わざわざ自分の秘伝をタダで公開する必要はないのだが、塾のための備忘録も兼ねて。


僕が脚本や絵コンテを描く時、キャラをどうするか?
実は感情移入では描かず、将棋の駒を動かすように描く。

そうしないとキャラブレしてしまうし、心情描写が解りにくい(伝わりにくい)からだ。

作劇は将棋に似ている。僕は将棋が大の苦手だが、原理は似ている。
駒ひとつひとつの「役割」が決められていて、その関係性に「ルール」がある。
でなければ、観客が解りにくいのだ。

飛車が急に斜めに飛んだり、駒が相手の駒を何段飛ばしもしていては、訳が解らない。
観客はさも生きた人間を見るように感情移入した気になっているようで、実はそのルールに則って、キャラの動きを読んで、ストーリーをゲームのように組み立てているのだ。

もちろんキャラが変化したり、成長したりする時がある。しかしそれは「成金」のように、やはり特定の環境や条件を設定しない限り、観客には解らないものであって、誰にも予測できないところでキャラが豹変するのは、ただの精神異常に思えてしまうのだ。

こうしないと、キャラがただのキチガイに見えてしまう。
こうなるとどんな作品もサイコホラーになってしまう。

しかしこの業界、毎度のことながら、「サイコホラー」になってしまった脚本が実に多い。
某『あたしンち』でも、オリジナルシーンに入るや否や、みかんやユズヒコが急にお父さんラブ!になってしまい、母と喧嘩しているのそっちのけで満面の笑みで「お父さんお帰り!」とか出迎え出して、思わずズッコケた。
しかもそのライターは今や結構な巨匠。当時もそれなりに名があった人だ。

もちろん僕はその脚本を捨て、原作の流れに従って書き直した。

『かんなぎ』までは、全部その方法でキャラ造形をした。
しかし僕の中で、「人間を駒のように動かしていていいものか?」と疑問に思うようになった。
もっと生々しく、もっと複雑で入り組んだ人間の心模様、心の機微を描くべきではないか??

と思って『フラクタル』を作ったら、誰も解ってくれなかった。
あーあ、所詮観客にとっては将棋か、と思い、続いて『WUG』を作った。

『WUG』のキャラは極端に記号化した。
この子はツンデレ、この子は天真爛漫、この子は元ヤン、この子はお母さんキャラ・・・と、レッテルのように貼って、説明を単純にした。
オリジナルで、しかも主要キャラが七人もいると、そうしないとスタッフ間でキャラブレが酷くなる。そういう意図だ。

そのお陰でスタッフも、新人として現場に入ったキャストも、すんなりキャラに入れたようだ。
これだけアホでも解るように作ったのに、どうして「去年」あれだけキャラブレしてしまったのか、未だに謎だ。


プロならこれくらい勉強してから来いや、と嘆きたくもなるが、もうバカにバカと言っててもしょうがないので、ひとりでもマトモなクリエイターを育てるしかない。
これを読んだあなたも、是非マトモに育ってほしい。