モンゴル人から見た義経=ジンギスカン説
義経のヒヨドリ越え
大連の地元歴史家たちの中にいたのが、内蒙古出身でジンギスカンの末裔の家系だというバートルさん。バートルさんは日本の古代史にも興味を持ち、歴史を題材にした小説も書いている作家だ。
バートルさんによればジンギスカンの墓はずっと所在が不明だが、子孫には秘かに口伝で墓の位置が伝えられているという。彼によればジンギスカンの墓は実態を隠すため、別の名前の施設(寺院?)になっているというのだ。
戦時中に日本軍がジンギスカンの墓を発見して源義経ゆかりの遺品や家紋が見つかったと発表しようとしたことがあったが、その日本軍の暴挙にジンギスカンの末裔たちは失望と怒りを感じたという。
日本では戦前に義経=ジンギスカン説が流行していたので、日本軍はその説を利用してモンゴル人を懐柔するためにジンギスカンと義経を結びつける遺跡を捏造しようとした。ところが、かえってモンゴル人から反感を招いたためその計画は途中で中止されたという。
バートルさんによれば義経がジンギスカンになったという説は、真実とは方向が真逆だという。彼によれば義経を支援した東北や関東の武士たちこそが、モンゴル人を始めとする北方騎馬民族の子孫だったというのだ。
バートルさんによれば有名な義経のヒヨドリ越えなどの見事な騎馬技術は、馬とともにサハリンや北海道を経て東北・関東に渡ってきたモンゴル人を含む北方騎馬民族の名残なのだそうだ。
平家は操船技術に優れた船団を擁し、中国の南方と海上貿易することにより栄華を極めた。それとは対照的に、義経を支えた東北・関東地方の武士集団は騎馬による機動力で戦闘における優勢を誇った。
バートルさんの意見は自民族のモンゴル族に対する判官びいきのような気もするが、興味深い歴史の新説を聞くことができたので良しとしよう。
野崎晃市(42)