1990年代なかばにネットがどっと普及して、
アレでトランスやクロスドレッサーが増えた気がする。

もし私が中学生ぐらいの時にネットでホルモンや玉抜き知ってたら、かなり危なかった。


新宿のどっかのママさんが言ってたなぁ。
「一時期、女装バブルがあったのよぉ」
あった。あった。
90年代後半はどこのお店へ行っても混んでたなー。
座るところもないぐらいに満杯だった。
二丁目のはしっこにある『お着替えルーム』も順番待ちだったと聞いた。

それが今はどんどん外出しちゃうから、二丁目のクロスドレッサーは減ったね。
見ないな。
たま~に、SMのお仕置きでむりくり女装させられてる人ぐらいだな。



話はズレたけど、
あの頃ガンガン増えたトランスをテーマにしたサイト。
「私を見て~」ばっかりだった。しかもエログロ丸出しだ。
まだ綺麗な人ならいいんだけどね。
アイタタな人とか、貧乏くさい人とか、瞬時にクローズ。悪いもの見たって感じ。

私もトランス・サイトやってた。
最初はありきたりなものだった。
でも、それを覆してくれた人がいた。

ジニー紫。

堂々たる主張。
美的繊細さ。
そして訪れた人を招き入れる文体。

まるでUSA transegenderのサイトを感じさせる。
それは素晴らしいと思った。


『自分の欲求を吐き出すためのもの』の氾濫の中、唯一ポジティヴに生き方の提案をしていたな。

はっきり言って、私、イッパツで影響されました。


人が生きている意味。
美しいものをお見せすること。
そしてフリーダムの選択肢としてのクロスドレス。あるいは移行。

あの頃の私のサイトはそんなものでした。
ジニー紫を尊敬していたのです。

時々アドバイスもいただいたものです。



ただやっぱ、私の方が未熟だな。
変に影響力が大き過ぎちゃった。

「あなたのおかげでトランスに目覚めました!」
いやいや、私にせいにしないでよ。
選ぶのはあなたの責任ですることだよ。



2004年3月末日。サーバーが閉鎖。
サヨナラも言わずに同時に自然消滅したのです。





でも今でも大人の見本として、
勇気あるインターナショナルな感性のクリエイターとして、

私の中にはいつも、ジニー紫が存在する。
本当にいつも。


今日の昼。
5年ぶりぐらいで電話したら、心良く受け入れてくれた。
それはまるで両翼を広げた白鳥のよう。

またあの人に会いたい!
私のリスペクトにまた会いたい。




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