最近、都心のターミナル駅を歩いていると顔が悪い小学生の女と父親が楽しそうに走って特急のホームへ走って行った。
容姿というものが余りにも人生に大切なものだということを思い知るはずだ。
死刑制度の言説を見る限り、人権やら思想とかいうよりは同情できない云々という感情で語るものが多い。
麻原氏が美少女だったら死刑反対の声も大きかったのかもしれないなどと思ってしまう。
結局、国家権力への批判は全くせず、何となく腹が立つものに懲罰的なことを叫ぶ人が多いのだろう。
長い物には巻かれろだ。そして、何処か優生思想に似たものもあるのではないか。
彼女が大きくなるころには、日本人以外の男と結婚して上手く日本から抜けだそうとうするのも増えるのだろうかなどとも考えてしまう。
不細工なアジア人男の自分には、まったくそのようなものがない。
自分だって刑務所で熱中症などが死んでいるとかいうニュースを聞く。こんな人権後進国から逃げたいと考えたりするものだ。
いつ、難癖をつけられて冤罪やら微罪逮捕されるかとか考えたりすると強く感じる。
ただ、親の小金で逃げようと考えても、どこか自分の醜さが気になって何もできなくなる。
また、海外住みの人間に留学しようと考えていると相談するとなぜか怒られた。
おそらく生活が大変なのがあるだろう。しかし、それ以上に同族嫌悪というのがありそうだった。
彼もわざわざ日本でない場所に住んでいるのだから日本人が嫌いなのかもしれない。
ただ、容姿が良くなる保証もないし関関同立底辺通いで知能が低い自分は何処にも行けない気がしてならない。
麻原の若い頃の写真見てみ? 美男子とまでは言わないけど、長髪でも不潔っぽくないインドかぶれのミュージシャンみたいな、それなりモテそうな容姿ではあったよ。 たとえ美少女に生...
現代にキリストや仏陀がいても終着点は麻原と同じだったんだろうなあ 紙どころかビデオがあっては細かい不備を突かれて「ほら人間だろ」となってしまう これでは仏も預言者も出現で...
仏陀の生まれ変わりがいるけど特に死刑になりそうな兆候はないなぁ