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川崎の皆さん主催の福岡座談会に

 投稿者:ニューリーダー間鹿  投稿日:2018年 7月21日(土)22時07分38秒
  こそこそ福岡創価学会の壮年幹部さんを使って、偵察にロビーまでこられてましたよ~。
わざわざ、隣の会議室も偵察の為に急きょ借りチヤッて、まぁ、わかりやすかったこと。
こそこそしてるつもりですが、バレバレでしっぽが出てました。もちろん、みんな気づいていたけど気にもとめなかったけどね。
暇なのね!
 

破折

 投稿者:FT  投稿日:2018年 7月21日(土)21時11分8秒
編集済
  二、三週間前にこの板に破折の文を何回か投稿し、削除され魔が入ってると見破ったが、今日は最近の学会の地区の会合の様子を何度か見てその中で会員に暴力を何度も振るい起訴猶予になった元特区幹部を擁護した輩が中心者になっていたが、婦人部の発言に蛇の様な眼つきでバカにしたように苦笑いする様子を見てこいつは本当にバカヤローで愚かだと。
魔が入り邪宗となった創価学会の組織を正視眼の信心で見破り謗法と同座すべからずの大聖人の獅子吼を勇気を持って実践する本物の勇者はいないのかっ!!
 

京都乃鬼さんへ

 投稿者:谷川軍属  投稿日:2018年 7月21日(土)21時08分4秒
  奈落の地獄谷に落ちん様にいかんと言っております。
私ゃねおっかさんの身内が好き放題活放題の見るも無残な末路をこの目で見ておるから、
手を出すなと言っておるんです。
借金地獄の成れの果て、子供の不祥事で自殺未遂、脳梗塞三回、六十三歳で逝ったばあちゃん、おっかさんと直ぐ上の姉さんを泣かした上の四人のうち二人の死に様を 見て、
博打はやらんと決めております。
親父も若いときゃ昭和は三十年代東京はエンコやノガミで?です。
だから本人はその当時のことは鋼鉄の如く話しません。私も聞きません。
だがその姿で素人が手を出すことじゃねえと教えられました。
道を外さんのは親父お袋のお陰です。
ガキの時分に刷り込まれています。
だから止めとけなんです。
 

まさに仰せのごとく

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)19時24分53秒
編集済
  師弟の宝冠VOL.6より

「唱題に励み、広布を進め、人々を不幸に陥れる悪を責めてこそ、

自分自身の生命の悪を滅することができる。

それが功徳である。悪と戦ってこそ、功徳が生じるのである。」

・・引用終わり・・

ジョーカー様がご紹介、また、書かれているようにまさにそう・・

私の近年の実体験でもあります。

功徳主義ではありませんが・・・(苦笑)

本当に、通常では考えられないような結果が生じます。

考えられないような現象と結果が求めていなくとも・・得られるのです。・

まさに、ロケットのような推進力・・ (真剣な唱題も当然必要・・です(笑)

「100%保証」

悪と戦ってこそ大きな境涯を得られる。

間違いありません・・

ただ、止めれば推進力を失います・・(笑)
 

それは流石に

 投稿者:名無し  投稿日:2018年 7月21日(土)19時13分13秒
  > 現在に於いて、日蓮大聖人の御書で世界広布の教学を広めることは、混乱を招くだけだと思います。

師弟不二が御書軽視を招き、肝腎の化法が侵されることになるようでは困りますね
師弟不二が連綿として本佛に連なるのでなければ師弟不二に意味なんかありませんよ
 

所謂、カジノ法案について

 投稿者:京都乃鬼  投稿日:2018年 7月21日(土)18時54分56秒
  バクチを駄目と言う人達江。

カジノ法案反対の方々の意見も聞くで。

感情論でないんやったらな。


ワシら昔ながらの博打打ちはな、

世間様が三度の飯を食べるならば、ワシらは二度しか飯を食べてたらアカン。


これが掟破や。


その上でや。


シロウトはんの感情論では無くてやな、バクチと人間一人一人との関わりについて語らえるのならば、ワシもやな、参考になる意見も言える。


それを聞く度量があるのならばやけどな(鬼笑)
 

蜂のムサシ

 投稿者:谷川シリーズ、第二弾、今度は軍属です。  投稿日:2018年 7月21日(土)18時48分56秒
  歳ですね~。
五十歳以上の方は分かると思います。
蜂のムサシは死んだのさ、お日様に焼かれた死んだのさ~。
 

善良な模範生

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2018年 7月21日(土)17時54分50秒
  師弟の宝冠VOL.6より
「唱題に励み、広布を進め、人々を不幸に陥れる悪を責めてこそ、自分自身の生命の悪を滅することができる。それが功徳である。悪と戦ってこそ、功徳が生じるのである。」

::::::

権力からの迫害なき、現代の創価学会において、組織悪こそが、会員を不幸にする肝心要の問題と言える。であるならば、組織悪と戦う信心の中に、福運と功徳を生じさせる道がある。 これからの弟子の時代とはいかなる時代か。それは、組織悪と戦う師がいないことを意味している。

組織悪と戦う師に、守られながらの学会活動だったのが師の時代。組織や幹部がおかしかろうと、師が是正し、ついていけばなんとかなった時代ともいえる。それがなくなったら、一体だれが創価学会を守るのか。治世の世と乱世では、必要な人材は変わる。組織悪を見逃し、唱題・活動だけでは、乱世(弟子の時代)では、魔王を喜ばせる(会員を苦しめる)ことになることを知らねばならない。

自身が信心の模範となり、立派な実証を示すことは、乱世では前提条件でしかない。その上で、組織悪と戦えるかどうかが問われている。模範の存在だけでよいのは、治世の世までである。乱世において、魔王が最も喜ぶのは、結局何もしない(組織悪と戦わない)善良な模範の会員の存在である。

組織悪と戦わない善良な模範の会員が、魔王を助長させ、勢い付かせる。おかしいことをおかしいと言えない世界は狂っていく。そして一度狂うと、狂っていることに気付かなくなる。そうなれば、魔王のやりたい放題となり、会員が不幸になる。組織悪と戦わないこと自体が罪となる時代こそが乱世であり、これからの創価学会なのである。

組織主義に染まった人間は、組織悪と戦うことは出来ない。感覚が麻痺し、狂いに気づくことが出来ないからだ。組織悪と戦うのか戦わないのか。戦うと決めれば、組織主義から脱却することができ、視界が開けてくる。組織悪と戦う人間を、魔王はもっとも忌み嫌う。だが、そこにしか本当の功徳も、弟子の道も存在しえない。

組織悪と戦う一念があるかどうかで決まる。本物と偽物の差もここにある。組織悪と戦う一念なき幹部は、54年と同様、結果的に師を見殺しにする存在となる。師を見殺しにするということは、会員を見殺しにするということであり、学会を壊すことにつながる。弟子の時代では、これが致命傷となる。

組織悪を意識し、戦う会員を増やすことが、創価学会を守ることになる。正しい信心も、その中にある。善良な模範生でも、組織悪と戦わなければ何にもならない。そこに仏法の厳しさがある。

 

素晴らしい!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 7月21日(土)17時18分57秒
   いや、皆さん、素晴らしい。蘭夢さん、通りすがりさん、生涯広布一筋さん、赤胴鈴之助さん、ありがとうございます。脱帽です。赤胴さん、度量を見せましたね(笑み)。

 一人のSGIさん、日蓮仏法さんも問題提起ありがとうございます。修羅場をくぐり抜けてきたお二人だけに、そのこだわりがひしひし伝わります。これも脱帽です。


 

師弟不二は仏法ではなく

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 7月21日(土)16時49分18秒
  師弟不二については、蘭夢さん、生涯広布&一筋兄弟さんが、法華経の智慧その他を引いて、解釈
されていますので、述べません。
ありがとうございました。

「師弟不二は仏法ではなく、組織上の世法の世界の話です。」

この文章で「SG執行部の言っている師弟不二は仏法ではなく、組織上の世法の世界の話です」
これであれば、その通りです、と答えたでしょう。


第廿四 此の寿量品の所化の国土と修行との事

かつ、この寿量品は、釈尊の仏法でないことを示されんがためである。
すなわち、西より東に向かった釈尊の仏法は、末法の代となり、その力はまったく失われ、ここに、
日本国より、寿量文底下種の大白法が起ち、まず日本国に流布し、今度は東より西に向かうことを
示されんがためである。
したがって、この寿量品第十六が、いかなる法であるかは、ますます明瞭である。
 次に依正不二の立ち場から仰せられたのである。
すなわち、まず日本国において広宣流布し、この地に楽土が築かれ、民衆の幸福が実現することが、
依正不二で、世界広布につらなり、世界平和につながっていくからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで言いたいことは、釈迦本仏では広宣流布しても意味は無いと言う事を確認してください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、池田先生の言葉や、指導をもとに広宣流布の活動することが大事であるということ。
現在に於いて、日蓮大聖人の御書で世界広布の教学を広めることは、混乱を招くだけだと思います。

日本ですら、SGの幹部が御書が読めない実情があります、増して解釈できるわけがありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・

追加説明  投稿者:日蓮仏法2.0  投稿日:2018年 7月21日(土)15時38分20秒・・・

日蓮仏法2.0さんの解釈で世法と仏法の関係はその通りだと思います。

この問題はこれで終わります。
 

批判する人間を置いておかない組織の現場。

 投稿者:ドミサイルの住人  投稿日:2018年 7月21日(土)16時36分29秒
  批判に耳を傾ける幹部など、いまの創価学会にはおりません。文句や愚痴を言おうものなら即座に除名処分です。妙法のC作戦と云う隠語があるそうです。組織を純化して、結束力を高める。同体同心の水魚の思いで戦うのココロあるょ(笑)。  

批判されるを嫌わず批判するを恐れず!

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 7月21日(土)16時05分33秒
  批判はいくらしても良い☆!
むしろ自由?であるべきと・・・?

https://6027.teacup.com/situation/bbs/62292

こんな実態!?声挙げぬのは無慈悲☆!

https://6027.teacup.com/situation/bbs/68307


 

(無題)

 投稿者:通行人  投稿日:2018年 7月21日(土)15時53分34秒
  〝悩乱〟はいかがかと思いますが…。月の砂漠 様が思索し取り組まれている事とご意見を
尊重させていただいたうえで、通りすがり 様のご意見に同意する点多々ございます。

特に、
本末転倒①
幹部に直接訴えて…、幹部に疎んじられる人の結末。最近ありました。役職も戻りません。
本末転倒②
膝詰めで聞かない。「あなたは間違っているから私が正しく指導する」という姿勢で来ます。
聞いたとして、後で、同格もしくはその人を担当する幹部に「彼はこんなこと言ってたよ」
と漏らす。直接聞いた幹部は、よく理解しているので問題は起こらない。が、股聞きした幹部
はその資質ゆえか忖度するのか、事実を理解できず、あらぬ方向に向かって事態が進展します。
馬鹿としか言いようがない。この無知な姿勢は一体どこから来るのか?
本末転倒⑤
「自分がどのように信仰者として生きていくのかという話と、絶対悪や社会悪にどう対していく
のかという話…」
本当にそのとうりだと思います。
たしか、1ヶ月くらい前にどなたかが投稿されておられましたが、
会員さんは今のままで〝快〟なんですよ。いや、今のままが〝快〟。
言われた通りにやっていれば…です。ここを巧みに利用されている部分もある。

そこで、本末転倒①で述べた人。どちらかといえば直情の方です。完膚なきまでに幹部を
黙らせてしまいました。対論するかのような姿勢で来たからだそうです。詳細は書けません
が、でも本人も家族も生き生きと折伏やりながら、〝わづかの総総区のぬしら〟を叩いて
いますね。その幹部は、私から見ても変な輩です。

こうした行動をしている人もいれば、違う行動をしている人もおられます。

追記:座談会で、公明党のDVDを見た後、「支持依頼をお願い」と幹部が話しているのを聞いた
最近入会された人の目が曇っていましたけど…。まあ、きっと話がつまらなかったんでしょうね(笑)


 

追加説明

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2018年 7月21日(土)15時38分20秒
  先に投稿した第四番目のレベルの説明は、誤解を招くかもしれませんので、追加説明しておきます。
>>> 自分の中の先生への想いと関わりの中で、仏法から世法を作り直していく作業を展開します。その意味で、私自身としては世法か仏法と問われれば、師弟不二は世法の問題だと断言しています。<<<

師匠が教えてくれた仏法を実践し、それを原点にして、世法を再構築する作業は、世法での出来事ですが、実践している中身は仏法ですね。

この問題は、例えば選挙活動や新聞啓蒙は世法の事象ですが、そこに仏法とか自分の信心の視座から意味付けをすると、世法即仏法の原理が当てはまります。
ただし、これは自分の自由意志でそう捉える場合です。
微妙ですが、それを他人や組織から押し付けられる場合には、行動の意味が変わってくるのではないでしょうか。
そして問題は、そうしたイデオロギーを内面化してしまっている場合です。
ですから常に仏法の信心に立ち返り、そこから世法を見直していく作業が必要不可欠になります。

今、生涯広布さんが正しく表現しているように、「組織信仰」か「個々人の信仰」かの相違になります。
人間主義の日蓮仏法は思想言論表現の自由を尊重し、個人が自立・自律し、自己実現する信仰です。
臆病で従順な羊が群れる集団ではない。誇り高きライオンが群れると素敵ですね。

https://www.amazon.co.jp/dp/4802094086

 

(無題)

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)15時30分36秒
  戸田先生は、よく言われた。

「一切をよりよく変化させゆくのが、妙法の無限の力用である」

また「学会の革命は、あらゆる部門にわたり、広さは随一である。

そして、それは、全民衆から盛り上がる力によって成し遂げられるのである」

と語っておられた。

そのうえで、先生は結論された。

「大事なのはリーダーだ。リーダーで決まる。指導者が自分を変えるしかないのだ」

組織が衰退するときも、まず〝上〟が腐敗するところから始まる ──

これは、古今東西の歴史が示してきた厳しき教訓といえよう。

永遠の発展の道をつくるのは「今」である。

皆が「広布の責任者」との自覚に立つことだ。

皆が「師とともに」勇んで進むことだ。

ここに学会の強さがある。

どこまでも、「正義は正義」と叫び抜くのだ。

そして自らが、慈愛あふれるリーダー、信義を貫くリーダーとなりゆくことである。

もう一度、新しい決意に燃えて、心一つに、新しい時代を開いてまいりたい(大拍手)。

[11・18「創価学会創立記念日」祝賀協議会】(2006・10・28)

<引用終わり>


「正義は正義と」叫んだ、その結果・・・・

みなさま、既にご存知です。

悪人に迫害されるのは誉・・
 

組織信仰と個々人の信仰

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)15時20分43秒
  日蓮仏法2.0様と一人のSGI様が仰ることは理解できます。

お二人は、今のSG/SGIがこの「師弟不二」を教条的にそれを利用

会員を束縛、会を運営する危険性を危惧されていると思います。

それは、現に、我々が今見ているSG/SGIの姿でしょう。

「師弟不二に生きる」これは、個々人の信仰の姿勢であって真摯に師匠から

仏法を学ぶ。そして、それを展開・実行

反面、教条的に「師弟不二」という言葉で縛られ

思考停止のまま、従順に従う・・

ここがいけない。

このように危険性もすぐそばに横たわっているのです。

これが、宗教の持つドグマです。

師弟不二は個々人の内面の問題、それをどう具現化していくか

そこに、個々人の信仰姿勢の鍵があるように思います。

先日聞いたある方の面白い話、

執行部や幹部連中は本当は「師弟不二が大嫌い」

聞くのも嫌だという話でした。

つまり、師弟不二の実践をする人たちは嫌われる・・

どういうことかと言いますと、彼らは「師弟不二」という言葉で

会員を操っているけれど、

本物の「師弟不二」実践している正義の人は嫌うという・・

大笑いでした・・
 

師弟不二の重層性

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2018年 7月21日(土)14時59分37秒
編集済
  >>> https://6027.teacup.com/situation/bbs/87301
一人のSGI さま  投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 7月21日(土)11時22分52秒 <<<
鈴之助さんは私や一人のSGIさんの「師弟不二」に関する意見に納得できないようですが、私自身は彼女の言わんとすることは十二分に理解できますし、全面的に賛同・支持できます。

この議論の混乱を避けるためには、言説のレベルを立て分けて整理する必要があると思います。

一、言わば「広宣流布を推進する学会を建設し、守る」戦いをしてこられた牧口・戸田・池田先生の代々会長のレベルにおける師弟不二。
このレベルでも、すでに多くの方が引用している通り、「何のためのSGか」は明確です。
組織は世法であり、組織は仏法を宣揚するための手段です。
が、この視点でも組織の意味を軽視するわけではありません。

二、現在における池田先生と私たちの師弟観。
まず、会長職のレベルと考えると、唯受一人・血脈相承の伝統とは異なり、第四代会長以後、第三代会長と一対一の師弟不二があるわけではないようです。
それは、私たちの「一般会員」レベルでも同じです。
結局、一人ひとりが自分なりの「師弟関係」を築いているはずです。
その関係が濃厚な人もいれば、逆に否定する人もおり、千差万別です。
私の個人的な先生との関係については、日蓮仏法2.0で若干触れています。

三、組織が教団イデオロギーとして師弟不二を強要し、利用するレベル。
これは完全に世法・組織に関わることであり、私や彼女が問題視している師弟不二の在り方です。
この側面の弊害についてこそ彼女が詳細な分析をしているので、この視点から改めて再読することをお勧めします。
この関連で「師弟不二こそが仏法だ」と世法と仏法を混同し、組織論を表に出す人に、私は怒りを覚えるのです。
その言論思想の自由を抑圧するイデオロギーのために苦しんできた人を大勢見てきたからです。
退転した人もいます。
世法は仏法のためという視点をしっかり持っていないと、結果として人々が組織に利用されるし、本末転倒の結果しか生まれません。

四、それで敢えて第四のレベルを導入しますが、これは二のレベルと関係しています。
つまり、自分の中の先生への想いと関わりの中で、仏法から世法を作り直していく作業を展開します。
その意味で、私自身としては世法か仏法と問われれば、師弟不二は世法の問題だと断言しています。
が、この場合でも、師弟不二を軽視したり、否定はしません。その逆です。

五、私の個人的な師弟不二からの世法への関わりのレベル
世界の広宣流布を考えた場合、それを実現できるのは他の寺院中心の宗派ではなく、SGIしかないはずです。
したがって、現在の執行部がどうあれ、SG/SGI本体を批判し、倒そうとするのは、代々会長並びに多くの真摯なメンバーのこれまでの努力をないがしろにしてしまうのではないのか、特に池田先生が全身全霊で築いた世界のSGIに反旗を翻すことではないのか。
そういう危惧を抱きます。
ただし、そうした反対運動をする人も自分の信念で行動しているので、それは自由です。
ですから、私自身はSGIの未来に向けて自分なりの別の行動をしています。

私と女房は世界中で途方に暮れ、悩んでいるメンバーもEXメンバーも見てきました。
それには組織の体質の問題や人間関係、また教義の変更や曖昧さが関連しています。
私自身はSGが従来の教条主義・排他主義の教義を普遍化の方向で変更したことを最大に評価しています。
将来の健全なSGIの発展には必要不可欠だからです。
他方、査問や除名の行動は不可解で、かえってマイナスな影響しか与えないのではないでしょうか。

いずれにせよ、こうした一連の組織・世法上の問題とは別に、私たちは皆さんに今一度、純粋な仏法の世界に目を向け、自身の信心の原点を立て直せるよう、その方向で著作活動を展開しています。
従来の中世・近世・前近代の教義を払拭し、21世紀の現代語で再表現すること。
こうして、皆さんを信心の原点である「御本尊への唱題行」の素晴らしさを再確認してもらうこと。
そして、この仏法の視座から世法の諸事を解決します。

私たちの例では、一連の著作でSGI教学や信仰の理解に新たな展望を与え、具体的な視座や方向性を提示することで、エネルギーを建設的な方向に向けようとしています。
しかも、この点では、所謂「敵・味方」や「内・外」の区別を超えて、一緒に協力して行動できるのではないかと希望を持っています。
そのために、日蓮仏法2.0では、先生の「人間主義の日蓮仏法」を継承発展すると明言し、方向付けています。
従来の正宗日寛教学を単に否定しているわけだけではありません。
問題にしたのは日蓮久遠本仏論と大御本尊信仰だけで、文上・文底の視座等は継承しています。
この方向で世界のSGIを継承発展させる方向で貢献したいと願っています。
これが私の個人的な師弟不二の実践です。

その意味では、皆さん全員が自分独自の師弟不二の実践をしているはずです。
そのため、私は皆さん一人ひとりを尊敬したいので、「我こそは師弟不二を実践している真の弟子なり」という驕慢な態度は取りません。
以上、ご理解いただければ幸甚です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4802094086

 

(無題)

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)14時54分41秒
  【11・18「創価学会創立記念日」祝賀協議会】
(2006・10・28)

戸田城聖先生は遺言として、「信心は日蓮大聖人の時代に還れ! 」

と言い残された。

これが、戸田先生の叫びであられた。

この崇高なる師弟に、学会の世界的発展の原点がある。

「師弟不二」であれば、打ち破れない「壁」などない。

「師弟不二」に徹し抜いていけば、

今の何倍も、学会は発展していくことができる。

仏法の師弟を忘れた恩知らずの輩に、大切な学会を食い破られてはならない。

妙法の宝剣で、魔と戦い、魔を断ち切っていくのである。

創価学会の「創立の原点」とは、

まさしく「大聖人の精神」に立ち返ることである。

ここに、初代、2代、そして3代の創価の師弟を貫く魂がある。

御聖訓には、

「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、

さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」

(同989ページ)と説かれている。

この「日蓮が如く」との仰せを違えず、

創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、

「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、

「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の大難を乗り越えてきた。
だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。

無量無辺の諸天善神も、じっとしてなどいられない、

創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。

仏法の根幹は「師弟」である。

戦後、事業が挫折し、絶体絶命だった戸田先生を、

青春の一切を捧げてお守りしたのは私である。

先生は、その私に第3代を託し、全身全霊で育ててくださった。

先生が、病弱だった私をどれほど心配され、

どれほどの思いで御本尊に祈ってくださったか。その大恩は計り知れない。

私は戸田先生の弟子である。
 

(無題)

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)14時49分21秒
編集済
  先生の御指導

会員を苦しめたり、ヤキモチを焼いて抑えつけたりする資格は誰人にもない

自分の感情に任せて、そういうことをする人は信心利用である

信心利用、組織利用は仏罰を受けるであろう

仏法破壊の策動には必ずと言って良いほど、

陰で人を操り、悪事を起こす天子魔にとらわれた様な存在がある

多くの人間を操り動かしながら、暗闇で1人、ニヤッとしている

そうした卑しい人間がいることを仏は鋭く見破っていた

悪鬼はその名の通り、餓鬼界の生命

餓鬼界は貪りの命

中略

人々から正常な思考を奪って社会を乱して行く

仏道修行への信心を食い破ろうと邪魔をする

悪しき権力者は必ずや魔性となる

自分を守る為、また自分の権威を守る為に我々を手段とした

魔性の権力者は姿は似たように見えても根本的に心が、違っている


無力な信徒を問答無用に処分する様な考え方や行為は絶対に仏教ではない

況や大聖人の仏法の世界ではない


大慈大悲の御本仏への反逆となろう
 

(無題)

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)14時45分40秒
  先生のスピーチ

動物農場の話

一頭の雄豚がライバルを追いだして絶対的権力を握った

彼はナポレオンと名乗っていた

彼は批判を許さない
命令に従わない者は徹底的に迫害され追放された

彼のやり方を疑う事自体が不遜な悪とされるに至った

皆の幸せが目的であり、その為のリーダーであったはずなのに、

いつの間にか、リーダーの権威と権力が目的になってしまっていた

しかし、それでも、お人好しのまた無知な動物達は豚達を信じていた



自由と平等の世界の理想は完全に消えうせた

権力による恐怖の支配だけがあった



最も民主的であられる大聖人の仏法の世界にあっても

権威的人間に支配される可能性は常にある

そうなれば広宣流布の理想は実現できない。

民衆が賢明になる以外にない

そして、悪とは、戦わねばならない

民衆の率直な疑問や希望を権威で抑えつけ、

納得も信頼も与えようとしない人々

そうした存在と戦い抜かれたのが大聖人の御生涯であられた

門下の私どもが同様に正義を訴えるのは当然である

悪しき権威と一生涯戦ってこそ、真の民主的人間となる

悪に従わなければ、悪に迫害される

当然の事である

変心と堕落の人々からの攻撃は信仰者の勲章である
 

師をどう見るか・見たか

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)14時42分38秒
編集済
  正木元理事長の話

数年前から池田先生は54年の勇退の問題についてかなり

ストレートに触れられるようになりました。

皆さんもお気づきだと思います。

本来であればきっと活字にはならないだろうなと思われる

そういう54年問題に触れたご指導が、

もう夏の最高協議会そして本部幹部会の

スピーチ等で活字にまでなってまいりました。

私は何故、今、先生がこの54年問題に触れられるのか、

そのことの意味を自分なりに解りたい、

こう思ってそのことを考え続けて参りました。(中略)

そう考えていたとき、

本年の年頭の最初の随筆で先生は重大なことを述べられました。

54年問題という言葉は一つも出てきません。

そして当然ながら勇退という言葉も出て行きません。

しかし、皆さんも覚えおられると思うんですが、

今年最初の随筆に地涌の菩薩について

先生が触れられた箇所があったのであります。

もう一度、皆さん是非読み直していただきたいと思います。

何故地涌の菩薩が出現したか、又地涌の菩薩の出現の意味とは何であったか。

それを先生はこう言われております。

釈尊という大師匠は、彼らが漫然と決めつけていたような、

小さな存在ではない。永遠の生命力を具えた、桁違いの仏なのだ。

その師匠の真の実像を、

久遠の弟子である地涌の菩薩たちが電撃的に示していったのである。

それは、「師匠はこんなものだ」という思い上がりや慢心 、

「自分はこれまで十分、戦ってきた」という惰性や傲りなど……

弟子たちの抜きがたい胸中の限界を打破した。

そして、もっと偉大な、もっと尊高な力に気づかせ、

さらに、元初の師弟の誓いに目を覚まさせていったのだ」

(聖教2009年1月6日付『人間世紀の光』上)とこうありました。

私はこの随筆を読んだ瞬間に、

ある意味でこれこそが54年問題の本質だったのだと気づきました。

次元はもちろん違いますが、

皆さん今の先生のご指導で気づかれたように、

あの地涌の菩薩の出現の意味はさまざまな多面性があるわけですが、

一つ言えることは、それまで声聞の弟子たちは、

釈尊のことをこの世で修行を積んで初めて悟りを開いた

始成正覚の仏としかみておりませんでした。

しかし、我々の師匠はそんなものではないと地涌の菩薩は宣言をしました。

久遠の本仏なのだということを地涌の菩薩は宣言をしました。

あの54年問題の本質とは、

師匠をどう見たか、どうとらえたか、弟子の側の問題です。

先生をただ三番目の会長としかみない、歴代の会長の一人としかみない。

そういう弟子の師匠をとらえる視点。

もし池田先生が学会永遠の魂であり永遠の師匠であるととらえたら、

あんな対応になっていただろうか。

こう私は思います。

まさに年頭最初の随筆で先生がこのことを言われた意味、

それはまさに54年問題の本質ではなかったかと。

そう考えれば、もう側近にいた誰かが悪いなどという浅薄なとらえ方で、

人の責任に押しつけて澄ました顔をしているような問題ではない。

自分自身もまさにその一人ではないか、

先生が言われる不肖の弟子、

師を守りきれなかった弟子の自分も一人だと

猛反省をして立ち上がらなかったら先生が今指導されている意味がない。

私はそう思います。

<引用終わり>

https://www.sgi-seigi.com/?p=172

いつか、正木氏は戻ってくるでしょう。
 

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 7月21日(土)14時34分24秒
編集済
  先生のスピーチより

もしも君らが(異端狩りの連中)が血と拷問と悪しきことによって、

キリスト教を守っていると思うならば、

それはもはやキリスト教を守るのではなく、それを汚し害することである

どんな詭弁やすり替えにも目を曇らされてはならない

事実を正確に見ることだ。

いかなる理由をつけても、無力な庶民を権威でいじめ、

苦しめることは悪である

人間を仏性を持った存在として礼拝する者と

人間を手段化しロボットの様にしようとする者との闘争

貴き聖職者の外見で、人々の尊敬を受けながら、

その実、利養すなわち金銭等と世俗の名聞や享楽に執着し、

正しき法華経の実践者を追い落とそうとする

その手段として、権力と権威に擦り寄り利用する

自分達こそ、真の仏道を行じているのであり、

法華経の行者などは外道にすぎないと自分の権威を使って内外に言いふらす

これが、法華経に予言された、末法広宣流布の敵の姿である

人間を軽賎する者ーその肥大した病的な特権意識

人を人とも思わぬロボット的冷血

邪智に長けた策謀好きの性格

好んで悪口ばかり言う嫉妬深さ

権威権力に寄りかかる臆病さ

そうした本質を私どもは鋭く見破らねばならない
 

本末転倒の輩

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 7月21日(土)14時22分52秒
  ==========================================================
座談会に来られる学会員さんの前で、口汚い言葉で、
原田会長やだらしない幹部、公明党の施策を罵ることで、
その学会員さんが奮起して、“さあ宿命転換するぞ”、
または歓喜して、“よし、さらに頑張ろう”と思えるでしょうか。
==========================================================

本末転倒①
そもそも、みんながみんなそんなことをやっているわけではない。
むしろ、座談会などでは言えないから、幹部に直接訴えているひとだっている。
組織を撹乱しているという印象操作の魂胆がよく見える。

本末転倒②
そもそも、そういう声を幹部が膝詰めで話を聞いてあげたのか?
答えはほとんど否ではないのか。だから行き場の無い声がここに集まっている。
そもそもの話を飛ばして声を上げる側だけの行動責任を問うのはいかがなのか。

==========================================================
そもそも、会長や執行部が信頼できなければ、
“創価学会をぶっ潰して、別の新しい創価学会を作れ”とは、
池田先生の意にかなっていることなのでしょうか。
それが池田先生の本意であるならば、
54年に池田先生が会長から退かざるを得なくなった時に、
池田先生が現在の創価学会に見切りをつけ、
別の新しい創価学会を作られていたはずではないでしょうか。
==========================================================

本末転倒③
宗門という外圧があり、会員自体が動揺している状況と、
いまのこの状況を同じだと思う悩乱状態。

==========================================================
第四代会長以降は、例えて言えば、
クラスの学級委員長みたいなものと考えてはどうでしょうか。
学級委員長といえども、同じクラスメート(同じ地涌の菩薩)。
その学級委員長が完璧でないことははじめから承知。
学級委員長が、実は期待したほど良くなかったからといって、
そのクラス(組織)までぶっ潰してしまえば、学級崩壊になります。
==========================================================

本末転倒④
学級委員長は学級委員長という責任が課せられているのである。
その責任を求められないならそもそも『学級委員長』制度の否定だ。

==========================================================
原田会長や執行部が気に入らなければ、
自分が彼らに代わって、学会員の模範となればいい、
彼らに代わって、身近な学会員を幸福の軌道に導けばいい、
愚痴を言う前に、自分の使命を果たせばいい、
ただ、それだけではないでしょうか。
==========================================================

本末転倒⑤
自分がどのように信仰者として生きていくのかという話と、
絶対悪や社会悪にどう対していくのかという話をあえてすり替える。
すべての法制度を崩壊させる愚考でしかない。愚かすぎる。

すべてがすべてすり替えというか、本気で転倒思考がわかっていないのか。
悩乱極まっている状況を今後も拝見させていただきます。
 

月の砂漠さま

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 7月21日(土)14時04分26秒
  ******************************************************
原田会長や執行部が気に入らなければ、
自分が彼らに代わって、学会員の模範となればいい、
彼らに代わって、身近な学会員を幸福の軌道に導けばいい、
愚痴を言う前に、自分の使命を果たせばいい、
ただ、それだけではないでしょうか。
******************************************************

心から賛同いたします。

広宣流布とは全くかかわりのない選挙活動や、新聞啓蒙活動
などには一切目もくれず、御書とお元気な頃の先生の指導を
同志と学びあっていこうと決意をいたしました。

昨今の流れからすれば、役職解任や同志との接見禁止処分は
避けられないでしょうけど。妙の照覧を信ずるのみです。
貴重な気付きを与えてくださりありがとうございました。
 

師弟不二について検索してみますた。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2018年 7月21日(土)13時56分46秒
  御参考までに師弟不二について検索してみますた。

法華経の智慧を検索。

すべて先生の言葉です。

名誉会長: 「如是我聞」の心とは「師弟不二」の心です。それが仏法伝持の極意です。
 一切衆生を救おうとする仏の一念と、その教えを体得し弘めようとする弟子の一念が、響き合う「師弟不二」のドラマ ---- それが「如是我聞」の一句に結晶しているのです。

名誉会長: 今も、まったく同じ気持ちです。
 ともあれ、法華経は徹頭徹尾、師弟不二が魂なのです。

名誉会長: そうです。
 「子とは地涌の菩薩なり父とは釈尊なり」(御書 p803)と、大聖人は仰せになっている。師と同じ誓願、同じ責任感、すなわち師弟不二に立ち上がった弟子が「地涌の菩薩」です。そして、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書 p1360)と仰せです。この同意に意味がある。
 日蓮大聖人の御誓願を我が誓願として、今まさに広宣流布へ進んでいる創価学会こそ、久遠の使命を担った「地涌の菩薩」の教団です。大聖人と一体の弟子の集まりなのです。

名誉会長: 堕落した人間に惑わされることほど愚かなことはない。
 要は、見抜けばいいのです。
 「師弟不二」こそ法華経の魂であり、日蓮大聖人の仏法の真髄です。その一番大事なものを壊し、切り離そうとする。それが「魔=奪命者」の特徴です。
 「不二の道」の否定は、十界互具の否定、人間の平等に対する冒涜にほかならない。この一点に、日顕宗の本質が顕れている。
 日淳上人は、学会の信仰の基盤は「師弟」にあると、厳然と見抜いておられた。学会の第十九回総会(一九五八年十一月)のために用意された日淳上人の原稿には、こう記されている。
 「大聖人は日蓮が法門は第三の法門と仰せられておりますが、誠に此の仰せを身を以て承けとられたのは会長先生(戸田先生)であります。大本尊より師弟の道は生じ、その法水は流れて学会の上に伝わりつつあると信ずるのであります」と。

名誉会長: 法華経の説く「十界互具」こそ、万人の境涯革命を可能にする根本原理です。この智慧を我が身で行い、万年の未来へ伝えていかねばならない。その黄金の軌道こそ「師弟不二の道」なのです。
 広げて言えば、どんな事業も運動も、偉大なものは一代では完成しない。後継者が絶対に必要です。
 マンデラ大統領に、私は言いました。
 「『マンデラ』という偉材が、ただ一人いるだけでは、あなたの仕事は完結しません。一本の高い樹だけでは、ジャングルはできないように ---- 」(一九九〇年十月)
 今回の会見でも後継者についておうかがいし、大統領は心配ありませんと自信を示しておられた。
 大聖人は「伝持の人無ければ猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」(御書 p508)と仰せです。
 法華経の涌出品(第十五章)で、民衆救済の真の後継者である地涌の菩薩が出現したとき、釈尊は、この菩薩たちとの久遠からの師弟不二を明かそうとして告げた。
 「如来は今、師子奮迅の力を顕し宣べ示さん」(法華経 p484、趣意)と。
 大聖人は、末法万年の衆生を救う御本尊を「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(御書p1124)と残された。そして御本尊を認められる御一念を「師子奮迅之力」と仰せになられた。
 全民衆のために、永遠の人類のために ---- その魂こそ「師子奮迅の力」である。師から弟子への全力の教育であり、鍛錬です。
 また「師子」の「師」は師匠、「子」は弟子とすれば、師弟一体となって、奮迅の力で、「人類の境涯を変える」戦いをするよう、法華経は呼びかけているのです。

名誉会長: その通りです。法華経を聞いて、“自分は、仏と同じく「救う人」でありたい”という「師弟不二の願い」に立った人が、法華経の「菩薩」です。
 そのは同時に「仏子の自覚」でもある。“自分は、仏の子である。だから智慧という仏の財産を全部受け継いでいけるのだ”という自覚です。

名誉会長: 師弟不二を教えてあげようという仏の大慈悲の結晶が寿量品なのです。師匠も久遠以来の仏である。弟子の一切衆生も久遠の仏である。それを、いかに自覚させるか ---- それが仏の「毎自作是念(毎に自ら是の念を作さく)」です。
 弟子を立派にしたいと思わない師匠はいない。
 しかし師匠のその心は、弟子には、なかなかわからない。親が子を思うほど、子は親を思わない。互いに思ってこそ「不二」になる。
 戸田先生が牧口先生を思う心は、すさまじかった。獅子のごとく剛毅な先生だったが、晩年、長い間の疲れが出た先生は、よく「牧口先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と言われていた。牧口先生のことになると、いつも「真剣を抜く」姿勢をとられた。先生の獄死のことになると、阿修羅のごとく激憤された。
 ある時は、胸臆から涙し、ある時は秋霜のごとく厳しく論じ、いつもいつも恩師を偲び、語り抜いておられた。
 戸田先生が、牧口先生の死を獄中で検事から聞かされたとき ---- その時こそ、恩師を死に追いやった権力の魔性と戦い抜くことを、先生は決意されたのだと思う。その意味では、牧口先生の獄死が、現代における広宣流布への「方便現涅槃」となったとも言えよう。そうなったのも、恩師を求める「不二の弟子」がいたからです。
 「妙」は死、「法」は生。師匠は「死」、弟子は「生」。師弟即妙法であり、妙法即生死です。まさに生死不二であり、師弟不二なのです。

「恩師は逝きて薬王の
  供養ささげてあるものを
  俺は残りてなにものを
 供上まつらん御仏に」

 戸田先生の詩です。師も「一心欲見仏 不自惜身命」であった。ならば自分も「一心欲見仏 不自惜身命」で生きていこう、と。これが寿量品の心です。この師弟の継承がなければ、「永遠の生命」といっても抽象論になってしまう。ただの「理」になってしまう。
 また寿量品で大事なことは、「弟子の境涯によって、同じ師匠が違って見える」ということです。弟子が成長した分だけ、師匠の偉大さがわかる。このことを教えているのです。

名誉会長: 「長寿にして」とは「妙法の大生命をもって生き抜く」ということです。
 「師子吼」とは、「師」とは師匠、「子」とは弟子。師とともに叫びきっていくという師弟不二です。これが本来の折伏です。
 私は「戸田先生は末法の折伏の師匠である。私はその弟子である。ならば折伏ができないはずがない」と決めた。その一念で、だれ人にもまさる弘教をなしとげたのです。
 「畏るる所無し」です。恐れてはならない。恐れもなければ、グチも嘆きもない。晴れやかな「強気の信心」でいくのです。そこにこそ妙法の無限の功力が噴出してくる。
 私は、あらゆる迫害に耐え、あらゆる障害を乗り越えて、正法を弘め、学会を守った。ゆえに御本尊から偉大な功徳を頂戴した。同じ御本尊を拝んでいても、こちらの信心が弱ければ、こみあげてくる真の「大歓喜」は味わえない。信心次第で、功徳が違ってくる。一人一人、千差万別の功徳です。これを「分別功徳」というのです。
 また、それぞれの信心、境遇、宿命などによって、功徳の現れ方は違うが、信心を貫けば、必ず最後には「所願満足」となる。これが「分別功徳」の深義です。
 たとえば、事故は絶対にあっではならないが、かりに不慮の事故等で亡くなった場合にも、「信心」さえ燃えていれば、「須臾の間に」(御書p574)-すぐに-また広宣流布の陣列に戻ってこられる。「悪知識」に染まれば地獄に堕ちるが、「悪象」に殺されても地獄には堕ちないと、経文にも御書にも仰せです。「悪象に殺される」とは、今で言えば交通事故などの不慮の事故です。
 いわんや、広宣流布の活動の途上で亡くなった方が、大果報を受けないはずがない。「転重軽受法門」(御書p1000)にも、そう仰せです。いわば殉教です。人間として最高に尊貴なる死なのです。

名誉会長: 戸田先生は生前、さまぎまな指導をなされた。多くの人が「そうは言うけれども、現実は ---- 」という聞き方をしていた。私は全部、「その通りです」という聞き方をしてきました。全部、「その通りです」と実践してきました。
 ある時は、先生は私に「どんな立場にあっても、学会を守れ」と一言おっしゃった。
 師匠の一言です。たとえ万が一、戸田先生がそのことをお忘れになろうとも、そうおっしゃったことは事実だ。ゆえに、私はそのことを胸に堅く秘めながら、いついかなる時も「その通りに」やってきました。
 会長を勇退して二十年。名誉会長なのだから、本来ならば、責任はない立場かもしれない。しかし、役職は仮のものだ。信心は一生涯、自分自身の「心」の問題です。
 「どんな立場にあっても、学会を守れ」。師匠の一言を、私は「その通りに」全力で実行してきたつもりです。「その通り」に実行するから「師弟不二」なのです。これが法華経です。これが「如説修行」です。これが「如是我聞」の本義です。
 法華経の冒頭の「如」の一字は、師弟の不二を教えているのです。この「不二」の境地を目指しての行動があって初めて、自分自身の無明の闇から「去る」ことができる。
 煩悩の病から「去って」、仏界の太陽が赫々と昇るのです。それが法華経の最後の「去」の一字です。
 法華経二十八品は、全体を通して、師弟不二の行動を、炎のごとく呼びかけているのです。

名誉会長: その通りだ。その戦いを「師弟一体」で断行していくとき、はじめて、わが身の上に「仏界」が涌現する。「妙法蓮華」の花が咲いていくのです。
 「妙」は師匠、「法」は弟子。一体です。「蓮華」は因果倶時を表す。因は九界で弟子、果は仏界で師。師弟不二です。妙法も蓮華も「師弟不二」を表しているのです。それが妙法蓮華経(法華経)です。この妙法を広宣流布していく「信心」を指して「仏界」という。

名誉会長: そして不二の弟子・戸田先生は、同じ獄中で「法華経」を読まれ、その真髄を覚知されたのです。それは「仏」とは、宇宙に遍満する「大生命」のことであり、久遠の昔から常に、この世界に「永遠の命」として働き続けている ---- 自分もその「永遠の大生命」の子どもであり、仏子であるという自覚です。
 「生命」についての、この悟達は、今後、人類の探究が進めば進むほど、正しさと偉大さが証明されていくに違いない。もう、すでに、そういう時代に入りつつある。
 戸田先生はよく、「勉強したんじゃない、思い出したんだ」と言われていた。獄中でのご苦労のため、先生の目は極度の近眼になっていた。御書を読まれるときなど、眼鏡をはずして、目を細め、鼻をすりつけるようにして読んでおられた。
 「私は目がこんなだし、みんなのように御書を読んではいないよ。大聖人様の仏法は、思い出すのだ」と言っておられた。
 仏法の質問を受けられて、先生は「私は、こう思う」と言われ、「大聖人様も、きっと、そう教えておられるはずだ。どこかにあるはずだ」と言われる。調べてみると「御義口伝」などに、ちゃんと出ている。「わからないところを思索していると、ふうっとわかることが、たびたびあった」とも言われていた。
 戸田先生の悟りも「師弟不二」の悟りです。久遠以来、日蓮大聖人の弟子として、一体で活躍してきた、その事実を「思い出した」のです。これがわかれば、何で命が惜しかろうか。
 ただただ感謝して、広宣流布へ向かうはずです。永遠に広宣流布へ「向かっていく」 ---- その「信心」以外に、末法の悟りもなければ、仏界もない。
 これが戸田先生の教えです。

名誉会長: ともあれ、「万人が仏である」というのは口先ではない。「万人を仏にする」広宣流布の戦いがなければ「理」です。本門は「事」です。事とは「行動」です。
 先ほど迹門で「師弟不二」が説かれていることを見たが、本門は本格的に、事実のうえで「師弟不二」の実践者が登場してくる。それが「地涌の菩薩」です。

名誉会長: 内証が仏なのだから、釈尊と「師弟不二」です。しかも、仏でありながら、弟子の「修行」の立場を貫いている。菩薩仏です。永遠に前へ前へ、広宣流布へ「向かっていく」 ---- 本因妙の仏法の象徴です。
 大聖人が御自身を「法華経の行者」と呼ばれたことが大事なのです。

 

悪いもんは悪い >>>しゃぼん玉さん、こんにちわ

 投稿者:飛んでるトントン  投稿日:2018年 7月21日(土)13時51分4秒
  はじめまして。
さらに横から失礼いたします。

しゃぼん玉さんって面白いこと言うわ!
確かにそうよね~
誰もクラスから居なくなるわよね~

https://6027.teacup.com/situation/bbs/87308

>そんなアホな学級委員長でも支えやなあかんのかね?
しまいにはクラスメイトおらんようになってまうで。
アホな学級委員長ならば、新しい学級委員長を選べばいいんじゃないのぉ。<


会社の場合はどうかしら?
>>>例えば、勤務している会社の社長が気に入らないからといって
その会社を潰してしまえば、失業者となります。<<<


会社の社長が社会悪で
その会社が社会正義に反することを行っていて
世の中に害悪を垂れ流し
多数の人を不幸に陥れていたなら
潰すことが最善の場合もあるのかしら?

どうなのかしら??
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2018年 7月21日(土)13時10分31秒
  子らにとって、家庭は最初の学校であり、母は最初の教師であろう。人間としての基本を身につけさせる、そこに大きな使命があると思う。それも決してむずかしいことを教えるというのではない。むしろあたりまえの、平凡な約束事を自然にできるようにすることといってよい。  

悪いもんは悪い

 投稿者:しゃぼん玉  投稿日:2018年 7月21日(土)13時02分44秒
  横から失礼いたしやす。

学級委員長(会長)がアホになって、クラスメイトは何にも悪くないのに停学、休学、退学をさせるようになったら・・・みなさんどうします?

そんなアホな学級委員長でも支えやなあかんのかね?

しまいにはクラスメイトおらんようになってまうで。

アホな学級委員長ならば、新しい学級委員長を選べばいいんじゃないのぉ。

新しい学級委員長を選ぶことがそんなに悪いことなんかいな?

三代会長以外の会長は長くやり過ぎると、必ずアホになると思うので、4年1期のみとか短めで区切りをつけつつやっていくとか、とかいろいろみんなで決めたらいいんじゃない。

兎にも角にも悪いもんは悪い。





 

普通に考えれば分かる事

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 7月21日(土)13時00分2秒
  「カジノ法案」が売国政党自公により成立させられた、20日夜の参院本会議。

投票時、自由党の山本太郎氏、森裕子氏と、参院会派「沖縄の風」の糸数慶子氏が、「カジノより 被災者を助けて!」「カジノより 学校にエアコンを!」等と書いた小さめの垂れ幕を掲げ、「売国法案反対」などと叫んだ。
「カジノより被災者を助けて!」というのは国民の大多数の声だ。何が悪いのだ。

その事を取り上げて伊藤忠一参議院議長が、3氏の懲罰案件を、参院懲罰委員会に付託したらしいが、この程度の事でガタガタ言うな!何が懲罰だ。野党に対する態度と与党に対する態度が、全然違うダブルスタンダードのクセに。

法自体は中立であったとしても、それを使う人間の質によって、意味は大きく変わってしまうのだ。

参議院議長の質も落ちたものだ。昔の議長はもっと見識が高かった様に思う。

しかし実際の所、22日の会期末までに参院懲罰委員会の開催予定は無く、懲罰案件は廃案になる見通しだ。

しかしこの程度で懲罰の対象になるのなら、例の「赤坂自民亭」はどうなるのだ?

自民党も自民党だ。自分達自身がそういう大きな汚点を抱えているクセに、よくも他党の事をとやかく言えたものだと呆れる。見識が低く「恥を知らない」という事は、ある意味最強だ。(失笑)

自民党がそういう態度でいる限り、「赤坂自民亭」の事をもっと問題にし、何度でも蒸し返すべきだ。いつもの事だが、厚かましいにもほどがある。
そもそも、我々が蒸し返さなくても、この問題は多分消えないのだ。


異常な暑さが続いているが、こんな暑さの中でオリンピックなどやるべきではない。
秋にしろ秋に!

何を好きこのんで、こんな暑い時にやるのだ! 熱中症による死者も多数出るほどの日本の暑さを、舐めてはいけない。しかも暑さは年々ひどくなっている。

裏にあるのはテレビの放映権料の問題だ。
スポーツの秋と言うぐらいなのだから、オリンピックも秋がいいに決まっているのだが、秋になると米大リーグの優勝争いや、欧州サッカーの開幕などで、放映枠が取りにくくなり、それが放映権料に影響するかも知れないらしい。

そういうわけで、他ならぬIOCが、7月15日~8月31日の開催を求めているのだからどうしようもない。他のスポーツが盛り上がらないスキを、オリンピックで埋めようとしているだけだ。

オリンピックもまた、ひどく商業主義に毒されている。


私らが子どもの頃は、夏と言っても大体32~3℃。28℃ぐらいの日も多かった。
クーラーが無くても扇風機で何とか過ごせたものだが、今は無理だ。

暑過ぎて「蚊」も飛べない35℃以上を、連日突破。
もう誰が見ても明らかに異常だ。
そのうち食糧危機にも繋がってくるだろうが、食糧自給率の低い日本など、イチコロでアウトになりかねない。

人類存続の為に、何はともあれ目の前にある不正を1つずつ正す事だ。

何が正しく何が不正なのか、普通に考えれば簡単に分かる事だ。










 

ツイッターからです。今日の聖教新聞のカジノ法案成立記事が小さい、やはり都合悪いの?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 7月21日(土)12時52分44秒
  今日の聖教新聞。
創価学会員にも反対の人が7割もいたせいか、カジノ法案成立の記事は、わずかにこれだけ。一瞬、「あれ? 記事がないのかな?」と思ったほど小さな扱い。
都合の悪い記事は「載せない」あるいは「載せても少しだけ」という、聖教新聞らしい紙面づくり。
 

ツイッターからです。21世紀の宗教は、民衆が自分で考え生き方を決める、自立の宗教だ

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 7月21日(土)12時48分10秒
  「仏教とは本来、民衆と結びついたもの。それゆえに人間のなかに、衆生のなかに入っていくことが正しい」中国仏教協会 趙会長

「21世紀の宗教は、民衆が自分で考え、自分で賢明に生き方を決める
「自立」の智慧を与えるものでなければならないでしょう」先生

#法華経の智慧 今日読んだところに


これの少しあとに…師匠がいる間は、まだ、いいかもしれない。師弟というのは、それが本物であるか否か、師がいなくなったときに試されるのです。仏法は厳しい。…とありますね。

法華経の智慧16~20
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6439
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6444
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6457
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6461
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6469
 

虹と創価家族さんへ

 投稿者:月の砂漠  投稿日:2018年 7月21日(土)12時02分49秒
  「学会を守る」ことを考えるにあたって、もう一度、
池田先生の言葉を確認しておきたいと思います。

“戸田先生は生前、さまぎまな指導をなされた。
多くの人が「そうは言うけれども、現実は・・・」という聞き方をしていた。
私は全部、「その通りです」という聞き方をしてきました。
全部、「その通りです」と実践してきました。
ある時は、先生は私に
「どんな立場にあっても、学会を守れ」と一言おっしゃった。
師匠の一言です。
たとえ万が一、戸田先生がそのことをお忘れになろうとも、
そうおっしゃったことは事実だ。
ゆえに、私はそのことを胸に堅く秘めながら、
いついかなる時も「その通りに」やってきました。
会長を勇退して二十年。
名誉会長なのだから、本来ならば、責任はない立場かもしれない。
しかし、役職は仮のものだ。
信心は一生涯、自分自身の「心」の問題です。
「どんな立場にあっても、学会を守れ」、師匠の一言を、
私は「その通りに」全力で実行してきたつもりです。
「その通り」に実行するから「師弟不二」なのです。
これが法華経です。これが「如説修行」です。
これが「如是我聞」の本義です。”
(『法華経の智慧』第六巻より)

虹と創価家族さんも感じていると思いますが、
当板の投稿を見ていると「そうは言うけれども、現実は・・・」
という意見が大半を占めています。

その中で、まっすぐに「その通りに」行動している
虹と創価家族さんの姿勢は正しいし、多くのロムの方々の
一筋の光明となっていると確信します。

さて、虹と創価家族さんが“『創価学会を守る』とは”という題名で
投稿された内容を読んで感じたことを書かせてもらいます。

まずは、

「師匠をお守りすることが、広宣流布を守り、創価学会を守り、
愛する同志を守ることになる」

という池田先生の言葉への共感と、「創価学会守る」という言葉を
悪用する忘恩の輩がいるというご見解について賛同します。

「師匠を守る」ことと「学会を守る」こと、そして「学会員を守る」ことは、
それぞれ相反するものであってはならず、
「学会を守る」ためには、
「師匠を守る」ことと「学会員を守る」ことの両方が不可欠だと考えます。
その目的は、“一切衆生の幸福と世界の平和を実現すること”であることは
言うまでもありません。

次に、虹と創価家族さんが言われている、

“『創価学会を守る』ためには、破邪が先であるがゆえに、
学会への恩を忘れ堕落した最高幹部と公明党議員を先に追撃する。
その目的は、どこまでも広宣流布のためであり、
根本目的は会員(民衆)一人ひとりの幸福だと思うのです。”

について、目的はそのとおりだと思います。
一方、紹介して頂いた池田先生のスピーチにもあるように、
「破邪顕正」という意味においては、
“破邪”が先であることは理解できますが、
「創価学会を守る」とは、「破邪顕正」の意味だけではないと考えます。
虹と創価家族さんが言われるように、
目的が“会員(民衆)一人ひとりを幸福”にすることであるならば、
「破邪顕正」以外にも、学会員一人ひとりを抱きかかえるように、
“幸福の軌道”、“一生成仏の軌道”に導いていく、
優しさ、誠実さ、強さ、思いやり、師を求める姿勢、信心の確信、
といったものも必要となります。
こんなことは、私に言われるまでもなく、すでに虹と創価家族さんが
気がついていることです。

この掲示板に、毎日書き連ねられる
現在の創価学会執行部と公明党への批判と怒り、失望と落胆は、
信じてきたがゆえに、また支援してきたがゆえに、
なおさら大きくなるのも、個人的にはよく分かります。
なぜなら私も同じような思いを抱いているからです。

しかしながら、たとえそれが正論だとしても、
それを池田先生が言われる“破邪”だと正当化して、
座談会に来られる学会員さんの前で、口汚い言葉で、
原田会長やだらしない幹部、公明党の施策を罵ることで、
その学会員さんが奮起して、“さあ宿命転換するぞ”、
または歓喜して、“よし、さらに頑張ろう”と思えるでしょうか。

虹と創価家族さんの周りにも、喜んで座談会に出席し、
使命感を持って新聞啓蒙し、喜んで公明党を支援される方々が
いらっしゃっると思います。
そのような方たちに、ここの掲示板で目にするような、
「ダーハラをはじめ執行部はとんでもないから、
そんな学会はぶっ潰せ、それが池田先生を守ることだ」
というようなことを叫ぶことが、
その方たちの幸せにつながるでしょうか。

現在の創価学会をぶっ潰して、身近な創価学会員の方々を
誰が守るのでしょうか、誰が幸福の軌道に導くのでしょうか。

そもそも、会長や執行部が信頼できなければ、
“創価学会をぶっ潰して、別の新しい創価学会を作れ”とは、
池田先生の意にかなっていることなのでしょうか。
それが池田先生の本意であるならば、
54年に池田先生が会長から退かざるを得なくなった時に、
池田先生が現在の創価学会に見切りをつけ、
別の新しい創価学会を作られていたはずではないでしょうか。

その時の心境を池田先生は次のようにおっしゃられています。

“これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛められることだけは、防がねばならない。
戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。
民衆の幸福のため、広宣流布のため、世界の平和のための、
仏意仏勅の組織である。”

池田先生が、会長を退いてまでも守り続けられた創価学会。
それは池田先生がおっしゃるように、創価学会が、
「民衆の幸福のため、広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織」
であるからに、ほかならないからでしょう。

この事実と、創価学会の存在意義を忘れてはならないと思います。

私たちには、すでに日蓮大聖人をはじめ、創価歴代三代会長という師匠がいます。
それで十分なのではないでしょうか。

第四代会長以降は、例えて言えば、
クラスの学級委員長みたいなものと考えてはどうでしょうか。
学級委員長といえども、同じクラスメート(同じ地涌の菩薩)。
その学級委員長が完璧でないことははじめから承知。
学級委員長が、実は期待したほど良くなかったからといって、
そのクラス(組織)までぶっ潰してしまえば、学級崩壊になります。

例えば、勤務している会社の社長が気に入らないからといって
その会社を潰してしまえば、失業者となります。

また、安倍政権が気に入らないからといって、
日本をぶっ潰せば、国民は流浪の民となります。

その組織のトップが気にいらないからと、
展望も代替案もなく、
その組織をぶっ潰せとは短絡的であり無責任です。
自分のみならず、周りも不幸にしてしまう
その罪の深さを自覚して欲しいと思います。

原田会長や執行部が気に入らなければ、
自分が彼らに代わって、学会員の模範となればいい、
彼らに代わって、身近な学会員を幸福の軌道に導けばいい、
愚痴を言う前に、自分の使命を果たせばいい、
ただ、それだけではないでしょうか。

とりとめもなく、駄文を書き連ねましたが、
虹と創価家族さんにはお会いしたことはありませんが、
同志として尊敬し、また心から応援しております。



以上
 

残念!(無念☆) の極みでござる!

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 7月21日(土)11時35分17秒
  拝啓

再掲石井サマ☆!!

https://6027.teacup.com/situation/bbs/86838

【敬具☆】


 

池田大作とその時代 先駆者たちヨーロッパ篇(25)

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 7月21日(土)11時28分20秒
  池田大作とその時代

先駆者たちヨーロッパ篇(25)
トインビーと会うため、欧州に出発する朝のこと。
車中の池田は、信濃町で人影を見つけると、とっさに窓を開け、「行ってきます!」と気さく
に声を掛けた。

相手は当時、池田の近所に住んでいたリチャード・コーストンである。
池田の人間的な振る舞いに惹かれたリチャードは、後に、イギリスSGIの初代理事長になり、
トインビー対談をもとに、多くの若者たちを育てていくことになる。

欧州研修道場で開催された「第1回ヨーロッパ文化祭」に出席する
池田とリチャード・コーストン(1983年6月、フランス・トレッツ)。
この日、欧州15力国から2700人が参加した.seikyo sinbun`

BBC(英国放送協会)のキャスターが二人の女性に尋ねた。
「六〇〇〇人もの青年が、イギリスの三つの都市に集まるというのは、決して小さなことで
はありませんよね。どのような集いになりますか?」。

スタジオで答えているのはイギリスSGI(創価学会インタナショナル)の女子部メンバーである

サンヤ・ラジパールは「不安や憂鬱、病気やいじめ、そういったものを乗り越えた体験談や
文化的なパフォーマンスです。
たとえばダンスや音楽、言葉の表現を通して、同じ思いに立つ若者の力で一緒に社会をつく
っていこう・・・ここに焦点を当てています」と答えた。

「インタラクティブ(双方向的)ということですね。
宗教的な視点の重要性については?」と問われ、ジョージー・パークハウスは「宗教的な視点
が核心なのです。
私たちの仏法では個人の尊厳を重んじます。

集いの目的は、参加者にも同じように感じていただき、人生を自分らしく変革することです
」と応じた。
今年の三月十六日、国際ニュースチャンネル「BBCワールドニュース」がイギリスSGIを特集
した。
六〇年前のこの日・・・池田大作をはじめとする六〇〇〇人の青年が、恩師である戸田城聖
のもとに集まった(一九五八年)。

それからちょうど六〇年後の三月、イギリスSGIはロンドン、ブリストル、マンチユスター
の都市、で盛大なフェスティバルを開いた。

「"一対一の対話"で広げているのです」

友人も含めると、六〇年前と同じ「六〇〇〇人」を超える若者が集った。
BBCはこの運動に着目し、番組で取り上げたのである。

キャスター(平和の実現について)かなりの難題ですね?
パークハウスたしかに難題ですが、私たちは結局のところ仏法の運動として、一人ひとりに
着目しています。
いつもUN(国連)のような場で話しているわけではありません。
むしろ"一対一の対話"を通して希望のメッセージ、平和のメッセージを広げているのです。
堂々と語ったジョージー・パークハウスは、池田が創立したアメリカ創価大学(SUA)の一〇
期生である。

池田が初めてロンドンの地を踏んだ時、イギリス全土で学会員は数人しかいなかった(一九
六一年十月)。
半世紀を経た今日、青年だけで内外六○○○人が集まるまでに発展した。
一人ひとりとの対話。

池田が戸田から受け継いだこの鉄則を、イギリス全土に広げ、定着させるために生涯を捧げ
た、一人の壮年がいる。


 

一人のSGI さま

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 7月21日(土)11時22分52秒
  「師弟不二」について思うこと 2/5  投稿者:一人のSGI  さま引用失礼します。

一人のSGIさま、あなたの論を楽しみに読ませてもらっていますが、今回の文章は違和感が一杯です。

松戸様は「師弟不二は仏法ではなく、組織上の世法の世界の話です。」

と書込みされています。
わたしは、この論は認めることは出来ません。

この論は、文証理証のある言葉でしょうか。


先駆者たちヨーロッパ篇 (25)潮6月号を投稿します。

なぜ、投稿するのか・・・ここにはリチャード・コーストン氏のイギリス広布の足跡と苦労と後継への

教えがあるからです。
ここには、池田先生との師弟不二があるからです。
 

プライベート・アイズ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 7月21日(土)11時04分30秒
  橋本忍さんが映画界に与えた影響は大きい。黒澤明監督の名声の何割かは橋本さんのおかげと言ってもいい。
中でも芥川龍之介の『藪の中』をベースとした『羅生門』は「視点」もの映画の先駆的作品で、名作『バンテージ・ポイント』(超お薦め)は今のところその究極でしょうか。

「視点」と言えば、シャープは鋭い。「ネイチャーテクノロジー」の先駆的企業です。
http://www.sharp.co.jp/nature/
ネイチャーテクノロジーとは、
http://www.naturetech-db.jp/about/naturetech/
http://www.naturetech-db.jp/
>自然や生き物の持つ低環境負荷かつ高度な機能に学び、科学技術や産業(商品・サービスの開発)にそれを応用しようという試みです。自然は人間界よりはるかに小さなエネルギーで運営され、しかも完璧な循環を保っています。それを科学の視点から分析して、人間の生態系にとって必要なものを選び出し、リ・デザインすることで、全く新しいものづくりや暮らし方を目指します。例としては、寒暖の差が非常に激しいサバンナでも一定の内部気温・湿度を保っているシロアリの巣の仕組みを応用した住宅などが挙げられます。
人類が、持続可能で豊かな社会・ライフスタイルを形成する上で、ネイチャー・テクノロジーが重要な役割を果たすと考えられています。<

これは、螺髪さんの言われる『この「宇宙」が「智慧」の塊!』に通じると思います。
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87213
>この「宇宙」が「智慧」の「塊(かたまり)」でないと、解らないことがあります。プランクトンや植物が、あるいは動物が、それぞれに蓄積した「智慧」のみでは進化することはなかったと思えるからです。互いの「智慧」を巧みに借用しているのです。むしろ「生命」全般に渡る「智慧」の蓄積の“場”があったからこそ、分類を超えてその「智慧」を利用することが可能となったといえます。その“場”が「宇宙」そのものだということになります。それとも、「宇宙」にある「法」が働き方こそ違え、「生命」全般に渡る共通の「智慧の基盤」だったと言えるのではないでしょうか<

この“場”は『日蓮仏法3.0』でも触れられている「ゼロ・ポイント・フィールド」にも同様の概念があるでしょう。『Xファイル 2016』でも取り上げられ、いよいよ科学が注目しているのが……仏法!!

「依法不依人」が出来ず、ただ盲目的に患部を信じている皆さんは知らないでしょうから教えて差し上げます。仏法は本物です。《法則》です。だから「依法撒き」した方がいいですよ。デマを撒き散らすより。みんな見てますよ。鋭い視点で。「♪少年たちの目が年を取る」ことが無いことを切に願う。
https://www.youtube.com/watch?v=gYzaUDa4A90

“互いの視線に映るふたり おまえを見つめているんだ”
“しどろもどろなセリフで何てざまだよ、ガール”
“忘れちゃだめさ、俺が誰を見張ってるかってことを”
“嘘を見抜こうとして、そんな気持ちになっちまう”
“だから、おまえは逃れられないんだよ、俺から…”
“探偵のような視線でおまえを見つめている”
“おまえのやることなすことすべてが目に映る”
“見つめている、見つめている、見つめているんだ”
『プライベート・アイズ』ホール&オーツ
https://www.youtube.com/watch?v=GtZj9jJ5zNA
 

違和感だらけのメッセージ

 投稿者:末席の弟子  投稿日:2018年 7月21日(土)10時19分22秒
  装過新報7月18日より


『 記録的な豪雨で被災された宝友の健康と地域の復旧を、
懸命に祈っている。
「かたし隊」(清掃ボランティア)をはじめ、
尊い汗を流してくれている若人に、心から感謝したい。
日蓮大聖人は「大悪起これば大善きたる」(1300)
そしてまた「災来るとも変じて幸とならん」(979)と、
厳然とお約束くださっている。
最も苦労した人が、最も幸せになる信心である。
題目の響くところ、諸天は必ず動く。
いかなる試練も変毒為薬して、
勝利の活路を断じて開いていける。
苦難の時こそ、地涌の青年の不屈の行動で、
皆を勇気づけ、社会を蘇生させてくれたまえ! 』


 違和感だらけだ。

 特に冒頭の「~祈っている」

   締めの「~くれたまえ!」

随筆や詩ならともかく、メッセージで丁寧語を
お使いにならないのは今まであまり記憶がない。
 

カジノがメインの統合型リゾート施設?

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 7月21日(土)09時59分16秒
  カジノ、カジノといわれるとイメージが悪いと総合型リゾート施設だと。
それを言うなら「カジノがメインの総合型リゾート施設」はどうでしょう。笑
カジノのスペースが敷地の3%以下だと。
野球場のようなスペースはいらないでしょうから、面積は関係ないと思いますが。

さすが、コンペートーの輝かしい実績。

カジノで100年安心。
大臣はコンペートー。
スコップは持ちません。
被災地支援よりカジノ第一。

この夏、大いに語ろうよ!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、所沢での座談会御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 7月21日(土)09時56分10秒
  おはようございます。原田怪鳥様、参議院定数増の法案が成立したからか? 定数増を見込める地域での座談会御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

思えば、九州総会でも関西栄光総会でも、参議院立候補予定者から挨拶があったとかなかったとか(笑)

「選挙学会仏」のトップとして、率先垂範の行動、誠にご苦労様で~す(大爆)


そ~言えば、ナニやら? 埼玉で除名処分を前提としてか? 監正審査会に「出頭」させられた方も埼玉デスたが、

もしかして、原田怪鳥様、テコ入れに走ってらっしゃるんデスかぁ~(大爆)

原田怪鳥様のおっしゃる「友好の花を咲き薫らせよう」というのが、票目当ての下心が無いコトを祈ってまぁ~す(大爆)


ともあれ、原田怪鳥様は、「珍・人間革命」の総仕上げに入っている、なんて発言されたみたいデスが、

最大のヤマ場と言っていい「魂の独立」部分を過ぎ去ってしまった今、いったい落としドコロをドコに持っていかれるんデスかぁ~(笑)

相も変わらず、山本伸一の行動ダケを、つらつらと追いかけているダケで、小説としての盛り上がりがまるで感じられないのは残念でぇ~す(笑)

まさかとは思いマスが、原田怪鳥様の正当性を示したいが故に、教義変更・創価学会仏までハナシを持っていくおつもりデスかぁ~(笑)

まあ、ハナシが選挙にトばない分ダケが、まだ救いがあるのかもしれませんが、もし、万が一にも、ハナシが選挙にトぶようならば、

「珍」どころか「顰蹙」モノであるコトになりマスよぉ~(笑)


まあ原田怪鳥様にとっては、ナニよりも来年の選挙が大切なのでしょうが、池田先生は、「選挙は自由である」と明言されていらっしゃいマスので、

くれぐれも「選挙」にかこつけて、会員さんをイジメるコトが無いように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)



 

♪LIFE IS GAMBLE,LIFE IS GAME

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 7月21日(土)09時09分25秒
  仲畑流万能川柳「信心と平和の党が推すカジノ」毎日新聞2018年7月19日

菅野完事務所ツイート
「やっぱり、創価学会が信者に売ってるバージョンの法華経にも、賭博したらあかんどころか、賭場に近づいてもいかんて書いてある。」画像添付
https://pbs.twimg.com/media/DijJRjQVAAAvMkf.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DijJRi1UYAETyQy.jpg
「創価学会の人本当にかわいそう。法華経の内容さえ否定するいまの公明党の選挙とか手伝わんといかんのでしょ。いやほんまに、身が割かれるような思いだろうな。」

今まで混迷党に投票してきた人はどんな人だと思う? 学会員は別にして。学級会選挙で何票とれていると思う? ちゃんと党の理念や政策で判断している人はけっこう居るものです。あまり民衆を舐めない方がいい。

「♪LIFE IS GAMBLE,LIFE IS GAME」
https://www.youtube.com/watch?v=SKA7_1NJfSQ
画像会ブラボー! サンキュー!
 

実名告発 創価学会

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 7月21日(土)08時23分22秒
編集済
  元職員3名のブログが更新されています。
『★6 「侮辱行為」を司法から断罪された本部職員A氏および学会本部との闘い(川崎の同志5名②)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-198.html
>さらに、この音声の中には、衝撃的なA氏の発言が録音されていた。
 A氏は原田会長を指してこう語っているのである。
「もう、あのオヤジ(原田会長)は、もう、一度も許す気にはならない」
「一生涯許すことはない、あいつのもうだって、弱みも全部握っているんだから、はっきり言って」
「俺はもう、これ公開したら、あの人明日から生きれないっていう、ある写真も持っているんだよ、はっきり言うけど」
 つまり、職員A氏は、原田会長の地位が揺らぐほどの“爆弾写真”を持っているというのである。<
もう、知らんぞぉ~俺は知らんぞぉ~どうなっても
せっかく螺髪さんと一人のSGIさんが興味深い話をされているのに。俺もこんなことやってる場合か?

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX

画像会ブラボー! サンキュー! 上手い! まさしく『膿』! 「カジキより餌食」!
 

お高くとまった元「庶民の党」

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 7月21日(土)08時18分34秒
  山本太郎議員らを懲罰委に   投稿者:久松九兵衛   投稿日:2018年 7月21日(土)06時38分58秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/87290?TEACUPRBBS=805b2e18c118df512da4c15f2233a0cf

お高くとまった自公の議員どもの揚げ足どりですか。
それを言うなら深刻な被害の様相を考えても例の「赤坂自民亭」参加者やそれへの
見苦しいカバーアップの輩こそが懲罰の対象でしょう。

恥知らずな賭博推進でものの道理すらわからなくなりましたか。

特にきれいごとを党是にしている公明の所業がまるで支配層にどっぷり
使った三位房の京なめりを彷彿させてくれますね。
 

反転攻勢の夏に

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 7月21日(土)08時01分28秒
  2010年5月の先生ご出席の最後の本部幹部会から8年あまりが過ぎた。ご高齢もあり体調をくずされた。病は重かった。そこには、もう過日のような厳しい師匠の姿はもうない。執行部にとっては、願ったり叶ったりなことだった。
お元気なことにして、会員を欺く。
あまりに姑息だ!
師匠利用だ!
最大の懸案事項の新人間革命。先生がお元気ならば、会長辞任の真実を明らかにされてしまう。それを一番怯えていた。
「現会長の自分が当事者で、しかも裏切っていた」なんてバレてしまったらお終いだ。
しかし、現会長も当時の最高幹部の一人。
師匠が辞任の時に副会長に昇格している。
間違いなく当事者であり、辞任を迫った側だ。

だから、先生の新人間革命を改ざんした。

しかし、方々から疑問の声があがる。
「辞任させられた、引退させられた。悔しい。」との先生の思いが抜けている。

「本当に先生の執筆なのか」と。

その他にも、あまたある。先生の近影写真のご表情。先生らしくないメッセージや、随筆等々、会の運営、あまりに不自然な会則変更、強権的な会憲の制定。そしてコンペートーの変節。

先生は本当にお元気なのだろうか?
了承されているのだろうか?

おかしいと、心ある会員はそれに気づいた。

そして、あまりに目に余る執行部の変節、横暴。当然声があがる。

「先生の頃とあまりに違う!」と。

信濃町の執行部は焦るりはじめる。

「自分たちの嘘がバレバレじゃないか。内部情報がすべて筒抜けだ。」

まず、職員の粛清をする。

そして会員にも…

「彼らを黙らせろ。場合によっては処分しろ!除名してもいいんだ!」と。

こんな感じですね。笑
お笑いです。

お元気な先生ならば、こんなことは、断じて許しません。先生ならば…

「私を守ってくれて本当にありがとう。嬉しいよ。」と、言われるだろう。

「頼んだよ。」

先生の慈愛溢れる声を思い出す。









 

わが友に贈る 2018年7月21日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 7月21日(土)07時21分14秒
  夏休みは親子の絆を
強めるチャンス!
子どもの話に耳を傾け
共に遊び 学びながら
豊かな心を育もう!
 

そんなのダメにきまってる

 投稿者:歩くピラミッド  投稿日:2018年 7月21日(土)06時54分19秒
  上に創価学会仏
その下に3代の先生のお名前
諸天善神いっさいなし
近い将来、こんな御本尊様を流布するのでしょうか
お題目も、南無創価学会仏
考えただけで、恐ろしいですね
そんなのダメにきまってる
 

山本太郎議員らを懲罰委に

 投稿者:久松九兵衛  投稿日:2018年 7月21日(土)06時38分58秒
編集済
   参院の伊達忠一議長は20日、自由党の山本太郎、森ゆうこ両参院議員、
参院会派「沖縄の風」の糸数慶子参院議員の3氏について、
参院懲罰委員会に付託することを決めた。

 カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法の採決の際、
3氏が議長の制止に従わず「カジノより被災者を助けて」などと書かれた
垂れ幕を壇上で掲げ続けた行為を懲罰の対象になりうると判断した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180720-00000130-asahi-pol
 

さすがは我が友!ついにハジけたか!?

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 7月21日(土)06時26分52秒
  昔は自分のキャラ&進路その他!

あんなに悩んでいたのに・・・

ちょっと見ないうちに一皮どころか
すでに脱皮してサナギから成虫に
大変身☆遂げた感すら?ある!!

マコトあっぱれ☆なやつ・・・

https://6027.teacup.com/situation/bbs/87251
 

創価精神よりほど遠く

 投稿者:まさよし  投稿日:2018年 7月21日(土)05時39分8秒
編集済
  野党は早くから、国会で「法案審議を後回しにし、
とにかく災害対策を優先しよう」と言っていた。けれど、
自民党と公明党は聞く耳を持たないのだった。なにがなんでも、
カジノ法案と水道民営化法案と参院6増法案の審議を進めていく。

なんで今、国会議員を増やさなきゃなんないの?
西日本の水害で分かったろ? 天災に備えることが必要だって。
それには莫大な金がかかるし、今回、被害に遭ってしまった方々が、
平穏な日常を取り戻すにも金がかかる。今はそれどころじゃない。

 つくづく思う。傲慢な自民党と公明党は、国民のことなんて考えていない。
考えているのは、自分と自分の仲間のことだけ。
(室井佑月さんのコラム記事より抜粋)

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233643

 

これで会館光熱費削減競争に終止符が打てマス(爆

 投稿者:虚構新聞マニア  投稿日:2018年 7月21日(土)04時28分40秒
編集済
  現在、猛暑で各会館運営委員会は、冷房費削減競争で「俺が(私が)が次の総県長になる為にも、本部には、いい顔をしなけらばならない。室温は常に28℃。会員には何かあったら119番通報してサイレン鳴らさずに来い!と言え。常に室温管理して温度が下がったら冷房スイッチOFF、ある程度上がってきたらONと繰り返し管理するのだ。いいか、俺(私の)のためにしっかり管理しろ」と下の幹部に厳命して壇上に上がる皆さん方のための朗報ですね。国が率先して東京都全域をカバーするドームを作れば、会館光熱費管理をする必要はない。
きっと自民党の忖度企業(当然、公明党支援企業)も大賛成して、壮大なる東京ニッポンドームが出来上がります。ところで、この電源はやはり原子力発電ですよねー(大笑

虚構新聞   2018.7.19  発行

東京23区、全面ドーム化へ
エアコン完備「全天候型都市」目指す

東京は全天候型都市に(完成予想図から)

 東京23区内を超巨大ドームで覆い、内部温度をエアコンで調整する計画があることが、関係者などへの取材で18日までにわかった。早ければ8月にも着工し、20年7月までの完成を目指す。完成すれば、天候に左右されない「全天候型都市」として快適な市民生活が期待できそうだ。

 都の都市計画関係者が明らかにした。ドームの直径は約20キロで、23区の大半を覆うものになる見込み。ドーム内部には巨大エアコン50万台を設置。ドーム外に排熱することで、内部の温度・湿度を適切に管理する。

 急な着工に踏み切る理由は、異常とも言える近年の酷暑だ。都内では連日30度を超える暑さが続き、毎日多くの人が熱中症で病院に搬送されている。中でも都にとって深刻なのは、20年7月24日から8月9日まで開催される東京五輪・パラリンピックだ。メイン会場となる新国立競技場付近の気温は40度近くに達しており、暑さ対策が喫緊の課題となっていた。

 新国立競技場については、15年、安倍首相が観客席の冷暖房設備をカットするよう指示。建設費を抑えるための新しい判断だったが、今年のような酷暑になった場合、来場者に健康被害を及ぼす可能性が高い。また、組織委員会は招致活動の際、「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」(立候補ファイルより抜粋)と世界に向けて説明。「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」という国際公約を守るためには、ドームで覆った23区全体をエアコン除湿で24度程度に保つことで、「理想的な気候」を人工的に作るしかないと判断したようだ。

 また五輪後も「全天候型都市」として、ゲリラ豪雨や極めて薄い積雪など、深刻な天候の変化に左右されない快適な生活を都民に提供できるとしている。

 建設費は数百兆円規模に達するとの試算もあるうえ、あまりにも短期間、かつ世界でも例を見ない巨大プロジェクトに「連日の暑さで頭がおかしくなったのではないか」と皮肉る声も聞かれたが、計画の策定に当たった関係者は「立案したのは今年の冬。暑さのせいではない」と反論している。

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今の政権与党なら、虚構ではなく実現可能デス!!
 

第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事 ひらがな化を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 7月21日(土)02時49分39秒
編集済
  第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事 ひらがな化を投稿します。

御義口伝講義 下 第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事


まとめ
ポイント

講義より

「是好良薬とは、詮ずるところ、文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経であり、その当体は
、日蓮大聖人御図現の大御本尊である。」

・・・・・・・・・・・中略

「今留在此の今留とは末法なのである。すなわち、日蓮大聖人が、末法に御出現あそばされ、大
御本尊を御建立になり、末法万年尽未来際にわたり、全民衆のためにのこしおく、との元意であ
る。」

・・・・・・・・・・・中略

「在此の此とは、全世界の中でも日本国とよむべきであると断言されている。日本国こそ、御本
仏出現の国であり、太陽のごとく、全世界の闇を照らす大正法が流布すべき最初の国である、と
のお心と拝する。」

「汝可取服の汝とは、末法の一切衆生であると述べられ、一切衆生を、少しも偏頗なく、平等に
救われんとするのである。」

「大聖人の仏法は、一部の人の、または特定の国の、特別の人のためのものではない。
あらゆる国の、あらゆる階層の人々に対し、大良薬を授けられたのである。」

「真実の宗教は、人間性の奥底を説き明かしたものである。
そこには、地位とか、権力とか表面的なものの壁も、民族とか、国境とか、人種等の差別の障壁
もない。誰人といえども、この大御本尊によって、真実の幸福なる当体を築いていけることを示
された御文である。」

「取とは、大御本尊を受持するときの儀式であり、大御本尊を信ずる初めである。服とは、唱題
であり、唱題して初めて、自身が無作三身の当体とあらわれていくのであると仰せである。」

「およそ信心とは実践であり、実践のなかにあらわれるのである。
実践なき信心は、観念にすぎない。
したがって、事実の上に、力強き、事の一念三千の当体としての自己を築いていくことはできな
い。」

「服するより無作の三身なり」とは、まさに、この実践を強調された御文と拝するものである。」

 「「始成正覚の病患差るなり」とは、現実主義的な低き生命観を打ち破り、永遠の生命を確信し
ていくことができることを仰せである。」

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此処までの分を、まとめれば、是好良薬とは、南無妙法蓮華経であり、大御本尊である。

今留とは末法、在此の此とは、全世界の中でも日本国とよむべきである。

汝可取服の汝とは、末法の一切衆生である・・・、あらゆる国の、あらゆる階層の人々に対し、大
良薬を授けられたのである。

取とは、大御本尊を受持する。服とは、唱題。実践なき信心は、観念にすぎない。

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以下は、三大秘法の依文である。

「さて、この経文には、三大秘法が含まれている。
 すなわち、是好良薬が、本門の本尊であり、今留在此が本門の戒壇であり、汝可取服が本門の題目
である。」

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「病気を治す薬が、良薬である。だが、病気にも軽重があり、またその種類によって良薬の内容も異
なる。さらに、色法の病気だけが病気ではない。

心法の病気もまた、重大な病気である。否、この病気こそ、最も難治であり、現代のいかなる医学者
も、教育者も、心理学者も、治すことのできぬ病気なのである。

この心の病気にも、重々の軽重がある。
人間生命の奥底に深く染まった貪瞋癡の三毒の病は、絶対に仏法の大良薬による以外にない。」

・・・・・・・・・・・中略

 「すなわち、末法今時の一切衆生の重病は、大御本尊による以外に解決の法なく、日蓮大聖人は
、この大御本尊を、全世界の一切衆生に授けることを宣言されているのである。

 日蓮大聖人の仏法は、生命それ自体の変革であり、根底的な生命の改革をもたらす大宗教である。
この大仏法を根底としたとき、いかばかりか、正常な人々、正常な社会、正常な国土、正常な世界が
実現することかと思うものである。」

私(池田先生)は、ある医学者の一文を読み、強い感動を受けた。
・・・・・・・・・・・中略
「人間に生命力をあたえるとはまさにその根底の大生命を自覚せしめることでなければならぬ。
真の慈愛とは物質を与えることではなく、各人をしてその生命本来の姿を悟らしめることである
。この意味においてもっとも深い慈愛は道徳であるよりも哲学的である。それはいいかえれば哲
学そのものが単なる理論の学ではなく、生命の自覚を通じて生命そのものを高揚するものでなけれ
ばならぬということである。

・・・・・・・・・・・中略

「人間に真実の生きる力を与え、根底の大生命を自覚せしめ、生の歓喜を与え、生命それ自体を高揚
さしめる、真の大良薬こそ、まさに、大御本尊であり、ここにこそ、彼の言々句々の実体があると訴
えたい。」

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ここの分をまとめると・・・。

「貪瞋癡の三毒の病は、絶対に仏法の大良薬による以外にない。」

貪瞋癡の三毒の病を直す薬は、南妙法蓮華経であり、御本尊に唱題するしか無い。


 

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