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2018-07-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ほんとうに気を散らしてばかりいると、
 周囲の人に迷惑をかけたり、怒られたりするから、
 ぼくは人の目を盗んで、あるいはじぶんにもないしょで、
 「気を散らす」ようにしている。

 気を散らすというのは、わるいこととされている。
 「もっと集中しろ」とも言われる。
 しかし、ぼくだけにかぎらず、人間の集中なんてものは、
 それほどは続かないものなのである。
 「気を散らしてはいけない&集中というものは続かない」
 というまことに、どうしていいかわからないところに、
 たいていの人間は立たされている。

 そういうとき、そのたいていの人間はどうしているか?
 「集中しているふりをする」のである。
 会社づとめの諸君、学校にいる諸君、在宅仕事の諸君、
 身に覚えはないだろうか。
 集中している状態がないとは言わない。
 さらに、集中して、というよりは「夢中」になって
 なにかしているのは、とてもたのしいものだ。
 しかし、それだって、そんなに続くものではない。
 どこかで気が散ってくるものである。
 そして、気が散っているのはわるいこととされている。
 だから、つい「集中しているふりをする」のである。
 そういうことを何度も、何時間もくりかえしているから、
 ほとんどの人は「集中しているふり」のベテランである。
 他人には「集中している」と「集中しているふり」の
 見分けなんかつかないであろう。
 集中している人よりも、
 集中しているふりをしている人のほうが、
 険しい顔をしていることだって多い。
 近づいたら殺すぞというくらい厳しい表情などもする。

 「休むときはしっかり休んで、集中してはたらこう」
 などと、よく言われることだけれど、それは怪しい。
 「集中しているふりをする」ことが上達する、のみだ。
 いっそ、と、ぼくは思っている。
 集中したい時間には、「思いっきり気を散らそう」と。
 それこそが、人の自由な想像力のはばたきだと思う。
 アイディアとやらも、そこから生まれるものである。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
真に気を散らすことが、大事だということ、ほんとだよ。


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