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源氏物語の皇女たち

 2009/04/14(Tue)
 以前「光源氏の兄弟について」というお題でつらつらと述べましたが、最近またいくつか気になることが出てきたので、ちょっとまたつらつらとひとりごとです。

 舞台が平安時代の貴族階級ということで、源氏物語には多くの異母兄弟が登場します。むろん皇族とて例外ではなく、とりわけ天皇の子どもたちは同母の兄弟姉妹より異腹の方が断然数は上回るのは至極当然ですね。
 とはいえ、天皇家に同母兄弟がいないわけではなく、判っているだけで以下の人々が登場します。


  一の院?の皇子女
   桐壺帝・女三宮(大宮)……母:皇后

  先帝の皇子女
   兵部卿宮・女四宮(藤壺中宮)……母:皇后

  桐壺帝の皇子女
   朱雀帝・女一宮・女三宮……母:弘徽殿女御

  冷泉帝の皇子女
   皇子・女二宮……母:院の女御(玉鬘の娘)

  今上帝の皇子女
   東宮・二宮・三宮(匂宮)・五宮・女一宮……母:明石中宮


 このような具合で、物語の中で重要な活躍をする人物、特に主役級となると宇治十帖の匂宮くらいですが、本文に記されていないだけでこの他にも同腹の兄弟姉妹がいたかもしれません。中でも桐壺帝は判っているだけで皇子10人(実際は冷泉帝を除く9人)・皇女3人と子沢山でしたし、また先帝も藤壺の上に3人の皇女がいたのですから、史実の例を見ても一人っ子ばかりと考える方がむしろ不自然でしょう。

 ところでそんな中、物語を読み返していてふと気になったのが、上に挙げた以外の桐壺帝の兄弟たちです。
 物語に登場する人物としては、桐壺帝・大宮の他に故前坊(六条御息所の夫)、式部卿宮(朝顔斎院の父)、女五宮の3人がいます。このうち前坊はその死後も桐壺帝の気遣いの並々ならぬところから、恐らく同母弟だろうとする人が多いようですが、式部卿宮と女五宮の二人もやはり、「朝顔」の巻で「故院の、この御子たちをば、心ことにやむごとなく思ひきこえたまへりしかば」(亡き桐壺院がこの方々をとりわけ心にかけて大切にしておられたので)という説明がさらりと出てきます。大宮がはっきり「内裏の一つ后腹になむおはしければ」と原文にあるのに対し、この二人はそのような紹介のないところから同母ではなかったろうと思われますが、それでも母親同士が親しい近縁同士だったという可能性もあるのではないでしょうか(もっとも摂関全盛期の場合、なまじな近親は却って仲悪かったりもしましたが)。
 また、式部卿宮と女五宮は長年桃園宮で共に暮らしており、このことから二人が同母兄妹(または姉弟?)であった可能性はかなり高いのではないかと思います。この点についてはあまり注釈などで深く追及しているものを見かけたことがないのですが、玉上琢禰氏が「源氏物語評釈」に桃園宮伝領の考察の中でちらっと同じ意見を書いていたので、おお、やっぱり専門家の先生もそう思うのか、と嬉しくなりました。なお史実では兄弟の他におじ・おばと甥・姪が養子縁組をして同居していた例もあったそうですが、朝顔斎院の実母が作中に登場しないところから見て、おばの女五宮が母代りのような立場であった可能性も考えられるかも…?

 なお、皇女といえば源氏物語ではあまり出番の多くない「斎王」(斎宮・斎院)も重要なテーマの一つですが、それについてはまた後日項を改めて。


  女三宮
  女三宮。風俗博物館・2006年展示『若菜』より、紫の上との対面の場面。
  高貴な人ほど略装の当時、皇女としてはかなり珍しい正装の裳唐衣姿です。

  唐衣:赤地萌黄藤丸文、表着:黄地白小葵文、五つ衣単:餅躑躅かさね

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