ガゼフ・ストロノーフ。
ほんの少しでも学がある人間であれば、この名を知らない者はいないだろう。
リ・エスティーゼ王国、王国戦士長。王国及びその周辺国家最強の男。国王より賜った五宝物を所持し、対抗難度100と称される王国の最高戦力。
曰く、最年少での剣闘大会制覇。曰く、単騎でギガントバジリスクの討伐に成功。曰く、近衛兵たち全員との組手で勝利。彼の武勇伝の枚挙に暇は無い。
しかし、彼とて初めから強かったわけではない。当初は全くの無名で、多くの剣闘大会に参加していたもののほぼ序盤で敗退。師が居なかったのか荒削りな剣技、粗雑な装備に身を纏うどこにでもいるような少年剣士。またあいつか、程度には顔は知られていたが、共わない実力の闇に埋もれていた彼を、気に留めることはなかった。
更に言えば、彼は平民の家の出。生まれがそのまま地位に直結する王国において、ガゼフの名が誰かの記憶に刻まれることの方がおかしいのだ。
そして、そのことはガゼフ本人が最も理解している。もとより彼は名声を求めていたわけではない。
――ガゼフの脳裏に焼き付いているのは、赤い景色。圧倒的な数と暴力を前に、なす術なく逃げ惑う人々。燃え盛る自身を育んでくれた家と家族。瓦礫の下で、泣きながらうずくまる小さな自分。
そんなちっぽけな存在だったガゼフは、この時に誓ったのだ。二度とこのような惨劇を起こすものか、と。そのために必要だったのが、力だ。
「戦士長」
副長の呼びかけに、ガゼフは深い思考の海に沈んでいた意識を覚醒させる。腰には乗馬時特有の振動が伝わっており、近いうちに来るであろう戦いを前に、体への負担を最小限にするため無駄な活動をカットしていた。
戦士長という地位に就きはや15年。雪崩のように舞い込んでくる激務に対応するために身に付けた、喜ばしくもなんともない特技の一つだ。
「なんだ」
「やはり、エ・ランテルへと一度引き返し態勢を立て直すべきです。我々のような前衛だけであれば、戦士長の読み通り法国相手となると分が悪すぎます」
なんだまたそのことか、とガゼフは苦笑する。ガゼフと並走する副官の後ろについている部下たちも、副官に賛同しているのか頷いていた。
王命を受け国境付近を闊歩している帝国騎士たちを排除するために動いていたガゼフは、一連の出来事は帝国ではなく別の国によるものであると予測していた。理由は単純で、あの聡い鮮血帝がこのような浅はかな挑発をしてくるなどあまりにも単純すぎる。そもそも帝国が本気になれば、今頃ガゼフは炎に焼かれて既にこの世にいないだろう。
その裏には法国によるバハルス帝国への牽制があったりするが、そのことはガゼフが知る由もない。
「王国は貴方を失うわけにはいかない。貴族共も、貴方が死ぬことまでは望んでいないでしょう。ですから、どうか――」
「勘違いしているようだが、私は死ぬ気など毛頭無いぞ」
言葉を遮られ面食らった副官は、大きく目を見開いた。
今この部隊は出撃時よりも人数が減っている。巡回した村の生存者を、最寄りの都市であるエ・ランテルまで護送するために再編したためだ。一騎当千の強さを誇るガゼフであっても、四つの宝物を装備していない今数少ない援護で奇襲を防ぐのは難しい。
しかしガゼフは人懐っこい笑顔を浮かべて、まるでいつも部下へと訓練をつけている時と同じように、優しい声で言った。
「私はリ・エスティ―ぜ王国王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフだ。王国が死ぬまでは死なないさ」
その言葉を最後に、ガゼフは前方へと視線を戻す。
先のことを考えれば、その確率は限りなく低い。そして絶体絶命の状況に陥ったならば、この男は自分の命を犠牲にしてでも部下たちが逃げる時間を稼ぐだろう。
「……そうですね、ガゼフさん」
副長は風に消え入るような小さな声でつぶやいた。
かつてまだ剣の握り方すら知らなかった幼き頃、父と一緒に観に行った剣闘大会。その場にいた誰もが人気の剣闘士につぎ込む中、少年は無名の男にわずかな小遣いを賭けた。
粗雑な装備に身を包んだ、荒れ狂う猛獣のように剣を振るう青年。
ガゼフの下につく部下たちの始まりには、みな同じ光景がある。嘲笑われても、罵られても、常に前へと進み続ける不撓不屈の男。
部下たちの王国への忠誠心は薄い。あるのは――ただ、一つ。
「見えてきたな」
カルネ村から街道へと続く入り口に、赤髪の美女を伴った漆黒の偉丈夫が佇んでいた。彼が愛用していると"思われている"一対のグレートソードはその背には無い。村長の家に置いたままだ。いわゆる丸腰である。眼前には砂埃を携え、おおよそ二十の騎兵たちがどんどん姿かたちを露にしてきていた。
彼の身を案じた村人たちはせめて小さなナイフだけでもと止めはしたが、対話を行うのに武器は不要だと一切聞く耳を持たなかった結果だった。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか。モモン様……」
二人の背後で心配そうに見守っていた村長が、微動だにしないモモンガをうかがう様に声をかける。幾度となくモモンガへ返答の手間をかけさせる村長に苛立ったのか、ルプスレギナが不機嫌そうに村長を睨む。殺気は無いが見るからに苦虫を噛み潰したかのようなルプスレギナの表情に、村長は安心したかのように笑みを漏らした。
もし彼らと初対面であれば、このルプスレギナの様に人間的な心を想起するのは難しいだろう。しかし先のやり取りでルプスレギナがどういった"少女"であるかを知っている村長にしてみれば、子犬が大好きな主人を取られまいと威嚇しているようにしか見えなかった。
「心配しないでください。彼らに敵対の意思はありませんよ」
アインズたちの事情を知らない者からすれば根拠のない方言に過ぎないが、やはり彼の強さを知っているからか、その一言で今度こそ満足したのかそのまま沈黙した。
眼前に迫った騎兵隊は武装しているようにモモンガを警戒しているのか、おおよそ5mの距離を保って静止した。確かに同じ鎧を着ているがその細部はそれぞれ異なっており、いい様にとれば戦いやすいようにアレンジ、悪くとるならば纏まりのない傭兵部隊のように見える。
しかし正体不明のモモンガを前に、およそ部隊長であろう人物を囲う様に隊列を組んでおり、馬鹿正直に司令官を先に立たせようとする飾りだけの軍隊とは一線を画す練度だ。それもギルド戦に際し兵法をそれなりにかじった
モモンガをして、一見すれば誰が部隊長か判断できない。
「ようこそ。リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ殿」
モモンガの言葉に騎兵たちは察したのか、彼らは隊列の中心に道を開け、一人の男が前へと馬に乗ったまま歩み出た。
「……自己紹介は不要のようだな」
無精髭を蓄えた、見るからに屈強な男だ。男――ガゼフはモモンガの背後の村長へと一度視線を向け、恐怖による隷従によるものでないことを確認したのちに、モモンガへと向き合った。
冒険者の証であるプレートを下げず、どこかの国に属するという紋章も無い。言ってしまえば身元不明の鎧姿の男が、襲撃を受けているという自国の領土に、自分たちよりも早く到着しているのだ。偶然という可能性の方が高いだろうが、警戒しないという材料にはならない。
「私は遠方より旅をしているモモン・ザ・ダークウォリアーと申します。この村の近くを通りかかった折、襲撃されていることを察知しまして……不躾かとは思いましたが、助力させていただきました」
ガゼフの視線に反応するとすかさず、身元を聞かれる前にモモンガは素早く自己紹介を済ませる。一度一通りの身の上を口にしてしまえば、彼らが再びモモンガへと身元について聞いてくることはないだろう。
理由は簡単だ。彼らは、間に合わなかったのだから。その尻拭いをしたとととれるモモンガに、これ以上の詮索は難しい。
やはりというべきか、先手を打たれたガゼフは開きかけていた口をつぐむ。しかしそこに嫌悪感は無く、ガゼフはモモンガの切り返しに感心しているようだった。
「では話が早い」
ルプスレギナを一瞥し、ガゼフは馬から飛び降りる。左腰に帯びた剣を背中へと回し、ガゼフは重々しく頭を下げた。
「この村を救っていただき、感謝の言葉も無い。……我々は間に合わなかった。本当に、ありがとう」
おおよそ、ただのいち部隊長ではない――王国にて特権階級を与えられているであろうガゼフが、何の戸惑いも無く頭を下げた。それも最敬礼では飽き足らず、まるで地に頭を付けそうなほどに深くだ。それには騎兵たちはもちろん、家の窓から様子を眺めている村人たちにまで動揺がはしった。
そんなガゼフの態度に、モモンガは好感を抱く。自身の身分を鼻にかけず、失態を認める潔さ。身分の違いが決定的なこの世界において希少な人材だろう。モモンガは心中のメモ帳に、要注目人物として記録した。
「いや、頭を上げてください。この村を襲った騎士たちは、私の力及ばず、みな殺害してしまいました。後をお任せするためにも捕縛すべきでしたが……少々激昂してしまい」
「村を救って頂いておいて、それ以上を求めるという方が野暮でしょう」
ガゼフはそこで一度会話を切り上げ、自身の背後に控える騎士たちに目配らせする。ガゼフの思考を感じ取った騎士たちは馬から降り、繋ぎ場へと引っ張っていった。
「お時間を奪うようで恐縮だが、この村で起きた一連の事情をお聞きしたい。……よろしいですかな?」
「勿論です。私もそのつもりでお出迎えしたのですから」
話が早くて助かる。セバスとソリュシャンから聞いていた王国民上層部の頭の固さとは似ても似つかないガゼフの人柄に、モモンガは満足そうに仮面の内側で笑みを浮かべていた。
村長の家のリビングへと通されたガゼフは、モモンガから村の被害を聞いて悲痛そうに顔を歪めた。
略奪ではなくただの虐殺。村の物資には一切手が付けられておらず、村人のみを狙っての襲撃だった。焼き討ちに関しても無差別に行われており、延焼はモモンガの早期到着によって食い止められたが使い物にならなくなった家屋や備蓄も少なくはない。
「そうか……子供までも」
「重体に留まっていた者はルプスに魔法で治療させましたが、既にこと切れていた者までは」
もちろん嘘である。<リザレクション/蘇生>の魔法を用いれば、いかに生命力が低い一般人であっても。特殊な魔法を撃ち込まれていない限り問答無用で生き返らせることが出来る。しかし馬鹿正直にそこまで話すはずがない。義理も無い。
「しかし、多くの命が救われたのもまた事実だ。モモン殿、本当にありがとう」
暗い話題ばかりで空気が沈んでいくことを嫌い、ガゼフは薄く笑みを浮かべ改めてモモンガへと礼を言う。ガゼフとモモンガはテーブルを挟み向き合う形で座っているが、同じ席には村長もいる。わざわざ掘り返す必要も無いと判断したのだろう。
「モモン殿はこの後何か予定はあったりするだろうか。とてもじゃないが、貴殿に何も渡さずじまいでは俺の気が収まらないのだ。個人的なものではあるが是非とも礼をしたい。時間があれば、王都に来てはくれないだろうか」
「そうですね……この村の復興をお手伝いしてからでもいいのですが、生憎私は余所者。身分を証明できる物を最優先で確保したいのですが……」
ガゼフの想定外の提案に少し面を喰らいつつも、モモンガはちらりと右斜め前に座る村長の顔をうかがう。落胆の色は無い。
モモンガの言い分がもっともだということを理解しているからだろう。しばらく村に留まって、村の復興の手伝いや騎士たちの報復に備えてほしい――そんな希望はあるだろうが、あまりにも虫が良すぎる話だ。モモンガにそこまでの義理は無いし、カルネ村に愛着があるわけでもない。
モモンガの言葉と視線の意味を理解したのか、ガゼフは微笑みながら口を開く。
「この村には副長と部下の半分がしばらくの間駐在する。その点に関しては安心してくれ」
「助かります」
「で、だ。モモン殿。先の件だが」
悪くはない。それが、モモンガの率直な感想だった。右手を顎へとあてがい、考えている素振りを見せる。
実際のところ、王都にはセバスとソリュシャンがいる以上、モモンガが王都へ直接出向く意味は非常に薄い。何事も盤石が最優先であり、予定通りエ・ランテルへ向かうべきだ。例の情報が確かであれば、エ・ランテルで冒険者登録を行い、来るべき些事に備えることが先決だろう。この一ヶ月間練りに練った一大計画も待っている。
やるべきことは無数にある。人間と無意味に馴れ合うつもりは無く暇も無いのである。
しかし――モモンガは、眼前のガゼフをヘルムの隙間から見やった。
ガゼフ・ストロノーフ、周辺国家最強の男。アウラによると目測レベルは30にも満たない、モモンガから見れば羽虫にも等しい強さに過ぎない存在だ。プレアデスにすら勝てないだろう。
……欲しい。実に欲しい男だ。
「……そうですね。お邪魔させていただきましょう」
それでも今後の採算を度外視させるほどに、ガゼフは非常に手にしたい人材だった。
モモンガの良い返答は望み薄だったのか、ガゼフは一瞬驚愕に目を見開くが、すぐに弾けるような満面の笑みを浮かべて感嘆の声を上げる。武骨で近寄りがたい見た目とはかけ離れた、人懐っこい犬を思わせる非常に好意的なものだった。
椅子を後方へ軽く飛ばしながら勢い良く立ち上がったガゼフはままモモンガの元へと歩み寄り、膝の上に置かれていたモモンガの左手を両手でガシリと掴んで嬉しそうに勢いよく上下へと振る。扉付近に控えていたルプスレギナが威嚇をするかのように杖を握りしめガゼフを睨みつけていたが、モモンガは<メッセージ/伝言>を用いて一喝し押し留めさせた。
「そうかそうか! 帝国兵――モドキどもを圧倒したその腕前、相当な実力をお持ちの戦士とお見受けする。ぜひとも、異国で築き上げたであろう貴方の武勇をお聞きしたいものだ」
これはただの推測に過ぎないが、モモンガは、自身が請わずともガゼフがカルネ村での出来事を真実そのまま上へと報告はしないと確信していた。実益が無い……というのは言い過ぎだが、ここでモモンガを少しでも不快にさせる行動は慎むはずだ。
暗黙の了解、とでも呼べばいいだろうか。この村において、モモンガは『村を救う』という善行以外何も行ってはいない。首謀者である騎士たちは一応すべて引き渡したし、王国で冒険者として活動する予定の旨は自己紹介の後に、簡単ではあるが伝えている。死体を蘇生されても、ダミーの死体は念入りに処置を施しているため蘇生魔法すら受け付けない。つまるところ盤石である。
……という一連の流れは、モモンガがデミウルゴスにそれとなく相談しくみ上げた作戦である。モモンガが一人でそこまで考えが及ぶはずもない。流石に初対面で、ガゼフにここまで好印象を与えることは全くの予想外だったが。
しかし、ということであれば。この機に自然にガゼフと親交を結ぶことは、決して悪手ではないだろう。
(それに、武技という技能。ガゼフはその達人と知られている。本人から直接聞きだしてみるのも悪くない。魔法詠唱者である俺が武技を取得することはできるのか。取得できないなら、説明を受けた俺伝いにナザリックの部下たちが取得することができるのか)
そしてガゼフの気持ちもわからなくもない。ぶっちゃけ一番の理由だったりする。
(自分よりも強い同業者がいれば興奮するよなぁ。プレイヤースキル……技術を少しでも自分のものにしたいし、自分が知らない武勇伝とか凄い興奮するし)
モモンガの奥底にある、鈴木悟の残滓が燻る。この世界においてはモモンガの方が後輩なのだ。
いずれ王国は破綻する。国の防衛の要たるガゼフは、その時が来れば殺すほかない。それを避けるには――引き抜くしかない。であれば布石は打っておいて損はしないだろう。
(欲しい……)
コレクターとしても、是非ともレアは確保しておきたいものである。
(疲れた……)
ナザリック地下大墳墓、ロイヤルスイート。モモンガの自室。モモンガは重苦しいローブのままベッドへとうつ伏せに寝転んでいた。
アンデッドであるモモンガに休息も飲食も必要ないため、当然ベッドは飾りに過ぎない。しかし、精神的疲労は別だ。この一ヶ月間はやること尽くめで、久しぶりに外部の人間と普通の会話をした弊害だろう。短い長期休暇中、ギルドの維持費を稼ぐために黙々と狩りを行っていたときを思い出す一幕だった。
しかし、こうしている間もモモンガにプライベートなどありはしない。部屋の隅にある、木製の椅子に座る一般メイドの視線がモモンガへと余すことなく注がれていた。
モモンガ当番――モモンガがナザリック内にいると、手の空いているプレアデスを含め一般メイドたちがぞろぞろとモモンガへと付き従う(彼的には)事件が、転移当初に横行していたのだ。
支配者の如何、というものに全く詳しくないモモンガは、下手に『傅くものであれ』と作られた彼女たちに意見することは出来ない。彼女たちに任せておいた方が、モモンガが勝手に振舞うよりもそれっぽい支配者像が出来上がるのは火を見るよりも明らかだからだ。そんなことはモモンガですらわかる。初めの数日こそモモンガの行動に支障が出ない程度……おおよそ十人ほどが付き従っていたのだが、いつの間にか一日一人のローテーションに切り替わっていた。
プライベートもへったくれも無い自室であっても、先述のとおりモモンガ自身の成長のため、彼女たちに好きなようにさせているのだが……この言葉にしがたいプレッシャーは、正直なところ苦痛でしかなかった。
「あぁ……モモンガ様……」
しかし、その『傅くもの』であるはずの一般メイドが、頬を赤く上気させモモンガを凝視していた。必死に隠そうとはしているようだが、時計すら存在しないほぼ無音なこの部屋では、彼女が太ももをこする際に生じる衣擦れの音が響いている。
本日のモモンガ当番、ホムンクルスのフィース。清楚でありながら快活、誰もが最大限畏まった態度でモモンガに接して来る一般メイドの中で、おそらくモモンガが一番話しやすいメイドだ。その性格に乗じて、以前モモンガは彼女に好きなように話しても良いと言ってある。今日のように疲れていなければ、初めてのモモンガ当番なこともあって、元気いっぱいに会話を楽しんでいたことだろう。
しかし今日のモモンガは生憎、この有様だ。フィースもモモンガの『人間如きと会話を行った』という苦痛を察し、いつもの鳴りは潜めている。代わりに、他のモモンガ当番と同じこの反応。彼女も皆と同じく、自分に強い好意を抱いてくれているという事実に喜ばしさを感じつつ、得も言われぬ感情に戸惑いも感じざるを得なかった。
数少ない憩いの消失に心中ため息をつきながら、モモンガはフィースから見えない絶妙な角度にある枕をそっと両手で抱える。
考えるのは今後のこと。ガゼフはあの後すぐにエ・ランテルへと出発し、夜を明かせばそのまま王都へと帰還するだろう。夜にはエ・ランテルに到着するそうなので、王都にはおよそ一週間後の到着になる。二十日後ぐらいにストロノーフ邸へと辿り着けばそれっぽく見えるだろう。であれば、その間ほかの仕事に時間を割くことが出来る――と自分の計算高さに舌を巻いたモモンガだが、よくよく考えてみれば漆黒のフルプレートアーマーと赤髪の絶世の美女という、目立つ装いの二人組の目撃情報が道中全く無いというのはあまりにもおかしい話だ。思い至った次の瞬間に頭を抱える始末である。
結局のところ、時間に余裕が無いことには変わりなかった。
(全くの無名のまま冒険者になるより、放浪しつつ止まり木を探す異邦人の方が説得力あるし……)
モモンガは一度思考を中断し、ちらりと視線だけを部屋の隅に座ったままのフィースへと向ける。
「はぁ……はぁ……私、モモンガ様とこのお部屋に二人きり……ああ、お待ちを、いけませんモモンガ様……」
ダメだこりゃ。
美しい顔を火照らせたまま、モモンガの後ろ姿へと迸る愛を向けるフィース。その間も当然部屋内の異常を感知すべく意識を多方面へと向けてはいるだろうが、モモンガとしてはどうしてもプレッシャーとしか感じられない。
「……フィース」
ゆっくりとした動きでモモンガはベッドから身体を起こし、ベッドの中心に座ったままフィースへと顔を向ける。
モモンガの知力ではこれ以上の知略を弄することは無駄。支配者たるもの、部下をその秀でた部署へと適材適所に配属することが最も為すべき仕事である。あとはモモンガの意思を汲み取ったデミウルゴス辺りがうまく場を整え、それとなくモモンガへと進言して来るだろう。
「……っは、モモンガ様!? 如何されましたか!」
妄想の奥深くへと嵌まり込んでいたフィースは、モモンガの言葉にすかさず正気を取り戻す。モモンガが自室に戻り、付き従ってからおよそ六時間。布団へ伏せたまま一切構われることが無かったからか、突然の呼びかけにフィースはバネ仕掛けのおもちゃの様に勢い良く立ち上がり、若干上ずった声で答えた。休息の体勢だったため、このまま夜が明けると考えていたのだろう。
自身よりも圧倒的に人間らしい様を見せるフィースに、モモンガは苦笑する。
「そのような隅ではなく、こちらに来ると良い。以前の様に世間話をしてくれないか?」
「――はい、モモンガ様っ!!」
フィースの、宝石のように美しい笑顔。既に骨の身でありながらも耐性の無いモモンガは、そんな笑顔を向けられ一瞬頭が熱くなるが、すぐさま鎮静化され平坦なものになる。
フィースは椅子を抱えてモモンガへと近づいていき、向かい合って会話するのにおおよそ適した距離でその椅子へと腰を下ろした。
一般メイド間で人気な温泉の話、エクレアがまたぐちぐちと『なざりっくしょうあくけいかく』を練りながら掃除をしているとシズにリフティングよろしく足蹴にされて連れ去られた話、しばしばアルベドの自室からアルベドとシャルティアのなにやら楽しげな喋り声が聞こえる話、等々。モモンガと一部の者たち以外は極めて閉鎖的な生活を送っているこのナザリック地下大墳墓で、多くの出来事が起きている。
モモンガは相槌をうち、時折深く話を促す。それだけでフィースは心底楽しそうに、懸命に口を動かしている。
そう、まるで。かつての仲間たちと、大好きな冒険も忘れて語り合った、あの時の様に。
おひさしぶりです、長らく更新できず申し訳ありませんでした。理由はリアル事情です。転勤です。盆休み明けから超忙しくて……
11巻発売もあり、プロットを更新しつつちまちまと書いています。時間が空いた手前説得力はありませんが、次回投稿はなるたけ近いうちに出来るよう頑張ります。