僕、認知症です~丹野智文44歳のノート
コラム
テレビの取材で「認知症らしくない」と撮り直し
病気をオープンにしてメディアに出たら…
認知症と診断された後、絶望の底に沈んでいた私は、自分より先に認知症になり、不安を乗り越えてきた人たちが明るく力強く生きる姿を見て立ち直ることができました。「今度は自分が他の当事者を勇気づけたい」という思いで、病気のことをオープンにして、講演などの活動に取り組むことを決めました。
そうして少しずつメディアの取材も受けるようになっていた3年ほど前のことです。あるテレビ番組の制作会社から、取材の申し込みがありました。認知症になると、ほとんどの人が仕事をやめざるを得なくなる中で、私がどうやって働き続けているのかを追いかけたい、というのです。
「仕事に差し支えるのでは」と思って最初は断っていたのですが、当時の社長がその番組のファンだったことなどもあって、結局、受けることになりました。普段、担当している事務の仕事だけでなく、セールスマン時代の経験を生かして、新人研修や販売店で若い営業担当者を指導する場面などを、4か月くらいかけて撮影しました。
やっと終わったと思っていたら、「撮り直したい」という連絡がありました。映像を見たテレビ局側から「丹野さんは、認知症らしくないから撮り直して」と言われたらしいのです。
私だって、いろいろなことを忘れるし、間違えます。ただ、前にこのコラムにも書いた通り、前日のことを全く思い出せなくても仕事が進められるようなやり方を作り上げ、もれが生じない方法で確認しているのです。自分なりに努力を重ねて、なるべくミスがないようにしてきたのに、「認知症らしさ」と言われて、間違うことを期待されているように感じてしまい、悔しく思いました。
1度だけ撮り直しはしましたが、もちろんわざと間違えるようなことはせず、いつも通りにやっているところを撮影してもらいました。放送された番組では、私が出てくる映像が、当初聞いていたよりも短く流されました。
「徘徊」「暴力」自分の中にも偏見
思い返してみると、以前は私だって偏見を持っていました。自分が認知症になるまでは、実際に認知症の人に会ったことはほとんどなく、「何も分からなくなる」「徘徊したり、暴れたりする」というイメージしかなかったのです。テレビなどで目にするのが、重度の認知症の人ばかりだったことが大きいように思います。
重度の人にも、発症して間もない時期が必ずあって、それまでとあまり変わらない暮らしを送っていたはずです。また、重度になったら必ず暴れるわけでもありません。暴力や徘徊といった症状は、周りの人の接し方など、環境に影響を受けやすいのです。
でもこれまでは、初期の人や、病気が進行しても穏やかに暮らしている人がメディアに登場するのを目にしたことは、ほとんどありませんでした。それも「認知症らしくない」からでしょうか。
「こんなもんだよね」と言いながら
家族でテレビを見ていると、認知症の人が暴れる場面などが描かれることがあります。最初のうちは、「パパは暴れたりしないよね」と不思議そうな顔をしていた娘たちですが、最近では「メディアってこんなもんだよね」と、すっかり慣れた様子です。子どもの方が、現実を素直に受け入れているように思います。
近年は、各地で認知症の当事者が声を上げるようになり、その姿がメディアで報じられることが増えてきました。新聞やテレビ、ネットで私のことを知った当事者が講演会に来てくれて、「これまでは、人目を避けるように暮らしてきたけれど、丹野さんを見て、こんなふうに話してもいいんだと思った」と言い、今度は自分が人前で発言するようになっていくのです。
私自身、メディアに対しては、「こんなもんだよね」とつぶやきたくなることが、今もあります。しかし、良くも悪くもメディアの影響力は大きいです。その力で、社会の偏見を取り払い、当事者が認知症とともに人生を歩む後押しをしてくれたら……という期待も持っているのです。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)