額を地面へこすりつけ、なおも足りないと言い切れる重圧が掻き消えた。
しかしその存在感はいまだ残り続けている。心の底から愛している主人の圧倒的力が、まるで残り香のようにその場に漂っているなどという錯覚に陥る。
いや……彼らにとっては錯覚ではないのかもしれない。死ねと言われれば迷いなく腹を掻っ切ることなど容易い、それほどの忠義を誓う至高の存在の後に焦がれないほうがおかしいのだ。
いくばくかの時間が流れた。
張り詰めていた空気が弛緩し、誰かが安堵の息を吐いた頃、初めに立ち上がったのは守護者統括であるアルベドだ。羽についた汚れを払いながら、先ほどまでモモンガが立っていた場所をうっとりと眺めている。
「す、凄く怖かったね、お姉ちゃん」
マーレ・ベロ・フィオーレはゆっくりを頭を上げ、隣の姉であるアウラ・ベラ・フィオーラへ語りかけた。
怖かったとは言ったが、その顔に恐怖の影はない。むしろモモンガの絶対的な力を前にして、その波動を一身に受け止めることが出来たという事実に対しての喜びからか、マーレの顔は酷く緩みきったものだった。
アルベドやマーレに触発された面々も続いて立ち上がり、各々が感じたモモンガへの感想を口にする。
「ホント、あたし押しつぶされるかと思った」
「流石はモモンガ様。私達守護者にもそのお力の効果を発揮なさるなんて……」
「ウム。カノ至高ノ御方デアルモモンガ様、我々ナドヨリモ遥カナ高ミニイラッシャルト思ッテイタガ、マサカコレホドトハ」
絶望のオーラ。それが、守護者達を押し付けていた力の正体だ。
本来はLv60以下の相手にしか効果が無い、大半がLv100だったユグドラシルではいわゆる死にスキルといわれていた物だ。当然モモンガと同じくLv100である守護者達にも意味を為さないはずなのだが、モモンガが持っていたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンによって強化された結果である。
流石に即死することはないうえに、無意識に漏れ出したとはいえモモンガも極限までセーブしていた。
しかし、そんな事情を知らない守護者達の深読みは加速する。
「ですね。私達が守護者として名乗るまでは、モモンガ様はお持ちになっているお力を一切発揮なされていませんでした。私達がその偉大なるお力によって押しつぶされてしまうことを危惧なされたうえで、私達が耐えうる最低限のレベルのお力をお見せになったのでしょう」
「ナルホド……ツマリハ我々ノ忠義ニ応エテ下サッタトイウコトカ」
「あたしたちと一緒にいたときも全然オーラを放ってなかったしね! モモンガ様凄く優しかったんだよ、お水を飲ませてくださったし、プライマルファイアーエレメンタルを倒した時も褒めてくださったし……」
えへへと、だらしなく口角を下げたアウラは思い出すように自身の頭をさする。マーレも姉に触発されて、顔を真っ赤に火照らせながら頭に残った温もりに意識が引っ張られる。
守護者達が闘技場に揃う前、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンと自身の魔法の調子を確かめるために召喚した根源の火精霊を、アウラとマーレのコンビで打ち負かしたのだ。Lv差が10以上あるため苦戦はなかったが、それでも根源の火精霊は同レベルプレイヤーならばパーティを組んで討伐しなければならない程度の強さはある。例えアウラとマーレであっても、一撃を貰えば決して小さくはないダメージを負うことになっただろう。それでも、双子は無傷で切り抜けて見せた。それは素直に評価されるべきものであり、モモンガも惜しみのない賞賛を送ったのだ。
しかし、アウラの発言で場の空気が一変した。実直なコキュートスやモモンガに盲目的なアルベドはともかく、理性的で普段は守護者達の手綱を握る側のデミウルゴスとセバスでさえも、目に見えて気配が濃厚なものへと切り替わる。それは嫉妬だ。双子が褒められたという事実に対しての、明確な妬み。
もちろんそこに憎しみなど無い。どちらかと言えば至らなかった自身に対しての怒りであり、次は自分こそという決意の表れである。
だがそれも『心』を持つ守護者それぞれで程度の違いがある。特にアルベドはその鋭い爪が手袋を引き裂き、手のひらさえも突き破りそうな力み具合で、顔を伏せプルプルと震えていた。
「あ、あれがここナザリック地下大墳墓の支配者、モモンガ様のお力の一端なんだよね。そんなお方に仕えられる僕たちって、本当に幸せ者だよね!」
いち早くアルベドの様子を察知したマーレは、ビクビクと怯えながらもしっかりと声を発する。嘘偽りの無い、心から思った言葉だ。驚くほどに現実味が篭った内容に、アルベドは一度ピクリと身体を跳ねさせ、その剣呑な雰囲気を綺麗に仕舞った。
「全くその通りです。モモンガ様は至高の御方々の頂点に立ち、今日これまで、そしてこれからもひ弱な我々を導いてくださる慈悲深き君……至高なる四十一人の方々がお隠れになった後も、我々を見捨てずお残りになられた愛しき絶対支配者なのです」
愛しき、という部分を強調して、アルベドは大仰に高らかに謳う。守護者達はその振る舞いを怪訝に思うことはなく、アルベドの言葉に深く同調した。
当然だ。至高の四十一人の道具として創造された彼らにとっての最大の喜びとは、役に立つこと。その身の全てを懸けて尽くすべき存在の力の一部を感じられたことが、どれほど名誉なことか。
自分たちは幸せ者だ――アルベドから改めて知らしめられた事実に、六人はその至福を全身で感じ入る。なんと心地の良いことか。あの、自分たちが愛してやまない至高の御身に、これからも命を懸けて仕えることができるのだ。
それに比べて――
そこから先は、ダレも思考しない。
「……それでは私は先に戻ります。モモンガ様のお傍にいる必要がありますし、プレアデスたちにも指示を飛ばさねば」
いち早く戻ってきたセバスは、一度咳払いを挟んで口を開いた。
守護者達も自分の役割を思い出す。モモンガより警戒の強化を言い渡された以上、暢気にも愉悦に浸っている暇はない。事態が一刻を争うということも理解している。
ナザリックの名が轟いていたかの地ではいざ知らず、ここは未知の場所。蛮族たちがいつ攻め入ってくるかもわからない。
特にセバス……というよりもプレアデスはモモンガの護衛を務めるのが役目。このような場所で油を売っている時間はなかった。それに反応したアルベドがなにやら言っているが、セバスはそれを柳の如く受け流し一礼し闘技場をあとにする。
守護者ではないとはいえ、セバスはアルベドとコキュートスと同格の強さ。真の力を発揮すれば単体であれば時にマーレをも凌駕する。モモンガに対しての忠誠心も高くなおかつ同姓ということで、守護者各員からの信頼も厚い。
デミウルゴスとは製作者のこともあり多少意見が合わないことがあるが……それでも、モモンガへの献身という最も重要な点に関しては絶大な信頼を置いている。故にセバスがモモンガの身辺警護にあたっていることに何の不満も嫉妬も無い。
「でだ、シャルティア。ずっとそのままだけど、どうかしたのかい?」
アウラとマーレ、アルベド、コキュートスと各々モモンガへの想いを繰り広げているかたわら、流石智将といった風に頭の中で今後の行動をシュミレートしているデミウルゴスは、いまだ跪いたまま動く気配の無かったシャルティア・ブラッドフォールンへと声を掛けた。
シャルティアは応えない。しかし聞こえてはいるのか、デミウルゴスの呼びかけにぶるっと一度震える。
「シャルティア……具合ガ悪イノカ?」
コキュートスの声は反響するためお世辞にも聞き取りやすいとはいえない。しかしその内に篭った心からの心配の念は、その場にいるダレもが感じ取ることが出来た。そんなコキュートスを無視することなど出来るはずもなく、シャルティアはようやく顔を上げる。
病的に白い肌を紅潮させ、興奮しているのか濁った瞳は焦点が合っていない。腕は自らの体を抱くように交差し、まさに夢心地といった様子で先ほどの光景に想いを馳せていた。
「あれが、あれがっモモンガ様の凄み……肢体を駆け巡る恐怖、そのあとにやって来るこの身を征服される快感――下着が結構まずいことになってありんすの」
いやんいやんと一人体をくねらせるシャルティアを見た守護者たちは、いつもの発作かと大きなため息を吐く。マーレだけは何の話か理解していないようだったが、デミウルゴスたちは呆れはするがこのシャルティアに限っては仕方のないことだと理解している。
死体愛好癖……これでもかと創造主の性癖を詰め込まれたシャルティアは、性癖のサラダボウルと呼べるだろう。彼女の嗜好の乗算にさらに彼女自身の愛が掛け合わされれば、必然とこのようなこととなる。
デミウルゴス自身、モモンガの先ほどの激励を聞いた時、感動のあまり声を上げて泣き出してしまいそうだった。溢れる涙を押し留めるので精一杯だった。モモンガの一言一言を噛み締め、脳に刻み込み、昇華する。その工程にデミウルゴスが悦びを感じることと同じなのだ。
それは、他の守護者達も同じ。
シャルティアの様子を咎めることなく、彼らも再びモモンガの声を頭の中で再生する。
しかしその思考も、アルベドの言葉で阻まれることとなる。
「わかるわ」
「アルベド……ぬしも同じでありんすか」
いまだ夢の中だったシャルティアは、近づいてきたアルベドを火照った表情のまま見上げる。アルベドもまた、シャルティアと同じくその頬を淡く染めていた。
「あの、モモンガ様がお怒りになった時の威圧感……頭頂からつま先まで稲妻が駆け抜けた感覚だったわ。不敬だけれど、たまらなかったわね」
モモンガとマーレの会話に余計な茶々を入れた際、モモンガが発した怒気は確かなものだった。緊急事態に意見を汲み上げているというのに、それを邪魔した罪は小さくはない。モモンガとしては強く言いすぎたかと後悔していたが、どうやらアルベド的にはそれも綱渡りではあるが刺激的なスパイスだったらしい。
もちろん意図してモモンガを怒らせる真似など、その身を引き裂かれてもしようとは思わないが――なかなかどうして、予想外の感覚を味わうことが出来たようだ。
そのまま二人はしゃがみこみ、だらしなく緩みきった顔で互いにモモンガの素晴らしさを語り始める。器用に腰を落としたまま、太ももの内側をもじもじと擦り合わせている。そこに剣呑な雰囲気はなく、シャルティアのいわゆる上級者向けな発言にもアルベドは「くふー!」などと奇声を上げながらコクコクと頷いていた。
「さて……アウラ」
「な、なに?」
眼鏡のブリッジを押し上げ、諦めの混じった声でデミウルゴスがアウラに語りかける。アウラは微妙な表情で女性陣の様子を眺めていたが、デミウルゴスの呼びかけにびくりと反応した。
「君は混ざらなくてもいいのかい?」
「はぁ!? なんであたしもアレに混じらないといけないのよ!」
予想外の言葉に、アウラは声を荒げる。
アレという言葉が差すように、アウラは別にアルベドとシャルティアの仲間に入りたくて観察していたわけではない。確かにちょっとは気になるけど――という気持ちは無いわけではないが。まあ興味はあった。
アウラにはアウラのモモンガへの想いがあり、それは自身の内で蕾をつけている。そして、それに気付かないデミウルゴスではない。デミウルゴスはアウラが内に秘める想いを理解したうえで、悪魔のものとは思えないほどの優しく穏やかな笑顔で、アウラを諭すように言葉を紡ぐ。
「確かに彼女たちは少々行き過ぎてはいるが……いずれ君の"友"となる存在だ。慣れておくべきだと思うけどね」
80年弱しか生きておらず策謀にも疎いアウラが、デミウルゴスの真意を見抜くことは出来ない。しかし彼が自分たちを大切に思っていること、何よりそのすべてをモモンガへと捧げていることをアウラはよく理解している。
だからこそ、アウラはしぶしぶだがデミウルゴスの言葉を大人しく聞き入れた。
「わかったわよ……」
なぜマーレには言わないのかということに疑問を感じながらではあるが、アウラはとぼとぼと女性陣の元へ向かう。会話に入れる気はしないけど、まあ聞いておくだけでも……と小さくはないため息を吐き出しながら。
そんなアウラの背中を、デミウルゴスは満足げにうんうんと頷きながら眺めている。アウラがアルベドとシャルティアの近くに腰を下ろしたことを確認すると、何も言わず立ったままのコキュートスと何時も通りオロオロしているマーレに向き直った。
「デミウルゴス、ドウイウ意味ダ?」
やはり二人もデミウルゴスの考えを理解していなかったようで、改めてデミウルゴスへと問いかける。
もしその問いかけがナザリック外の下等生物相手ならばその皮と肉を剥ぎ作品の材料としていただろうが、コキュートスの言葉に嫌な顔一つせず、むしろ「よくぞ聞いてくれた」とばかりに柔らかい笑みを零しながらデミウルゴスは口を開いた。
「偉大なる御身、我々のすべてを捧ぐモモンガ様のお世継ぎについてさ」
「ム……ソレハ……」
「お世継ぎ、ですか?」
「ああ。見捨てられた他の至高の方々とは違い、慈悲深いモモンガ様は最後までお残りになられた。それだけで身に余る幸福だ。我々男ではどうしようもないが……いずれきたる"その時"に向けて、彼女たちにはもっと親交を深めてもらわないとね」
男の自分では、その大役を担うことが出来ない。それを残念に思いながらも――彼はその果ての宝物の誕生を心待ちにする。自分には出来ないことだからこそ、彼女たちに託すのだ。
アルベドとシャルティア、アウラだけではない。デミウルゴスのその宝石の瞳には、ナザリックのすべてが映っている。同じ忠義を抱く者に貴賎はない。下等生物の場合はどう考えるかはまだ謎だが、少なくとも彼はそう思っている。
「彼女たちも同じ考えだろうさ。まあ……第一后については一悶着あるだろうけどね」
「ゴ子息カ……嗚呼、爺、爺ハ!」
コキュートスの脳裏に浮かぶのは、愛しき主君の子供と共に草原を走り回る光景。剣技を教え、自分はその身をお守りするために剣を取る。今まで考えもしなかった。何故思い至らなかったのかという自責の念さえも浮かぶほどだ。
「オオオ……ナント素晴ラシイ未来ダ。モモンガ様ト坊ッチャンニ仕エラレルナド、コレニ勝ル幸福ガアルダロウカ」
「僕も、ご、ご子息様と一緒にいたいです!」
普段の勇姿の影もなく、ただただ未来を夢想するコキュートス。目の前の物事をその武で解決しようとする彼からは想像もつかない姿。
マーレもその臆病な気配を引っ込め、その身を挺して守るべき二つの存在を幻視した。
彼らの心に映るものは、ナザリック地下大墳墓に君臨する美しき死の超越者。
後にも先にも。彼らの全ては、愛しきモモンガ様のためにあるのだから。
原作をなぞるだけになってしまうシーンは基本的にダイジェストでお送りします。
次回(短め)と番外編の二話を挟み、カルネ村編に入る予定であります