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先人たちが目指した日本の姿。それは私達の国が常に「よろこびあふれる楽しい国(=豈国)」であり続けることです。


緑の聯隊長

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銀杏並木


今年も8月15日が近づいてまいりました。
この日は毎年靖國参拝をさせていただいているのですが、その靖國神社の神門と呼ばれる直径1.5メートルの菊の御紋が取り付けられた門をくぐりますと、すぐの左側に参拝記念の苗木を売っている小さな売店があります。
そこで頒布されている苗木は、靖國神社の境内の木の実を採って苗に育てたものです。

頒布所は無人です。いただく方はお金を自分で箱に入れます。
誰も見ていなくても、神様が見ておいでになる。だからおかしなことはしない。本当に日本らしい姿だと思います。

実はその苗木には深い物語があります。



開戦間近い昭和15(1940)年のことです。
吉松喜三元陸軍大佐は、China戦線での戦闘中に腹部に重傷を負ってしまわれました。
後方の野戦病院に送られました。

ある日、療養中のベッドからふと窓の外を見ますと、隣接する洋館の中庭で賛美歌を歌いながら緑の木立の中を散策する修道女たちの姿が目に飛び込んできました。
吉松大佐は、そこでひらめきを得ます。

昭和18(1943)年、ようやく機動歩兵第三聯隊長に就任した吉松大佐は、そのひらめきを聯隊の仲間たちに話しました。

「なあみんな、Chinaは際限のない砂と黄土の大地だ。その大地を戦争はさらに破壊する。
けれど自分たちは、興亜を願う皇軍兵士だ。
日本軍の通ったあとに、草木も枯れるなどと言われるようなことはあってはならないのではないだろうか。
つまり緑だ。緑の木こそ人の心を安らかにする。
だからみんなで植樹をしよう。
自分は、植樹によって荒んだ兵隊達の心に安らぎを与えたいし、散華した敵味方の将兵の御霊を弔いたい。そして樹木の少ないChinaの大地に沢山の苗木を植えて繁らせ、住民を喜ばせたいのだ。」

各大隊ごとの目標も決まりました。
なんと、「大隊ごとに50万本の植樹をする」というものです。
ひとつの大隊はおよそ千人です。ということはひとりあたり500本の植樹をするのです。とほうもない話です。

軍の命令には、いちいち説明などはありません。
「何だい?今度の聯隊長は植木屋のせがれかい?」
兵たちの中には、最初のうち、そんな文句を言う者もいたそうです。

ひとくちに植樹といっても簡単なものではないのです。
そもそもChina大陸は風土が日本よりはるかに厳しいのです。
樹一本育てるだけでも、各大隊ごとに営庭などに挿し木の畑を作り、朝晩、水をやって育てなきゃならないし、植樹したあとも、樹が根付くまで毎日世話をやかなきゃなりません。
土地によっては、植えるところの地質の改善も必要です。そのためには大きな土木作業が伴います。樹一本にもたいへんな労力がいるのです。しかもそこは荒れたChinaの大地であり、戦場です。いつ敵弾が飛んでくるかもわからない。

それでも吉松聯隊長の信念はゆるぎませんでした。
兵たちからしたら、何も危険を冒してまでと思うし、だから最初は不承不承だったかもしれないけれど、命令は実行されました。

ある朝、明るい陽ざしのなかに小さな若葉が苗木からふきました。
兵たちから、自然と万歳の声があがりました。みんな笑顔でした。
こうなるとみんなの気持ちに弾みがつきます。

第三聯隊は、サラチ郊外の駅近くで早々に50万本植樹を達成しました。
第一大隊ではこれを記念して、そこに「興亜植樹の森記念の石碑」を建てました。

モンゴルに近い包頭(ほうとう)市では、現地のChineseのために、聯隊で興亜植樹公園を築きました。
そこには内地の桜とポプラの苗木を1万本も植えました。
小さな富士山も作りました。
池もめぐらして、兵隊や現地の人たちが釣も楽しめるようにしました。
さらに子供たちのために小さな動物園も作ってあげました。

第三聯隊では、植樹を意義づけようと「興亜植樹の歌」が作られました。
吉松聯隊長はたいそう喜んで、これを聯隊歌にしました。
みんなで軍歌と共に歌いました。
聯隊の団結と興亜への願いをこの歌に託したのです。

♪雪に嵐に打ち勝ちて
 四方にひろがる深緑
 西風いかにすさぶとも
 われに平和の木陰あり

木々の緑は、乾いた黄土のなかに埋もれてしまう将兵たちの心や、地域の住民たちの心に、新鮮でやわらかい心を呼び覚ました。
敵軍との小ぜりあいは毎日続いていましたが、砂漠の乾燥した風景が、いつの間にか緑豊かな大地に変わって行くのです。そこには人々の確かな感動がありました。

第三聯隊の戦闘は連日続きました。
連戦連勝でした。
その聯隊が通りすぎた後には、必ず木が植えられました。
その木々が花を咲かせ、木陰をつくります。
吉松大佐の聯隊は、戦闘を休む日はあっても、植樹を休んだことは、一日もありませんでした。

昭和19年の春、吉松大佐の第三聯隊は河南作戦に転進しました。
みんなで大きな声で歌うのは、もちろん部隊歌の「興亜植樹の歌」です。

洛陽での攻略戦は壮絶をきわめました。
多くの戦友の命が失われました。
第四中隊長であった西宮中尉は、「ああ、安北の灯がみえる」と呟いて息絶えました。

安北は、包頭地区警備の最前線にある街です。
聯隊がもっとも長く駐屯した砂漠の町であり、聯隊の隊員たちが、住民らと協力あって、緑の街づくりに励んだ町です。
砂漠の街だった安北は、ほどなくして緑の町となり、夕暮れ時には、ここが戦場かと思われるほど緑豊かで、明るく静かな灯りに飾られる街になっていたのです。
西宮中尉は、その安北の明かりが見えると言って、こときれたのです。

西宮中尉の最後の言葉は、全軍に広がりました。
「そうだ。俺たちは、あの安北の緑をChina全土に広げるんだ」
「そうだ、俺たちは、平和な町を建設するために戦っているんだ」
西宮中尉の言葉は、全軍の将兵を元気づけました。

洛陽の攻略戦が終わると、戦闘集団は、その日から植樹の軍団に変わりました。
鉄砲をシャベルに、銃剣を鍬に持ちかえて、「興亜植樹の歌」を合唱しながら、せっせと水をまき、種をまきました。
このことは何よりも兵隊さんたちの心の救いになったそうです。
荒涼とした大地の中で、彼らは懸命に自分たちの心の泉を築いたからです。

連戦連勝の第三聯隊は、昭和20年8月15日がきた時、誰ひとり「降伏」ということを、どうしても信じることができなかったそうです。

戦争が終わったあと、第三聯隊は全員捕虜となりました。
最初のうちは道路の修復工事をさせられていました。
ところが昭和21年2月、China国民党軍は、もと敵将の劉峙(りゅうじ)上将から直接、吉松聯隊長宛の指名で「植樹隊」の編成を命じてきたのです。

「ざまあみろ、敵の大将も、やっぱりオレたちのこと知ってたんだ!」
なにが「ざまあみろ」なのかわからないけれど、隊長を中心に隊員たちはこれを聞いて抱き合って喜びました。
そしてこのとき、みんなの目からは照れるほど涙が流れたそうです。

植樹がはじまりました。
戦火で荒れた大地に小さな緑が芽吹きます。
道路工夫から植木屋に変わった彼らは、敗残の日本軍を代表するつもりで植樹をつづけました。

まもなく感謝状が吉松聯隊長に届けられました。
終戦で戦犯になった元将校の多い中で、敵将から「感謝状」をもらったのは、おそらく第三聯隊の吉松喜三大佐ただひとりであろうかと思います。

この感謝状を届けてきたChinese将校は、次のように言いました。
「実は、勲章を贈る話も出たのです。
ほとんど決まりかけていたのですが、日中国交の回復していない時に勲章は考えものだということになって、残念ながらとりやめになったのです。」

この話が部下に伝わったとき、部隊のみんなが言ったそうです。
「いらねえよ。金ピカの勲章なんかいらねえよ。
隊長さんの勲章はこれだよ。この可愛らしく、ちょっと芽をだした柳の緑さ。
これ以上の勲章があるもんか。」
不敗の第三聯隊の隊員たちにとって、それがなによりの心の勲章だったのです。

日本に帰国するとき、中共軍は、先の「感謝状」の他に、建国の父「孫文の肖像画」と、吉松隊長以下、全員が無事に日本に帰国できるようにと、専用の通行手形まで出してくれました。
おかげで吉松聯隊長とその部下たちは、途中でトラブルに遭うこともなく、全員無事に日本に帰国することができました。

こうして昭和22年の暮れ、吉松喜三氏は日本の土を踏みました。
けれどようやく日本に帰国した吉松氏を迎えたのは「公職追放」の四文字でした。
苦しい生活が続きました。
この頃の吉松氏は、「死んだ部下の遺族と連絡を取り、いつか必ず慰霊祭を行いたい。そのために生き抜くんだ」とそれだけを思って日々を耐え忍んだといいます。

そして旧部下の消息の把握のためや、遺族扶助料問題や遺族の調査など、吉松氏は日夜、地道な活動をつづけました。
吉松氏が公職追放を解かれたのは、ようやく昭和30年の春になってのことでした。
そしてやっとのことで、念願の慰霊祭を靖国神社で催せたのは、昭和34年のことです。

その日、吉松元聯隊長は、集まった戦友らとともに靖國神社境内の隅に記念の桜の木を二本植えました。
吉松元隊長が最初の鍬を入れました。
境内の固く踏みしめられた土を掘り起こそうとしたとき、突然、吉松氏の心の中に、Chinaの包頭(ほうとう)の街の姿と、宣昌の野戦病院で見た修道女たちの歌声がよみがえったそうです。
そして自分の内部に、何かが萌え出てくるのを感じました。
それは吉松元隊長が長いこと忘れていたものでした。
吉松氏は、はっと気がつきました。
「そうだ、戦没者をなぐさめるために、靖国神社の境内にある樹々の実から苗木を育て、それを遺族に送ろう」

さっそく吉松氏は神社の庶務課長と相談しました。
とりあえず参道にある銀杏の実でやってみようということになりました。
銀杏は靖国の主木です。樹齢も二百年を越すほど長い。参道の両脇にたくさん植わっています。
銀杏は天空にそびえる大樹となる。
吉松氏は、神社の好意で、境内の一角の瓦礫の空地を借りることができました。
さっそく整地にとりかかりました。そこに銀杏の実を植え、苗を育てるのです。

彼は、たったひとりで靖国神社の銀杏の実を拾い集めました。
けれどやってみると、以外にこれがたいへんなことだとわかりました。
なぜかというと、当時の日本はまだ貧しく、神社の銀杏の実を拾って、食べ物のギンナンの実として売る人たちがいたのです。
日中になると、銀杏の実はひとつ残らず持っていかれてしまう。
なので吉松氏は、実を拾い集めるために、毎朝中野から午前4時7分発の一番電車で靖國に出かけました。
そしてまだ暗い中を、懐中電灯を頼りに、合計1400個の実を拾い集めました。

当時を振り返って吉松氏は語ります。
「ひとりぼっちで玉砂利を踏んで拾っていると、ふと、ひとつひとつの実が、国のために死んだ人たちの魂が宿っているような気がしましてね。
この実を育てて大木にしたら、その木にその人たちの魂が戻ってきて、宿ってくれるのではないだろうかって。そう思うと、もしやこの銀杏の実や苗を、ふるさとの土地で育ててもらったら、これこそ遺骨の奉還になるのではないか。どんなに戦が惨列をきわめても、部下の遺骨を拾って遺族にお渡しするのは、指揮官としての私の義務ではないか。
こんな風に考えてまいりますと、不意に希望と光明がどこからともなく湧いてきましてね・・・」

そう語る老隊長の眼には、涙が浮かんでいたそうです。
戦時中、外地で亡くなられた兵隊さんたちの遺骨は、遺族のもとに渡されました。
しかしその遺骨の中味は「英霊」と書いた紙一枚というのがほとんどだったのです。

吉松氏の靖国神社での銀杏の実拾いと苗木の育成は、その日からずっと日課になりました。
くる日もくる日も。そしてくる年もくる年も。

やがて慰霊植樹は、日本国内から、当時まだ米国領だった沖縄、ベトナムのサイゴン、懐かしの地である中国の安北、包頭付近までひろがり、苗木は大切に保護されて送られていきました。

昭和三七年の春、「沖縄の忠霊塔のそばにまいた銀杏の実が、十個のうち七個まで芽を出し、今では15センチ以上に伸びています」という嬉しい便りが、吉松氏のもとに届けられました。
そしてこれと前後して吉松氏のもとに、Chinaの内蒙古安北県の人民委員会から公文書が届きました。
「あなたの植えた木が6メートルほどに伸び、並木となって青々と茂っています。私たちの友好が幾山河を越え心と心がつながり、世界平和が実現されますように。」

吉松氏には、その並木の木々の一本一本に、思い出があります。
苗をみんなで育てたときのこと。
接ぎ木したときのこと。
植樹したときのこと。
仲間たちの笑顔。
掛け声。明るい笑い声。
みんなで歌った「興亜植樹の歌」の歌声。
ひとりひとりの戦友たちの顔が浮かびます。
仲間たちの思いが、いまも生きて、並木となっている。
「君たちに会うときの、いいみやげ話ができたよ。」
吉松隊長は、その手紙を握りしめ、ひとり男泣きに泣いたそうです。

また、吉松氏のもとには、戦争未亡人からの礼状も届けられました。
「先日、靖国神社で初めてお会いしましたあなた様より、いちょうの鉢植えをいただきまして、まことにありがとうございました。
子供たちと話しましたところ、長く大切に育てるため「父の木」と命名いたし、この樹を父と思い、大切に大切にいたすことといたしました。
これもみな、あなた様のお導きの賜物でございます。」

吉松氏は言います。
「苦しいことばかりでした。経済的にまいりかけたこともたびたびあります。
正直いって一銭にもならないのに・・・そう思って気分的に滅入ってしまいまして・・・でも、歯を食いしばって、続けてきました。
それでよかった。
銀杏だけだったのが、今は桜やとち、楓、すっかり園芸家になってしまいました。
最近は神社のご好意で、一般の人にもお分けできるようにしていただきましたし。
今ですか?
苗木一本につき百円の志をいただいております。
亡くなった方の霊をお慰めするつもりになっていただいて、百円だしていただくわけなのです。
こうして昨年は百万円近い金額が集まりました。その二割を靖国神社にお納めして、後は人件費、肥料、用意などに使いました。
人件費というのは、私の給料、というか生活費。ハイ、やっと月に四万円ほどいただく身分になりました。
つい先日のことですがね。「靖國」、つまり国を平和に安らかにする、そうするにはどうすればいいか、そんなこと考えながら、じっと「靖國」という字を見ていたんです。
そしたら、思わず笑ってしまいました。「青を立てる」これが靖国なんですね。
なんだ、自分のしてきたことでよかったのだ。
笑いながら久しぶりに涙をこぼしました。」

昭和44年7月14日、志を立ててから30年目の記念日の老隊長の言葉です。
そしてその年は、戦後に慰霊植樹を始めてから満10年を迎える年でもありました。

毎年訪れる8月15日の終戦記念日には、多くの遺族が靖国の境内を埋めます。
その人たちにこの銀杏を、桜の苗を、残らず差し上げる。
そして空になった苗田に、また今年の秋の実をまく。
20年もすれば、それらはの苗は、立派な銀杏の木となって、日本中を平和な緑で飾る。

「私も74歳になりましたからね。その日まではとても生きてはいられないですが」」と老隊長は、にっこりと微笑んだそうです。

昭和60年、緑の聯隊長こと吉松喜三元陸軍大佐は90歳で永眠されました。
靖国神社の境内の左側には、いまも参拝記念樹の頒布所があります。
吉松隊長の心は、いまでもずっと息づいているのです。

※この記事は2010年9月にアップしたものをリニューアルしたものです。




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コメント
そこは荒野か、草原か
(本コメは、吉松喜三大佐の活動と直接関係ありません)

現在、日本国内には内モンゴルを含む中国で継続的に植林・緑化活動を行っている組織がたくさんあります。ちょっと検索しただけでも「沙漠緑化」「沙漠植林」「沙漠化防止」といった名前を冠した団体を見つけることができます。さらに「日中友好」「環境保護」を謳う団体でも中国での植林活動を行っています。

日本政府は、平成11年(1999年)に中国の植林活動を支援するため、中国政府と共同で「日中民間緑化協力委員会」を設置しています。この中国政府の意向を受けた委員会が、中国に植林しようという日本の民間団体などに資金助成を行う仕組みです。資金は、平成11年度の本予算及び補正予算から拠出された日本からの100億円で、「日中緑化交流基金」にプールされています。

実際に植林・緑化に取り組んでいる人々の「善意」を完全否定するつもりはありませんが、中国緑化事業が助成金(日本国民の血税)を当てにした「ビジネス」となっている側面があります。また、中国関連事業の御多分に漏れずに、過去には不正受給問題も発生しています。

これらの植林・緑化事業は中国政府がカウンターパートなので、必ずしも現地住民の意向に添っていないという指摘もあります。中国における緑化事業の中核は、1999年に試行され、2003年から全面実施された「退耕還林」でした。これは山間部の耕作を禁止して森林を回復させる政策で、上述の日中委員会同様、1998年に発生した長江や松花江での洪水(合わせて3000人余りが死亡)に対する反省から始まったものです。

この「退耕還林」を、内モンゴルの草原地域にも適用されました。「退牧還草」政策です。「退耕還林」洪水対策でしたが、「退牧還草」は乾燥地帯の草原保護を目的としたものです。牧畜地を草原に戻すという政策で、主に「禁牧」「休牧」「区輪牧畜」という3つの手段が採用されました。この「退牧還草」政策には、草原退化の原因はモンゴル人の放牧にあるという前提があります。

ところが一部のモンゴル人たちは砂漠化の原因は、農地開墾と資源採掘だとしています。資源採掘は比較的近年の問題ですが、石炭、石油、レアアースなどの大規模な乱開発により、重大な環境破壊が引き起され、しかも利益は漢人に独占されているとも非難しています。一方の内モンゴルへの漢人流入と農地開墾は古くからある事象ですが、中華人民共和国の成立後、1950年代に食糧増産の必要から、内モンゴルに大量の漢人農民を入植させ、草原の耕地化は急激に進みました。

内モンゴルの土壌は表面に数cm~数十cmの黒土があり、その下に脆い砂岩の層が堆積しています。こうした土地を畑として耕すと、地表の黒土と下層の砂地を混ぜることになります。最初の数年は黒土に含まれる養分でそれなりの収量が得られますが、そもそもが痩せた土壌なので3年目ぐらいから年ごとに減産します。作物が穫れなくなってくると砂地がむき出しの土地なので保水力が失われ、ますます痩せた土地となります。

草原地帯は少雨といっても水のある場所もあります。農業も植林もこうした水源から水を得て行うことになりますが、そこで特権的に大量の水を使用すれば、周辺地域には水が行き届かず、乾燥化します。無理に地下水を使えば、原生植物に深刻な影響を及ぼすことも考えられます。また、水は蒸発するばかりで排水しないので、このような灌漑農地は塩類化(アルカリ化)が起こりやすいという問題もあります。

こうして土地が耕作不能になると、漢人農民は焼畑農業よろしくそこを放棄して新しい場所の移動します。放棄された耕地は完全に砂漠化します。つまり、砂漠になっているのは牧草地ではなく、開墾農地だというのがモンゴル人たちの言い分です。ちなみに一度農地として耕された土地を牧草地に戻すことは不可能だと言われています。

日本の植林団体には中国当局による指導の下、牧草地に植林しているところもあるようで、現地の牧畜者(多くはモンゴル人)には戸惑いの声が囁かれていると言います。地下水が比較的豊富な牧草地への植林は成果が出やすく、継続的に助成金を得たい日本側の団体にとっても都合の良いものなのだとか。牧草地を枯らせて木を育てている、というのは言い過ぎなのでしょうか。

植林団体=中国政府にとっては、家畜が多すぎることが砂漠化の原因なので、家畜の頭数制限が必要となります。そこで日本の団体の中には、牧畜者に脱牧畜を勧めるために農業指導をしているところもあります。これも農業こそが砂漠化の原因だとする立場からするとまったく実情に合わないということになります。

内モンゴルの気候と植生は地域ごとのさまざまです。植林が向いている場所もあれば、向いていない場所もあります。日本の植林団体はどういうわけかポプラを植えたがるようですが、ポプラは比較的水の要求量が多い植物で、場所によっては地下水の枯渇を惹起するとも限りません。もともと喬木(高い木)がなかった場所なら、濯木(低い木)を植えるとか、草を育てた方がよいという意見もあります。

遊牧民に言わせると、中国官僚も漢人農民も「草原を知らない」ということになのでしょう。我々日本人も草原というとどこまでも続く緑の大地を思い浮かべますが、アジア内陸のステップは草が青々と茂っているのは夏のほんの一時期だけで、それ以外の季節は見渡す限りの枯れ草か、雪や霜に閉ざされているかです。夏も雨量によっては、草がよく生える年とあまり生えない年があります。だから遊牧民たちは、草を求めて移動するのです。

「草原」を「荒野」だと思って「緑化」しようとし、返って「砂漠化」させている――そんな喜悲劇が心配です。
2014/08/14(木) 05:32 | URL | モンゴル8000 #-[ 編集]
No title
美しいお話をありがとうございました。
世界の他国の人々が知らなくても、縁ある人間が知っていればもうそれで良いと思いました。おてんとさまは見てるよーと昔、おばあちゃんが言ってました。
2014/08/13(水) 22:53 | URL | 花まりん #-[ 編集]
No title
自分も日々、こちらに来るのを楽しみにしています。
いつも素晴らしいお話をありがとうございます!
2014/08/13(水) 18:27 | URL | #-[ 編集]
優しき緑
 ねず先生、失礼致します^^!

 本日の吉松隊長殿の優しさに満ちた植樹のお話、 誠にありがとうございます^^
自分は、大きな感動と癒しを頂きました…!
 当に“小説より奇なり”という言葉がこの上なく似合う誠に素晴らしいお話だと思います。
 是非、吉松隊長役に渡辺謙辺りをキャスティングし、全世界に向けて映画化して頂きたく思います^^!

 …自分には大東亜戦争とは、その戦争目的、結果、そして本日のお話での吉松隊長殿を始め特攻隊や勇敢な兵隊の皆々様から考えるに、…世界史における本当の意味での“聖戦”としてしか認識できません…!(もっとも、某学校教員は“世界征服戦争”と言っておりましたが…^^;(笑))

 ねず先生、本日も素晴らしいお話、誠に、誠にありがとうございます !
自分は日々、ここに来るのが楽しみです^^
 どうかこれからもお体を大切にし、素晴らしいお話をUPし続けて下さい ^^!

では!
2014/08/13(水) 14:46 | URL | 次郎左衛門 #-[ 編集]
このお話は、ねずさんのブログの中で大好きなものの一つです。

戦争の悲惨さの中に、緑の聯隊長さんのような日本人らしいお話は、埋れてしまいます。


『「靖國」、つまり国を平和に安らかにする、そうするにはどうすればいいか』

こんな想いの英霊の方々のお話を、これからもよろしくお願いいたします♪
2014/08/13(水) 13:17 | URL | みやび #MMIYU.WA[ 編集]
佐渡市の不動産(土地、建物、水源水利など)が、帰化未帰化在日韓国人不動産屋経由で、共産シナ人なりすまし共産シナ朝鮮族によって買われてしまっています。
「福岡県マーメイド」
佐渡市(すなわち佐渡島)相川高干地区および真野西三川地区の高台は、帰化未帰化在日韓国人不動産屋経由で、共産シナ人なりすまし共産シナ朝鮮族によって買われてしまっています。そして、この共産シナ人なりすまし共産シナ朝鮮族は、農業用水使用料金を日本人から搾取しているそうです。道の駅側の元能舞台の建物も、帰化未帰化在日韓国人不動産屋経由で、共産シナ人なりすまし共産シナ朝鮮族によって買われてしまっています。

韓国から印刷工作資金(政府補償)を受け取った帰化未帰化在日韓国人不動産屋は、日本国内の不動産(土地、建物、水源水利など)を買収し、韓国人・共産シナ朝鮮族・共産シナ人へ転売し日本国への大量移民の足掛かりをつくっています。

【韓国人・共産シナ朝鮮族・共産シナ人の日本国内不動産(土地、建物、水源水利など)取得=憲法違反】
【韓国人・共産シナ朝鮮族・共産シナ人の不動産取扱資格(司法書士、宅地建物取引主任者など)取得=憲法違反】
【韓国人・共産シナ朝鮮族・共産シナ人の日本国への内覧(観光)と入国緩和(査証免除・査証緩和)と移民推進(留学・教員・研修・就業・定住・永住・特別永住・帰化)=帰化未帰化在日韓国人の日本国人口侵略工作】

以上について緊急徹底抗議先
首相安倍晋三F03 35813883・55100654
100-8970千代田区霞が関3-1-1規制改革担当大臣稲田朋美F0335814611
総務大臣新藤義孝F03 5253 5190
総務事務次官岡崎浩巳F新藤先生と同じです
総務省自治行政局長門山泰明F03 5253 5512・5614
法務大臣谷垣禎一F0335927009
法務事務次官稲田伸夫F谷垣先生と同じです
公安調査庁長官
外務事務次官齋木昭隆F03 5501 8057・8128
外務省領事局外国人課長小川秀俊F0355018174
国土交通大臣政務官坂井学F0352531523
観光庁長官久保成人F0352531563=観光庁は帰化在日韓国人職員と創価学会員職員ばかり
自民党新潟県連F025 285 0236・280 5496
自民党全員
次世代の党全員
日本維新の会の三木圭恵

952-1292佐渡市千種232
佐渡市長甲斐元也F0259 63 3300

952-1393佐渡市河原田本町394
佐渡市議会事務局F0259 57 4410
議長根岸勇雄=無
副議長近藤和義=民
新生ク4政友会4市政会3自由三一ク3地域政策研究会2共2民1無3→自民0

【抗議葉書は効果が大きい】
2014/08/13(水) 11:50 | URL | 詩織 #YcnlV6lI[ 編集]
No title
敷地内に木や果実樹を植えたくなりました。ちょっとホームセンターに行ってきます。
2014/08/13(水) 10:45 | URL | 鬼っ子 #-[ 編集]
敵地に入って植樹しようとは、韓国、朝鮮人は、つゆも想わないだろうな。日本人は優しく、素晴らしいですね。
2014/08/13(水) 09:39 | URL | #-[ 編集]
No title
こういう事実=歴史=為になるいい話は、子供たちにも解るように再現ドラマ仕立を織りまぜて1時間ほどのDVDにし、シリーズ化して残していってほしいですねぇ。
道徳教育の強化が図られようとしている折り、これらを道徳の授業に使っていくというのはどうでしょうか。
2014/08/13(水) 09:39 | URL | #-[ 編集]
No title
誠によいお話、有難うございました。偉大なる先人の方々に深く感謝いたします。その方々に託された我が国を守るべく自分にできることを精いっぱいやってゆきたいと思っています。
2014/08/13(水) 08:58 | URL | 通りすがりの武人 #-[ 編集]
涙がどっと流れてきました。吉松大佐はじめ植樹をされた陸軍兵士の方達は、本当に良い仕事をされたと想います。 日本兵だけではなく、敵であった支那の兵士達の慰霊の為にもと植樹された木は、何れだけ多くの方達の心を慰め、同胞や敵の御霊の依り代になり成仏の橋渡しをしたかと想うと吉松大佐、ありがとうございますと申し上げたい気持ちです。日本人ほど平和を愛する民族はいません。戦えば鬼神の働きをして、これほど強い民族はいませんが、根っから平和を愛し、希求するのは日本人の心であり、民族性だと想う。植樹する事は、本当に大切で素晴らしい事です。
2014/08/13(水) 07:59 | URL | ケイシ #-[ 編集]
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。

日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
(著書)

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』

『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦

『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
最新刊
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』

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口座名義 小名木善行
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
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最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
テーマは、ご自由に設定いただいて結構です。
講演時間は90分が基準ですが、会場のご都合に合わせます。
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<ご参考>
古事記に学ぶ経営学
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百人一首に学ぶ日本の心
女流歌人の素晴らしさ
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台灣民政府
台湾民政府
サンフランシスコ講和条約で、日本は台湾に関して処分権は連合国に提供しましたが、領土の割譲は行っていません。条約以降、連合国も日本も台湾の処分先を決めていません。つまり台湾はいまも日本であり、台湾にいる1500万人の戦前からいる台湾人は、日本国籍を有する日本人です。私は台湾民政府を支持します。
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コメントをくださる皆様へ
基本的にご意見は尊重し、削除も最低限にとどめますが、コメントは互いに尊敬と互譲の心をもってお願いします。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメント、並びに他人への誹謗中傷にあたるコメントは、削除しますのであしからず。
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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