第一二話 指輪物語『の素晴らしさについて熱く語ってみた』
もはや、物語ではなくなってきたような…
世相が悪くなるとファンタジーが流行る…と言われることがある。
たしかに、良質の児童文学やファンタジーが戦時中に執筆された例は多い。
ままならない現実に負けずに生きていくために、人は物語の中に心を遊ばせるのだ。
指輪物語も、そういった役割を今なお果たし続けている、貴重な物語の一つだ。
そして、映像化に耐えた…成功したと断言できる、希有な作品の一つでもある。
前述のゲド戦記とともにハイファンタジーと呼ばれる存在でありながら、映像化の明暗をはっきりとわけたのは、
圧倒的な監督の力量と情熱の差
スタッフ全員の原作に対するリスペクト
アニメか実写か
圧倒的な設定資料の量
であったと思う。
ピーター・ジャクソン監督にどれだけの素晴らしい才能があり、情熱があり、執念があったか。
それは、あの完璧なミドルアースの映像をみれば一目瞭然であろう。
しかし、同時に、あの映画の成功の多くの部分は、沢山の人々の才能と情熱の集大成によるものなのだ。
アニメの場合と違い、実写は、一人の役者が一人の登場人物として生きる。
それぞれの役者は、キャラクターになりきるために、人生のその部分の時間を全てあの映画につぎ込んだ。
よりリアルな世界をとるために、次々と新しい技術が開発されていった。
我々はトールキンのまなざしでしか知らなかったミドルアースの人々の生き様を、ピータージャクソンの力を借りて、直接この目とこの耳で、見聞きすることが出来たのだ。
もっとも、英語が公用語でない我が国において、原作を十分に読み込まなかったと思われるベテラン翻訳家による目を疑うような字幕が流れたこともあったけれど。
〇〇〇
モモについて、エンデは、過去にあったかもしれない物語、 未来におこるかもしれない物語、と語っていた。
指輪物語は
おそらく
過去にあった物語として語られている。
指輪物語とスターウォーズ、この二つの物語の接点は、サー・クリストファー・リーの存在だけではない。
原点がケルト神話…
かつて、キリスト教がもたらされる前の
今のイギリスのあたりにあった世界の創世の物語に端を発している点にあるのだ。
指輪物語において、主人公はあきらかにホビットであるフロド、そしてその仲間たちである。
ホビットのフロドとサム、ピピンとメリー。
人間のアラゴルンとボロミア。
エルフのレゴラス
ドワーフのギムリ
魔法使いのガンダルフ。
かつて、世界には人間以外にも、沢山の種族が居たのだ。
そう、一神教革命が起こる前のインドヨーロッパ語族やケルト、その他の民族…もちろん我が国にも、沢山の神がいたように。
〇〇〇
作者トールキンが言語学者であったことは、指輪物語の頑丈さに大きく影響している。
種族ごとに独自の言語があり
詳細な地図があり
詳細な年表があり
登場人物一人一人に家系図がある。
そしてその他、文化とも言えるような莫大な設定がある。
物語はまるで実際にあった歴史を語るようにとうとうと進んでいく。
その中を、生身の役者の中に息を吹き返した登場人物達は、生きていく。
我々の一人一人に、それなりの幸福と不幸と喜びと悲しみがあるように…彼らも
悲しみ、喜び、怒り、涙して、生きていく。
一人一人に、歴史があり事情があり喜びがあり悲しみがある。たとえば、映画では、イケメンぶりと、すさまじい運動神経の良さを披露してくれた闇の森のエルフのレゴラス。
原作では、さらに、エルフにしては異常なほどの朗らかさ…悪く言えばネジが緩さが際だつキャラクターだった。
彼の出身地は闇の森。
指輪の力を借りずに領土を守り続ける、スランドュイル王の国だ。
新しい命が生まれなくなってきていたエルフ族における、かれの存在は、かれの名に現れている。
レゴラスとは緑の葉、若葉という意味なのだそうだ。
オーランドブルームが演じるレゴラスの衣装は、注意してみると、襟や縁などの随所に若葉の意匠がふんだんに施されている。
指輪戦争の後、多くのエルフは人間の土地となりつつあったミドルアースを離れた。
レゴラスも、ドワーフのギムリとともに西方に去った。
しかし、レゴラスの父王スランデュイルは残った。
やがて力を失い、妖精のような存在にしふとチェンジしていったかもしれない。
今、我々が、ちっさいおじさんをどこかでみたら、それはレゴラスの一族の末裔かもしれないのだ…
つまり、ちょびっと調べただけで、ここまで細かに情報が出てきちゃうくらい膨大な設定資料が指輪物語の強みなのである…
ちなみに
これから公開されるホビットにおいて
ギムリの父グローインとレゴラスの父スランデュイルは敵対する。
だからこそ
ギムリとレゴラスは最初は仲が悪い。
ああいうビジュアルだが、ギムリは案外若い。
情は厚く、美しいものは美しいと感動し、おそらくあのメンバーで一番のロマンチストである。
本に比べて、一人にだけクローズアップすることが難しい映画ではあったが
旅の中盤から、やたらとレゴラスがギムリを構い出すのに、原作をよんでいない人は気がついているであろうか。
ガラドリエルと謁見する時にはやたらとおしゃれをするギムリ。(三つ編みお下げは旅用ファッションで盛装時には素敵な髪飾りを沢山つけている)
ギムリを船にのせるときに手を差し出すレゴラス。
ギムリに槍をむけた人間に逆ギレするレゴラス。
馬は基本二人のり。
燦光洞デートが映画で割愛されたのは仕方のないことだが
追補編によれば
二人仲良く西方にわたったようだ。
そして、中には原作を越えたキャラクターもいる。
原作だけを読んで、ボロミアを好きになれた人はどのくらいいただろう。
旅の仲間なのに、指輪の魔力に負けて裏切った悪者。
子供の心にはその程度の印象しか残さない、嫌な人物だった。
しかし、名優と名監督は、筋書きも設定も変えずに、ボロミアに対する印象を正反対に塗り替えてしまった。
つまりは、ボロミアとはそういう人物だったと再発見したわけである。
そしていったん開かれた目で、再度原作を読み返せば
律儀で誇り高く、我慢強く、優しい愛らしいボロミアの姿が確かにそこにはあった。
映画を見ると本を読みたくなり、本を読むと映画がみたくなる。
指輪物語は、そういう作品だ。
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たららーらーらーらーらー♪
ミサコはすっかり乾いた服を身にまといながら鼻歌を歌った。
映画、ロードオブザリングスのテーマ曲だ。
夢の中とは言え、これから異世界でのなにがしかが始まる。
道は続くのだ
どこまでも。
ああー早く『思いがけない冒険』をみたいなー