モモンガ様は胃が痛い   作:くわー
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カルネ村(前編)

 袈裟に振るわれた斬撃を避けるルプスレギナは、異常なまでに浮かれていた。

 

 目の前には30名程の帝国騎士。彼らは、この世界の一般的な基準に当てはめるならば、金級冒険者に匹敵する猛者たちだ。全員が相応の自負があるし、初めは気の進まなかったこの仕事も、未来の人類のためと割り切ってこなしていた。

 

 順調だった。後続の応援部隊のこともあり、己の使命を全うすべく仕事に励んでいた。

 

「もう終わりっすか? 想像以上に弱いっすねー」

 

 そう言って笑う、この赤毛の悪魔が現れるまでは。

 

 地味だが確かに上質なローブを着込んでいる、絶世の美貌をもつ三つ編みの女。裾から見える手首や足首には鍛えたあとは見られず、とてもではないが強者の風貌は確認できない。

 しかし、騎士たちが感じるのは『絶対に勝てない』という視覚情報と大きく矛盾した確信。事実、すでに10分が経つが彼女に一太刀も入れることが出来ないでいた。

 苛立つ気配を抑えることもせず、前衛は必死に剣を振るい続ける。風を受ける柳のような柔らかさで容易に回避する美女は、心底暇そうだった。

 

 その美貌に張り付いているのは、男女問わずこの世の人間すべてを虜にする微笑。しかし、部隊長は本能が訴えてくる絶望に抗えないでいた。

 

「よいしょ」

「ぐげっ」

 

 今まで回避一辺倒だったルプスレギナが、斬撃の避けざまに、手に持っていた杖を振るう。見事な弧を描き放たれた一撃は、空気を撫でるような軽やかさにもかかわらず、騎士の頭へと命中しトマトのように吹き飛ばした。

 

 鮮烈な赤色は、噴水のように軋んだ空気を彩っていく。あまりの光景に一部の騎士たちは悲鳴を上げた。

 杖に付着した血をふるい落とし、ルプスレギナは変わらない微笑を見せる。

 

「き、貴様は何者だ!」

 

 あまりにも一方的な状態に惚けていた指揮官が、震える声で叫ぶ。それを攻撃の一時停止と判断した騎士たちは、我先にと後方へ下がった。

 指揮官の問いに、ルプスレギナはなんでもないように答えた。

 

「私はルプスっす。たまたまこの辺りを通りかかって、たまたまこの村が襲われているのを見つけて、たまたま助けに来ただけっすよ」

 

 そう言って、ルプスレギナは口角を吊り上げた。

 騎士たちはなんて運の無いと絶望し、少し離れた場所で捕らえられている村人たちは希望の到来に顔を輝かせる。

 ルプスレギナなそんな村人たちの顔を見て、内で燻る欲望を必死に抑えていた。モモンガからの期待に応えるべく、浮かれる心に打ち勝ちアドリブを取り繕う。

 

 ルプスレギナがモモンガから仰せつかっているのは二つ。

 一つは村人たちの救出。今後の足掛かり、英雄モモンの出発点として利用するためだ。

 二つは帝国騎士のヘイト集め。魔法を使わず圧倒し、モモンガが現れるまでの時間稼ぎ。できるだけ殺すことなく戦意を削ぐこと。

 

 この大役を他のプレアデスでも守護者でもなく、ルプスレギナに任されたのだ。これほどの名誉があるだろうか。

 

 鎧ごと叩き潰されるという恐怖におののいている頃、部隊長は次の手を必死に考えていた。

 しかし、そんな心中を読み取っているかのようにルプスレギナが口を開く。

 

「逃げてもいいっすけど、背中を見せたら魔法打ち込むっすよ」

「ぐっ……」

「あんたらが生き残るには、私を倒す以外に道は無いんすよ」

 

 その言葉を聞いて地面に転がる死体を一瞥した騎士たちは、いずれ訪れる絶対的な死に、戦意を失って構える剣を下げた。

 

 

 どれほどの時間睨み合っただろうか。流れる冷や汗が部隊長の全身を濡らしきったころ、第三者の声が生き地獄に響き渡った。

 

「そこまでだ、ルプー」

 

 その場にいる全員が、声の発生源へと振り返った。

 

 2mはあるグレートソードを二本背負った、漆黒の偉丈夫。身に纏う漆黒のフルプレートアーマーのせいで表情は確認できないが、その圧倒的な存在感は絶対的な力の差を思い知らせる。

 両脇に抱えていた二人の少女を優しく地に下ろすと、まるで庭を散歩するような軽やかな歩みで、兵士たちとルプスの間に躍り出た。

 

「すでに数人が物言わぬ死体になっているが、まずは自己紹介といこうか」

 

 本来ならば慢心・尊大ともとれるであろう振る舞い。しかし誰も、この漆黒の戦士には敵わないと知っている。

 

「私はモモン。モモン・ザ・ダークウォリアー。ルプーがもう言ったとは思う、ただの旅人だ」

 

 何を馬鹿な、と部隊長は内心吐きすてる。地上に出回っている情報のほとんどを掌握しているスレイン法国に属しているにもかかわらず、このような二人組など聞いたことも無い。そこにいるだけで命が掻き消えそうな存在を、知らないはずがない。

 

 いつもであれば、自ら『漆黒の戦士』などと名乗る者など、道化師の類かと一笑に付しただろう。

 しかし、今は頷かざるをえない。見たこともない六大神など生温い。この男は、間違いなく、この世界で唯一漆黒を名乗ることが許される存在なのだから。

 

「さて」

 

 少し間をおいて、モモンガは口を開いた。

 

「私はどこにも所属していない。どこに味方をしろなどと強制もされていない」

 

 まるで友人と他愛もない会話をするかのような口調。抑揚が無く感情を感じ取れない声色だが、そこには確かな殺意があった。

 ゆっくりとした動きで背の二本のグレートソードを握り、留め具をパチンと弾いて引き抜く。大の大人が一本を持ち上げるだけで精一杯であろう長大な得物は、木の枝かと思えるほどに軽やかな動きで手首で縦にくるりと回す。

 

「故に――」

「ひっ」

 

 ギジリ、と空気が歪んだ。

 

「これは、ただの殺戮だ」

 

 狩られる側の者たちには、無機物なはずの漆黒の兜が、確かに笑っているような気がした。

 

「か、金ならいくらでもやる! どうか俺だけでも助けてくれ!」

 

 指揮官の叫びに返答はない。

 

 強いて言うのであれば、鈍く光る一対の刀身だけが、狩られる側の運命を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群"六色聖典"が一つ、陽光聖典。法国の陰の部分、すなわち一般的に言う汚れ仕事を基本任務とする殲滅部隊のひとつ。亜人など人ならざるモノの村落を機械的に撃滅する。

 彼らは自分たちが選ばれし者、エリートであることに自負と自信を持ち、エリートだからこそ自分にしかできない使命を全うしようとする、法国の中でも並外れた信仰心を持っている。

 すべては人類のため。そのために自らの命と魂を消費するのだ。

 

 

 カルネ村より15キロほど離れた位置にある、少し盛り上がった丘のふもとに、十数人の影があった。集団の先頭に立つ、ごく平凡の顔立ちの金髪の男。感情を感じさせない黒い瞳と頬に走っている傷を除けば、雑多な集団の中に埋没してしまいそうな無個性な男だ。

 

 彼はニグン・グリッド・ルーイン。陽光聖典の隊長であり、現在評価対象となっている次期最高執行機関有力候補である。「王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの抹殺」の命を受け、王国辺境の村カルネ村付近まで遠征に赴いていた。

 囮部隊に小さな村を襲わせ、警邏を行っているガゼフを強襲する。本来このような野外での隠密が絡む任務や直接戦闘が予測される任務は、英雄級の力を持つ者が集められている漆黒聖典が抜擢される。だが漆黒聖典は現在別任務に従事しているため、次点の戦闘力を持っている陽光聖典に白羽の矢が立った。

 

 しかし、陽光聖典向きでない任務であることに違いはない。風花聖典からのバックアップも無く、既に数度絶好のチャンスを潰している。

 ガゼフの部隊は徹底的に無駄を省いた理想的な動きで行軍している。ひとりひとりが獣のような勘を持ち、安易に包囲しようとすれば逆に隙を突かれるだろう。天使を展開できなければ抗う暇なく殲滅される危険性がある。

 故に仕掛けるタイミングは非常に重要だ。当然そのあたりの経験にも乏しいため、慎重にならざるを得なかった。

 

「……ストロノーフ」

 

 ニグンは一キロほど先を走っているであろうガゼフの姿を睨む。地平線の果てに揺れている緑色の景色を両目へと焼き付ける。ニグンの隣に控えている副官は、風の中に消えたニグンの小さなつぶやきを気にした様子も無く、部下たちへと詳細な指示を飛ばしていた。

 

 ガゼフ・ストロノーフ。純粋な人間としては王国およびその周辺国家において最強を誇る武人。その技量だけでなく、王国に伝わる五宝物を装備した彼に敵う者は、多くの強者を抱えている法国であれど数えるほどしかいない。漆黒聖典より逃げ出した裏切者には一歩譲るという話だが、二人の実力を直接見たことがあるニグンに言わせてみれば、あの下品な女ではガゼフに敵わない。

 

 ガゼフの抹殺の任を受けた時ニグンを満たしたのは、期待に応えて見せようという奮起と尊敬に値する男を自らの手にかけなければならないことに対する悲壮感だった。

 法国外の人間で、彼ほどに強く、忠義に厚く、崇高な人格を持ち、誰かのために戦うことができる男をニグンは知らない。彼を見出したのが王国の無能王ではなければと、どれほど悔やんだことか。

 

 しかし、ガゼフの今の立場は非常に歪なもの。王国の最強戦力でありながら、対立し争っている貴族にとっては目障りな存在だ。単純な思考誘導でガゼフの失態を王へと向けるため、五宝物を持ち出すこともできないまま少数で警邏へと向かわされた。

 世界の大極を俯瞰することができない、腐敗しきったリ・エスティ―ゼ王国最大の犠牲者。それが、ガゼフ・ストロノーフという"英雄になれた"男。

 

 

 ニグンの握る拳に力が入る。何故、諸国は斯くも愚かなのかと。

 確かに法国にも派閥なるものは存在するが、互いの信仰を真に尊重しあっている。人類の安寧と繁栄という確かな一つの夢を目標に、協力しなければならないからだ。

 

 王国内に麻薬が蔓延し、国王も黙認しているという事実を聞いたときは罵声を抑えることができなかった。

 

「しかし、ニグン隊長。やはりガゼフ・ストロノーフも報われぬ男でしたね。忠義を誓い剣を捧げた相手が、まさかただの暗愚だったとは」

「……まったくだ」

 

 指示が終わった副隊長の言葉に、ニグンら苛立たしげに風になびかれ崩れた髪をかき上げる。陽は傾きはじめ、背を照らす光にはニグンの心中を映し出すかのように淡い赤色が射し込んでいた。

 

 ニグンがガゼフに一目置いているということは、陽光聖典内では周知の事実である。実際彼の男の在り方には副隊長も一般人とは一線を画す尊いものを感じているし、異論は無い。やはり彼も、ガゼフとは別の出会い方をしたかった。

 黙祷を終えた任務中だというのに私情を隠そうともしないニグンを窘めようと、必死に言葉を選んで続ける。

 

「カルネ村の生き残りはどうしましょうか。囮部隊には殲滅しないよう言ってありますが」

「ガゼフを抹殺したのちに、囮ごと天使たちで全員殺害する。法国の名が明るみに出る危険は出来るだけ避けたい」

 

 残虐な命令に聞こえるが、誰も疑問に思わない。王国を帝国に併合させ悪性腫瘍を取り除かなければ、将来この場以上の犠牲が出ることを承知しているからだ。

 ニグンの変わり無い信仰を確認した副隊長は、それっきり口を噤む。

 

 

 少し時間が経ち、吹いていた風が止んだ頃。そろそろ頃合いかと、ニグンは部隊に進軍命令を出そうと後ろへ振り返った。

 しかし。

 

「た、隊長!」

 

 普段ならばあり得ないほどの焦燥に駆られた隊員の一部が、悲鳴のような声を上げた。

 ニグンは喉元まで出かかっていた言葉を飲み込み、隊を

掻き分けて駆け寄ってきた隊員に視線を向ける。

 

「どうした?」

 

 顔はローブに覆われており表情は確認できないが、その焦り様から異常事態が起きたことは容易に想定できる。

 

「囮部隊が全滅しました!」

「なっ」

 

 まったく想定していなかった言葉に、ニグンは目を見開いて絶句した。

 囮といえど、その実力は強者揃いだ。並大抵の冒険者であれば歯が立たないほどの。指揮官は確かに無能だが、隊を実質的に率いている部隊長は冒険者ランクで言えばミスリルに相当する。

 

「ガゼフか?」

「ガゼフ・ストロノーフはまだカルネ村に到着していません。少なくも、到着にはあと一時間半を要するはずです」

 

 この隊員は、囮部隊な装備にかけておいた生命感知魔法の監視を担当していた魔法詠唱者だ。装備者が死亡すればその事実が通達されるようになっている。

 

「最初の死者から数分と経たず、皆殺しにされたようです」

 

 ニグンの脳裏には憎きアダマンタイト級冒険者チームの顔が浮かんだが、即座に自身で否定する。彼女たちは"黄金"

の息がかかっていることは既に割れており、恐ろしいほどまでに頭が回るあの小娘がこうも短絡的な行動に出るとは考えにくい。

 

 ニグンは無意識のうちに、懐の至宝へと手を伸ばしていた。法国より賜った、かつて魔人の一体を単騎で討ち滅ぼしたという最高位天使が封印されたクリスタル、魔法封じの水晶。第七位階に属する<善なる極撃/ホーリースマイト>を連続で放つことができ、この世の悪を一掃する最強の天使、威光の主天使を召喚することができる。

 これはいくらニグンといえども、再召喚にかかる費用と時間を考慮すればあまりにも釣り合わない代物だ。そもそもガゼフに対して使用するのも、あまりにも行き過ぎた処置だといえる。

 つまりこれは、ニグンへの期待の表れ。「お前はこの至宝を与えるに足る存在である」という、一種の評価を視覚化したもの。

 

 この至宝を以てすれば、カルネ村に現れたというイレギュラーも問題なく処理することが出来るだろう。あとえアダマンタイト級の冒険者クラスであったとしても、最高位天使を前にしては傅き祈りを捧げるしかない。

 

 だが――ガゼフも一緒となると、話は別だ。

 このクリスタルに封印しているのは、厳密にいえば最高位天使そのものではなく、最高位天使を召喚する召喚魔法。当然、使用すれば召喚主はニグンになる。

 召喚は一瞬で終わるが、それでもニグンが致命的な隙を晒すことには変わりない。ガゼフ一人ならばともかく、奴に匹敵する存在、もしくは集団を相手に、部下たちは時間稼ぎなどできない。

 召喚体勢に入った瞬間、腕ごと切り落とされる姿が瞼の裏にありありと浮かぶ。

 

 ニグンの腕はどうでもいい。また生えてくる訳ではないが、戦いの中に身を置いている以上覚悟はできている。

 最も恐れているのは、クリスタルが相手に渡ること。法国の至宝を見られたからには皆殺しにしなければならないのだが、そんな相手に奪われるとなるとその損失は計り知れないのだ。

 

「……っ」

 

 ギリッと、ニグンは歯が削れるほど荒々しく噛みしめる。目の前に抹殺対象がいるというのに、事の次第では法国に洒落にならないほどの不利益が降りかかる可能性がある。

 事態は常に最悪を想定して動かなければならない。もしその最悪を引き当てた場合、被る損害を最低限に抑えなければならないからだ。

 

 ガゼフを殺せないが、新たな脅威の存在の発生を法国へと持ち帰ることが出来る道。

 ガゼフを殺せる可能性はあるが、至宝を危険に晒し最悪部隊が全滅する可能性もある道。

 

 前者は当初の目的を果たすことが出来ないとはいえ、法国に利益をもたらせることが出来る。後者ではガゼフを殺す対価が余りにも大きすぎる。

 そもそも、ガゼフを殺したところでその恩恵を受けるのは法国ではなく帝国その他諸国だ。むしろ人類の最高戦力の一角を失うことは、マイナスと捉える方がいいかもしれない。

 

 しかし、いつまでも悩んでなどいられない。腕に装備された鋼鉄製のバンドに視線を落とせば、そこには作戦開始予定より少し経過した時刻が表示されている。

 余裕は有るとはいえ、これ以上無駄に引き延ばすわけにはいかなかった。

 

「……各員、傾聴」

 

 ニグンの言葉を聞き、装備の確認を行っていた部下たちはその手を止め膝をつき、顔を伏せる。一呼吸置き全員が落ち着いたことを確認すると、ニグンは続けた。

 

「作戦は中止だ。発生した不確定要素の情報を法国へ確実に持ち帰り、最高執行機関の指示を仰ぐこととする。総員撤収作業にかかれ」

「はっ!」

 

 ニグンの言葉を聞いた部下たちは、身に着けていた装備を外し、法国とは判別できないみすぼらしい衣服へと着替え始める。誰一人、ニグンに諌言しようとする者はいなかった。

 

 当然だ。部下たちは、ニグンの実力を知っている。今こうして生き残っていられるのは、ニグンの指揮あってこそだと。加えて、仮にこの判断が評議会の意向と違えたものであったならば、責任を追及されるのはニグンと副隊長。そんな彼らが下した判断は、浅はかな考えのもと行きついたものとは到底思えない。

 だからといって、ただ盲目に従っているわけではない。何も異議を申し立てなかった部下も責められると、本人たちは理解している。

 故に、ニグンと部下との間にあるのは、確かな信頼である。

 

 

 黙々と作業をこなしている部下たちを確認し、ニグンは改めてガゼフがいる方向へと視線を投げた。

 

 ニグンは六大神を信仰する者として、嘘を吐かないことを心掛けている。当然知られたくないことには靄をかけてぼやかすが、基本的に彼は真実を話す。

 

「……感謝する、名も知らぬ者」

 

 だからこそ彼は、言葉にした。

 これで、ガゼフ・ストロノーフは英雄になれるかもしれない。そんな機会を与えてくれた存在に、ニグン・グリッド・ルーインは、深く頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレートソードにこべりついた血をふるい落とし、背負い直す。周囲には識別が付かないほどに顔が焼けただれた焼死体や、身体のどこかが欠損した肉塊が転がっている。

 五分とかかっていない、一方的な虐殺だった。そもそも戦意を失いヤケクソ気味だった彼らを、装備の調子を確かめる程度の力で蹂躙したにすぎない。

 

 絶体絶命だった状況に現れたモモンガとルプスレギナの姿は、村人たちの目にはさながら神より遣わされた救世主に映っただろう。泣きながら抱き合う村人を視界の端に収めつつ、<伝言>でルプスレギナに指示を伝える。

 

《打ち合わせ通り、焼死体だけを回収するぞ。デミウルゴスに準備させておいたダミーと取り替える》

《畏まりました。蘇生魔法はどれを使用なさるおつもりですか?》

《どうやら低位の者だと<死者復活/レイズデッド>では灰になってしまう可能性があるらしい。少々面倒だが、<蘇生/リザレクション>を使う予定だ》

 

 後のことも考えて、死体は全部持ち帰らない。判別不能な焼死体だけに絞り、あらかじめソリュシャンたちに集めさせておいた別の死体と入れ替える。部隊長と指揮官はきちんと確認してルプスレギナにモモンガが直接指示を出して焼かせたので間違いはない。

 

(よし、今のところ順調だ。現時点で有益な情報も引き出せた)

 

 村長からの感謝の言葉を受け取りながら、モモンガは考える。

 エンリとネムを救った際に始末した数人の騎士はどうやら裕福な出だったらしく、それなりに噂や情報を握っていた。

 

 曰く。今回の作戦の援護は六色聖典の一つ、陽光聖典である。

 

 モモンガとしては今すぐにでも無理やり捕まえて情報を吐かせたかった。しかしそう簡単にもいかない。ああいった特殊部隊の類の者たちは、扱いが厄介なのだ。

 罠、この一言に尽きる。何がトリガーでどのような事態が引き起こるかわからない。法国の裏が読めない以上、本格的にちょっかいを出すのはマズかった。

 

 ほかに判明したことといえば、防具にかけられていた魔法の正体。これは生命感知に似たものであるということ。

 おそらくは監視魔法の代替だろう。この世界では遠隔視の鏡なんてマジックアイテムはもちろんのこと、離れた対象を見るという魔法は発展していない。ユグドラシルにおいても、ネタバレ防止ということでそれらの魔法は第八位階以上になっている。つまりこの世界に個人の使用者は存在しない。

 

(やはり法国に手を出さなくてよかった)

 

 陽光聖典にもこの類の対策はしているだろう。彼らが壊滅でもすれば、さすがの法国も本気で調査を始める。手の内を把握していない以上、なんらかの方法でナザリックを見つけられでもすれば本末転倒だ。

 

 

「――モモン様、本当にこの程度の報酬でよろしいのですか?」

「ええ。本当にただの通りすがりですし、気にされなくて大丈夫ですよ」

 

 場所は変わり、村長の家。モモンガとルプスレギナは並んで椅子に腰かけ、村長は二人に向き合うようにしてテーブルを挟んで座っている。

 夫人は葬儀の手伝いに向かったためここにはいない。夫人が出した二つの白湯には手が付けられておらず、すでに湯気は絶えていた。

 

 モモンは、心配げな顔をしている村長から千枚の銅貨が入った麻袋を受け取る。この小さな村では決して小さな額ではないが、冒険者組合を通して先ほどの惨状を乗り越えられるほどの冒険者を雇うとなると、少なくともこの十倍の額にはなるのだ。それをこの程度の少額で構わないと言うのだから、村長もいらない勘繰りをしてしまうものである。

 

 そんな村長の心中を悟ってか、モモンガは両手を使って少し大げさに落ち着くように促した。

 

「ではこうしましょう。私たちは近いうち、必ず冒険者として名をあげます。もしこの辺境の村まで、このモモン・ザ・ダークウォリアーとルプスの名声が届くことがあれば――」

 

 モモンガはそこで一度区切り、少し胸を張って、続けた。

 

「――貴方がたが、英雄モモンとその従者ルプスの、始まりの語り部となってください。モモンとルプスの英雄譚はここから始まった、その生き証人として」

「おおお……!」

 

 怪訝に揺れていた村長の瞳に、明るい光が差す。目の前で堂々と自身の未来を語る漆黒の英雄に、心からその在り方に焦がれる。

 力無き者たちにその暖かな手を差し伸べる稀代の救世主。物語の中でしか目の当たりにできない、悪しきを挫く勇者。

 

 いわゆる"男子"の顔になった村長を見て、モモンガは兜の下でほくそ笑んだ。

 

(決まったな……)

 

 即興で考えたが、なかなかの口上だ。ストレートにかっこよさを追求したモモン・ザ・ダークウォリアーの名も受けがよさそうでご満悦である。

 

「モモン様、格好いいっす!」

 

 しかし隣のルプスレギナも、褐色がかった頬を淡く紅潮させ、目を輝かせながらモモンガへ迫るようにして身を乗り出していた。

 鼻息は荒く肩を上下させ、少し口も開いている。キラキラしている瞳は潤んでおり、これは――

 

「最高っす! やばいっす! モモン様大好きっす!」

 

 ――発情か、ただの興奮か。生き物に詳しくないモモンガでは判断できない。しかし、自分の上司が他人から尊敬されれば、確かに普段の鬱憤が吹っ飛ぶほどに感動するかもしれない。人とは単純なものなのだ。

 それに、やはりこうも喜ばれると気は良くなるもの。モモンガは尻尾があれば振り回しているであろうルプスレギナの頭を、手甲越しではあるが優しく撫でた。

 

「あっ」

 

 モモンガの手を頭に感じた瞬間、ルプスレギナは糸が切れたかのように鎮まった。あまりに激しい感情の起伏に、モモンガは思わず手を放してしまう。

 特に近しい存在が余りにも特徴的だからか特に意識してはいなかったが、かつての鈴木悟の時には一切なかった、女性との接触が多いのだ。対してモモンガはもう"付いて"いないが一応男だ。はたから見れば主従か男女の関係に見えるかもしれないが、実際問題先ほどの行為はただのセクハラである。いくら絶対の忠誠を誓っているとはいえ、こういうことはまた別だろう、とモモンガの特定の方面に拙い思考が判断したのだ。

 

 女性社員に訴えられ辞めていった同僚の背中を思い出したモモンガ。精神鎮静化のおかげで動揺は見られないが、心中では散々渋っていた絶対的な権力の行使で一連の行動を正当化しようと考えを巡らせていた。

 

「ルプスレ、ルプーっ! こ、これはだな、そう、他意などないのだ! ただ撫でやすい位置に頭があっただけで、私は何も悪くないぞ!」

 

 モモンガはガタリと椅子から立ち上がり、何とかルプスレギナをたしなめようと身振り手振りで自身の無罪を主張する。村長は先ほどまでの英雄然とした雰囲気と大きすぎる差に呆然としているが、モモンガにそちらをフォローする余裕はない。

 なにかのきっかけにこのことがナザリックに広まりでもすれば、モモンガに安息の地は無い。主に二人の守護者によって、いつ襲われるもわからない恐怖に苦しむこととなる。『モモンガ様はおさわりオッケー』などという勘違いが流布するなど笑えない。

 

「……」

 

 しかし、ルプスレギナに言葉は無い。特殊な状況の中に居るとはいえ、モモンガの言葉を無視することはない、はずである。

 

「くぅーん」

 

 だが次の瞬間、急に立ち上がったかと思うとルプスレギナは崩れ落ちるように両膝を付き、モモンガの右脚へとかじりついた。

 

 余りの出来事にモモンガもさすがに言葉が出ない。兜の下では顎をカクカクと開いたり閉じたりしていた。

 狼のはずなのだが、ルプスレギナは飼い犬のような甘い鳴き声をあげながら足の鎧へと頬をこすりつけている。いわゆるマーキングと言われるものなのだが、モモンガにそんなことがわかるはずもない。

 

 

《モモンガ様、陽光聖典の撤退を確認しました》

 

 エントマから伝言が入る。思考が停止していた頭の中に響いた甘い声が、モモンガを現実に引き戻した。

 

《……尾行はしなくていい。そのまま引き続き待機だ》

《畏まりました》

 

 モモンガの思惑通り、陽光聖典はガゼフの殺害を断念した。今回モモンガが確認したかったのは、法国が抱える部隊の練度だ。上から数えた方が早い陽光聖典が、一個部隊を数分で殲滅する何の情報もない未知の存在を前に、愚かにも作戦を決行するかどうか。

 モモンガが同じ立場であれば、間違いなく撤退する。ガゼフ殺害の目的は定かではないが、少なくとも打って出るべきタイミングではない。奇襲とは、奇襲でなければ意味がない。こちらがガゼフ側へ付けば、不意を突くはずが挟まれてしまうことになるからだ。

 

 結果は、最も面倒くさく満足がいくもの。少なくともいち組織のトップは無能でなく、下手に手を出さなくて正解だった。

 

 

《ああ、ガゼフはどうなっている?》

《到着間近です。殲滅しますか?》

《必要ない》

《はっ》

 

 いまだ脚へとしがみついているルプスレギナの頭に拳骨を落とし、痴態を晒したことについて村長へと謝罪する。

 村長としては、本来であれば手の届かない存在である『モモン』の人間らしい一面に、好ましい親近感が湧いていた。好意的な様子で笑顔を浮かべる村長を見て、釈然としないものはあるが、人間と友好関係を築くという本来の目的を果たしたことに内心胸をなでおろした。

 

「あなたっ。ああ、モモン様」

 

 軽い世間話へと内容をシフトし、落ち着いたルプスレギナも交えて談笑していると、葬儀の準備をしていた夫人が慌てた様子で部屋へと入ってきた。

 

「どうかなされましたか?」

「はい……どうやら、この村に馬に乗った戦士風の者たちが近づいてきているらしいのです」

「ふむ」

 

 心配げに顔を見合わせている村長と夫人。その心境は本物だが、その目にはどこか希望を感じさせる光が揺れており、ちらちらとモモンガへと視線を向ける。そんな様子を見て、モモンガはわざとらしく顎へと手を当てた。二人が戦士たちへの対応を望んでいるのは明白だ。先ほどまで、正規軍と思わしき人間たちに蹂躙されていたのだ。そんな状況で他人を信じられるはずがなく、唯一頼ることが出来るモモンガとルプスレギナへと縋るのは当然だった。

 

「任せてください。村長殿は村の中心に皆を集めるように」

「は、はい!」

 

 村長が知りえることではないが、近づいてくる男たちが村人に危害を加えることはありえないはずなので、本来モモンガが出る必要などない。

 しかしモモンガは直接顔を合わせ、言葉を交わす必要性を感じていた。

 

「ガゼフ・ストロノーフ……」

 

 王国及び周辺諸国最強の戦士。その肩書は、モモンガの興味を引くには十分だった。

 

 

 

 




 お久しぶりです。本当はカルネ村編は今回で終わらせるつもりだったのですが、さすがにこれ以上間が空くのはまずいということで前編後編とさせていただきました。

 ニグンさん怒りの生存ルート。ニグンさんが必死に命乞いをし始めたのは、法国に監視されていた、捨て駒扱いだったと知ったからだという妄想からの分岐。
 モモンガ様とは出会い方が悪かっただけで、少し違う運命であればきっと、彼も大きな役割を担う存在となっていたでしょう。







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