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御簾の向こうの人

 2009/05/25(Mon)
 先日の「夢枕の人」で藤壺関連の写真を漁っていて、またしてもはたと気付いたのですが、源氏物語本文には藤壺の衣裳について詳しく記述している場面は確かほとんどないのですよね。何しろ生まれは内親王で後には帝の后ともなれば、くどいようですが当然そうそう御簾の外に姿を見せるわけもなく、おまけに「ここぞ」的な重要人物なので出番も決して多くありません。しかも源氏の妻の一人というわけでもないから、例の「玉鬘」の衣配りにも関係ないし(そもそも既に亡くなってます)、たまに出てきてもどんな装いなのかというような説明はほぼ皆無で、一通り探してみてようやく一か所、「賢木」の出家後の場面で「隙々よりほの見えたる薄鈍(淡いグレー)、梔子(黄色)の袖口など」という描写があるのを見つけられただけでした。…うーん、やっぱり地味だ…。

 それにしても、在俗の頃は皇族出の中宮様ですから、さぞかし高価で美麗な衣裳を纏っていただろうと思われますが、作者紫式部はある意味非常に天邪鬼な人で(笑)、日記と違って源氏物語の中ではこれでもかというような華やかな装束の描写はあまり使っていないのです。とりわけ光源氏など、やつした地味な装いが却って素晴らしいとか普段着のくつろいだ様子が艶に優雅だとか、果ては喪服姿さえ見飽きないほど美しいとかいう誉め方の方が多いので、清少納言のようにゴージャスで華やかな衣裳が好きな人にはちょっと物足りないかもしれませんね。

 とはいえ、紫の上は葡萄染や紅梅色、明石の君が白・紫や柳(薄緑)、女三宮が桜の細長等々という描写から推して、高貴で重々しくそれでいて懐かしい人柄の藤壺に似合う色となると、やはり紫系かなあという気がします。ちなみに「あさきゆめみし」だと、濃い紫地に白い文様の唐衣、白地に赤い菊文様の表着、五つ衣は紫の薄様(紫から白のグラデーション)という取り合わせで、やはり紫系で統一されていました。単衣の薄紅梅(ピンク)がやさしい感じを出していますが、紫の上のやや赤が強いワインカラーのような華やかさに比べると落ち着いた感じで、それがまたとても綺麗なんですよ。


  

 今回のおまけは風俗博物館の2005年展示より、「藤裏葉」帖の「灌仏会」からです。
 廂に控えているこの女性は女房の一人なのですが、まさに絵のように綺麗な構図なので選んでみました。蘇芳小葵文地白五窠木瓜文の唐衣に、表着は多分小葵文の花橘かさね(表朽葉・裏青)で、五つ衣単は紅の薄様でしょうか。姿どころか声さえ滅多に聞けない藤壺はまさに雲の上の人だけに、作者も敢えて装いについての描写は避けたのかもしれませんが、せめてどんな衣裳の似合う人だったのかだけでも知りたかったですね(源氏だって元服前は何度も顔見ていたんですし)。

 ところで、藤壺に限らず桐壺帝の後宮のお妃たちは殆どその装いについて語られていませんが、「服装で楽しむ源氏物語」という本の中に面白い話がありました。曰く、気の強い弘徽殿女御あたりはさぞかしこれ見よがしに禁色の赤をたっぷり使い、五十歳を過ぎても(今なら還暦くらい?)派手な真っ赤っ赤だったに違いない、というのです。確かに赤は派手と言うだけでなく高価な色で、つまりは高貴な人しか着られない色でもありましたが、これには何だからしすぎて笑ってしまいました。彼女の妹にあたる朧月夜は違う意味で華やかな深紅の似合いそうな女性ですが、ともあれ物語では光源氏が「右大臣家は万事派手好みで奥ゆかしさに欠ける」と批判し、それとは対照的な藤壺を思い浮かべていたとありましたから、やはり藤壺は全体に控えめな好みの慎ましい女性だったのでしょうね。

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