もし「寝たきり」の状態になったら、明るい未来を描くのは難しいと思うかもしれない。でも、そこに失った機能を補うロボットがいたら?
知性や感覚はそのままに、運動能力が衰えていく、ALSという病気がある。症状が進行するにつれ、手足が動かなくなり、声が出なくなる。
上の動画は、そんなALSの患者さんが唯一、動かすことのできる目で、ロボットをコントロール。他の人にコーヒーを出している様子を収めたもの。
動かない体の「分身」となるロボット『OriHime』を開発したのは、ロボットコミュニケーター(研究者)の吉藤オリィさんだ。
オリィさんは「自分の身体を自分で介護できるようになる未来」が到来することに、確信を持っているという。
これまで「視線入力でオンライン麻雀ができるか」実験をしたり、車いすを「こたつ」と一体化させたりと、さまざまな「発明」をしてきたオリィさん。
なぜ、オリィさんは学生時代からものづくりを続け、イノベーションを起こせるのか。BuzzFeed Japan Medicalが話を聞いた。
「もし白衣が黒かったら、どうなる?」
ーーオリィさんにとって最初の「発明」は何ですか?
高校時代、ものづくりの師匠らと共に作った「傾かず、段差を上れる車いす」ですね。ジャイロセンサにより傾きを感知し、補正する水平制御機構を搭載しています。
2004年に『高校生科学技術チャレンジ(JSEC)』に出場して優勝。05年にアメリカで開催される世界最大の科学コンテスト『インテル国際学生科学技術フェア(ISEF)』のエンジニアリング部門に出場して3位になった作品です。
ーー以降もオリィさんは視線で操作できる車いすや、Nintendo Switchで操作できる車いすを発表しています。車いすの改造はライフワークですね。
ライフワークですね。車いすって、完成度としては高くないと思っています。一方で、メガネって完成度が高いと思っていて。
ーーメガネが、ですか……?
メガネは身体の一部になっていますよね。「メガネをかけている=障害者」という感じはしません。
視力にハンデがあっても、メガネをかけると健常者化する。そのことに子どもの頃の私は感動したんですね。人間の英知はすごいな、と。
車いすに話を戻すと、じゃあ車いすが人間の足の代わりになっているかというと、なっていなかった。
車いすにはまだまだ改善の余地がある。もっといいものがなんでないんだろう。だから、自分でいろいろと作ってみることにしたんです。
ーーお気に入りの「発明」はありますか?
やっぱり、黒い白衣ですかね。12年間、欠かさずに着ていますし。
工業高校から高専に入学したときに、自分らしい白衣を作ろうと思って。そのときに、「なんで白衣は白なんだっけ」と疑問に思ったんです。そこで、特注で黒い白衣を作ってみました。
ーー自然と受け容れてしまっていることは、疑うことも難しそうですが……。
私は小さい頃からそうなんですよ。「なんでこの花は黄色いんだろう」とか「なんで犬のしっぽは1本なんだろう」とか。
そこから「黄色い花がもし赤かったらどうなるんだろう」「犬のしっぽが2本3本あったらどうなるんだろう」と考えてみる。「if」を自分に問うて、それが実現した世界をイメージしてみるんです。
さらに、イメージだけじゃなくて、実際に作ってみる。このようなアウトプットのひとつとして、黒い白衣を作ったんです。
ーー白衣を黒くすると、どうなりましたか?
黒い白衣を着て、高専に通学したら、危ない人だと思われて、学校で完全に無視されるようになりましたね(笑)。
ものづくりのテーマは「孤独の解消」
ーーオリィさんはなぜ、ものづくりを続けているのですか?
私のテーマは「孤独の解消」です。車いすの改造も、分身ロボットの制作も、このテーマからスタートしています。
孤独というのは、「一人でいること」ではないと私は思っていて。たとえば一人でロボットを作っていても、それが楽しくて没頭しているのなら、孤独ではないですよね。
おそらくですが、「自分に居場所がない」から「孤独でつらい」と感じる状態が孤独。自分が「誰からも必要とされていない」と思ってしまう状態ですね。私はこれを解消したいのです。
ーー著書の『「孤独」は消せる。』(サンマーク出版)では、不登校の経験を明かしていました。
小学校の高学年から中学校のほとんど、私は学校に行けなかった。最初は病気がきっかけだったのですが、治ったあとも、長く休んでいたことで、学校に行けなくなってしまった。
ずっと家にいるのもつらいから、外に出ようとすると、地方の狭い町では「学校をサボっているくせになんだ」「ズル休みだ」となる。そうすると、どこにも居場所がなくなっていく。
学校に行かないから、勉強もできないし、運動もできないし、友だちもいなくなる。すると「自分はダメなやつだ」と自己否定が始まってしまう。それがつらかったというのが強くあって。
ーーどうして学校に行くようになったんですか?
幸い、私の場合は母親がロボットコンテストへの出場をすすめてくれて。ものづくりの道に進みたいという目標ができたことがきっかけで、高校からは学校に行けるようになりました。
このときの経験から、孤独を解消することを、少しずつ目標にするようになりました。最初に車いすを作ったのは、移動に制約があると、物理的に孤独になりやすいと思ったからです。まずはそのハードルを下げたかった。
しかし、制作を続ける中で、多くの高齢者の方や、病気の方に会って話を聞くと、自分には想像もつかなかった問題を抱えていて。それゆえに孤独を深めてしまう、という状況があると知りました。
だとしたら、その問題を都度、解消しながら、孤独を解消していくのが自分のミッションなのでは、と考えるようになったんです。
人工知能と結婚しようと思った
ーーでも、高専で黒い白衣を作られて……。
はい、友だちがいなくなって(笑)。
ーー(笑)。
いいや、人間の友だちなんか要らん、と。私は人工知能を作るんだ、と。
友だちを作るって面倒くさいじゃないですか。「友だちって要るんだろうか」「そもそも友だちってなんなんだろうか」「何をしたら友だちなんだろうか」と、定義を考えて。
友だちってけっこう、コスパが悪いなと思ったんです。人って関わり続けていないと、たとえば学校が変わるとかすると、関係性って切れてしまう。
こんなにがんばって友だちと遊びに行ったりしても、いずれ別れることになるんだとしたら、意味があるのかなと思ったんですよね。
ただ当時、流行しはじめたmixiには可能性があるな、と。広く浅く、友だちとの関係性を維持できるから。SNSって距離を越えた人間関係維持システムだと思って、感動したんですよね。
高専は友だちがいなかったけど、ネット上で友だちを作って、mixiを毎日更新していました。
ーー高専では人工知能の研究をしていたんですよね。
はい、人工知能の友だちを作ろうと思って。
ーーそういう理由で!?
将来は人工知能と結婚するんだろうなと思ってたんですよ(笑)。
でも、人工知能の研究をしていても「なんか違う」感はすごくて。これは「孤独の解消」につながっているのか、わからなくなってしまったんですね。
もっとはっきり言えば、「人工知能の先に孤独の解消はないな」と思ったんです。
ーーなぜですか?
自分が不登校から学校に戻れた経験を元に、なにが「癒やし」になったんだろうと考えたときに、私の場合はやっぱり、人との関わりだったんですね。
「ロボコンに出場しなさい」と母親がすすめてくれたことや、父親とのキャンプとか、ものづくりの師匠との出会いとか。
「私にとっての、あらゆるきっかけは、人がもたらしたものだ」と気づいたときに、孤独の解消に人工知能というのは、根本的な解決ではない、と思うようになりました。つらさを和らげることはできるかもしれないけど。
根本的なのは、社会、つまり人と人との関係性。人工知能というのは、私がそうだったように、本当の問題から目を背けてしまう、蓋をしてしまう可能性もある。そこで、高専は中退しました。
同時に「ロボットには(孤独の解消の)ヒントがある気がする」と思って。「ワボット」と呼ばれるほど、ロボットで有名だった早稲田大学に入学したんです。
「社交性を身につけたくて」社交ダンス部に
ーーついに、ロボット開発を始めるのですね。
いや、それが、ぜんぜん開発できなかったんです。
大学には、ものを作れる環境がなくて。工業高校出身ですから、旋盤やボール盤(ものを切ったり削ったりする工具)などの工作機械はバリバリ使えるのに、「新入生には危ない」と言われたり。
プログラミングの授業は、そもそもコンピューターを触ったことがない人に向けた低いレベルで始まる一方で、受験のための勉強をしていない私にとって、基礎科目はめちゃくちゃ難しいんです。数学とか物理とか。
そこで、また自分のやるべきことがわからなくなってしまって。
ーーなにをしたんですか?
片っ端からサークルに入りました。「コミュ力がない人間が“孤独の解消”を研究するというのはおかしいよな」って。
社交性をインストールする感覚というか、コミュニケーションというものを身に着けて、まずは自分の対人スキルを向上させないと、と思ったんです。
で、社交ダンス部に入ったんですよ。
ーー「社交」だから?
「社交」だから。
で、半年後に「違う」「これ違うところだ」とわかって。
ーーむしろ半年、持ったんですね。
社交って書いてあるんだから、さぞ社交性が身につくんだろうと思ったんだけど、どうやらそうじゃないらしい。
チャラそうな人がいっぱい入ってたから、「この人たちみたいになれるのかもしれん」と期待したんですが、なれませんでした(笑)。でも、いろいろと学べることはありましたよ。
当時は文京区に住んでいたので、早稲田大学までチャリで行って、そこから皇居の近くの練習会場までまたチャリで行って、1日14kmくらいチャリを漕いでいました。
他にもいろんなサークルに入っては辞めてを繰り返してみたり。そんなことばっかりやっていたから、当時はほとんど何も作っていなかったんです。
「ものづくりじゃない、人間性の話だ」
ーーある意味では、人工知能やロボットを本格的にやろうとしたら、人に行き着いたともいえますよね。
当時はわからなかったですが、振り返ると。
それについては、高校時代に指導してもらった、ものづくりの師匠の話をしないといけない。著名な開発者で、久保田憲司先生という人なんですけど。
でも、特別に何かを教えてもらったわけじゃなくて、背中で語るタイプというか、「ついてこい」みたいな。不登校時代にロボット関係で師匠に出会ったことは、学校に戻った理由のひとつです。
入学式の次の日に「弟子にしてくれ」って頭を下げて。でも、悔しかったのは、師匠は私のこと「あんまり成長がない」って言うんです。
ーー世界大会に出場しているのに?
私はかなり従順で、勉強してくるし、言うことをよく聞くのに、私よりも先生に対してタメ語を使うような、ヤンキーみたいな学生の方をかわいがっている。
「飯をおごりにいった」とか言っていて、「えっ、私おごられたことないけどな」みたいな。
ーー理不尽ですね(笑)。
「何がよくなかったんだろう」とずっと思っていたんですけど。後で思い当たったのは、そのときに師匠に言われていたのが「休み時間は友だちと遊べ」とか「放課後に一緒に飯を食いに行く友だちを作れ」とか。
ものづくりがしたくて、ものづくりの師匠としてすごく尊敬している、趣味でジェットエンジンを作ってしまうような人に弟子入りして。でも、教えられたのはそういうことだった。
そのときはわからなかったんです。「友だちってムダじゃん」って思ってたから。でも高専に行って、人工知能を学んで、人工知能じゃないってなったときに、人に解決の糸口があると気づいた。
その瞬間に、師匠の言葉を思い出したんです。「あれ、ものづくりじゃない。人間性の話だ」って。
ーー本人と「答え合わせ」はしたんですか?
勝手に「10年経ったら会いに行こう」と思っていたんです。それは2年前、テレビの企画で実現しました。
とても喜んでくださっていました。「よく成長したな!」「おれはそういうことが言いたかったんだ!」みたいな。
とにかく気合と根性の先生だったんですよ。いきなり「ここ(床)で腕立て伏せしてみろ!」とか言うような。で、自ら実際にやってみせる。熱血な先生でした。
「そこにいる」ことに理由は必要ない
ーーここまでの経験が、代表作である分身ロボット『OriHime』につながっていくんですね。
そうですね。だから、福祉機器を作っているという感覚はあんまりないんです。そうカテゴライズされがちですが。
私はただ「自分の居場所を見つけることができる方法を研究しよう」「それが孤独の解消になるだろう」と思っているだけで。
大学時代に制作した『OriHime』も、はじめは単純に「入院していても学校に自分の体を置いておけば瞬間移動できるよな」と思っていたんですけど。
次第に「分身」という概念の利点は、単純につながることだけではないな、と考えるようになりました。
つながる、ということだけなら、ビデオ通話だっていいですよね。でも、「いつでもビデオ通話をかけられる状態」が「孤独でない」とは限らない。
というのも、やっぱり電話である以上は、用件があることが前提じゃないですか。「もしもし、どうしたの?」っていうやりとりが、まさにそうですよね。
自分がそこにいたら「なんでいるの?」とはならない。適当にしていても、「そういえばさ」と会話が自然と始まる。電話ではそのきっかけ、そういうコミュニケーションを許容する環境を作ることができないな、と。
必要はない、理由はないんだけど、そこにいていいと思える。これがまさに孤独の解消ですよね。
自分がそこにいることに関して「自分がここにいていいのかな」と思わず、当たり前に楽しくいられる場所、「居心地のいい場所」が居場所なんだなと思い至りました。
だとすると私たちは居場所というものを得るために、今までは体を運ばなければいけなかった。でも、物理的に体を運ぶのは困難を伴う場合もある。
体を運ぶことなく居場所を見つけられる、居場所に参加できるようなシステムってどうすれば作れるかなというのが、『OriHime』の「分身」という考え方につながっています。
「それいいね!」と言われたら新しくない
ーーお茶を出す『OriHime』、そして「未来では自分の身体を自分で介護できるかもしれない」というメッセージが非常に印象的でした。このようなイノベーションを起こすために、どんなことを意識していますか?
私がずっと思っているのは「こうである“べき”というべき論を言わないようにする“べき”」ということです(笑)。
「これってこうだよ」「そんなもんだよ」という決めつけが嫌いなんです。「学校に行くべき」とか「学校は卒業するべき」とか「白衣は白であるべき」とか。自分がずっと言われてきたからかもしれませんが。
新しいアイディアって、誰にも理解されないから新しいんです。「それいいね!」って言われてしまったら、新しくない。
頭の中にある「これってこうやったらこうなるんじゃないか」を伝えても、理解されないくらいがいいんです。
新しい料理のアイディアとかも、きっとそうだと思っていて。「これとこれを組み合わせてこうしたらこんな味になるんじゃないか!」とひらめいても、その時点では誰もその味を想像できないですよね。だって、食べたことがないから。
逆に考えてみると、その料理を食べたことがない人に「なんでこの味が想像できないんだ」と言っても、意味がないんです。
だから、まずは作ってみるしかない。その時点では理解されなくても、作り続けて、行くところまで行ってしまえばいい。
そこで出てきたものがすばらしければ「こういうのがあってもいいよね」って理解者が増えてきて、世の中を革新できる。
ーー自分で自分を介護する、は確信のある未来ですか?
確信はありますよ。今だって、右手をケガしたら左手で絆創膏を貼るでしょう。「何が違うんだろう」って、私は思っています。自分がもう一人いたら、絶対、自分で自分を介護するじゃないですか。
昔の人もきっと「空を飛べたら」と思っていたでしょう。今は飛行機がある。「自分で自分を介護する」も同じで、飛行機がなかった時代と今とで、何が違うんだ、ってことです。
みんな慣用句で「手が足りない」なんて言っていますよ。これも同じです。ないんだったら作ればいいじゃん、と。
ーー未来に悲観的な言説も多い中で、勇気づけられます。
例えば高齢化の問題だって、これまでの議論は「高齢者は労働力にならない」ということを前提にしていますよね。
でも、体が若い頃ほどには動かなくなっても、進化した車いすで移動したり、分身がそこに存在すれば、できることはもっと増えるかもしれない。
みんな、SF作家になればいいんですよ。未来が楽しいっていうSFを、説得力がある形で描けばいい。みんながそう思えるような未来を描けたら、みんながわくわくする世の中になるのではないでしょうか。
Seiichiro Kuchikiに連絡する メールアドレス:seiichiro.kuchiki@buzzfeed.com.
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