「今日がサービス終了の日ですし、お疲れなのは理解できますが、せっかくですから最後まで残っていかれませんか――」
両肩に巨大な赤い宝玉が飾られている、禍々しい漆黒のガウンを身にまとう男は、既に誰もいなくなった空席へと語りかける。剥き出しの骸骨に空いている二つの眼窩には、眼球が無い。皮も肉も無いため、その表情からは何の感情も推し量ることが出来ない。
先刻まで古き漆黒の粘体……いわゆるスライムと談笑していたが、それも終わりを迎えた。リアルの激務についていくのが精いっぱいで、二年ほど前にこのDMMO-RPG『ユグドラシル』を引退したヘロヘロは、疲労に体が悲鳴を上げ、眠気に打ち勝つことが出来ずログアウトした。
仕方がない事情、ヘロヘロや引退してしまった仲間の気持ちは痛いほどわかる。辞めたくて辞めた訳じゃない。夢がある、家族がある、現実がある――リアルを優先することは、当たり前なのだ。
「どこかでお会いましょう……か」
ヘロヘロのこの言葉が、社交辞令などではないことはわかっている。本心からユグドラシルIIやそれに比類する新しい世界があれば、また、時間を見つけて一緒に遊びましょう。決して短い付き合いではない、言外に秘められている想いや期待は感じ取れる。
しかし――その直後に、短い罵声と共に円卓へ叩きつけられた拳は、骸骨の心象を余すことなく物語っていた。
「ふざけるな!」
罵声は、誰に向けたものでもない。先ほどまで骸骨と話していた、スライムへのものであるはずがない。それはただ、あと一時間もせず崩れ落ちるこの世界への小さなやつあたり。
そう、誰も悪くない。このギルド――アインズ・ウール・ゴウンの加入条件は2つ。異形種であること、そして社会人であること。
仕事や家庭、そういったリアルの事情がある者ばかりだったのだ。ギルドメンバーの41人が全員揃う時などほとんどなかったし、だからこそよかったと思える部分もたくさんある。
「いや、違う……皆、苦渋の選択だったんだよな。12年間も過ごした世界を、簡単に棄てられるはずがないよな」
誰も裏切ってなどいない。見捨ててなどいない。
アインズ・ウール・ゴウン最後のメンバー――ギルド長モモンガは、座るコマンドを解除して立ち上がる。そして背後のギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを万感の思いで目に焼きつけ、意を決したように一度頷き手に取った。
完成以来誰の手にも握られたことのなかった最高位のスタッフは、まるで初めからモモンガが主君だと決まっていたかのように、厳かな黒く禍々しいオーラを放ちモモンガを歓迎した。
このギルドメンバーの努力と友情の結晶を、果たして一介の武器と同じ地に落としてもよいのだろうか。皆で作り上げた輝かしい栄光の証を、最後の日だからという理由で、輝かしい時代の残骸とも呼べる自分が手にとってもよいのだろうか。
――これは、モモンガさんが持つべきです。私たちは、貴方が上に立ってくれたこそ、今こうして輝けているのだから。
かつて自分を救ってくれた恩人の言葉が頭によぎったのだ。その言葉に賛同し、それぞれの思いの中笑ってくれる40人の面影を、思い出したのだ。
「……行こうか。我がギルドの証よ。いや――我らがギルドの証よ」
スタッフを握る手に一層力が篭る。その横顔に寂寥の翳は無い。モモンガの心には先ほどまで蝕んでいた寂しさよりも、温かな思い出の数々が、宿っていた。
執事のセバス・チャンと戦闘メイドプレアデスたちを従わせ、モモンガは栄光の最期を迎えるべく玉座の間へと足を運んだ。
ここナザリック地下大墳墓の事実上の所有者であるモモンガですら息を呑むほどの、豪華絢爛を極めた装飾。ナザリック最奥に位置するこの部屋は、作ったはいいが基本的にメンバーたちは先の円卓へと集まるため滅多に使うことが無かった。そもそも作った理由というのも、アインズ・ウール・ゴウン最強の一角であるウルベルト・アレイン・オードルが「――ここまで来たならば、その勇者さまたちを歓迎しようぜ。俺たちを悪とか言う奴が多いけど、ならその親玉らしく俺たちは奥で堂々と待ち構えるべきだろ」と駄々をこねたからである。一応多数決のもとに採用されたが。
玉座の間に割かれたリソースは勿論半端な物ではなかったが、この出来を見た慎重派のみんなも大満足だった。
「懐かしいなぁ……」
掲げられたメンバーたちの旗、金銀各種宝石がふんだんにあしらわれた玉座の間の奥には、十数段の階段。そしてその頂にはユグドラシルに200しか存在しないワールドアイテムが一つ、拠点NPCレベルポイント増強を行う玉座が、天を衝くように据えられていた。
最期くらいはギルド長らしく――モモンガがスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの封印を解いたのも、もとはと言えばこのためだ。サービス終了まで守り続けてきた自分へのご褒美。
41人全員が揃って迎えることが出来ればそれ以上の喜びはなかっただろうが、無いものねだりをしても仕方がない。皆が胸の中でユグドラシルの終わりを、ギルドの終わりを悼んでくれているのならそれでいい。
従者たちを伴って、モモンガは歩を進める。ギルドメンバーの紋章が刻まれた旗を感慨深そうに眺めながら、結局41人が集うことのなかった『夢』を一歩一歩踏みしめる。この場所に彼らはいない――だというのに。まるで、かつてのアインズ・ウール・ゴウンがそこにあると錯覚させるほど、モモンガの歩みは確かなものだった。
部屋の半分を進んだ頃。上を向いて歩いていたモモンガの視界の片隅が、純白のドレスを纏った美しい女性の姿を捉えた。黒い髪は腰ほどまで長く、惹き込まれそうになるほどに輝く金色の瞳。浮世離れした絶世の美女だが、縦に割れた瞳孔と、山羊を思わせる太い両角。そして腰の辺りから広がる漆黒の天使の翼が、彼女が人間ではないという事実を突きつける。
「えっと、確か――」
モモンガは立ち止まり、右手を顎へとあてがい考える素振りを見せる。
先ほどはコンソールで確認しなければセバスやプレアデスの名前を思い出すことが出来なかったが、彼女は別格だ。流石のモモンガも忘れることなどない。
言い訳しておくと、ここ数年間ほぼ毎日ログインしていたとはいえ、モモンガがナザリックにいた時間はほぼゼロに等しかった。モモンガ……鈴木悟のPCは、いわゆるガチビルドを組んでいない。もちろんLv100帯では上の下ほどの強さを持っているが、モモンガよりもキャラ的に、装備的に強いプレイヤーは多くいる。モモンガが最強クラスと呼ばれた所以は、その膨大なプレイ時間から齎されるプレイヤースキル。
30兆にも及ぶ莫大なギルドの財産と、マーケットに出してもいいとメンバーより譲り受けた装備に、モモンガは一切手をつけていない。多数決を重んじるこのギルドで、いくらギルド長ともいえども独断で行動することはモモンガの矜持が許さなかった。ではどうやってここナザリック地下大墳墓を維持していたかといえば、狩りをして金を稼いでいた。
しかし先述の通り、モモンガ自身の戦闘力は低い。悪名のこともあり二人以上の仲間連れに遭遇すれば、PK(プレイヤーキル)される危険性が高い。そのため、わざわざ人気が無く効率の悪い狩場を選んで金策し、ナザリックの宝物殿に金を放り込んでログアウトする毎日だったのだ。
そんな彼が、辿り着かれれば事実上壊滅を意味する第九階層を守護するメイドたちの名を覚えていないのは当然だった。
閑話休題。
美女の名は、アルベド。ナザリック地下大墳墓階層守護者統括を担う悪魔だ。設定上ではギルドメンバーの次に偉く、唯一この玉座の間で待機することを許されているNPCである。
「うおっ、ワールドアイテムじゃないか」
全身を再開し玉座へ続く階段の手前まで来たモモンガは、そんなアルベドが抱える杖を見て驚愕する。
ワールドアイテムとは、ユグドラシルに存在するアイテムの中で最上位に位置するレベルの物を指す。『公式が病気』『運営頭おかしい』と揶揄されるにふさわしい力を持ち、一つ所持しているだけで飛躍的な名声の向上に貢献するという。能力の強さはピンキリだが、ゲームバランスを崩壊させるほど強大な効果を持つ物がほとんどである。
アインズ・ウール・ゴウンが所有するワールドアイテムは11種。一つはギルドメンバー全員一致の意見でモモンガが携帯しており、他は宝物殿に厳重に保管されてある。当然、取り出し運用するためには多数決が必須なのだが――
「仕方ないなぁ」
本来であれば取り上げ、元あった場所に戻すべきだろう。しかし今日は最終日、何の考えもなく行動するメンバーは誰もいない。アルベドに渡した仲間の思いは汲むべきだ。
引退する際に、ナザリックの安全を案じて持たせてくれたのだ……そう考えたモモンガは、今はもういない仲間たちに思いを馳せながら階段へと足をかける。
メイドたちには待機を命じ、玉座へと腰を下ろす。ふと、横に立つアルベドに視線が移った。
「どんな設定だったっけ」
ナザリック地下大墳墓の最上位NPC。特に触れ合う機会もなかったモモンガは、その程度の設定しか知らない。ちょっとした好奇心で、アルベドの設定を覗くべくコンソールを起動する。
「長っ」
アルベドの設定欄には、膨大な量の文字がびっしりと敷き詰められていた。文字数は限界丁度で、どれだけの熱意を以てこのアルベドを創造したかが手に取るようにわかる。
ふと宝物殿の守護者の姿が脳裏をよぎった。あれも、確か文字制限ギリギリだった気がしなくもない。
自身の黒歴史を自ら掘り返しそうになったモモンガはかぶりを振り、記憶を彼方へ追いやってアルベドの設定欄を下へスクロールしていく。設定とはいっても、NPCは事前に組み上げられたAIに沿って行動するだけだ。凝った設定を付けたところで差ができるわけではない。
「タブラ・スマラグディナさん……そういや設定魔だっけ」
アルベドを創造したメンバーのことを忘れていた恥ずかしさからか、アルベドより向けられる無機質な視線から顔を隠す。
速読などできるわけがないので飛ばし飛ばしに読んでいると、ようやくたどり着いた設定の最後の一言に、モモンガの思考が一瞬止まった。
『ちなみにビッチである。』
「ひでぇ!」
こんな清楚で見た目麗しい女性がビッチとは。少し前の『外見だけであれば完璧な美女だ。』という言葉から、間違いはなさそうである。「ギャップ萌え……」と呟き、モモンガは頭を抱えて俯いた。
各メンバーが作り出したNPCは、いわばギルドの宝だ。モモンガからしても娘のようなものだし、そんな存在がこのような設定だとどこか救われない気がしたのだ。ギャップ萌えを持たないモモンガには到底理解できない高みの嗜好だった。
「変更するか」
ギルド武器を手にし、この玉座に座る自分は名実ともにギルド長だ。上に立つものは下のものの粗相を正さねばならない。あまりにも無茶苦茶で、適当かつ支離滅裂な理論だったが、要はモモンガはアルベドのことを可哀想に思ったのだ。迷いも何もない。ただ勝手に設定をいじるということには少し罪悪感を覚えたが、タブラも勝手にワールドアイテムを持ち出していたのでモモンガ的にはノーカンである。
ちなみに、タブラはNTR属性持ちだったりもする。
本来ならば作成した本人のクリエイトツールがなければ不可能だが、モモンガはギルド長特権を行使してアルベドのコンソールへアクセスする。
ビッチ云々の文言は即座に削除された。
「うーん、何か入れた方がいいよなぁ」
ぽっかりと空いてしまった設定欄最後の行を見て、モモンガはごちる。本来ならばガチガチに固められている設定に沿ったものがベストなのだろうが、その莫大な量の文字群を読み込む気力は無いし時間も無い。残された道は、モモンガのひらめきにかかっている。
「……」
ピンと、モモンガひらめいた。自身のその考えを嘲笑しながらも、カタカタとコンソールのキーボードを叩いて入力する。
『モモンガを愛している。』
「うおっほぅ」
まるで14歳の少年が文房具屋で買ってきた普通のノート(黒)へ秘密組織に所属する主人公(自分)がひそかに思いを寄せる女の子を見立てた少女を救い出すという悶々と膨らむ想像力をフルに働かせ数十ページに及んだ物語を執筆(笑)した際に最後の最後の設定欄で件の少女の項目にそっと少しの期待を込めて添えたあの若い頃を思い出す、そんな羞恥心がモモンガの全身を突き抜けた。
思わず杖を握っていた手を放し、両手で顔を覆う。あれだけ最後の時を格好良く迎えようとしていた思惑が台無しだった。
モモンガは羞恥のあまり、片手は顔を覆ったまま、やけくそ気味に決定キーを押す。
しかし思い出してほしい。モモンガは、このような私的なギルド長特権の行使は初めてである。無論自身の創造したNPCの設定の手直しは自身の持つクリエイトツールで行っていたし、メンバーの口頭以外で彼らが創造したNPCの設定を垣間見たのも初めてだ。
つまるところ。いつも自分たちが使っているキーボードと、ギルド長特権で用いるNPCコンソール用のキーボードの仕様が違っていても気づかない。
まして、このように自分の古傷を塩を塗りたくった指でほじくり返していればなおのこと注意力が散漫になる――
追加した内容をすべてのNPCに適用する←ピッ
モモンガ様、痛恨のミス――っ!