ところが、救急車が到着するまでの平均時間は8分30秒。その空白の時間に、倒れた人を救うために私たちにできることがあります。
「2020年までに心臓突然死を0に」。掲げられたこの目標をかなえたいと私も強く強く思うのは、11歳で亡くなったある女の子の取材を経験したからです。(名古屋放送局記者 松岡康子)
心臓突然死 7万人超
目標は日本AED財団と日本循環器学会がことし4月に発表しました。正確に書くと「2020年までにスポーツ現場における心臓突然死を0に」です。
心筋梗塞や狭心症などで発作を起こし突然死する人は、年に7万人以上います。特に心臓に負担がかかるスポーツの現場では、心臓突然死のリスクが安静時の17倍になるというデータがあり、東京オリンピックに向けてこの目標が掲げられたのです。
AEDは しゃべる
よく知られていることですが、心臓が止まった人の救命には、電気ショックを与えて心臓の動きを元に戻す医療機器・AEDが有効です。
救急車が着くまでの間、いかに早くAEDを倒れた人の元に届けて、使うかにかかっています。
何しろAEDは、電源を入れさえすれば、しゃべるのです。
「パッドを右胸と左脇腹に貼ってください」
「心電図を調べています」
「電気ショックが必要です。体から離れてください」
「点滅するボタンを押してください」
その声に従っていくだけで、必要な人にだけ電気ショックを与えることができ、命を救えるかもしれないのです。
4.7% 残念なデータ
しかし残念なデータがあります。
『日本のAEDの設置数』…「50万台」以上。
これは世界一の普及率と言われています。世界で一番、心臓突然死を救えるはずの国は日本です。
ところが
『誰かの目の前で心臓発作で倒れた人に、救急隊の到着前にAEDで電気ショックが与えられた割合』…4.7%。
(H28年総務省消防庁調べ)
これが世界一、AEDが普及している国の現実なのです。
使われなかったAED
私がその女の子のことを取材したのは、6年前です。女の子に起こったできごとが、AEDを使って心臓突然死を減らすための多くの課題を示していました。 名前は桐田明日香さん、さいたま市の小学校の6年生でした。
平成23年9月、明日香さんは学校で行われた駅伝メンバーの選考会に参加します。距離は1000メートル。明日香さんは走り終えた直後に運動場で倒れました。
「体のけいれん」「苦しそうな呼吸」「呼びかけに反応しない」
心停止をうかがわせるいくつものサインを明日香さんは示します。
しかし周りにいた誰もが救命処置を行わず、救急車の到着を待ちました。到着は、倒れてから11分後。明日香さんは心臓が動きだすことなく、翌日病院で亡くなります。この時、AEDは学校の保健室にありました。その保健室は明日香さんが倒れたあと運ばれた場所でした。
娘の命は救えたのではないか
明日香さんは、天真らんまんで朗らかなスポーツ好きな女の子でした。倒れた日の朝、母親の寿子さんにこう言って学校に向かったそうです。
「うち、駅伝の練習頑張るね。ママ大好き」
母親の寿子さんは、ひと言ひと言、ことばを選ぶように話してくれました。
「すぐに保健室のAEDを使ってくれていれば、娘は救えたのではないか」
AED 置いてあるだけでは飾り
そうです。AEDは置いてあるだけでは、ただの飾りで、意味がないのです。
“AEDのある場所”そして“電源を入れ、指示に従えばいいこと”。この2つを知って使える人が増えれば、救命率は上がると私は思っています。
そして、人が倒れたとき、そこにいるのは大人とは限りません。子どもだけの時もあり得ます。でも子どもも大きな力になれるのです。そんな事例がつい最近もありました。
「わかった!」駆けだした小学生
ことし6月、東京都江戸川区。小学4年生の石井斗和くんは、母親の和子さんと友達と飲食店で食事をしていました。少し離れたカウンター席が騒がしくなりました。駆け寄ると男性が倒れています。
和子さんはことし3月に救命講習を受けたばかり。その時体験したAEDのことを、斗和くんにも話していました。倒れた男性の頬をたたく和子さん。反応がありません、心臓が止まっている可能性があります。店の人が119番をしています。
和子さんは斗和くんに言いました。
「銭湯に行って、AEDを取ってきて!」
「わかった!」
斗和くんは駆け出しました。
銭湯の入り口で叫びます。
「人が倒れたのでAEDを貸してください!」
AEDを持って店に戻ると、和子さんが胸骨圧迫(心臓マッサージ)を続けていました。AEDで電気ショックを与えると、まもなく男性の体が波打つように動きだしました。心臓が動きだしたのです。1人の命が救われました。
「お母さんからAEDの話を聞いていたから、すぐにわかった」(斗和くん)
命は大人が救うのではなく 人が救う
子どもを含め、緊急時に手をさしのべられる人を増やすことが、救える命を救うために極めて重要だと日本AED財団も強調しています。しかし、AEDの実習を行っている学校は高校が81%、中学校が71%、小学校が…30%です。(文部科学省調査平成27年度)
大人だけが命を救うのではなく、人が命を救います。子どものころから繰り返し救命方法を学ぶこと、それはいざというときに素早く行動する人を増やし、救える命を増やすことになると思います。
11人心停止 死亡0
心停止に陥るリスクが高いスポーツの現場でも、参考になるイベントがあります。
3万人以上のランナーが参加する東京マラソンです。この大会、過去12回の開催で11人が心停止になっています。そして死亡は0。全員が救命されています。
それはAEDで、どこでランナーが倒れても、3分以内に電気ショックができる体制を取っているからです。路上では1キロ間隔でAEDを背負ったスタッフがレースを見守っています。
自転車に乗ったモバイルAED隊もコースを巡回しています。
これは、マラソンという距離が長い競技への教訓というより、スポーツの現場、すべてに共通する教訓です。
スポーツをする際には、心停止が起きることを想定し、AEDをすぐに使えるよう備えておく、それが不可欠です。
命を救うということは
心臓突然死は、若くても、元気な人であっても、誰にでも起こりえます。そして時間的に、救急車を待ってはいられません。倒れた人の近くにいた誰かが、救うしかないのです。
「完璧でなくていい、間違っても何もしないよりずっといい。1秒もむだにせずに、すぐに行動に移してほしい。助けることができるのは、他の誰でもない、あなただけ」
心臓突然死で亡くなった多くの人を知っている専門家は、そう話します。
できればAEDや胸骨圧迫の講習を受けてほしいと思います。
忙しくてそれが無理でも、自宅の近くのどこに、学校や職場のどこに、運動をする場所のどこに、遊びに行った先のどこに、旅行先のどこにAEDがあるのかを確かめてほしいと思います。
2020年までに変えたいこと、というより、いますぐにでも変えられることは、突然、人の命を救わなければならないことが、誰にでもあるという意識を持つことだと思います。
AEDについて知る、場所を確かめる、誰かに伝える…それだけで救える命がきっとあります。もし救命できていれば、桐田明日香さんは、来年には20歳を迎え、翌年、東京オリンピックを見ていたかもしれません。
救える命を救うこと、それは1人を救うことだけでなく、その人を大切に思う家族や周りの人たちを悲しませないことでもあると、私は思っています。