様々な文脈で語られるベジタリアンという生き方
ここ数年で、ベジタリアンがかなり一般的になってきたように思います。
昔の日本では菜食主義と言えばお坊さんがするものと決まっていましたが、最近では女性を中心にベジタリアンを実践する人がかなり増えています。ぼくの知り合いにも何人かいます。
歴史的にもベジタリアンは数多く存在していましたが、ベジタリアンという生き方を選ぶ理由は様々。健康的に生きるため、動物の命を奪いたくないため、宗教的理由など。
今回は特に、宗教的文脈からいかに菜食主義が語られてきたかという点を見ていきたいと思います。
1. 古代ギリシアのベジタリアン、ピタゴラス
Photo by Galilea
ベジタリアンの祖ピタゴラス
19世紀に「ベジタリアン」という言葉が生まれるまで、長年ヨーロッパでは肉食を断ち野菜を中心とした食事をすることを「ピタゴラスの食事(Pythagoras's Food)」と呼びました。
古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは、健康のために動物を食べることはよくないと考えていた上、すべての生き物には魂があるため人間は生き物を自分の親族のように大切に扱わなくてはならず、殺して食べることはもってのほかであると考えていました。
また、ピタゴラスは豆も食べることを禁じており、「死んだ人々の魂が土から成長し豆と同化するため、人間と豆は同じである」と考え、豆を食べることはもちろん、触ることも禁じていました。
ピタゴラスの死後も彼の信奉者は肉食を断ち野菜中心の生活をし、長年受け継がれていくことになります。アリストテレスの弟子の一人で、植物学の祖とされるテオプラストスも彼の教えを実践する1人でした。
テオプラストスの師匠のアリストテレスはピタゴラスの教えに反論し、すべての動物は人間が生きるために存在しているため、殺して食べることは何ら罪ではないと考えました。
この考えは後のキリスト教にも受け継がれ、西洋倫理観のスタンダードになっていきます。
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2. 中世・近世ヨーロッパのベジタリアン
キリスト教異端のベジタリアン
初期キリスト教は、アリストテレスの考えを受け継ぎ「動物は人間に食されるべき存在」と考えましたが、3世紀ごろから新プラトン主義やマニ教の影響を受け菜食主義を実践するグループがローマ帝国に出現しました。
マニ教はゾロアスター教などに影響を受けペルシアで成立した宗教で、この世界は「光の王国・偉大なる父ズルヴァーン」と「暗黒の冥界・闇の王アフレマン」との闘いの歴史であるとする善悪二元論に特徴があります。
マニ教では、人間を含む動物は闇の王アフレマンによって作られたゾンビのような存在であるため、光の王国の勝利のためにあらゆる生物は生殖をしてはならないと考えました。
そのため食べるものも厳格な菜食主義となり、
「悪の手によって作られた肉を体に取り入れること厳禁。食べるものは野菜のみ、特に光の要素を多く含むメロン・ブドウ・キュウリを多く食べるべき」
と考えました。
マニ教のようなグノーシス主義の文脈はキリスト教の一部の宗派に取り入れられ、例えばブルガリアに発生したボゴミル派も、同じように悪魔の手によって作られた動物を食べることを禁止し、極めて厳格な菜食主義を採りました。
ルネサンスと反享楽主義
ルネサンス時代には、古代ギリシアやローマの文化・学問・芸術が再発見されました。
禁欲を良しとする中世の価値観が解放されたルネサンス時代では、「人生を豊かに過ごす」という享楽的な雰囲気の中で、特にイタリアの富裕層が暴飲暴食の宴を楽しむようになります。
このような過度な欲望の解放に対して、異端の思想とされてきたピタゴラス主義と新プラトン主義を信奉する哲学者や芸術家などから、「肉食や飲酒は体に害悪である」といった健康面からの批判や、「動物も人間と同様に痛みを感じるため殺してはならない」といった倫理面からの批判がなされ菜食主義が提唱されました。
ルネサンス時代で最も著名なベジタリアンは、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼は肉や魚、卵はおろか、ミルク、蜂蜜、チーズといった動物性の食べ物も一切口にしない厳格なベジタリアンでした。
「私はかなり若い頃から動物を食べるようなことは絶対にしなかった。動物を殺すことは人間を殺すことと同じである」
と語っており、倫理的理由から肉食を避けていたようです。
後期ルネサンスから啓蒙時代初期には、新大陸からジャガイモ、カリフラワー、トウモロコシなどの産物がもたらされて皮膚疾患などの予防に劇的な効果をもたらしたため、「菜食主義こそ健康的な体をもたらす」という文脈でも語られました。
3. 18〜19世紀の菜食主義の発展
18世紀と19世紀は学術や文化の最先端を開拓する、いわゆる「イノベーター」たちが菜食主義の必要性を訴えた時代でした。
ヴォルテールやルソー、トマス・ペインなどこの時代を代表する哲学者たちは、「動物に対する道徳的問題」に疑問を呈し、人間と同じ魂を動物も持っているとして、動物を殺す肉食を避け菜食主義を貫きました。
イギリスの著名な医者ジョン・チェインは、肥満疾患の治癒には肉を断ち野菜のみを食べるべきと主張し、「野菜ダイエット」を提唱。ウィリアム・ラムやジョン・ニュートンといった改革派の医師に大きな影響を与えました。
19世紀になると、文化人も数多く菜食主義に賛同するようになります。代表的な人物がロマン派詩人のパーシー・ビッシュ・シェリー。
彼はエッセイで、肉を断つことによる健康面での利点を説くことに加え、食肉は非効率的な資源の利用であると指摘し、社会的な問題を解決するために菜食主義を採ることを訴えました。代表作「Queen Mab」の中でも動物を殺すことを非難し菜食主義の素晴らしさを描いています。
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4. キリスト教的社会改革とベジタリアン協会
19世紀には産業革命や都市化により伝統的な暮らしや価値観が崩壊し、昔ながらの道徳的で健康的な生活を送ることが難しくなると同時に、文化的にもデカダン的な雰囲気が満ちていきます。そのような行き過ぎた社会に警鐘を鳴らし歯止めをかけるため、キリスト教的文脈からの社会改革運動が活発になっていきました。
その中で、菜食主義はキリスト教的社会改革運動の一環として展開されていきます。
例えば、ケロッグ社の創業者ジョン・ハーヴェイ・ケロッグはセブンスデー・アドベンチスト教会の熱心な信者で、禁欲主義と菜食主義を貫き神の道にたどり着くための手段の一つとして、「コーンフレーク」を発明しました。
ズヴェーデンボリ神学とベジタリアン協会
菜食主義を通じた社会改革に取り組むアメリカとイギリスのベジタリアン協会のルーツは、スウェーデンの神秘主義者エマヌエル・スヴェーデンボリのズヴェーデンボリ神学にあるそうです。
ズヴェーデンボリは「生きながら霊的世界を見てきた」「イエス・キリストや聖母マリアに会った」といった霊的体験の記録をまとめた著作を残した人物で、霊的体験から神に近づくというズヴェーデンボリ神学は、当時の知識人層で一斉を風靡しました。
ゲーテ、ドストエフスキー、ヘレン・ケラー、ヴィクトル・ユーゴーらも影響を受けたとされています。
1809年に「バイブル・クリスチャン・チャーチ」を創設したイギリスの牧師ウィリアム・カウハードもズヴェーデンボリ神学に影響を受けた1人で、彼は信者に肉食と飲酒の厳格な禁止を命じました。彼は
「もし神が人間に肉を食べることを望むのであれば、それは熟した果実のような形で現れたはずだ」
と述べ、人間が動物を殺して肉を食す行為はそもそも不自然であると主張しました。
我々の感覚からするとちょっとエキセントリックですが、このような教えをベースにしながら、禁欲・菜食・神への服従といった具体的な実践が推進され、その一環で作家のブロンソン・オルコットとバイブル・クリスチャン・チャーチのメンバーがイギリスで1847年にベジタリアン・ソサイエティを設立。ジョナサン・ライトが1850年にアメリカのベジタリアン協会を設立しました。
このブロンソン・オルコットは「現代にエデンの園を復活させる」として、木になる実や果物以外は一切食せず、着るものも羊毛や毛皮は禁止、耕作するにも肥料が禁止という原始的コミューン「フルーツランド」を開いた人物でもあります。これまた極端な実践例ですが。
5. 20世紀のベジタリアン
戦争とベジタリアン
第二次世界大戦中は、イギリスではベジタリアン人口が大きく増えたそうです。
それは別に人々が信心深くなったからではなく、政府が野菜や果物の自家栽培を奨励したことに加え、ベジタリアンになったらナッツやチーズを特別提供する配給カードを配布したからです。
実際に戦争が終わると、にわかベジタリアンたちは肉食に戻ってしまいました。
新しい菜食主義へのアプローチ
次に菜食主義が大きな注目を集めたのが1970年代。
1971年にアメリカの作家フランシス・ムア・ラッペは、「小さな惑星の緑の食卓―現代人のライフ・スタイルをかえる新食物読本」という著作の中で、環境破壊・格差・飢餓の理由は食肉生産などの非効率な食料供給にあるとし、人類の食事の中心は野菜や果物、小麦など植物性のものとするべきだと訴えました。
この本は人口爆発が起き食糧危機を迎える地球全体の問題を提起し、環境問題と食料問題、経済問題というテーマを結びつけることで大きな話題となりました。
道徳的観点から菜食主義の議論を深めたのが、1975年オーストラリアの学者ピーター・シンガーが発表した「動物の解放」という本。
この本でシンガーは、「善の行使の度合いが大きい社会が最善の社会である」という功利主義的立場から、
「動物は感情を持ち痛みも感じる知的な生物である。にも関わらず、知能が低いという理由で殺害することは悪徳行為である」
として、善たる社会を構築するには動物の殺害をやめ、全面的な菜食主義を採用するべきと訴えました。
"カッコいい"菜食主義
日本ベジタリアン協会のサイトによると、イギリス人の約16%が広義のベジタリアンで、2005年のロンドン大手ケータリング会社調査によれば、ロンドン市民の約30%がベジタリアンとのこと。さらにミラノ国際博覧会の公式サイトによると、世界のベジタリアンの人口は3億7,500万人にも上るそうです。
特に先進国では、映画スターやクリエイター、モデル、政治家、作家など人々に強い影響力がある人物が先頭に立って菜食主義を啓蒙し、地球規模の環境・食料・政治危機に取り組むこと、また動物愛護を訴え、一般の人々に広くその賛同の輪の広がったことが大きいと思われます。
菜食主義の生き方をすることは「最先端でカッコいい生き方」という文脈で語られ、肉食という「旧く遅れた生き方」に対する挑戦的なムーブメントの一種になりつつあります。
これまである種アンダーグラウンドだった菜食主義は、今や世のメインストリームになりつつあるのです。
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まとめ
個人的には肉は大好きなので、明日から菜食主義になれ、というのは辛いんですが、世界的な食糧不足のために今後食料の供給方法を変えなくてはいけない、 という考え方は大いに賛同します。
ただし、道徳的な問題については、人間ってもともとそういう罪深い存在なんだし、菜食してる時点で植物の命を奪ってしまってると思っちゃうので、あまり賛同はできません。
また、ハリウッド女優がやってるからカッコいいという理由で、ファッション感覚で菜食主義を採用する人も特に若い世代に多くいて、それは正直どうなんだろうと思ったりします。
色々意見はありますが、菜食主義は古代から現代までずっと続く永遠の課題であるし、両方が共存する社会であってほしいと切に思います。
参考サイト
"History of the Vegetarian Society" History of Vegetarian Society
"Beans and Greens: The History of Vegetarianism" HISTORY
"This Is Why Vegetarianism Didn't Catch on Until Recently" TIME
"The unstoppable rise of veganism: how a fringe movement went mainstream" The Guardian