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夢枕の人
2009/05/24(Sun)
最近源氏物語に関するあれこれを読んでいて、何がきっかけだったかふと、気になったことがありました。「朝顔」帖の最後に、亡き藤壺の宮が源氏の夢枕に立って恨み事を言う場面があります。このシーンを漫画「あさきゆめみし」では、長い髪の姿の藤壺で描いているのですね。最初に読んだ当時は特に不思議に思うこともなかったのですが、最近になっておや、と思ったのです。
そして引っかかったことはもう一つ、橋本治氏の「窯変源氏物語」の中でも、この場面について「まだ髪を下ろさぬままのお姿で」とはっきり書かれているのです。しかし原文を改めて読み返してみても、夢枕の藤壺がどんな姿であったか等ということは何も書かれておらず、ただ「夢ともなく、ほのかに見たてまつる」とあるだけなのでした。
はて、一人だけならいざ知らず、源氏の現代語訳?を手掛けた人の二人までもが同じことを考えたのは何故だろう。藤壺が出家してから亡くなったのは判り切ったことなのにと首を傾げたのですが、しばし考え込んだ後、はたと思い当ったことがありました。
読者にとっては「出家姿の藤壺」というのは当然のものであり、もちろん源氏にとってもそうだったでしょうが、しかしよく考えてみれば源氏は、髪を下ろした後の藤壺の姿はその後亡くなるまで一度も直接見てはいないのです。確か瀬戸内寂聴氏の「女人源氏物語」の中では、作者のフィクションで息絶えた藤壺を源氏が抱きしめて泣き崩れる場面がありましたが、少なくとも原作にはそのようなことがまったくなかったのは言うまでもありません。なるほどそうか、それでは源氏が憶えているのは出家前に二人が最後に会ったあの時の、まだ髪の長かった藤壺の姿だけだったのかと、そこでようやく腑に落ちました。高貴な女性は屋内にこもりきりで、男性どころか身内以外は同性にも殆ど顔を見せなかった平安時代ならではのこととはいえ、そう思うと何だか改めて痛ましい気がしますねえ…。
ところで、こうなるとぜひとも藤壺出家の場面の画像が欲しいところですが、残念ながらいつも頼りの風俗博物館さんも、何故か最も得意そうな(笑)分野でありながらこの場面は今のところやってくれていないのでした。大体が「六条院」の展示中心である以上、六条院の完成前に亡くなった藤壺の登場を期待すること自体難しいのはよく判るのですが、何とも残念です。
というわけで、今回のおまけはなるべく代わりになりそうな画像を探してきてみました。
(袿:青鈍地藤立涌文、五つ衣単:色々かさね)
2004年展示、「玉鬘」「初音」の衣配りでの空蝉。髪は長いですが青鈍の衣裳ですね。
薄衣を残して逃げ去った彼女は、「賢木」で源氏が忍んできた時、やはり衣を捨て逃れようとして髪を捕らえられてしまう藤壺のイメージとも重なります。
2004年展示「絵合」での藤壺。出家後なためやや地味な色調の衣裳で、既に髪も短いはず。
藤壺の出家後に源氏が見ることのできたのは、こうした御簾の向こうにかろうじて見え隠れする姿だけだったでしょう。
最後に、藤壺生き写しの紫の上。2002年展示「梅枝」の明石姫君の裳着の場面から。
かつて中宮として宮中に時めいていた頃の若く美しかった藤壺も、こんな感じだったでしょうか。
(唐衣:蘇芳小葵文地白五窠木瓜文、表着:濃蘇芳地紅梅文、五つ衣単:紅薄様かさね)
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