小林さんちのアインズ様   作:タッパ・タッパ
<< 前の話 次の話 >>

5 / 10
2017/7/30 「隠微」→「淫靡」 訂正しました
2017/8/2 いくつかのアラビア数字を漢数字に変更しました


第5話 小林さんちのオーバーロードラゴン

「ただいまー」

 

 ようやっと一日の労苦が終わったとばかりに、ネクタイを緩めながらリビングへと足を進めた小林を待っていたのは、トールの笑顔と抱きついてくるカンナの姿。

 今日も一仕事終えて家に帰りついた小林を迎える、いつもと変わらぬ暖かな、そしてちょっとにぎやかな日常。

 

 

 だが、そこで小林はおや? と思った。

 

 きょろきょろと辺りを見回す。

 そんな彼女の様子に、怪訝そうな表情で小首をかしげるトール。

 

「どうしたんですか? 小林さん」

「いや、ちょっと――」

 

 もう一度ぐるり周囲を見渡すのだが――つい最近、この家に加わった新たな同居人の姿が見えない。

 

「――あれ? アインズさんは?」

「ああ、アインズさんなら――」

 

 トールは愛する小林の疑問に答えられるということに、満面の笑顔を浮かべて答えた。

 

「アインズさんならファフニールさんに呼ばれて行きましたよ」

「ファフニールさんに?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ただいまー」

 

 言いつつ、滝谷は片足立ちになって、履いていた革靴を片方ずつ脱ぐ

 そうして置き場所がなく、廊下にまで並べられた各種グッズ類によって健康番組で図示されるコレステロールのたまった血管のように狭くなった廊下を、これまた健康番組の解説でそんな血管の中をつまるものかと必死で進む血液のように半身の状態で進む。

 

 玄関から続く通路も凄かったがリビングはさらに凄い。

 およそ部屋の半分近くは、彼が社会人生活を始めて以降のこれまでで集めに集めた様々な本、ゲーム、フィギュア等々によって埋め尽くされていた。

 壁際にはまるでジェンガか、だるま落としかとでも言うかのごとくに各種グッズの箱が積み重ねられており、それらが崩れぬようフィギュアを飾ったスチールラックががっちりと脇を支えるように並べられている。

 およそ人の身長をはるかに越えて室内を睥睨するのは、いったい総数にしてどれだけの数があるのか数える気もなくすほど、幾多の本がしまい込まれた本棚。

 その隙間からかろうじて見える壁面部、及びそれだけではスペースが足らぬと言わんばかりに天井にまで所狭しとポスターやタペストリーが張られており、そこにはフリルのついた服を身につけた魔法少女があどけない笑顔を、なぜか女性となっている世界的に有名な王様が凛々しい笑みを、そしてどう見ても18歳未満にしか見えない18歳以上の少女が淫靡な微笑みを向けていた。

 

 

 

 その部屋の中を見た者は老若男女、ことごとくにして、こう思うだろう。

 

 ああ、オタクの部屋だな、と。

 

 

 

 思わず汚部屋と勘違いしてしまいそうだが、そのような部屋に特有の食べ残しなどは放置されてはおらず、また衣類なども丁寧にしまわれているため、そこに不潔さ、不衛生さは感じられない。あたかも、かつて香港にあったと聞く九龍城を思わせるかのような不思議な雑然さと混沌さを有している、そんな部屋の片隅。

 キャスター付きの椅子に腰かけているのは黒いモーニングに身を包んだ若い男性である。

 

「フン」

 

 長く垂らした黒髪の間から覗く怜悧な目を一瞬だけ帰って来た家主――滝谷の方へと向けると一つ鼻を鳴らし、再び目の前のモニターへと視線をもどした。

 

 常識的に考えれば失礼極まりない行為であり、普通の人間ならば気を悪くするところであったが、そんな態度を取られた滝谷はというと、特に気にすることもなく笑みを浮かべた。

 

 

 

 この一見、極一部の人間に人気の出そうな鬼畜系執事を連想させる黒づくめの男。

 彼は人間ではない。

 トールらと同様に、この世界にやって来たドラゴン、ファフニールである。

 

 彼は小林の家で行われたパーティーにトールの招待で招かれた際、そこでやったゲームにはまってしまった。

 そして、この世界に住みつくことを決め、いささかなる紆余曲折の末、こうして滝谷の家に居候するに至ったのである。

 

 

 

 身に着けていたスーツやワイシャツを脱ぎ、それをしわにならぬよう壁際のハンガーにかけながら、なにげなく部屋の中を見回した滝谷。

 そこでようやく彼は、室内に思わぬ客人がいることに気がついた。

 

「おや、アインズ殿。来ていたでヤンスか?」

 

 外向きである()()()()サラリーマンの擬態を捨て去り、丸メガネをかけたオタクというプライベートモードに移行した滝谷は、いつものヤンス口調で話しかけた。

 

 

 彼の視線の先にいたのは漆黒のアカデミックガウンを身に纏った骸骨。

 つい最近、彼の同僚にして友人である小林の家に住み着いたアンデッド、アインズの姿であった。

 

 

 アインズはその白い骨の指先でコントローラーを操作する手を緩めることなく、華麗に敵を撃破しながら、堂々たる口調と仕草で言い放った。

 

「うむ、邪魔しているぞ。滝谷よ」

 

 

 

「しかし、アインズ殿。いったいどうして、小生の家に?」

 

 答えたのは問われたアインズではなく、ゲーム画面から目も離さぬファフニールだった。

 

「俺が呼んだ。あのボスはソロでは倒しきれんからな」

「ああ、あれでヤンスか。あれはCo-op用のボスだから、ソロ討伐はまず無理でヤンスからね。昔は特定の武器をリロード中に武器変更することで攻撃力が爆発的に上昇するっていうバグ技を使えば、ソロでも何とかなったんでヤンスが、もう調整されてしまったでヤンス」

 

 言いつつ、アインズの前にあるモニターを覗き込むんだ滝谷。そして彼は思わず「ほう」と声をあげた。

 アインズの操作するキャラは、すでにかなりのレベルに達していたからである。

 

 

 それもそのはず、アインズは今日丸一日、ゲームをやり続けていたのだ。

 

 今朝の事であるが、小林とカンナがそれぞれ出勤および登校した頃合いのこと、小林家に一本の電話があった。

 トールが出ると、なんとそれは滝谷の家に住み着いていたファフニールからであった。

 いったいどうしてあんな人付き合いの悪い彼がわざわざ電話をかけてきたのかと不審に思うトール。しかも、ファフニールのご指名は自分ではなくアインズである。そして、彼に呼ばれるまま滝谷の家にやって来たアインズが言われたのは、協力プレイするからゲームのキャラのレベルをあげろという唐突な言葉であった。

 そして、アインズはその後、一切の休憩なしで、ひたすらレベリングを行っていたのである。

 

 

 滝谷が見ている間にも、相手の防御力をごく短時間のみ弱体化させる弾を数発打ち込み、状態異常になったと見るや、素早く武器を持ち変え本命の武器を連射し、大ダメージを与えていく。

 

「お見事! しかし、アインズ殿、なかなかゲームも上手でヤンスね」

「ああ、最初は少し戸惑ったが、こういったレトロゲームも悪くない」

「おや? アインズ殿は剣と魔法のファンタジー世界から来たんではないんでヤンスか? こういったゲームもそちらにあったので?」

 

 滝谷の口をついて出た疑問に、一瞬アインズは何と答えるべきかと躊躇した。

 アインズも元々は普通の人間であり、ゲーム中の自分のキャラとなって異世界に行ってしまったということを正直に言ってしまうべきだろうか?

 

 迷った末に、アインズはそこは()()()ことにした。

 

「……いや、私はここ以外にも異世界に行ったことがあってな。今からだいたい100年後の日本で、ゲームをやったこともある」

「ほう、100年後? いったい、その頃のゲームとはどんなものだったんでヤンスか?」

「ああ、こういったモニターを眺めながら、コントローラーを握るタイプはごく一部のレトロ趣味の者だけがやるもので、その頃、主流だったのはニューロン・ナノ・インターフェースを使ったものだったな。まあ、簡単に言うと、首筋に埋め込んだジャックにコードを差し込み、いわゆる電脳世界でプレイするタイプだ」

 

 その言葉に、滝谷は興奮して叫んだ。

 

「おおお、キターーーっ?! 全人類の夢、VR‐MMOの時代でヤンスね!」

「……いや、その頃はまだDMMO。電脳世界に入ることは出来るが、完全にそこが現実世界であるかのように再現することはまだ出来なかったな。キャラクターは動かせるんだが、顔の表情とかも動かせないんで、他の人との会話では顔アイコンを出したりしていたし、NPCとかもあらかじめ組み込まれた特定行動などしか出来なかった。それに嗅覚や触覚を再現するのは法律で禁止されていたからな。現実に戻ってこなくなる恐れがあるからと言って」

 

 アインズの説明に落ち着きを取り戻した滝谷。

 

「そうなんでヤンスか。いつの世もままならないもんでヤンスね」

 

 

 

 長々と話し続けるアインズと滝谷に、ファフニールはその深紅の瞳をちらりと向けた。

 

「アインズ、無駄話はそのくらいにしろ。もうレベルは十分だろうから、そろそろ奴を倒しに行くぞ。滝谷、お前も入れ」

 

 その言葉に「分かったでヤンス」とこたえ、滝谷もゲームを起動する。

 

 

(今の台詞がナザリックの者達の耳に入ったら、大騒ぎになるだろうな)

 

 そんなことを考えつつ、アインズは視線をモニターへと戻した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして、三人の戦いが始まった。

 四人までの協力プレイが可能なゲームにおけるCo-op前提ボス。

 その巨大な体躯から繰り出される攻撃は、どうやって避けるんだと叫びたくなるほどであり、またそのHPは絶望的なまでに高く、更にはときおり姿を隠して攻撃不能状態にまでなる。

 

 たった一人では絶対に倒すことなど出来はしないであろう難敵。

 だが、今の彼らには仲間がいる。

 一人が倒れれば一人が助け、助けた者が倒れればまた別の者が助ける。

 彼らは一致団結して、強大なる敵に立ち向かった。

 

 そして、戦いはいつ果てるともなく続いた。

 だが、終わりはやって来た。

 気が遠くなるほどの攻防の果てに、ついにボスのHPが尽きる。

 身を震わせ、地に倒れるボスの身体から、大量のレアアイテムが放出される。

 

 

 共に艱難辛苦を乗り越え、強敵を打ち倒した彼らは歓声をあげた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ところでどうでヤンスか、アインズ殿?」

 

 携帯ゲームの画面に目を落としながら、滝谷が問いかける。

 

「む? どうとは?」

 

 アインズはパラパラと漫画をめくっていた手を止めて問い返した。

 

 

 戦いが終わり、彼らは小休止をして、夕食をとることにした。

 今日の食事は、夕刻すぎのタイムセールで30%引きだったお刺身盛り合わせを、どんぶりによそったご飯の上に並べた海鮮丼である。

 当然ながら、アインズが家にいる事を知らなかったため、滝谷は二人分しか買ってこなかったのであるが、もとよりアインズは飲食不要の身である。二人が食事している間、部屋にある漫画を読んで時間を潰していた。

 ちなみに今、ファフニールは食後のゲーム勝負に敗れたため、台所で洗いものをしている。

 

 

 そんな男子大学生の夜のごとき、まったりとした空気の中、滝谷は言葉を重ねた。

 

「アインズ殿は異世界からこの世界に来たそうですが、元の世界が恋しくはないでヤンスか?」

 

 滝谷の言葉に、アインズは少し遠い目をした。

 

「ああ、恋しいな。もちろん帰れるならば、すぐにでも帰りたいとも。向こうには大切な……家族を残しているからな」

 

 アインズの脳裏に浮かんでくるのは、恋しくも懐かしいナザリックのNPCたち。

 一瞬、また守護者たちが自分を見透かし、陰口をたたいているのではというあの疑念が浮かんできたが、慌てて頭を振って、その妄想を追い払う。

 

「そうでヤンスか。まあ、ルコア殿が調べているので、そちらはいずれ何とかなると思うでヤンスよ。それより、この世界はどうでヤンス?」

「ふむ……」

 

 アインズはこの世界――いや、この時代の事を考える。

 

 

「まあ、なかなか悪くはないな」

 

 

 100年後、鈴木悟がいた時代の日常と比べてみる。

 様々な電気機器などは、やはり古めかしいものしかないが、自然は豊かで、マスクをせずに呼吸をしても命の心配はない。会社に所属している一般庶民も生活に余裕があり、にこやかな笑顔と共に家族仲良く暮らしている。

 

 悪くはないどころではない。

 ごく一部の特権階級以外の人間は社会における使い捨ての構成要員でしかなかった、あの時代から比べれば、一般庶民にとってはまさに天国だ。

 本当にこの世界がたった100年ほどであんな世界に変わってしまうのかと、信じられない思いだった。

 

 

「それは良かった。それでは小林殿の家はどうでヤンス? 何か困ったこととかは?」

「いや、特にないな」

「小林殿とは上手くいっているでヤンスか?」

「ああ、問題はない」

「カンナちゃんはどうでヤンスか? (ドラゴン)でも子供だから、わがままとか言ってないでヤンス?」

「いや、カンナはああ見えて、色々と(わきま)えているようだな。時折わがままを言う事もあるが、それは親しい相手にのみだ。構ってほしいという意思表示なのだろう」

「そうでヤンスか。では、トール殿とはどうでヤンス?」

 

 その問いにアインズは、わずかに言いよどんだ。

 

「……そうだな。彼女はあの家のメイドだ。家の管理をする者としてよくやっているのではないか」

 

 そんなアインズの逡巡を見て取り、滝谷は丸メガネの位置を直した。

 

 

 

 滝谷がこんな質問をしたのには訳がある。

 

 今日の就業中のこと。

 彼はプログラムを組みつつ、隣の席で同じように作業をしていた小林に世間話がてら、聞いてみた。

 

 『新しく家に住むことになったアインズさんはどう? 上手くやれてる?』、と。

 

 その問いに対して、小林はアインズが特段問題を起こすこともなく、日々を過ごしている事を話して聞かせた。

 だが、そうしてあれこれ話しているうちに、彼女の顔がわずかだが曇った。

 不審に思い、滝谷が詳しく聞いてみると、どうやら小林はある事が気になっているらしい。

 

 

 その気になっている事というのは――トールとアインズの間で会話がほとんど無いという事だった。

 

 

 別に2人の仲が険悪という訳ではない。

 2人とも、必要があれば話もするし、お互い態度も物言いも穏やかだ。

 

 しかし、あくまでそれは必要があれば。

 そうでない場合は、近くにいてもまったくと言っていいほど会話がないのである。

 

 

 当初、アインズは小林らに対して遠慮するような、それこそ一線を引いているようなところがあったのだが、この前一緒に外出して以降はそんな空気もなくなり、小林やカンナとは普通に会話している。

 だが、小林の見ている限り、どういう訳だかトールとはいまいち話が弾まないのだ。

 そして、トールもまた小林やカンナと話すようには、いや、滝谷を始めとした他の者と比較しても、アインズとは壁を作って接している。

 

 それが、今の小林にとって目下の悩みであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アインズとトールの間の壁。

 それは互いにどう接していいか、判断しきれない所にあった。

 

 

 

 トールにとって、最も重要なのは当然、小林である。

 彼女にメイドとして仕えることが、今の彼女の最大の関心事であり、それ以外の全てはその他と判断されていた。

 

 そして、小林の次に気にかけているのはカンナである。カンナは同族でありドラゴンとして、またこの世界で暮らす先輩として、色々と指導すべき対象として認識していた。

 

 すなわち、トールにとっての重要度は一番が小林。

 次が同種であるドラゴン――カンナ、ルコア、ファフニールら。

 そして、その下にこの世界に住むその他大勢の人間たちが来る。

 

 

 さて、そんな彼女にとってアインズは?

 

 

 先ず、アインズはアンデッドであり、同種のドラゴンではない。

 そこに同族意識などはない。

 

 そして、アインズは元々人間、それも日本に住んでおり、いささか心もとないながらも、ある程度はこの時代の知識を保有しており、それなりの常識をわきまえている。

 そのため、とくにトールがあれこれとこの世界の事を教える必要もなかった。

 

 滝谷のように小林に近づく異性であるのならば、彼女も警戒するのだが、アインズは一応男性であるとはいえ、人間ではないため、警戒すべき対象でもない。

 

 そしてその上で、アインズの戦闘能力は無視できない、決して侮れないものであることは、ドラゴンとしての直感で察せられていた。

 

 

 

 逆にアインズから見たトールはというと、これまた実に接しにくい相手であった。

 

 家主である、小林とはあれこれと話すことはある。

 アインズはこの時代について、それなりの知識を有しているとはいえ、それは完ぺきではない。むしろ、知らない事の方が多い。

 そんなとき、この時代に生きる人間で、且つ常識人の小林は頼りになる相談相手であった。

 

 カンナの方はというと、彼女はドラゴンの子供であり、子供特有の遠慮のなさでアインズにも積極的に話しかけてくる。その為、あれこれと話す機会も多くあった。

 

 

 しかし、トールはというと一味違った対応を余儀なくされた。

 

 アインズとトール、どちらもそれなりにこの世界の知識は持ってはいるものの、万全という程でもない。どちらも微妙に常識はずれなところがある。彼女にアインズが知らないこの時代の事を聞いても、見当はずれの事を教えられることが多かった。

 

 また、トールはメイドであり、小林家の家事一般を受け持っている。

 その為、通常であれば、小林家に厄介になっている関係上、彼女の世話になることも多いはずであり、その際にやり取りをすることで仲を良くすることも出来るはずだった。

 

 だが、アインズはアンデッドである。

 飲食は不要で、睡眠も不要。更には魔法で身に着けている服を綺麗にできるときている。

 すなわち、メイドであるトールの世話になることもほとんど無いのである。

 

 そしてアインズとしても、あちらの世界で出会った即死魔法一発で死んだフロスト・ドラゴン達とは異なる、本当の強さをもったドラゴンであるトールに対しては警戒の念を持って接さざるをえなかった。

 

 

 

 それらの理由により、互いに強者であると認識したうえで、一緒に暮らしてはいても接点となるものがなく、結果、二人は微妙な距離感のままであった。

 とりあえずは互いに紳士的にふるまっているため、それなりに当たり障りなく相手をしているという、消極的な対応に終始していた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ふぅむ、どうしたもんかなぁ?」

 

 滝谷は眼鏡を外し、目頭を押さえた。

 

「どうした? また、作っているゲームの動作がうまくいかんのか?」

 

 その声を聞きつけたファフニールは、部屋を挟んで反対側に置かれた机、その上に据え付けられたパソコンでネトゲをやりつつ振り向くことなく、声をかけた。

 

「いや、違うよ」

「フン」

 

 ファフニールは鼻を鳴らす。

 

「ならば、トールとアインズの事か?」

 

 一見、他人の事に興味がない(てい)をとっているファフニールがそんな事を言いだしたことに、滝谷はわずかに目を丸くし、そして口元にわずかな笑みを浮かべた。

 

「うん、そう」

「なぜ、そんなことに首を突っ込む必要がある。赤の他人、それもドラゴンとアンデッドの交友関係を、ただの人間のお前が気にすることもあるまい」

「種族は違っていても、僕達はそれなりに良いコミュニティを作っているからね。そのコミュニティの安定を望むのはおかしなことかな?」

「だが、あいつらは別に敵対し合っているわけでもない。ただ、あの二人の間でだけ、話が弾まないだけだ。他の奴らを介してならば、それなりに話はしているのだろう?」

「そういう意味では、今のところは大丈夫だね。でも、今が大丈夫だから、それでいいと考えて、そしてそのままの状態が長く続いた時、いつの間にか少しずつ歪みが生じてきたり、何かの拍子で一気にひびが入りかねない。ほら、歯だって違和感を感じる程度だからと放っておいたら、痛くなって歯医者さんに行った頃には虫歯がひどくなっていることがあるよね? そんなものだよ」

「ドラゴンは歯が痛くなったら、へし折って新しい歯を生やす」

「でも、そうなる前に治療しておけば、歯を折る痛みを味わうこともないさ」

「フン……」

 

 

 しばしの間、ファフニールがキーボードを叩く音が室内に響く。

 

「何なら、闘わせたらどうだ?」

「え?」

「戦って、互いの実力を認め合えば、それなりに話も出来るだろう。トールは一度戦ってみて、実力を理解してから、相手の事を認めるような奴だ。なら、闘わせてやればいい」

 

 その提案に、滝谷は顎に手を当て、目を閉じ、黙考した。

 

 以前、ファフニールからトールと知り合ったきっかけというのは聞いたことがある。

 なんでも、彼が財宝を集めて籠もっていた洞窟に、トールが一時の住処を求めて入ってきたことから争いになり、そして互いを認め合うようになったのだとか。

 顔を突き合わせる度に剣呑な態度を示すエルマとも、実際には互いに認め合うような言動や態度を示しているのも、これまで幾度も戦い合ってきたからだろう。

 

 そう考えると、後に禍根を残さないという条件を付けた上で闘い、互いの実力を認め合うというのも一つの手かもしれない。

 

 

 だが……、と滝谷は悩む。

 

「ファフ君……トールさんとアインズさん、どっちが強いと思う?」

 

 その問いに答えは無かった。

 沈黙の中、ドラゴンと比較してどちらが強いという問いは機嫌を損ねてしまったかと考え、滝谷が別の話題を口に出そうとした頃、ファフニールはモニターから目を離さぬまま口を開いた。

 

「一対一ならば勝つのはトールだ。アインズはアンデッドの魔法使い。如何(いか)に強力な魔術を行使できるとは言え、前衛がいない状態では、正面切っての戦いで、トールに勝つことなど出来んだろう」

 

 ファフニールがキーボードを叩く。

 彼の眼前のモニター上で、中世騎士風の鎧を身に纏った人物が剣を振り下ろし、騎士の数倍はあろうかという翼の生えた悪魔がうめき声と共に消滅する。

 

「だが、そう簡単にはいくまい」

「と、言うと?」

「アインズは何か切り札となるものを持っているようだ。おそらく、強大な力を行使する代わりに、多大なデメリット、なんらかの代償を(こうむ)らねばならぬようなものをな。魔術の中にもそういったものはよくある。魔術を極め、不死の存在となったあいつならば、そういった魔法を習得していてもおかしくはない。見たところ、あいつの胸の中に常にぶら下げているあの宝玉、あれはただならぬ力を有している物であるのは間違いなかろう。ドラゴンとは言え、命はたった一つきりしかない。すなわち、どちらが生き残るか、どちらが死ぬかという真の生存をかけた戦いはただの一度のみ。もし命を懸けての、たった一度の戦いならば、トールとて危ういかもしれん」

 

 その答え、『命』を懸けた戦いという、現代人には現実として認識しづらいフレーズの前に、滝谷は言葉もなかった。

 

 だから、続いて出たファフニールの言葉に、椅子から滑り落ちるほど驚いた。

 

「だから、闘わせてみればよかろう」

「いや、ちょっと待って! 今、ドラゴンとは言え命はたった一つきりしかないって、言ったじゃない?!」

 

 叫ぶ滝谷に、フンとまた一つ鼻を鳴らして、ファフニールは言った。

 

「命を懸けた実際の戦いならばそうだろう。ならば、命を懸けた実際の戦いでなければ、問題あるまい」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「では、ゲーム大会を開催するでヤンスよ」

 

 滝谷の宣言。

 それに対して、会場である小林家に集まった暇人――もとい、参加者たちからパラパラと拍手が起きた。

 

 正直、拍手をする面々には温度差がある。

 まあ、それも当然だ。

 突然、何の脈絡もなくゲームの大会を開くと言われても、一体なぜゲームで大会を行うのか、まったく訳が分からない。

 

 まあ、それでも今、小林家には10人前後の人影があった。

 会場となった小林家の面々――小林、トール、カンナ、アインズ。それに滝谷にファフニール、呼ばれた才川、おすそ分けの料理を持ってきたところに声をかけられた笹木部さんに、おすそ分けのゴリラの置物を持ってきたところに声をかけられた曽根さん、偶々通りがかった商店街でときどき会う近所の奥さんというまとまりのない面子である。

 

 

 

「それでは、第一試合始め!」

 

 滝谷の発する試合開始を告げる声。

 それと同時に裂帛の気合の声があがる。一瞬で間合いを詰め、激しい攻防を繰り広げるゲームのキャラクターたち。

 

 

 他の者達がソファーで対戦している間、対戦の順番がまだまだ遠いアインズとトールは少し離れたテーブルに腰かけ、その様子を見守っていた。

 

「これって、何の意味があるんですかねー」

 

 暇を持て余したらしく、トールが声をかけてくる。

 

「さて? どうだろうな? しかし、楽しいのではないかな」

「そうですか?」

 

 トールは首をひねった。

 

「実際に拳を交え合うんならともかく、架空の――ゲームのキャラを操って勝敗を競い合うのって、意味があるんですか?」

「それは……ふむ、なんと言うか、すこし難しいな」

 

 アインズは顎を撫でた。

 

「実際の所、苦労して強くなっても、調整が入ったとか、続編では仕様が変更されたとかいって、すべて憶え直しになったとかは聞くがな」

 

 そう言って、アインズはモニター上で熾烈な戦いを繰り広げるヨガの達人と筋肉男の戦いを見つめた。

 

「こうして極めることに価値はないかもしれない。意味は無いのかもしれない。だが、人間は往々にして、意味がない事でもやるものだ。いや、意味がない事にでも、意味を見出すと言ってもいいかな?」

「それって、自分たちの無能を直視したくないがための詭弁、誤魔化しではないですか?」

「それは……完全には否定できないな」

 

 その時、アインズの脳裏をよぎったのは、かつての輝かしい過去、ギルメンたちと過ごしたあの楽しくも、懐かしい日々。

 

「そこに意味はないのかもしれない。ただの幻想だったかもしれない。そうだな。友人たちとの日々、それは現実に何ももたらさず、ただありもしない幻想の上に積み重ねられた偽りの絆だったかもしれない」

 

 

 ――そうだ。

 かつてユグドラシルにおいて第九位にまで登りつめたギルド『アインズ・ウール・ゴウン』。

 だが、そんな栄光と共にあったギルドであるが、その最終日、モモンガの呼びかけに応じてログインしてきたのは、モモンガを除いた40人中わずかに3人のみだった。

 彼らからすれば、『アインズ・ウール・ゴウン』はただのゲーム内でのこと、がんじがらめに管理された、息苦しいリアルからちょっと離れた遊び、息抜きでしかなかったかもしれない。

 だが――。

 

 

「だが、たとえ誰かにとって意味がなくとも、別の誰かには意味があればそれでいいのではないか。いくらゲームに熱中しても、後には何も残らない。だが、それによって生じたきっかけ。それが、どこかの誰かにとって、なにがしかの影響を与えうるものになればそれでいい。そこには、きっと意味が生まれるのだろう」

 

 正直、途中から今、やっているゲーム大会についてではなく、昔、皆でユグドラシルに熱中していたころの事を思い返しての言葉だったのだが、それを聞いたトールは何やら思案気な表情をしていた。

 

 

「では、次はトール殿とアインズ殿でヤンス。さて、御二方、準備はいいでヤンスか?」

 

 頷くアインズ。

 コントローラーの感触を確かめつつ、そっと対戦相手の顔を窺った。

 そこにあったのはトールの笑顔であった。

 

「負けませんよ、アインズさん!」

「ああ、こちらとしても、だ」

 

 そして、『ROUND1 FIGHT!』、と電子音声が響いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 繰り広げられる電子の代理戦争。

 幾多の戦いの果て、淘汰されていく戦士たち。

 そして、その頂点に立ったのは――。

 

 

「ん」

 

 無表情のまま、両手を掲げて勝利のポーズをとるのは、滝谷から連絡を受けた際、たまたま商店街で話していて、そのまま流れで参加することになった近所の奥さんであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「結構、皆ゲームとかやってたんだねぇ」

 

 しみじみといいつつ、テーブルの上に置かれた笹木部さんのおすそ分け、ベーコン入りポテトサラダをつまみに、ビールをちびちびと口にする小林。

 

 景品である曽根さん提供の新作、猿拳のポーズをとるゴリラの置物を小脇に抱え、優勝した小森の奥さんは帰っていった。

 その他の面々もすでに解散している。

 

 

 そうして小林は視線を、ソファーの方へと向けた。

 そこでは――。

 

「勝った―」

「え? なんで?!」

 

 ゲームで対戦しているのはカンナとトール。

 バンザーイと両手を高々と上げるカンナに対して、トールは驚愕に目を見開き、その身を震わせていた。

 すでに半分涙目である。

 

 

 大会においてトールはぶっちぎりで最下位であった。

 

 当然である。

 トールは普段ゲームなどはしない。

 対して彼女以外の者達は、程度の差こそあれ、全員ゲームの経験者であった。

 

 

 ゲームをしたことがない者がいきなり経験者たちに勝てるはずもない。

 

 たとえ、それがドラゴンであろうとも。

 

 

 

 その悔しさから、皆が帰った後もこうしてカンナ相手に対戦しているのであるが、そこでも連敗をつづけていた。

 

「いや、ちょっと待ってください! なんで今、投げられたんですか? こっちの飛び蹴りが当たってましたよ?!」

 

 トールの叫びに、カンナを挟んで向こうに座っていたアインズが説明してやる。

 

「ああ、今のは『くらい投げ』と言われる戦法だ。攻撃をガードした時より、攻撃を受けたときの方が速く動けるようになる。それを利用して、打点の高いジャンプ攻撃をガードせずにあえてくらって、相手が着地したところを投げるというやり方だ。もちろんいつでもできるわけではなくて、気をつけないと普通にジャンプからのコンボを繋げられてしまう可能性もあるから、注意が必要になる」

「ぬ、ぬう……。もう一回、もう一回勝負です!」

「じゃあ、今度は私が相手をしよう」

 

 カンナからコントローラーを借りたアインズが、モニターに向き合う。

 そして試合開始を告げる声が響いた。

 

 

 その様子を眺め、小林は表情を和らげる。

 滝谷からゲーム大会をすると突然言われた時は、いったいどういう事だろうと疑問に思ったのだが、こうしてゲームを媒介として、今までぎくしゃくしていたトールとアインズが話をするようになった。

 ゲーム自体には意味がないかもしれない。だが、それをきっかけとして何かが始まったのならば、きっとそれはいいことなのだろう。 

 

 

 ちらりと壁にかけられた時計を見上げる。

 すでに時計の針は六時を指していた。

 

 小林は椅子から立ち上がり、台所へと移動する。

 

 料理は普段、トールの仕事だが今、彼女はゲームに集中している。

 たまには、代わりに作るのも悪くない。

 

「コバヤシ、料理するの?」

 

 エプロンを胸にかけた小林を見たカンナが、()()()()とこちらにやって来た。

 

「うん、カンナちゃん、手伝ってくれる?」

「やる。私、手伝う」

 

 手をあげて言ったカンナにエプロンを渡し、格闘ゲームの攻防に一喜一憂するトールの叫び声を背に、何を作ろうかなと小林は冷蔵庫を開いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「まだ、やってるんでヤンスか?」

 

 滝谷は自宅へ帰ってきてから、休むことなくひたすら格闘ゲームをやり続けているファフニールの背に、声をかけた。

 

 

「ドラゴンが人間ごときに後れを取るとは……」

 

 ぎりりと音が聞こえるほど歯ぎしりするファフニール。

 今回の目的はトールとアインズの話すきっかけを作るという事だったのであるが、それはそれとしてゲームで負けた事がよっぽど悔しかったらしい。

 

 

「では、小生は寝させてもらうでヤンス。お休み、ファフ君」

 

 そう言うと、耳栓をして滝谷は布団に横になった。

 滝谷の部屋では、コントローラーの操作音がいつまでも響いていた。

 

 




 実はファフニールは、細々とした家事をやったり、ゲームのテストプレイとかして、滝谷の役に立ってるんですよね。
 本当に何もしてないのはルコアの方のような……。







感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。