犠牲者たちだけではない。遺族や関係者、当時の光景を脳裏に焼き付けてしまった地元の子どもたちや大人たち、そして、本件の発生原因から墜落、そして救命活動に至るまでを、より詳しく調べ、知ることになったすべての人たちにも共通する認識となった。

 それほどに本件には、「何かが隠されている」という疑惑が多く残されているのである。事故原因、事故現場の特定や救助の遅延、さらには、事故現場での異常とも思える遺体状況やボイスレコーダーの一部が非公開にされるetc.

『日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』(河出書房新社)の著者で、当時、日航の新人スチュワーデスだった青山透子氏も、運輸省航空事故調査委員会による事故原因の公式発表(ボーイング社の手抜き修理による後部圧力隔壁の破損が原因となった事故)に対して、大きな疑問を抱き続けているひとりだ。

 青山氏は日航を退社後、大学などで講師職を務めた。そして学生たちと接しているうちに、本件が風化し始めていることに気づき、2010年に前著『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド)を上梓。同書では、最後まで懸命に乗客を守ろうとした先輩クルーたちの姿を描き、事故原因に疑問を提示した。

 すると、前著を読んだ当時の関係者などから、新証言や証拠の提供が青山氏のもとに集まり始める。そこで得られた新事実をもとに、本件にまつわる疑惑を再提示したのが本書である。

■迷走し、墜落していくジャンボ機を見ていた地元の子どもたち

 本書が提示する新証言の中でも、これまであまり報道されて来なかったのが、子ども
から大人まで、多数の地元の人たちの目撃情報や証言などである。

 墜落現場の上野村では、小学生による文集『小さな目は見た』(85年)、中学生たちの文集『かんな川5』(85年)が編纂された。青山氏はこれらの文集に掲載された子供たちの目撃情報を精査し、さらに、大人の証言者たちにも会いに行き、墜落当時のリアルな光景を本書で再現している。

 さらに、取材を通して得た、他の証言・証拠も提示しつつ、著者は「事故ではなく、事件ではないか」と訴えるに至っている。

 つまり、本件は修理ミスに起因する事故ではなく、「外部要因によって墜落させられた事件であり、それを隠すために組織的な隠ぺい工作が行われ、意図的に現場の特定や救出等も遅延された可能性がある」ということだ。

 当時、いちばん悔しい思いをしたのは本書に登場する、当時の上野村の村長ほか、村民の方々だったのではないか。彼らは事故発生直後、墜落現場をいち早く伝えるため、あらゆる努力をした。しかしすべて無視され、事故現場の特定が13日の午前5時になるなど、遅れに遅れた。

 事故現場を隠したかったのではないか? でも、いったい誰が何を隠したかったのか?

 そんなことを少しでも知りたいと思った方は、ぜひ、本書で本件に関する公表されていない事実を知ってほしい。

 忘れられた時がほんとうの死。本書によれば、事故現場の名称は御巣鷹山ではなく、正しくは「高天原山(たかあまはらやま)」だという。

 神々の山という別名を持つ山に迎えられた多くの命があったこと、そして、そこにはまだ隠された真実がありそうだということを、私たちは忘れてはならないのだろう。

文=町田光