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赤報隊テロ事件(1)(2)
【阪神支局事件の詳細】
87年5月3日午後8時過ぎ、朝日新聞社阪神支局2階編集室では犬飼兵衛記者(当時42歳)と小尻知博記者(29歳)と高山顕治記者(当時25歳)の3人が窓際のテレビでNHKの「独眼竜正宗」を観ながら、応接セットで夕食のすき焼きの鍋を囲んでいた。3人掛けのソファの真ん中に犬飼記者、そのテーブルを挟んで向かい側に小尻記者、犬飼記者の左斜め前の1人掛けソファには高山記者が座っていた。普段なら、阪神支局にはこの時間でも大勢の記者が仕事をしていたが、この日はゴールデンウィークの祝日(日曜)ということもあり3人しかいなかった。
この時、一人の男が支局の編集室に入ってきた。床はじゅうたん敷きになっており、男の足音を消していた。最初に高山記者が男の存在に気付いた。男は茶色の目出し帽(犬飼記者の目撃証言では黒っぽい色)をかぶっており、さらに無言で2、3歩近づいてきた。男の腰から下はデスクの陰となって見えなかったが、やがてそこから筒のようなものが姿をあらわした。猟銃である。犬飼記者も右斜め前方3、4mのところに男が立っているのに気付いた。犬飼記者はこれは支局員の誰かによるイタズラだと思い、ニヤリと笑った。だが自分に向けられた銃口に気付いた瞬間轟音が轟き、煙草を持っていた右手が血を噴き上げ、小指が砕け散った。犬飼記者はその場でソファから崩れ落ちる。つぎに男は小尻記者に向かって2発目を撃ち込んだ。高山記者は撃たれて倒れこんだ犬飼記者の方を見ており、小尻記者が撃たれた瞬間を見ていない。気付いた時には小尻記者が体を反転させ、両膝を床についてソファに顔を埋めていた。高山記者は銃口が自分に向いた時、「撃たれる」と感じたが、男は無言でその場を立ち去った。
撃たれた小尻記者は搬送された関西労災病院で翌午前1時10分失血死、犬飼記者は約400の弾を右手と左腕、腹部に受けたが西宮渡辺病院に2ヶ月余り入院した。散弾粒の1つは心臓の2mm手前で止まっていたという。
【朝日新聞と小尻記者】
阪神支局の事件で犯人は小尻記者、犬飼記者に発砲していながら、なぜ同じくその場にいた高山記者は無視して立ち去ったのだろうか?また、犬飼さんらを撃つ際、「あなたが犬飼さんですか?」などと確認するようなこともしていない。
普段、阪神支局にはこの時間でも大勢の記者が仕事をしていたが、事件のあった5月3日はゴールデンウィークの祝日(日曜)ということもあり、宿直勤務の犬飼記者、夜勤の小尻記者、宿直明けの高山記者の3人しかいなかった。もし犯人が犬飼さんと小尻さんを一緒に殺すつもりで来たのなら、最高のタイミングである。
こうしたことから、朝日新聞社全体がというより、小尻記者個人が取材途中で何か情報を掴み、それを快く思わない人間による犯行と考えることが出来る。そこで小尻記者の70冊以上の取材ノートから、彼がどのようなものを取材していたか調べるため捜査本部が朝日新聞に取材ノートの任意提出を求めたが、1度は拒否されている。朝日新聞は捜査に対して慎重で、ノートの中身を口頭で説明するという条件で事情聴取に応じた。
【被害者、その後】
阪神支局事件で一命を取りとめた犬飼記者はPTSDの症状が現れ、いつも銃口が目の前にあるように感じたり、ほぼ毎晩恐怖で目覚めたりしたという。事件から1年後、兵庫県淡路島の洲本支局長として職場復帰した。
※PTSD・・・・心的外傷後ストレス傷害。生死を決定するような事件に遭遇した後、トラウマとして起こる。症状は自分が自分でないような離人感、不安神経症(ふるえ、吐き気)、睡眠傷害などがる。もともと気持ちの繊細な人がなりやすいと錯覚しがちだが、自立心が強い、人に頼らない、強く明るい人がなりやすいという。
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