中日春秋(朝刊コラム)中日春秋才能と実力に加え、高い志もある。あとは時。若者が名を成すために問われるのは、その時をつかめるかだろう ▼平安の女流歌人、伊勢大輔(いせのたいふ)は中宮彰子のもとに出仕して間もないころ、その才能を試されることになった。伝わるところによると、奈良の僧が献じた八重桜の受け取り役を先輩である紫式部に譲られた。その場で歌を詠むことにもなる。重圧はあっただろうが、予想外の好機でもある。詠んだのが<古(いにしえ)の奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな>。後世に残る名歌の誕生だ。好機をものにした逸話としても、よく知られることになる ▼横綱三人と新大関が休場した。大相撲の窮地だが、才能に恵まれ、力も付けてきた二十五歳の関脇には予想外の絶好機だったはずだ。その時を見事にものにした。名古屋場所での御嶽海の初優勝である ▼機が熟していたというべきか。好機さえ訪れれば、つかみとる力が備わっていたようにみえる ▼力強い押しにうまさ、速さが伴う相撲は地元長野の木曽地域にとどまらず多くの人たちを喜ばせた。大関の資格ありを印象づけたのではないか ▼しこ名がいい。毎日のように見上げていた御嶽山と再興を図る出羽海部屋にちなんだ。信州出身で江戸時代に活躍した伝説的な力士雷電に比べる声も聞かれる。郷土と名門を背負いながら、上昇の時をつかんだ。そんな姿を目撃しているようだ。 今、あなたにオススメ Recommended by |
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