数学のなかでは非常に高いポピュラリティーを誇るゲーデルと不完全性定理ですから、本は沢山あります。このページでは、ゲーデル、不完全性定理、数学基礎論、そして、もっと広く数理論理学の本も少し取り上げて、少しずつ紹介していきます。
この後、
竹内外史 ゲーデル
R. ゲーデル他 ゲーデルを語る
Wang Reflections on Kurt Godel
Mancosu From Brouwer to Hilbert
Kurt Godel Collected Works
Grattan-Guinness: The Search for Mathematical Roots, 1870-1940
などを取り上げていきます。ご期待ください。
(掲載日: 2003年01月28日-02月09日の間)
「ゲーデル・エッシャー・バッハ」の訳者でもあり、数多くの名著で有名な野崎先生の本ですので、さすがに良く書けています。しかし、野崎先生は論理学の専門家ではなく、野崎先生自身が、素人が書いた本なのだということを強調されています。不安があったのだと思います。数学基礎論というテーマは、余程、他の分野の数学者・科学者からはわかりにくいのかもしれません。残念ながら野崎先生の他の本と違って、間違いがかなりあります。
もう、5,6年前ではないかと思いますが、歴史の研究を本格的に始めて、勉強しようというので、この本も読んだのですが、沢山間違いを見つけてしまって、野崎先生に、間違いのリストをお送りしたことがありました。そのときのお返事では、吉永さんの本の悪影響がかなりあったようです。直す機会があったら直したいとおっしゃっていましたが、どうもその後直す機会がなかったようなので、大きな問題だと思うものだけ書いておきます。(細かいのは沢山ありますが、たいしたことはありません)。
野崎先生は、日本では広く流布していた(いる)、有限の立場による無矛盾性証明の可能性はある、という立場で本を書かれていて、上の4は、そのための議論だったのですが、これは野崎先生の勘違いからきた誤解です。この間違いを指摘すると、御本人も相当困っておられたようです。
でも、さすがというか、この4に関連する議論を手紙やらFAXやら、電話やらで、2,3度した記憶があるのですが、その野崎先生の議論のなかで出てきたのが、このWebサイトのトップに書いてある「ヒルベルトのテーゼ」なのです。野崎先生の本では、形式系が現実の数学を、忠実に表現しているのは当たり前のように書かれており、それは証明できることではなくて、そう仮定しているだけなのだ、と指摘しますと、そういうことは専門家は全然説明しないではないですか、それで自分たちのような素人にはわからない、酷いではないですが、と指摘されたのです。この御指摘は、私にとって、実に衝撃的で自分たち専門家の説明不足を痛感したものです。目から鱗とはこういうもので、これは名前は付けて説明しなくてはいけない、と思って考えたのが「ヒルベルトのテーゼ」という言葉でした。 (後で、聞いた話では、アメリカのエチメンディーかだれかも、同じ言葉を使っているとのことでした)。
ということで、この本は、私のとっても、なかなか印象深い本なのです。間違いは、かなりあるものの、吉永さんの本までは致命的でないと思います。ギリシャ以来の歴史の説き起こし方など、さすがです。上に書いた「訂正」に注意して読めば、まあまあ、大丈夫かもしれません。ただ、有名な方が書いたので、これが正しいのだと思うと、脚注などにも、結構、地雷が埋まっているので、注意しておいた方がよいでしょう。
(掲載日: 2003年01月28日-02月09日の間)
定評のある本です。実際に書かれたのは横田さんだと聞いています。1985年にでていて、私が持っているのは1991年ころのもののようです。歴史についての書き込みが、どうやって1985年にここまで調べられたのだろうと不思議になるくらい丁寧かつ正確に書かれています。Dawson以後の、今、読んでも問題だと目くじら立てるようなところは、ほぼゼロといってよいくらいなので、驚異的といえます。どうしてあそこまで調べられたのだろうと、横田さん本人に聞いたか、近い人に聞いたかしたことがあるのですが(どちらか思い出せない!)、何でも浪人していたときで、時間が沢山あったのだとか。でも、時間があれば調べられるというものでもないでしょう。やはり、大変な努力というべきです。
この本には巻末にゲーデルの論文の和訳もついており、かなりハイレベルの本です。数学をちゃんと読むつもりの人でないと理解できないところもありますが、それだけに安心して読むことができます。この本で私が見つけた数学的間違いは、確かゲーデルの論文の訳注で、ゲーデルの再帰的関数の定義が不十分というところだけだったと思います(これはゲーデルの書き方がちょっと悪いだけで、実は十分なのです)。
論文の訳は、日本語が硬いのと、訳に数箇所だけ間違いがあるだけで、十分読めます。誤訳も、それほど目くじら立てるほどのことではありません。
歴史的な話で間違えているのは、私も昔やった間違い「タルスキーの定理がゲーデルの定理より先立った」というところくらいでしょう。また、吉永さんの本のところに書きました1927年のブラウワーの論文で、ブラウワーが妥協を提案したと書いてあります。しかし、淡々とブラウワーの書いた事実が再現されているだけなので、吉永さんの書かれたもののように間違いとまではいえません。第一、「和解」でなく「妥協」ですから、かなり違います。
他に1930年のケーニヒスベルクで、フォン・ノイマンがゲーデルをつかまえて夜中まで話したとか、ゲーデル式を算術式で書けるだろうと予想したとか、私がいくら調べても、ソースがみつからない「逸話」がいくつかありました。これは、ちょっと眉唾なのではないかと思っています。
欠点を言えば、正確を期して書かれているので、歴史にストーリーが無く、ヒルベルトが基礎論に入ってきた理由などがハッキリしません。つまり、吉永さんの本では想像で埋められていた部分が、空白になっているので、なんとなくストーリーがつながらないという印象は避けられません。現在ならば、正確に空白を埋めることができるのですが…しかし、何といっても15年も前の本です。しかも、吉永さんの本の書評で書いた90年代の通史の前の本なのですから、贅沢はいえません。おそらく、当時としては、日本どころか、世界中で、もっとも正確で充実した内容のゲーデル本のひとつだったはずです。英語で出版されていたら世界的にもベストセラーになっていたことでしょう。
(掲載日: 2003年01月28日-02月09日の間)
良く売れた本で、少なくとも数年前までは、ゲーデルや不完全性定理について読むならば、この本か、少し専門的なら広瀬・横田を読むというのが普通だったのではないでしょうか。私が、最初にこの本を読んだときは、まだ、歴史の研究を始める前で、私が知らないエピソードが沢山書いてあり大変感心したものです。少なくとも出版当時(1992)、この本ぐらい、歴史的な経緯を豊富に、かつ、丁寧に書いた本は、国内にはありませんでした。
しかし、今、改めて読んでみると、残念ながら、この本には歴史的事実にかなり誤りがあるのが目に付きます。1991年ころ、本格的歴史研究でなくて、こういうものを書くとしたら、これくらいしか書けないだろうな、良くここまで上手く書けたものだ、というのが私の印象です。しかし、ぼかしただけだとストーリーにならないので、そういうところには吉永さんの意見が巧妙に入っていて、そのために、結果として歴史的事実とは反対の印象を与えてしまう結果になったところがいくつかあるようです。著者は定評のあるサイエンス・ライターで、不確かなところは、巧妙に文章に逃げが打ってあるのですが、それが裏目に出たようです。
たとえば、1927年ころに形式主義と直観主義の「和解」が成立したと読めるようなかなり詳しく長い説明があります。吉永さんの論点は、ヒルベルトも有限の立場を導入することにより、ブラウワーの排中律の排除を受け入れた、また、1927年の論文で、ブラウワーがヒルベルトに表面上は和解を申し入れているということなのですが、良く読んでみると、「ブラウワーの「和解」はとてもヒルベルトに受け入れるものではなかった」とか、「ふたりは個人的なレベルでも喧嘩をしていた」というようなことがちゃんと書いてあり、科学史の論文や著書で事情を正確に知っているものからすれば、「和解というのは、表現がきついが、括弧に入れた書き方だし、まあ、ウソではないよね」と許容することができます。
ところが、節のタイトルに「和解」と書いてあったり、繰り返し和解が強調してあったりで、文章をざっと読むと、「万々歳ではないものの、とにかく和解したのだ、数学者って穏健なのだな」という印象になってしまいます。それで、野崎昭弘先生も、そう読んでしまって、ご自身の著書で「和解」とだけ書かれておりました。しかし、本当の歴史的事実は、全く違うのです。
最近では、エイズウィルスの発見をめぐって仏米の学者が闘ったとか、この前のノーベル賞で田中さんの第一発見にドイツなどの研究者からクレームがついたとか、科学の世界で新聞だねになる論争がありますが、和解が成立したはずの1927年の翌年、ヒルベルト、ブラウワーの間で、新聞はともかく、週刊誌のゴシップにはなってもよさそうな科学史上の「事件」がおきています。これには出版王シュプリンガー、アインシュタイン、カラテオドリー、ナチの御用学者になったビーベルバッハなどが巻き込まれており、シュプリンガーは弁護士にも相談をしたようです。この事件は、「Annalen affair」と呼ばれ、van Dalen さんなどにより詳しく研究され、数学史上にのこる大学界闘争として、論文や本で報告がされています。研究がすすんだのが90年代に入ってだったためか、この闘争のことは、国内の著者たちはご存知ないのか、意識的あるいは無意識にうまく避けてとおっているのか、国内では紹介されることが少ないようですね。私などには科学者を「美化」しすぎているように感じられます。そういうことをやると余計「理系ばなれ」がおきると、私などは思います。こういうスゴイ喧嘩の話を聞くと、ヒルベルトもブラウワーも、ただのひ弱な数学者などではなくて、人間的で雄雄しい人たちだったのだなあ、と私などはむしろ感心してしまうのですが。
#これを一旦、書いた後で、パートナーの八杉から、Annalen 騒動については、C. Reid さんのHilbertの伝記の和訳が吉永さんの本よりは前に出ていて、それに書かれているではないかと注意を受けました。確かにそうです。やはり、調べ方が足りなかったと判断すべきなのかも。
話がそれてきました(^^)。元にもどします。歴史的経緯からしますと、ブラウワーは、1928年の政治闘争にやぶれ(やはり、ほとんどの人が、その当時の超大物ヒルベルトについてしまったのです。それに人間的にもブラウワーは色々と嫌われていたようですし)、それ以後、数学者としての表立った活動をやめてしまいます。和解ではなく、ヒルベルトがブラウワーを政治的にねじ伏せたのです。そして、これがちょうど、ヒルベルトが第1階の算術の無矛盾性証明ができた(ほぼできた)と誤解し、国際数学者会議などで「できた」と宣言していたときと重なり、1928年からゲーデルの定理の1930年までは、和解ではなく、ヒルベルトが圧倒しているという印象です。
また、基礎の研究に排中律が使えないことの指摘はブラウワーが最初ですが、この事実をヒルベルトは公に話すことも、書くこともなかったようです。これは依怙地な態度で、それについては、ワイルがヒルベルトの追悼論文のなかで苦情を書いています。追悼文にはよいことを書くのが普通ですから、そこにわざわざそういう一文をいれたというのは、ワイルは相当不満に思っていたのでしょう。これはブラウワーも同じで、1927年の論文で(吉永さんがブラウワーが和解提案をしたと書いた論文)、形式主義者は正当な評価をしないと、ものすごく挑戦的な言葉で非難しています。(ちなみに、私もヒルベルトは、ワイルの言うように「卑怯だ」と、最初思っていたのですが、このページにも原稿の一部がおいてある「Hilbert and Computation」の研究の後では、ヒルベルトの気持ちがわかるようになりました。)
また、ブラウワーはヒルベルトの超数学という概念を最初に考え付いたのは自分で、昔、ヒルベルトに直接伝えたことさえあるといって、ヒルベルトを公に非難しています。この二人の闘争には、プライオリティーの問題さえ関わっていたのです。吉村さんの書いたものを、仔細に読みますと、そのことを、すくなくとも薄々は知っていて書いておられるらしいことが読み取れます。でも、それがうまく「誤魔化」してあって、まったく別な印象を与える文章になってしまってるのです。つまり、歴史が曲がってしまっているのです。
他の歴史的事実についての大きな誤解としては、ヒルベルトと集合のパラドックスの関係があります。この本ではヒルベルトが集合論のパラドックスを知ったのは、ラッセルのパラドックスの発見(1901)の後で、それをツェルメロから聞いたということになっています。パリ講演で発表された23の数学の問題(講演時は、10だけ)の第2問題は、実数論の無矛盾性証明だったので、ヒルベルトは集合論が矛盾していて驚いただろうと書いてあるのですが、実際には、1897年秋のカントールからの書簡で、カントールからカントール・パラドックスについて知らされたのは有名な話です。この手紙は、現在、ゲッチンゲン大学の Hilbert archive に保存されていますが、確か、すでに英訳されて出版もされていたと思います(ただし、多分、吉永さんの本の後の出版です。)
このパラドックスを受けて、ヒルベルトは数学の基礎について、真剣に考え始めたようです。吉永さんの説明では、「集合論のパラドックスも知らないのに、幾何学の問題から発想して、第2問題の無矛盾性の問題にいたった、そして、そのすぐ後に集合論のパラドックスで驚いた」となるのですが、実際は、「集合論のパラドックスを知って無限的数学への信頼が揺らぎ、集合論どころかクロネッカーの実数論批判に答える必要ができた。そして、カントールとの議論と、当時進めていた幾何学の公理的研究が合体して、無矛盾性証明による数学の基礎付けの思想が生まれた。それがパリの第2問題だった」が正しい経緯だろうと私は思っています。確言できないのはヒルベルトの幾何学基礎論の講義とか手紙でなどの状況証拠しなくて、ヒルベルトがはっきりそう書いているのではないからです。これについては、さらに研究が必要ですが、ヒルベルトの心の動きを別にすれば、歴史的イベントの順番は、吉永さんのではなく、この順番、つまり次のよう順番なのです。「カントールからの手紙(1897)、カントールと無矛盾性についての書簡による議論(1898), 幾何学基礎論の講義の講義録の最後に無矛盾性と存在の議論が出現(1899か?)、幾何学基礎論出版+「数の概念について」で無矛盾性が存在の条件だと宣言(1899-1900)、パリ講演第2問題(1900夏)、ラッセルパラドックスについてフレーゲからの手紙を受け取る(1903)」
ツェルメロは、未発表ながら、ラッセルより前にラッセル・パラドックスを発見しており、フッサールのセミナーか何かで報告していたようです。また、フレーゲがヒルベルトにラッセル・パラドックスを手紙で報告したとき(1903)には、ヒルベルトは「それはもう何年も前から、ゲッチンゲンでは知られていた」という素っ気無い返事をフレーゲに書いています(この往復書簡は、フレーゲ書簡集の中で1980年に出版されています)。それから、これはこのサイトにも掲載している「数学基礎論三つの神話」という論説で説明したとおり、ヒルベルトの第2問題は、実数論の無矛盾性を証明せよという問題なのですが、吉永さんは自然数論の無矛盾性として説明しているので、クロネッカーへの解答を意図するヒルベルトの問題の意味がわからなくなってしまっています。
これだけ書けば、お分かりと思いますが、この無矛盾性問題の起源という、ゲーデルの不完全性定理の一番重要な歴史的経緯の、吉永さんの説明は、現実とは相当かけ離れているのです。
この本には、これら二つの他にも同じような、「歴史の歪曲」があります。吉永さんが意識的に捻じ曲げているとまではいいません。Dawson の Logical Dilemmas 以前の本であることもあって、歴史的資料が足りなかったのでしょう。実際、数学基礎論の歴史資料にもとづいた本格的歴史研究は、吉永さんの本がでたころから始まっているのです。力のあるサイエンス・ライターであるために不足した不明の部分を巧妙に自分の意見やストーリーで埋めてしまわれたために、こうあって欲しいという吉永さんの潜在的な期待によって事実が歪曲されてしまい、結果として、初めて、こういう話を読む人にためには百害あって一利なしの本になってしまったのでしょう。(良いところも多々あるのですが、どこが良くて、どこが悪いかは、歴史の専門家でないとわかりませんので。)
それから、この本のもう一つの欠点、もしかしたら、初めて不完全性定理について読む、あるいは、この本だけしか読まないという人には、そちらの方が問題かもしれない欠点があります。数学的内容の説明が、おかしいところが少なくないのです。たとえば、「無矛盾性と完全性の定式化」では、述語論理の完全性がゲーデルの不完全性定理など言う「形式的完全性」として説明してあります。この二つの「完全性」の定義の違いを述べよというのは、良く大学院(修士)の入試で出される程度の初級問題ですから、これでは論理学が全くわかってないといわれても仕方がないのです。数学的な部分は、全部、他の本からとってこられているので、おそらく、吉永さんは論理学の基本的な部分はわかってないままで、この本を書かれたのではないかと思います。(「万人の健全性定理」という奇妙な言葉もでてきます。これは何を勘違いされたのでしょう???これは興味津々(^^))
私は、自分の本が結構ケアレスミスが多いこともあって、数学の本は少しくらい間違っていても、間違いがわかるから良いのだという立場です。(^^;)で、知人がWeb上などで、吉永さんの本の数学的間違いをボロクソに批判しているの見て、「歴史があれくらい書いてある本はないのだから、それくらい目を瞑ってあげてもいいじゃない」と思っていましたが、歴史もボロボロであることがわかった今では、こちらの数学的内容の間違いも目について仕方がありません。教科書ではないものの、せめて完全性についての間違いの修正は、やっていて欲しいところです。私のパートナーの八杉が、講談社から20世紀クロニクルとかなんとかいう本で、 ゲーデルとブルバキについて書いて欲しいといわれたときに、ゲーデルにはこういう本がお宅から出ているけれど、こういうわけで 言及できないと指摘をしたそうです。 でも、今だに直っていないようです。講談社は岩波書店などに比べて、商売が先にたって正確性への熱意がないのでしょうか…それとももう10年も前の本なので、売れなくなって新しい版がでず、修正できないだけかもしれませんが。
ということで、初めてゲーデルや不完全性定理について読まれる方は、この本を避けることを薦めます。また、吉永さんと、講談社には、早めに新版をだされることを薦めたいとおもいます。今ならば、Dawson、Grattan-Guinness、Mancosu、Ewald などの通史や、一次資料の英語訳が沢山でており、どこが間違えているかを調べるのは容易ですので、吉永さんほどの書き手ならば、すぐに修正されて、きっと良い本になることでしょう。そういう本に生まれ変わることを期待しています。これらの通史や source book が、すべて吉永さんの本の出版の後の90年代にでてきたのが吉永さんの不運だったようです。
(掲載日: 2003年01月28日-02月09日の間)
とにかく、すごい本です。英語なので専門的興味のある人しか読まないかもしれませんが、今、和訳が進んでいるようですので、出たら買いましょう。内容もかなり専門的です。ただし、数学の本ではなく、あくまでゲーデルの伝記です。不完全性定理を理解するための本ではありません。歴史を理解するための本です。
内容は、ゲーデルの幼少時から、晩年までの伝記で、細かいことは、ここでは書けませんので、どういう風に素晴らしい本かということだけ書きます。
この本を読むと、日本国内でポピュラーなゲーデル本で、歴史に力を入れて書いてあるものの多くが、間違いだらけであることがわかってしまいます。私が、このWebサイトを始めた理由の一つは、あまりに国内のゲーデルについての情報が酷いからでしたが、それを知るきっかけの一つが、この本でした。私が書いた「ゲーデルの謎を解く」は、歴史を避けて書いたので、間違いが少なかったのですが、それでもタルスキとゲーデルの仕事の関係で間違いをやらかしました。これも国内の「常識」を信じてしまった失敗でしたが、その間違いに気づいたのもこの本を読んだからです。
繰り返し書きます。国内のゲーデル本で、歴史的経緯やエピソードが沢山書いてある本で、Dawson のこの本(1997年刊)以前の出版のものは、すべて間違いが相当あると思った方が無難です。そういう本を読んでゲーデルの個人史や数学基礎論の歴史を理解したと思っている方たちは、この本を読んで、まちがった知識を修正しましょう。早く和訳がでて、間違いを一掃してくれることを心待ちにしています。ただ、私の知人も多い、ゲーデル本の著者たちには、お気の毒ですが… 資料で裏をとらないで歴史を書くのは本当に怖いことです。
おそらく、ゲーデルの個人史についての専門書としては、これ以上の本は、今後、書けないでしょう。もし、ゲーデルがどこかに、秘密の日記を隠していたのが見つかったとか、そういうありえないことでもおきない限り、もう、ゲーデルについて何か新しいことを書くのは至難の業です。それくらい徹底して、資料と史実に基づいて書いてあります。何かの事件がありますと、ほぼ、100%、それの裏づけとなる資料・文献が引用してあります。この徹底ぶりが、とにかくすごい!これは、ものすごく手間のかかることですが、必ずやるべきことです。そうしませんと、歴史が無責任な世間話になってしまいます。そうなってしまったのが、国内のゲーデルについての解説や議論なのです。この本を読まないで、ゲーデルについてもっともらしいことをいますと、後で恥をかく可能性が非常に高いと思った方がよいでしょう。
(掲載日: 2003年01月28日-02月09日の間)
数理科学1999年12月号にかいた書評です。
シュプリンガーの雑誌、Mathematical Intelligencerの記事の内、数学基礎論(数理論理学)関係のものを集めたオムニバスである。全4部中の半分、第Ⅰ,Ⅱ部が誌上論争だ。タイトルからは、ヒルベルトとブラウワーの数学基礎論論争を思い出すが、そこまで過激ではなく紳士的なのが現代的である。
第Ⅰ部は圏論で有名なマックレーンと論理学者の論争である(ブラウダーは高名なトポロジスト)。マックレーンが、自分の好みで堂々と高説・正論をたれる正しい小言爺さんをやっているのが頼もしい。収録されている論争は83年から88年までで、もう10~15年も前のものであるが、Web で調べてみると、2年ほど前までは、同様の小言をたれてまわっていたらしい。存命ならば90歳の筈だ。今も、小言爺さんに徹してくれているだろうか。
マックレーンの小言の趣旨は、数学各分野の専門化の行き過ぎへの警鐘と、証明を書かない数学(者)への危惧である。前者の好例として数理論理学をやり玉にあげたら、専門家との論争になってしまった、というのがこの第Ⅰ部である。ゲッチンゲンのベルナイスのもとで論理学の学位をえたマックレーンだからこそ言えた小言なので的を射ている。
しかし、21世紀の数学と数学の基礎の将来という点では、マックレーンとアティヤーの会話として、すこしだけ見え隠れする``理論数学''の方が重要だろう。こちらも議論をして欲しかったところだが、この方はマックレーンの独り言で終わっているのが残念だ。
第Ⅱ部は、構成的解析学についての議論だが、双方非常に紳士的で論争という感じではない。感心したのは、構成的解析学の素人のスチワートが見せる鋭い理解力だ。誤解を結局認めるが、スチワートは``鋭い誤解''をしていたと言いたい。
第Ⅳ部のマサイアスの「ブルバキの無知」は、ブルバキへの一方的非難であるが、これが一番面白い。こちらはスチワートと違って「ブルバキへの無知」と改題したくなるほどの本質的誤解であるが、その誤解の仕方が、実に面白いのである。
ブルバキが``数学のアーキテクチャ''(訳では``構造'')の技術としての公理論について語るところを、マサイアスは、それを数学基礎論の公理論だと解釈し、ブルバキは数学基礎論の結果に無知だと叫ぶのである。ブルバキは構造主義の目で、マサイアスはヒルベルトの目で公理論を見ているといえる。しかも、マサイアスは、その違いを自ら書きながら、それはブルバキの視点が古いからだ、ゲーデル以前だ、ゲーデルの名前をだせという。しかし、ヒルベルトの基礎論的公理論を構造主義数学の道具に転換したのがブルバキの新しさで、それは基礎論ではないから、当然、ゲーデルの意味は薄れるのである。ブルバキは数学のみを見ているが、マサイアスは数学基礎論のみを見つめている。これは、マックレーンの基礎論の過度の専門化への危惧の非常に良い例(悪い例?)なのだろう。
上に、「ブルバキの新しさ」と書いたが、もちろん、ヒルベルトに比べてのことである。結成から60年ほどたって、今ではブルバキもすでに博物館行きになりつつあるらしい。今の数学の学生のどれくらいがブルバキを知っているだろうか・・・・
翻訳を担当された白旗さんから伺ったが、ブルバキの訳者の杉浦光夫先生から、この論説について、出版元に抗議があったそうだ。論争と銘打った本だから、抗議が来て編者の田中さんはうれしかったに違いないが、私の気のせいか、訳者の白旗さんはビビッていた。しかし、白旗さんの意見ではないし、白旗さんの訳は、大変良いので胸を張ってもらいたい。他の訳も読みやすい。ただ、ほんの少しだが、訳語の選択や説明に手抜きがあると思う。
おっと、小言おじさんの本性が出てきてしまったので、うるさいと言われる前に、ここらで終わりにしよう。
(掲載日: 2001年10月24日)
コンスエグラは、スペインの著名な科学哲学者だそうです。第1章がコンスエグラによる解説(?)で、第2章がゲーデルの論文(未完)ですが、第2章の内容は、全集の3に全部含まれています。(ただし、Is mathematics syntax of language? の version が一つ違うようです。)
コンスグエラが、どういう人か、不勉強な私にはわかりませんが、その原著がどんなに立派であれ、この本は買ってはいけません。私は出た早々神戸大の生協でかって、パラパラと読んで思わず、本を返しにいこうかと思いました。
自動車にはリコールがあるのに、何故、本にはリコールがないのでしょうか。解釈などという微妙な問題ではないのです。単純な誤訳にあふれているのです。また、誤訳でなくても、語順まで、英語のままの直訳で、意味がさっぱりわからなくなっているのです。しかも、訳の言葉がいかめしいので、ゲーデルが非常に高尚なことを難しい言葉で書いているように思えてしまうのです。
ゲーデルの哲学論文は、英語も内容も、ものすごく簡明で読みやすいのです。が、この本の翻訳では、まるでゲーデルがポストモダニズムの論文を書いているのではないのか、と思えてしまいます。もしかして、訳者は、翻訳ソフトでも使われて、それをほどんど直さなかったのではないかとも疑ったほどです。
と、文句ばかりつけていても、unfair ですから、実例を少々:
関わってくる問題はまさに集合論を公理化することである。さて、もし私達がこの問題に着手するならば、結果は私達が期待したであろうものからかなり違ったものとなる。最後に有限個の公理になる代りに、幾何学におけるように、私達は無限系列の公理に直面する。それは、ますます広がり得るもので目に見える如何なる終りもなく、また明らかに、それらの諸公理を含む有限の規則において、これら全ての諸公理を含ませる何らの可能性もない。(ゲーデル未完哲学論稿, p.157)
さて、おわかりでしょうか?
では、ゲーデルの原文を書きます:
So the problem at stake is that of axiomatizing set theory. Now, if one attacks this problem, the result is quite different from what one would have expected. Instead of ending up with a finite number of axioms, as in geometry, one is faced with an infinite series of axioms, which can be extended further and further, without any end being visible and, apparently, without any possibility of comprising all these axioms in finite rule producing them. (Godel, Collected Works III, p.306)
意味は、おわかりですよね。ちょっとドイツ語を彷彿とさせるところもあり、決して上手な英語ではないようですが、格好をつけない素直な文章だと思います。これをご覧になれば、何故、私が「金返せ!」と叫びたくなったかお分かりですよね。特に、geometry 云々のところは、語順の間違いで誤訳になっています。英語が苦手な方もあるかもしれませんので、私が訳してみると(直訳風にします)、次のようになります:
したがって、問題は集合論の公理化ということになる。もし、誰かが、この問題に挑戦するならば、その結果は挑戦者が期待したものとは随分違ったものになる。挑戦者は、幾何学の場合のように有限個の公理に行きつくことはない。その代りに遭遇することになるものは、その終りが全く見えず、また、有限の規則でそれら全部を生成することも明かに不可能であるような、際限無く拡張可能な公理の無限系列なのである。
私の訳が特別良いとは言いませんが、すくなくとも、意味は通じるでしょう。ご覧のように、ここは、集合論の公理系の無尽蔵性(inexhaustability)を主張する、もっとも大切なところです。それがユークリッド、そして、おそらくヒルベルトの公理系との対比で鮮やかに主張されています。しかし、好田さんの訳では、幾何学でも無限の公理があることになってしまい、集合論の公理化が、それ以前の数学の公理化、とくに、ヒルベルトの公理系の思想と如何に異なっているかというゲーデルの強調は消えてしまっています。こういう誤訳が随所にあるのです。
好田さんの別の訳書「美しい数学」(青土社)は、これほど酷くはありません。今からでも、何とかならないものなのでしょうか。
(掲載日: 2000年08月27日)
私の本です。しばらく品切れになっておりましたが、10月に増刷していただけることになりました。本当は、無料公開をしたかったのですが、それはできませんでした。残念。
岩波には赤字覚悟で増刷していただいたようです。どうか、みなさん買ってください。(_0_)
特徴はなんといっても分量が少ないところでしょう。これが長所でもあり、欠点でもあります。パートナーの八杉から聞いた話ですが、一松信先生から良く書いているが内容が少ないのに不満が残るというご批判を頂いたそうです。私の兄も、「1000円なのに薄い、自分なら買わない」と言っておりました。なんと薄情な兄でしょう。(T_T) ちなみに、この兄の名前は、林一といいます。GEBなどの翻訳で有名な林一先生とは、まったく別の人物です。
実は書いた本人も、あまりに字数が少ないと思っています。でも、これは岩波の編集の方の指示に合わせて、削りに削った結果なのです。削りすぎて、バッサリ削れるところが無くなり、文章を少しずつ短くするという最後の手段で削ってあるので、自分のいつも文章(おわかりと思いますが、このように、かなりだらだら書きます)とリズムが違うので、自分で読むと前のめりにタッタッタとつんのめるような気がします。しかし、そういうご批判は頂いたことがないので、文体は、その方が良いのかもしれませんね。本人が良いと思うものは往々にして独り善がりが多く、自分の好みにすぎませんから、そういう風に外圧があるほうが結局良いものができるような気もします。
しかし、それにしても字数が少ない。その中に大変な量の内容が入っています。自分でも感心してしまいます。(^^;)
とは、言うものの、やはりバッサリ削った部分に自分で不満の残っているものがあります。それが歴史なのです。実は、ゲーデルが面白いのは歴史なのです。それで、欲求不満がたまって、今、岩波文庫の解説を書いたり、このホームページを作ったりしているわけです。そういう意味では私のゲーデル研究の原点のようなものです。
で、この本の短さ以外の売りは、マンガでゲーデルの定理が証明してあること、フラクタルとゲーデルの定理が関係づけてあって、複雑系関係の人が喜ぶことでしょう。
形式的体系、完全性、無矛盾性など、全部マンガで説明してあります。 たとえば、右の図は、対角線論法をマンガで説明しているところです。計算機科科学をご存知の方でしたら、Curry の pradoxical combinator を Lisp の apply 関数のような機械を使ってマンガにしたものだと、すぐにおわかりになるでしょう。
この本のゲーデルの定理の解釈は、Soto-Andreade で Varela の全然有名でない論文を読んで学んだことに基づいています。今では、その考え方が複雑系や脳関係のような、ちょっと怪しげな(失礼!)分野の文献をみますと大抵でていますね。
まあ、それはとにかく、計算機科学の立場からすれば、それは極く自然で、この本では技術的には一貫して計算機科学的視点からゲーデルの定理を見ています。その方が自然なのです。例えば,ゲーデル数を素因数分解で定義しますと、実際にやるとトンでもないことになりますが、普通の文字列のコード化と同じにすればスイスイです。また、対角線論法も、コンピュータでは、例えば、lisp を使えば、本当に実行して遊ぶことができます。(Lisp は、Linux の Slackware なら入っています。Emacs の emacs-lisp でもやれます。)計算機科学からみれば、”ゲーデル現象”はメカニズムとしては、あたりまえなのです。 フラクタルも再帰呼び出しですから、いとも簡単に関係がつきます。 そういう視点で書いてある、日本で書かれた唯一のゲーデル本だと思っておりますので、是非、お読みください。またまた、宣伝でした。
今、岩波にお願いして、この本のイラストを使わせてもらって、それをホームページ上の動画にしようと思っています。私がやると、いつのことになるかわかりませんので、ボランティアでも募ってやろうかとも思っております。誰かやってみたい方はいませんか?許可がでたら、イラストを巨大化して見えるようにして、何を考えているか説明します。もともとは、このイラストは動画をイメージして作った下絵をもとに描いてもらいましたので、動画とは相性は良いはずなのです。
で、最後に欠点を書いておきますと、この本で不完全性定理の厳密な証明を理解するのは、まったく無理です。そのように書いてありません。しかし、厳密な証明を理解している人が、自分は何を知っているのだろうと、整理のために読むには大変良い本です。(我田引水。(^^;))証明の詳細を知るには、前原先生の本など、別の本を読むしかありません。
(掲載日: 不明。多分サイト開設1999年5月だろう)
1968年に「数学から超数学へ」という題名で出版され、1999年の3月に、装丁と題名を変えて出版されたばかりの本です。
著者のナーゲルは著名な科学哲学者だそうで、アメリカで第1次ゲーデルブームを巻き起こしたといわれている本です。一般向けのゲーデルの解説書としては、恐らく最初のものでしょう。若きホフスタッターも、この本で不完全性定理を好きになったようです。他にも、この本がきっかけでゲーデルの定理に興味をもった、この本で始めて勉強したという人は少なくないようです。
かくいう私も、数学基礎論や数理論理学に首を突っ込むきっかけのひとつは、この本でした。それを拙著「ゲーデルの謎を解く」(岩波書店)の後書きに、ちょっと格好をつけてシミジミと書いたのですが、それを訳者の林一さんに、あとがきで取り上げていただきました。福山市にあった高校の帰りに、偶然、本屋の店先で平積みになっていたこの本(の前身)を手に取ったのがきっかけで、今は、このホームページを書いていることを思えば感慨無量というところです。(心に沁みる、いい話ですね~~~(^^;))
それだから誉めるわけではありませんが良い本です。印象は「手堅い」の一言でしょうか。ユークリッド幾何学を例に公理論から始めて、形式的理論の説明どころか、無矛盾性証明の簡単な例まで入っています。非ユークリッド幾何学に言及し、その無矛盾性の問題から、ヒルベルトの証明論に話を進めるのは不完全性定理の解説としては、大変オーソドックスな手法ですが、おそらく、この本が元祖でしょう。。
欠点は、あまりに多くの話題を、小さな本に詰め込んだために、どれも消化不良気味なことです。ですから、この本だけで、不完全性定理がわかったつもりになってはいけませんし、実際にそういう気持ちにはなれないでしょう。私の場合で言えば、これを読んでわけがわからなくなって、何とかわかってやろうと勉強を始めたのが基礎論にのめりこむきっかけでした。そういう風に、最初の読む本としては、お勧めできる本です。ユークリッド幾何学が理解できていて非ユークリッド幾何学についても聞いたことがあるという中年以上の世代には自然に入れる本として特にお薦めです。若い世代は、ユークリッド幾何学より、ドラえもんとか、カオスだとかフラクタルだとか、ホーキングだとかに馴れ親しんでいると思いますので、私の「ゲーデルの謎を解く」の方が読みやすいかもしれませんが(^^;)。
(掲載日: 不明。多分サイト開設1999年5月だろう)
ゲーデルが亡くなった翌年の1979年に出版され、1980年度のピューリッツァー賞も受賞した大ベストセラー、ロングセラーです。ゲーデルが今のようにポピュラーになったのは、この本がきっかけです。
ベストセラーは往々にして内容のないつまらない本であるものですが、この本は違います。いわゆる専門書ではないのですが、私はこの本はその後の科学の方向を決めてしまったのではないかと思っています。
実は、私はこの本は拾い読みにしかしてないので、大きなことは言えないのですが、それでもこの本を評価する理由は、この本から大変なショックを受けた経験があるからです。この本の存在は数理論理学を専攻していた学生のころから知っていましたが、ゲーデルとエッシャー・バッハをいっしょにするなど、数学のわからない素人のつまらない本なのだろうと高をくくって無視しておりました。ところが、1992年ころに、自分で「ゲーデルの謎を解く」という本を書くことになって、評判の高い他人の本も少しは見ておかねばと、この本を買って開いてみたのです。
ガーン!!という大変なショック。私は「ゲーデルの謎を解く」が、いままでにない新しい視点からゲーデルの定理を見るポピュラーサイエンスの最初の本になるだろうと、密かに自負していたのです。その新しい視点というのは、ゲーデルの定理を単に数理論理学の定理とみず、自己参照現象のひとつ、かつ、元祖と位置付けるということです。そのために、カオス、フラクタルなどに話を広げて不完全性定理を紹介したのです。こういう見方をできたのは、私が偉かったのではなく、その少し前に、カオス・フラクタルの研究で有名な故山口昌哉先生と知り合い、理論的計算機科学のスコット理論とフラクタルを結びつけるというアルゼンチンの数学者 Soto-Andradeとオートポイエーシスで有名なバレラの数学的に怪しい論文を読んで、それをまともな数学にするという仕事をしたことがあったからです。
Soto-Andrade たちの論文は、数学的には、良くこんなのを専門誌がアクセプトしたものだ、と不思議に思えるほどいいかげんでしたが、その思想は最高に刺激的でした。なんとスコット理論やゲーデルの定理をこんな風にも読めるか、とカルチャーショックを受けて、それから暫く、カオス、フラクタル狂いをしていたものです。
しかし、こういうのは専門家が知っているだけで、”一般大衆”はご存知あるまい、では、私が教えてあげよう、という偉そうな態度で、本を書いていたのですが、ホフスタッターの本を開いて青ざめました。ゲーデルの定理の自己反映との類比として使う予定にしていたビデオカオスの写真が載っているのです。驚いて、あちこち拾い読みしてみると、カオス、フラクタルという視点こそないものの、自己反映、再帰が実は自然界にも偏在しており、ゲーデルの定理はその一路頭である、という私と同じ視点がちゃんと読み取れるのです。これでは、私の本は新しい見地の提示どころが、ただの二番煎じです。
それで良く考えてみると、私が影響を受けた専門の論文や著書も、ホフスタッターから影響を受けた形跡が大なのです。Soto-Andradeの論文は1984年で、ホフスタッターは1979年で、大変なベストセラーなのですから、影響を受けなかったとは言いづらいではありませんか。なんと、一見ポピュラーサイエンスの本にみえるホフスタッターの本こそが、こういう新しい観点を生み出したらしいのです。たとえ、そうでなくでも、こういう考え方をメディアという風に乗せて広めたのは間違いなくホフスタッターです。
私はホフスタッターによって、玄人は偉い、だから玄人が素人を教育せねばならぬ、というその当時持っていた不遜な考えを完全に打ち砕かれてしまいました。私にとっては、この本は「王様は裸だ!」と叫んだ子供なのです。ハッと気づいた王様は大急ぎで逃げ出したのでした。
そんなわけで、この本には、まったく頭があがりません。専門家の目からみると、細かいところで、釈然としないこともあるにはありますが、そんなことはよいのです。この本は20世紀を代表する著作のひとつです。
そういうすばらしい本が、すばらしい翻訳で読めるのです。訳者のひとり柳瀬尚紀さんは、ジェームズ・ジョイスのわけのわからないフェネガンズ・ウエイクを訳すという大偉業を達成したスーパー翻訳家ですし、野崎昭弘さんとはやしはじめさん(「ゲーデルは何を証明したか」の訳者と同一人物)は、正確で面白いポピュラーサイエンスの著者、翻訳家として、これまた定評のある方たちです。ですから訳にもいっぱい仕掛けが仕込まれています。原著を読んだことがある人にも読む価値がある翻訳というのは、この本のほかにはなかなかないでしょう。
とにかく、原著、翻訳とも、超一級です。欠点は只ひとつ、長すぎる、厚すぎる!中年になって忙しくなった身としては、読んでいる暇がありません。他の本を読むときの枕には丁度良い厚さなのですが………
(掲載日: 不明。多分サイト開設1999年5月だろう)
この本も私には因縁あさからぬ本です。1970年代の終わり頃、まだ、筑波への移転が完了せず、茗荷谷に東京教育大学の校舎が残っていたころですが、立教大学理学部数学科の院生の大学院生だった私は非常勤で講義にみえていた筑波大学の本橋信義先生に勧められて、教育大の前原昭二ゼミに参加するようになりました。
前原ゼミは前原門下の先生方による研究ゼミでした。確か、一番最初の連れていっていただいたときだったのではないかと思いますが、前原先生が、「実は、今、本を書いているんだがね・・・」という風に話始められたのが、この本の話だったと記憶しています。
その時の話のポイントは、第1不完全性定理が成り立つための自然な条件は簡単に与えられるが、第2不完全性を証明するには、それでは十分ではない、それで条件を考えたとか、考えなかったとか、そういう話でした。
実は、第2不完全性定理というのは、非形式的事実をいかに形式化するかという非常に重要な問題を含んでいます。つまり、第2不完全性定理は、"Tは無矛盾"という命題が、T で証明できないという定理ですから、"Tは無矛盾"という命題を T の中で、"どう形式化するか"という問題が関わってくるのです。一方、第1不完全性は、A も not A も証明できないような A が、ともかく、一つでもあればよいのですから、not が "でない"の形式化である、という事実意外には、事実をどのように形式化するかということに関係しないのです。
それで、この形式化の方法を変にやったりしますと、PA で PA の無矛盾性が簡単に証明できます。例えば、PA1 の証明とは、その証明が PA と同じ意味での証明であり、しかも、その結論が A and not A という形でないものであるとします。集合論でも仮定すれば、PA は無矛盾ですから、PA と PA1 は、同じ証明能力を持つことがわかります。そして、定義から当然のこととして、PA1 で PA1の無矛盾性が証明できます。しかし、PAはPA1と同じ証明能力を持ちますので、最初からPA1を算術の定式化としてもよいはずです。すくなくとも、実験的には、PAで証明できる定理は、必ず、PA1でも証明できるはずなのですから。これは一番簡単なやり方で、他にも、もう少し、マトモに見える形式化の方法が Feferman, Kreisel, Takeuti などにより研究されています。また、証明論的順序数などでも、これと良く似た現象がおきることが知られています。例えば、それに対する帰納法で、ZF の無矛盾性を証明できる、ωと順序同型な原始再帰的順序数は、いとも簡単に作れます。こういう現象は、ゲーデル直後から知られており、証明論の基礎を危うくしているのです。
それで、これを避ける方法は、Godel なども考えておりますが、結局は、第2不完全性定理というのは、"Tが無矛盾"という命題を自然に形式化したときに成り立つ、と考えるのが一番です。そして、この自然に、という条件は、結局は形式化できないと考えるべきなのです。なぜなら、形式化されるものは、非形式的なので、それが形式化されるまで、形式的に語ることができないからです。つまり、この”いかに形式化するか”という問題は、丁度、物理や経済学などで、自然現象や経済現象を、なるべく忠実に数学的に定式化するために、”いかに微分方程式を立てるか”というのと同じことなのです。
もちろん、最初から、こう簡単に言ってしまうのは、”逃げ”なのですが、この場合は、どう考えて、こうやるしかうまくいかず、しかも、明らかに自然な形式化はあるのです。そのころ私がやっていた研究では、第2不完全性の証明どころではない、膨大な形式化を行う必要があり、しかし、実際には量の問題でやれないので(やる気にならない)、頭の中だけで、できるかどうかを直観的かつ大雑把に算出するということをやっていました。そういう仕事を通して形式化というのは、一種の実験科学なのだという感覚を持っていましたので、私は、そこをそれ以上形式的に探求しても無駄だと信じておりました。また、この問題を私は Kreisel を読んだ知っておりましたので、何を前原先生が困っておられるか理解できず、また、有名な前原先生が、そういうをご存知ないのが不思議で仕様がなかったものです。
まあ、そういうことで、そんなことは考えなくてはよいのだ。自然数論だけ含めば、自然な形式化を選ぶことにより、第2不完全性定理は成り立つ、などとコメントしたのではないかと思います。そして、Kreisel の例など、いろいろ、説明したのだと思いますが、前原先生は不意をつかれ感じで、大変驚かれたようです。前原先生が、こういうことをご存知なかった理由のひとつは、実際に数学を形式化するという作業を、実際には、やったことが無かったからだろうと思います。確か原始再帰的関数の定義方程式は PA の中で証明できるというような話をしても驚かれたので、私の方が驚いたしまったという記憶がおぼろげながらあります。
それで、この本の前書きには、私の名前が引用してあるのです。結局、この本では、前原先生は、この問題を深く追求することはあきらめられたのですが、それ以後、亡くなるまで、真剣に、この問題を追及されたようで、科学基礎論学会の論文誌などに論文も発表されております。前原先生は、私と違い、これをあくまで数学の問題として解決できないものかとこだわっておられたようです。私には、無駄な努力にみえましたが・・・・しかし、こういう問題から、”純粋”数理論理学者は逃げ出し勝ちなのですが、逃げださず真剣に考えつづけられたのは、やはり、前原先生だなー、という気がいたします。本当に誠実な方でしたから。
私はと言えば、ドンドン、論理学は自然科学なりという方向に走り、とうとう、形式化を工学ととらえる証明アニメーションや証明工学にたどり着いてしまいましたが、考えてみれば、このころの問題に帰ってしまっているのです。三つ子の魂百までも、という奴ですね。
いっこうに書評になっておりませんので、ここから書評を書きます。(^^;)
前原先生らしく、非常にオーソドックスかつ丁寧に書かれた本です。また、書き方を決めた経緯なども書いてあるので親切です。残念なのは、今となっては、ちょっと文体が大時代で硬いことでしょうか。といっても、実は、現在流布している専門書に近い数学の教科書のなかでは、非常に素直に読める文章だと思います。しかし、古典落語の名手というより、ご自身が上品な江戸の古典落語そのものであった前原先生を存知あげているものにとっては、今、読み返してみますと、前原先生にしては硬すぎるという印象を持ってしまうのです(ああいう、小気味のいい、しかも、上品な東京言葉、聞く機会が本当になくなりましたね・・・)。でも、そういうことを知らない人にとっては、ちょっとレトロな格調高く、しかも読みやすい文体と見えるかもしれませんね。(そう言えば、前原先生がいかに柔軟な方であったかという逸話ですが、泊り込みの集会などで、ほろ酔いになったりされると、長い足をヒョイと持ち上げて首の後ろにひっかけて見せておられたものです。(^^))
内容はゲーデルの論文を忠実に再現してようというもので、形式系も単純型理論です。違うところは、概念定義をイオタ記号を使って行っているところ位でしょうか。ゲーデルの論文では、定義とは、省略記号なのだということで通してあります。しかし、さすがゲーデルというか、そういう定義を完全に展開してしまうと扱っている論理式が非常に大きくなるだろうとか、Principia Mathematica のよう、定義のメカニズムが入っていれば、短くなるが、などの証明工学的な話もちゃんと議論しています。前原先生がイオタ記号を使われたのは、ここら変を曖昧にしておくのが嫌だったからでしょう。また、イプシロン記号の研究で有名だった前原先生ですから、イオタ記号を使うのは極く自然なことだったはずです。
このイオタ記号の4章と、論理学へのイントロの1から3章を除けば、ほとんどゲーデルの論文の主要部分と同じです。ゲーデルの論文にあって、前原先生の本にないのは、第1階述語論理の充足問題の形をした決定不可能性命題くらいです。また、第2不完全性定理の議論は、前原先生の本の方が、はるかに丁寧ですから、不完全性定理をじっくり勉強したい、特にゲーデルのオリジナル論文の技術的内容を理解したいという人には、今でも最高の本としてお薦めします。