二百五十年の弾圧に耐え、独自の信仰形態を守り続けた「潜伏キリシタン」。その関連資産が世界遺産に登録された。信者の暮らしと心の中に息づくこの宝物。どうすれば守り伝えていけるのか。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、主に長崎県、そして一部が熊本県の十二の“資産”で構成されている。
その中には「島原の乱」で名高い原城跡(長崎県南島原市)や、国宝の大浦天主堂(長崎市)など、すでに観光地として知られるものも含まれる。しかし、その多くは海外にはもちろん、国内的にもほとんど無名の集落だ。
江戸時代初期から約二百五十年、禁教による弾圧に耐えながら、ひそかに守り続けた信仰のあり方、住民の信仰生活そのものが、“守り伝えていくべきもの”という評価を受けたのだ。
世界遺産そのもののルーツは、文化財の略奪行為を禁じた一九〇七年のハーグ陸戦条約にあるという。世界的に貴重な文化遺産や自然遺産を破壊や衰亡から「守る」のが、七二年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)総会で結ばれた世界遺産条約の基本精神なのである。それがいつしか、観光価値の有力な評価指標にもなっている。
登録件数が千を超え、資産単体での登録が難しくなったため、地域の構成資産による「物語性」が重視されるようになってきた。そのことが“誘致競争”に拍車をかけた感もある。
世界遺産登録で多くの観光客が訪れるようになれば、雇用も増えて、遺産の保全に資することにもなるだろう。
だが一方で急速な観光地化で、守るべき伝統的な暮らしや風景が損なわれるケースも増えてきた。
昨年「神宿る島」として登録された福岡県の沖ノ島は、世界遺産登録を機に神職以外の入島を原則禁止した。「守る」を重視したためだ。
世界遺産には登録後の保全が義務付けられる。例えば今回の構成資産の一つ「春日集落」(長崎県平戸市)は、約二十戸六十人の小集落である。
もしそこへ多くの観光客が訪れるようになったらどうなるのか。静かな信仰生活を守ることができるのか。それでなくても、高齢化が進む集落そのものを、どうすれば守っていけるのか-。
国内二十二件目の世界遺産。もちろん、うれしいことではあるが、私たちはまた一つ、大きな責任を背負ったことになる。
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