澤田地平氏の独立について、澤田氏本人の言い分のみが皆さんの判断基準になっていて、公平さを欠く
状況となっているので、もう一つの真相を公表します。
それは、澤田地平氏に日本サンクチュアリ協会からの独立をお願いしたした私の言い分です。
澤田氏の松涛本部前の活動については、当初から救命ボート会議の出席者の意見は、賛否両論ではなく
大部分が「やめて欲しい」というものでした。
その理由として代表的なものを紹介すると
①今までさまざな社会問題を起こしてきた家庭連合をつぶそうと思っている当局や勢力に、内部分裂から
内部闘争に発展しているという印象を与えてしまう事になり、家庭連合のみならず日本サンクチュアリ協会も
危険団体として監視対象団体になってしまうと、今後の活動の大きな妨げになる。
②現場で家庭連合の食口と話すと、家庭連合はおかしいと思っている食口であっても、澤田氏の活動は悪い印象で
受け止められている。左翼の活動家のような礼儀のなさ。服装。地獄に行くぞと叫ぶ人に知性はないのか。
亨進様は好きだが、日本サンクチュアリのメンバーは嫌いだ。
このような社会的観点と、感情的観点からの理由で、澤田氏に改善と中止を申し入れる意見が大部分だったのが真相です。
しかし、私達は亨進様の指示で、各自が「自由と責任」で行動する組織であり、家庭連合のように上の指示には絶対服従
ということはしないで良いという許可をいただいていますので、澤田氏があくまで活動を続けると言う限り、会長も私達も
強制的に止めさせることはしないし、出来ませんでした。
あくまで活動を続けるという澤田氏に「続けるならば、せめて服装をスーツにネクタイにして印象を良くしてもらえないか。
地獄に行くぞなどを叫ぶのはやめてもらえないか」などの改善をお願いしましたが、澤田氏が耳を傾けて改善してくれることは
一切ありませんでした。
「自由」と言っても他の人が迷惑を訴えているのに、お構いなく続ける「自由」が澤田氏の「自由」でした。
日本人特有の面と向かって議論することを避ける優柔不断さを打ち破る勇気ある行動と賞賛する評価が、外部からはありましたが
実際に私達が復帰目的で接する家庭連合の食口達は日本人特有の争いを嫌う感覚で生きている人達ですから、澤田氏の活動は
外部評論家の評価とは裏腹に、現場では何の成果ももたらすことはありませんでした。
この事は断言できます。
それどころか、かえって家庭連合の反発を招き、ガードを堅くし、報復に出てきました。3月に行った6日間の本体論修練会を
崩壊させようとして、貸してくれた施設に使用を中止させるような申し入れを連日するという報復を招くようになりました。
幸いにも施設側は私達参加者の礼儀正しさを見て、施設使用を続行してくれました。
澤田氏の活動は家庭連合の崩壊を推進するどころか、かえって頑なにするという逆効果をもたらしています。
それでも「自由」を重んじるサンクチュアリ協会ですから、澤田氏は自由に活動を続けて来ることが出来たのです。
家庭連合から見ると、自分の組織に損害が大きい活動をする澤田氏を放っておく組織の指導力を疑うと言います。
逆に私は亨進様とサンクチュアリ協会はなんと愛の深いところだろうと思います。それを証明していると思います。
それでは何故、そんなに愛のあるサンクチュアリの組織から澤田氏が独立したのかを説明します。
それは、ただ一点の問題です。
活動の善し悪しは別として、大部分のメンバーが反対しても「自由と責任」のもとで保証された澤田氏の活動は、彼が「責任」を
自分でとれる範囲なら、たとえ私達が迷惑を被っていても我慢してきました。
今回家庭連合は澤田氏の活動の責任を会長に執らせる手段に出てきました。「指揮監督責任」というものです。。
これは澤田氏の活動の責任を会長に執らせるものであり、澤田氏の責任能力を超える段階になったということなのです。
澤田氏はブログで、このことは今まで裁判で家庭連合は何度も使ってきた言葉で「私は何度も読んでいるので陳腐な響きにしか
聞こえないのですが、江利川先生には新鮮な脅かし文句に聞こえたのかも知れません」と書いています。
まさにこの態度が澤田氏の姿勢なのです。誰が何を言おうと真剣に受け止めない。横柄な姿勢です。
会長が家庭連合の脅かしに弱気になったと見ています。
私達は澤田氏の松濤本部前活動に対する具体的な報復攻撃に出てきた家庭連合が、本気で会長を訴えると思いました。
澤田氏は。今までと同じように、ただの脅かし文句とみて、活動を止めるように話された会長を「脅かしにのる弱気な中心者」と
見ています。
さらに澤田氏の甘いところは、「申し訳ないので救命ボートと教会長を辞退します」で事が済むと思っているところです。
澤田氏が日本サンクチュアリ協会と関わりがないという証明がないといけないのです。
会議の場であくまでも活動を続けるという澤田氏に対して、その活動をするのは澤田氏の自由ですが、ただし、会長に責任
が及ばない立場で活動するのが、澤田氏の最後の責任の取り方ではないでしょうか。
そして更に問題がありました。松濤本部前活動においてすでに裁判所から仮処分決定をうけて、今も裁判中の澤田氏の活動に対する
会長への責任追及は全国どこにおいての澤田氏の活動についても問えると言うことです、
すでに過ぎましたが、22日の家庭連合岡山大会での抗議活動を行うことを澤田氏は表明していました。
その前に独立表明をしていただかなければなりません。
あくまでも活動を続ける澤田氏であるので、会長を煩わしい法廷闘争にまっ込まれないようにする唯一の方法として、苦渋の選択ですが
澤田氏に私が代表して、日本サンクチュアリ協会からの独立をお願いしました。
あるメンバーがこの選択は、家庭連合の脅かしに屈することであり、サタンの罠にはまってしまうことではないかと言われました。
こういう手段に家庭連合が出て来るのは、彼らも苦しくて必死になっている証拠とみることも出来ます。
そういう状況で確かに家庭連合に一歩譲るのは悔しいです。
しかし会長を法廷闘争に巻き込むともっと大きなものを失うのです。
それは日本の摂理に責任を持たれる会長から、摂理に集中するための霊力、体力、そして最も今重要な時間を奪う事になります。
長を法廷闘争に巻き込むのは、摂理の妨害であり、サタンはこれを狙っているのではと思うほどです。
そういう観点から決断して澤田氏に独立をお願いしました。
澤田氏は了承して下さいました。
私は澤田氏の岡山大会での抗議活動で、もし家庭連合が会長を訴えたときの為に、独立表明を書いて欲しいとお願いしましたら、
それはブログで発表すると主張されてゆずられません。それでも証拠になると言うことなので待っていました。
ブログを見て正直落胆しました。失礼とは思いますがこの場に及んで自己正当化から、サンクチュアリ協会の内部対立があり、
分裂が避けられないようなことを書かれて、組織のイメージダウンをして下さいました。
私は独立します。早稲田聖殿で一緒にやりましょう。
どこまでも全体を考えない方だと思いました。
その証拠に自己矛盾に陥っていることを全く気がつかないことが驚きです。
家庭連合を崩壊させる為の活動だと言いながら、最後にサンクチュアリ協会の分裂が避けられないということを言う。
これは家庭連合の間違いに気がついた人も、サンクチュアリ協会に入ることを躊躇させて、家庭連合の崩壊を遅らせる事になりませんか。
明らかに自己矛盾です。
澤田氏の言動には信仰的発想が見られません。
亨進様は行き過ぎた「自由」に対しての対立論争に対して「お父様は不完全なものを用いて摂理をされている」と言って、「我々が
不完全であり、不完全な組織であるのは当然であり、互いに欠点を指摘して争って何になる。敵に向かって闘いなさい」と言われました。
そういう不完全な人間であり、組織ですが前進しているのです。
欠点だらけの我々ですが、それ以上に問題の多い家庭連合です。
どちらの組織が、天国を作ることが出来るのか、そういう話は澤田氏の活動からは聞かれません。常に相手を攻撃する批判が中心です。す。
サンクチュアリ協会は神様とお父様がいらっしゃるところ。お父様の後継者、相続者は亨進様である。祝福の権能は亨進様ご夫妻が
唯一相続された。私達が主張するべき内容はこういうことです。
あまりにも残念なブログの内容です。
、
会長とメンバーのことをあれこれと書かれていますが、自由を最大限利用してきた澤田氏が、さらに自由に活動するならば、自分だけでその責任を取れない事態に直面しました。そこで活動を一時休止するか。独立して自分で責任をとれる立場で活動するのかの選択をします。
私は活動を続けたいので、自分で責任をとれる立場、すなわち独立して活動します。
その表明をするだけで十分だったのではないでしょうか。、
状況となっているので、もう一つの真相を公表します。
それは、澤田地平氏に日本サンクチュアリ協会からの独立をお願いしたした私の言い分です。
澤田氏の松涛本部前の活動については、当初から救命ボート会議の出席者の意見は、賛否両論ではなく
大部分が「やめて欲しい」というものでした。
その理由として代表的なものを紹介すると
①今までさまざな社会問題を起こしてきた家庭連合をつぶそうと思っている当局や勢力に、内部分裂から
内部闘争に発展しているという印象を与えてしまう事になり、家庭連合のみならず日本サンクチュアリ協会も
危険団体として監視対象団体になってしまうと、今後の活動の大きな妨げになる。
②現場で家庭連合の食口と話すと、家庭連合はおかしいと思っている食口であっても、澤田氏の活動は悪い印象で
受け止められている。左翼の活動家のような礼儀のなさ。服装。地獄に行くぞと叫ぶ人に知性はないのか。
亨進様は好きだが、日本サンクチュアリのメンバーは嫌いだ。
このような社会的観点と、感情的観点からの理由で、澤田氏に改善と中止を申し入れる意見が大部分だったのが真相です。
しかし、私達は亨進様の指示で、各自が「自由と責任」で行動する組織であり、家庭連合のように上の指示には絶対服従
ということはしないで良いという許可をいただいていますので、澤田氏があくまで活動を続けると言う限り、会長も私達も
強制的に止めさせることはしないし、出来ませんでした。
あくまで活動を続けるという澤田氏に「続けるならば、せめて服装をスーツにネクタイにして印象を良くしてもらえないか。
地獄に行くぞなどを叫ぶのはやめてもらえないか」などの改善をお願いしましたが、澤田氏が耳を傾けて改善してくれることは
一切ありませんでした。
「自由」と言っても他の人が迷惑を訴えているのに、お構いなく続ける「自由」が澤田氏の「自由」でした。
日本人特有の面と向かって議論することを避ける優柔不断さを打ち破る勇気ある行動と賞賛する評価が、外部からはありましたが
実際に私達が復帰目的で接する家庭連合の食口達は日本人特有の争いを嫌う感覚で生きている人達ですから、澤田氏の活動は
外部評論家の評価とは裏腹に、現場では何の成果ももたらすことはありませんでした。
この事は断言できます。
それどころか、かえって家庭連合の反発を招き、ガードを堅くし、報復に出てきました。3月に行った6日間の本体論修練会を
崩壊させようとして、貸してくれた施設に使用を中止させるような申し入れを連日するという報復を招くようになりました。
幸いにも施設側は私達参加者の礼儀正しさを見て、施設使用を続行してくれました。
澤田氏の活動は家庭連合の崩壊を推進するどころか、かえって頑なにするという逆効果をもたらしています。
それでも「自由」を重んじるサンクチュアリ協会ですから、澤田氏は自由に活動を続けて来ることが出来たのです。
家庭連合から見ると、自分の組織に損害が大きい活動をする澤田氏を放っておく組織の指導力を疑うと言います。
逆に私は亨進様とサンクチュアリ協会はなんと愛の深いところだろうと思います。それを証明していると思います。
それでは何故、そんなに愛のあるサンクチュアリの組織から澤田氏が独立したのかを説明します。
それは、ただ一点の問題です。
活動の善し悪しは別として、大部分のメンバーが反対しても「自由と責任」のもとで保証された澤田氏の活動は、彼が「責任」を
自分でとれる範囲なら、たとえ私達が迷惑を被っていても我慢してきました。
今回家庭連合は澤田氏の活動の責任を会長に執らせる手段に出てきました。「指揮監督責任」というものです。。
これは澤田氏の活動の責任を会長に執らせるものであり、澤田氏の責任能力を超える段階になったということなのです。
澤田氏はブログで、このことは今まで裁判で家庭連合は何度も使ってきた言葉で「私は何度も読んでいるので陳腐な響きにしか
聞こえないのですが、江利川先生には新鮮な脅かし文句に聞こえたのかも知れません」と書いています。
まさにこの態度が澤田氏の姿勢なのです。誰が何を言おうと真剣に受け止めない。横柄な姿勢です。
会長が家庭連合の脅かしに弱気になったと見ています。
私達は澤田氏の松濤本部前活動に対する具体的な報復攻撃に出てきた家庭連合が、本気で会長を訴えると思いました。
澤田氏は。今までと同じように、ただの脅かし文句とみて、活動を止めるように話された会長を「脅かしにのる弱気な中心者」と
見ています。
さらに澤田氏の甘いところは、「申し訳ないので救命ボートと教会長を辞退します」で事が済むと思っているところです。
澤田氏が日本サンクチュアリ協会と関わりがないという証明がないといけないのです。
会議の場であくまでも活動を続けるという澤田氏に対して、その活動をするのは澤田氏の自由ですが、ただし、会長に責任
が及ばない立場で活動するのが、澤田氏の最後の責任の取り方ではないでしょうか。
そして更に問題がありました。松濤本部前活動においてすでに裁判所から仮処分決定をうけて、今も裁判中の澤田氏の活動に対する
会長への責任追及は全国どこにおいての澤田氏の活動についても問えると言うことです、
すでに過ぎましたが、22日の家庭連合岡山大会での抗議活動を行うことを澤田氏は表明していました。
その前に独立表明をしていただかなければなりません。
あくまでも活動を続ける澤田氏であるので、会長を煩わしい法廷闘争にまっ込まれないようにする唯一の方法として、苦渋の選択ですが
澤田氏に私が代表して、日本サンクチュアリ協会からの独立をお願いしました。
あるメンバーがこの選択は、家庭連合の脅かしに屈することであり、サタンの罠にはまってしまうことではないかと言われました。
こういう手段に家庭連合が出て来るのは、彼らも苦しくて必死になっている証拠とみることも出来ます。
そういう状況で確かに家庭連合に一歩譲るのは悔しいです。
しかし会長を法廷闘争に巻き込むともっと大きなものを失うのです。
それは日本の摂理に責任を持たれる会長から、摂理に集中するための霊力、体力、そして最も今重要な時間を奪う事になります。
長を法廷闘争に巻き込むのは、摂理の妨害であり、サタンはこれを狙っているのではと思うほどです。
そういう観点から決断して澤田氏に独立をお願いしました。
澤田氏は了承して下さいました。
私は澤田氏の岡山大会での抗議活動で、もし家庭連合が会長を訴えたときの為に、独立表明を書いて欲しいとお願いしましたら、
それはブログで発表すると主張されてゆずられません。それでも証拠になると言うことなので待っていました。
ブログを見て正直落胆しました。失礼とは思いますがこの場に及んで自己正当化から、サンクチュアリ協会の内部対立があり、
分裂が避けられないようなことを書かれて、組織のイメージダウンをして下さいました。
私は独立します。早稲田聖殿で一緒にやりましょう。
どこまでも全体を考えない方だと思いました。
その証拠に自己矛盾に陥っていることを全く気がつかないことが驚きです。
家庭連合を崩壊させる為の活動だと言いながら、最後にサンクチュアリ協会の分裂が避けられないということを言う。
これは家庭連合の間違いに気がついた人も、サンクチュアリ協会に入ることを躊躇させて、家庭連合の崩壊を遅らせる事になりませんか。
明らかに自己矛盾です。
澤田氏の言動には信仰的発想が見られません。
亨進様は行き過ぎた「自由」に対しての対立論争に対して「お父様は不完全なものを用いて摂理をされている」と言って、「我々が
不完全であり、不完全な組織であるのは当然であり、互いに欠点を指摘して争って何になる。敵に向かって闘いなさい」と言われました。
そういう不完全な人間であり、組織ですが前進しているのです。
欠点だらけの我々ですが、それ以上に問題の多い家庭連合です。
どちらの組織が、天国を作ることが出来るのか、そういう話は澤田氏の活動からは聞かれません。常に相手を攻撃する批判が中心です。す。
サンクチュアリ協会は神様とお父様がいらっしゃるところ。お父様の後継者、相続者は亨進様である。祝福の権能は亨進様ご夫妻が
唯一相続された。私達が主張するべき内容はこういうことです。
あまりにも残念なブログの内容です。
、
会長とメンバーのことをあれこれと書かれていますが、自由を最大限利用してきた澤田氏が、さらに自由に活動するならば、自分だけでその責任を取れない事態に直面しました。そこで活動を一時休止するか。独立して自分で責任をとれる立場で活動するのかの選択をします。
私は活動を続けたいので、自分で責任をとれる立場、すなわち独立して活動します。
その表明をするだけで十分だったのではないでしょうか。、