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源氏物語の斎王たち

 2009/04/20(Mon)
 先日は「尼門跡」の話題でしたが、今日もそれにちょっと絡んで?皇女関連の話など。

 そもそも帝の内親王というのは日本で最も高貴な生まれの女性であり、源氏物語では(紫式部の執筆当時の傾向でもあるのでしょうが)皇女は結婚などせず生涯独り身で優雅に暮らすことこそ最高とされていました。それが幸せかどうかはひとまず置いておきますが、そういう皇女不婚信仰(これが後に女院や尼門跡の増加にも繋がったと言われます)とでもいうべき路線にさらに拍車をかけることになったのが、天皇家の特異な制度――即ち、斎王(斎宮・斎院)です。

 これまた源氏ファンや平安好き以外の方には殆ど馴染みのない存在ですが、平安時代には伊勢神宮に仕える伊勢斎宮と、賀茂神社に仕える賀茂斎院という二つの制度がありました。どちらも任につくのは皇族女性で、記録によれば下は2歳から上は30歳近くまでと年齢層は幅広いものの、候補となるのは必ず「未婚の」天皇の娘(内親王)・あるいは親王の娘(女王)のいずれかに限られていたのが大きな特徴でした(ちなみに葵祭で有名な斎王代は、読んで字のごとく「斎王(斎院)の代わり」です)。
 しかし何故か、(面白いことに)源氏物語には斎宮・斎院を務める内親王は殆ど登場しません。「葵」で名前だけがちらりと出る桐壺帝の女三宮が唯一斎院になったくらいで、それ以外に登場する重要人物、秋好中宮と朝顔斎院は二人とも父親が親王の二世女王です。特に朝顔斎院は「賢木」で「賀茂のいつきには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ」(女王が斎院になられた例は少ないが、適当な内親王がいらっしゃらないので)とわざわざ述べているくらいで、しかも実際は恐らく斎宮・斎院になっていない弘徽殿女御腹の女一宮(一品宮)がいたはずなのに敢えての処置ですから、作者も多少の無理は承知で押し通したのでしょう。(もちろん一品宮の場合、母方の政治力の強さも大いに与ったでしょうが)

 先帝の皇女:女一宮
       女二宮
       女三宮
       女四宮(藤壺中宮) 母・皇后
       皇女(朱雀帝女御) 母・更衣

 桐壺帝の姉妹:女一宮
        女二宮
        女三宮(三条大宮) 左大臣正室
        女四宮
        女五宮(未婚) 桃園式部卿宮の同母姉妹?

 桐壺帝の皇女:女一宮 母・弘徽殿女御
        女二宮
        ○女三宮(斎院) 母・弘徽殿女御

 長くなりましたが、では実際のところ、源氏物語の流れでは歴代斎宮・斎院はどのように変わっていたのか?というわけで、ちょっと以下に書き出してみました。

  桐壺帝時代  …斎宮:不明  斎院:不明
  朱雀帝時代(1)…斎宮:秋好中宮(父・桐壺帝弟) 斎院:桐壺院女三宮
  朱雀帝時代(2)…斎宮:秋好中宮 斎院:朝顔斎院(父・桐壺帝弟)
  冷泉帝時代(1)…斎宮:不明  斎院:朝顔斎院
  冷泉帝時代(2)…斎宮:不明  斎院:不明
  今上帝時代  …斎宮:不明  斎院:不明

 何故か朱雀帝時代以外は殆ど不明ですが、考えてみればそれも道理、主人公光源氏の華麗な恋の相手としてまたとない高嶺の花になりうる斎宮・斎院も、源氏がお年頃を過ぎた後(笑)は作中でも必要なくなったのでしょう。後の「狭衣物語」は斎宮・斎院経験者が多く登場するため、彼女たちの交代についてもかなり詳しく筆を割いていますが、そういえば紫式部は弟の恋人の斎院女房のことで色々陰口を書いていた人ですから、実はあまり自分の作品には出したくなかったのかも…なんて深読みもできますね。
 ともあれ、桐壺帝時代は桐壺帝自身の姉妹(女一宮、女二宮、女四宮)と先帝の皇女(女一宮、女二宮、女三宮)の最低でも6人の皇女が候補として存在しましたから、当然その内の誰か一人か二人は斎宮・斎院を務めていたでしょう。また桐壺帝の皇女では女三宮は斎院になっており、女一宮は恐らく斎宮・斎院にならないまま一品宮となったと思われますが、名前すら登場しない女二宮もどこかで斎宮か斎院になっていた可能性があります。

 その後朱雀帝の皇女たちですが、後に源氏の正室になった朱雀院の女三宮が冷泉帝即位当時6歳ですから、冷泉帝の新斎宮の候補には女一宮・落葉宮・女三宮も入っていたかもしれません。ただし落葉宮と女三宮は明らかに斎宮・斎院経験のないまま結婚していますから、実際に可能性が高いのは女一宮と女四宮です。
 この二人の母については作中では何も触れられていないものの、朱雀帝には皇后はいませんから、彼女たちの母は女御で、それも多分異母姉妹でしょう。落葉宮が更衣腹故に柏木に降嫁したところから見て、それよりは母の出自も高いとするのが妥当でしょうし、また女三宮と違って朱雀帝が出家後の心配をしていない点でも、母方の実家の力もまあほどほどと見ていいかと考えられます。

 朱雀帝の皇女:女一宮
        女二宮(落葉宮、柏木正室) 母・更衣
        女三宮(光源氏正室) 母・女御(先帝皇女)
        女四宮

 ところで、「若菜」下の巻では賀茂祭(葵祭)の際に女三宮から斎院へお伴として12人の女房を送っており、このため手薄になったところへ柏木が忍び込んできて密通するという一大事の引き金になっています。これまたさらりと書き流されているくだりですが、そもそも何故女三宮のところから斎院へそんなに大勢の女房(女三宮方の女房は50~60人とあるので、その約五分の一)が遣わされたのでしょうか?
 斎院となれば間違いなくそれは皇族の姫君、それも既に述べたとおり斎宮とは違って殆どが内親王です。その上威勢盛んな六条院・光源氏の正室として社会的地位も高い女三宮がわざわざそのような心づかいをしているということは、もしかするとこの斎院は女三宮の異母姉妹だったと考えられないでしょうか。(ちなみに原文に「斎院にたてまつりたまふ女房…」とあるとおり、斎宮・斎院は少なくとも格式においては天皇・皇后に次ぐ大変高貴な存在でした) またそれが朝顔斎院の退下した後を受けて代替わりした斎院だとすると、年齢的に考えて朱雀帝の女一宮が最も適当ではないかと推察されます。

 もちろん、上に挙げた以外にも物語に登場しないその他の親王の娘たちも候補であったはずですし、「梅枝」で夕霧の縁談に登場した中務卿宮の娘や、遡れば末摘花も常陸宮の娘ですから、斎宮・斎院(特に斎宮)に選ばれる可能性のあった姫君たちでした。また藤壺中宮の兄兵部卿宮も三人の娘持ちで、長女は髭黒と結婚、次女は冷泉帝に入内、そして紫の上は光源氏と結婚したので皆斎宮・斎院にはなりませんでしたが、彼女たちも候補の一人に数えられたことがあったでしょうね。(もっとも紫の上は源氏に攫われた後は世間的に行方不明でしたけれど。^^;)

 さらに時代下って光源氏没後、宇治十帖の世界では、今上帝には女一宮と女二宮の二人の娘があります。このうち女一宮は明石中宮が産んだ后腹の最高の内親王で、両親の鍾愛深いことからも、恐らく候補に上ることすらなかったでしょう。また女二宮もご承知の通り、裳着と殆ど同時に薫と結婚してしまったので、この頃は内親王から斎宮・斎院になった人は多分いなかったと思われます。
 では親王家の姫君たちはどうかと見ると、作中に登場するのは宇治八の宮の大君・中の君姉妹や、蛍兵部卿宮の娘の宮の御方、蜻蛉式部卿宮の娘の宮の君などがいます。彼女たちはどういうわけか皆早くに父親を亡くした不遇な姫君ばかりで、それでも世間からも忘れられた八の宮はともかく残りの二人は格式から言っても斎宮・斎院候補として充分適格と思われるのですが、作中ではそのような話はまったく出てきません。既に京の都自体が表舞台でなくなってしまった以上、作者もそういうことには気を払わなくなってしまっただけかもしれませんが、特に斎宮は「源氏物語」当時の歴史の中でもどうやら影の薄い存在だったようなので、そんな時代の空気を反映した結果でもあったのでしょうか。


 では最後に、おなじみ今回のおまけ。

  別れの御櫛

 源氏物語『賢木』より、「別れの御櫛」と呼ばれる場面です。(風俗博物館、2004年展示)斎宮に選ばれた姫君は丸2年の潔斎の後、この宮中で天皇が手ずから髪に櫛を刺す儀式を経て、伊勢へと旅立って行きました。

 朱雀帝~帛御装束(白一色の生絹)
 斎宮~唐衣:羅地摺袷襠長袖、裳:目染め、表着:白地銀臥蝶丸文、五つ衣:紅の薄様

 ところで、この夏東京国立博物館で、特別展「伊勢神宮と神々の美術」が開催されます。これに斎宮関連の展示がどの程度出てくるか判りませんが、ともあれお伊勢さん&斎宮のファンとしては今から大変楽しみですね(^^)。


 関連リンク:
  ・斎宮歴史博物館

 関連書籍:
 
内親王ものがたり内親王ものがたり(岩波書店)
(2003/08/29)
岩佐 美代子

商品詳細を見る

 初心者にも読みやすい、飛鳥から幕末まで様々な時代を生きた内親王たちを紹介する好著。

 
伊勢斎宮と斎王 祈りをささげた皇女たち (塙選書)伊勢斎宮と斎王
祈りをささげた皇女たち (塙選書)

(2004/06)
榎村 寛之

商品詳細を見る

 斎宮って何?という方は、まずこの入門書をどうぞ。

 また前回ご紹介した「歴史のなかの皇女たち」(小学館)も、同じく参考図書としてお勧めです。

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