MMT(現代金融理論)のエッセンス! ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 5/7」

この文書の原文の説明および、ガルブレイス教授による序言はこちら


これまでの目次

  • 嘘1:政府は支出するために、まず税金や借入によって資金を調達しなければならない。 あるいは、政府支出は、徴税能力と借入能力に制限されている。
  • 嘘2:政府赤字は、子供たちの世代に債務という負担を残すことになる
  • 嘘3:政府赤字が貯蓄を奪う
  • 嘘4:社会保障制度は崩壊している

命取りに無邪気な嘘 その5:
貿易赤字は維持することのできない不均衡で、職業や産出を奪うものである

事実:
輸入とは実質的に利益で輸出は費用だ。貿易赤字は私たちの生活水準を直接的に改善する。職は輸入が原因で失われるのではなく、政府支出の水準に対して税が高すぎるゆえに失われる。

読者諸兄はこれを見ただけで、主流派は貿易についてもやはり全部逆に捉えているのではないか、と疑うだろう。貿易の話をきちんと理解するためにはいつも忘れないでおくべきことがある。経済的に「受け取ること」は「与えること」より良い、ということだ。

輸入とは実質の利益であり、輸出は実質の費用なのだ。

別の言い方をすると、海外の誰かが消費するモノやサービスを生み出すために労働することは、経済的に良いことをもたらさない。ただし海外からモノやサービスを輸入し消費する分がなければだ。簡潔に言えば、国の富とは「自分たちのために産出し保有しているものすべて」に「輸入したすべて」を足し、「輸出の分」を引いたものだ。

結局のところ、貿易赤字は私たちの生活水準を向上させている。そうでないことはあり得るだろうか?だから貿易赤字とは、大きいほど好ましいのだ。主流の経済学者や政治家、そしてマスコミは皆、貿易問題をあべこべに考えている。残念な真実だ。

要点を理解するための例え話。第二次大戦後、もしマッカーサー司令官が「日本は戦争に負けたのだから毎年200万台の自動車を米国に送ること」と宣言していたら、それは征服した敵からの搾取である、大きな国際問題になっていただろう。第一次大戦後に同盟国がドイツに対し高額過ぎ搾取的な賠償請求を行って第二次大戦を引き起こすことになったことを繰り返しているという非難にさらされたことだろう。マッカーサーはそんな命令はしなかった。にもかかわらず、実際には日本はその後60年以上にわたり米国に毎年約200マン台の自動車を送り続けてきた。対して米国から送ったものはほとんどなかった。すると驚くべきことに、日本側はこのことは「貿易戦争に勝利」したことを意味すると考え、われわれ米国側は「負けている」という意味だと考えるのだ。しかし米国は自動車を獲得し、日本は口座にドルが入りましたという通知をFEDから受け取っただけだった。

中国も同じだ。彼らの製品が米国の小売店の棚をいっぱいにし続けている一方で、FEDからの支払い通知書以外のものは受け取っていないことから「戦いに勝っている」と考えている。大狂気だ。

毎日のように目にするマスコミの見出しやコメントを引用してみよう。
- 米国は貿易赤字に「陥って」いる
- この貿易赤字は維持不可能な「不均衡」だ
- 中国のせいで米国の職が失われている

聞き飽きたナンセンスだ。私たちは貿易赤字から膨大な利益を得ている。諸外国は数千億ドル分に相当するモノとサービスを米国に送ってきており、これは米国から諸外国に送ったモノとサービスより多い。彼らは生産して輸出したいし、私たちは輸入して消費したい。これは修正する必要がある維持不可能な不均衡だろうか?それを終わらせることを望む理由は?彼らが対価として私たちからのモノとサービスを望んでいないけれども私たちにはそれを送りたいのなら、それを受け入れるべきでないというのは何故だろう。理由などない。ただ国の指導者達は金融システムを完全に誤解して、実は巨大な実質利益なのを国内の失業という悪夢にひっくり返して理解しているだけなのだ。

これまでの「無邪気な嘘」を思い出してほしいが、米国は常に国内の生産をサポートし、国内の完全雇用を維持することが可能だ(減税または政府支出、あるいはその両方によって)。たとえ中国やその他の国が国内産業のライバルとなるモノやサービスを送ると決めたとしてもだ。外国が売りたいものと、私たち自身が完全雇用の水準で生産できるものの全部を買うのに十分な購買力を維持すればいいだけのことだ。その結果として一つかそれ以上の産業は失われるかもしれない。それでも適正な財政政策をもってすれば、働くことができて働く意思のある人々を全員雇用し、民と公が消費するためのモノやサービスを生産しつつ、十分な購買力を維持することは常に可能だ。実際に、ずっと貿易赤字は高水準だったにもかかわらず、低い失業率を最近まで保つことができていた。

では、米国は支出の習慣を賄うため、酔っぱらった水夫のように外国から借金しまくっているというあの話は?それも嘘だ!中国が国債を買うかあるいは別の方法でわれわれの支出を賄っていて、それに依存している、なんてことは全然ない。実際に起こっていることはこうなのだ:「米国の信用創造が海外の貯蓄を賄っている」

これはどういう意味か?例として典型的な取引で見てみよう。米国に住んでいるあなたが中国製の自動車を買うと決意する。米国の銀行に行き、その自動車を買う資金の借入が受理される。あなたは借入れた資金を自動車と交換した。中国の自動車会社は銀行預金を得、銀行の帳簿にはあなたへの貸付金と中国の自動車会社の預金が記載されている。参加者は皆「ハッピー」だ。あなたは資金より自動車を持っていたかった。借りていなかったら変えないのだからあなたはハッピー。中国の自動車会社は自動車よりも資金を持っていたい。車を売っていないとそうならないのだから彼らもハッピー。銀行は貸付金と預金を持ちたいが、貸し出さないとそうならないのだから、やはりハッピー。

「不均衡」はどこにもない。全員が満足しきっている。まさしく望みの物を実際に得ている。銀行は貸付金と預金を得たのでハッピー、そして貸借は一致。中国の自動車会社は貯蓄として米国ドルの預金を得たのでハッピー、そして貸借は一致。あなたは欲しかった自動車を得、納得の上で支払いをしたのでハッピー、そして貸借は一致。この時点で全員が望みの物を得てハッピーな状態だ。

そして、この中国人が望んだ米国ドルの銀行預金を賄っているのが米国内の信用創造、つまり銀行貸出で、私たちが「貯蓄」とも言っているものだ。さて「海外資本」ってどこに?そんなものはない!米国は海外資本に何か依存しているという考えは当てはまらないのだ。それどこか、米国ドルという金融資産を貯蓄したいという彼らの希望を賄っているのは米国の信用創造プロセスなのだから、彼らがこれに依存している。私たちは、外国の貯蓄が何かを賄っているということに依存していたりはしない。

再度言うが、これは私たちのスプレッドシートだ。もし私たちのドルを貯蓄したいのなら、彼らは私たちの砂場の中で遊ぶしかないのだ。また、海外の貯蓄者がドル預金を使うことにはどんな選択肢があるだろう?特になにもありはしない。別の金融資産を誰か売りたい人から買うか、モノやサービスを売りたい人から買えるだけだ。その取引が市場価格でなさるなら売り手も買い手も双方ハッピーだ。買い手は欲しかった、モノやサービスや金融資産などを獲得する。売り手も欲しかった、ドル預金を獲得する。不均衡などあり得ない。なので、米国の海外資本依存の可能性は毛ほどもない。この手続きのどこにも海外資本は登場していないのだから。