麻原はたとえ中国に行かなくても、遅かれ早かれ同様の考えに至ったと思われる。だが、彼が生まれ変わりを自称した「朱元璋」という名前は不吉だ。オウムの大筋の方針は変わらなかったにせよ、無差別テロに向かう上で、朱元璋の存在が小さからぬスパイスになった可能性はあり得るように思うからだ。
解説しておくと、朱元璋は14世紀に中国主要部を統一した明朝の初代皇帝だが、建国後に言論弾圧や功臣の大粛清を繰り返し、万単位の官僚やその縁者たちを虐殺したことで知られている。多くの人に慕われるべき教祖様の「前世」にしては、非常に徳の欠けた残酷で陰険な人物だ。
麻原は中国旅行以前から「朱元璋の生まれ変わり」を称しており、現地で突然言い出したわけではない。漢の劉邦や唐の李世民のように、後世のイメージがもっと良好で、日本での知名度も高い中国皇帝はいくらでもいるのに、なぜ麻原がわざわざ、朱元璋を「前世」に選んだのかは興味深い。
朱元璋の特徴は、極貧だった若い頃に托鉢僧(=宗教者)だった経歴があり、さらに白蓮教という新興宗教の反乱「紅巾の乱」から頭角をあらわした過去を持つ点だ。
中国史上、狂熱的なカルト宗教の反乱軍から身を起こした人物には、太平天国の乱の洪秀全のように「いいセン」まで行った人は多いものの、巨大な統一王朝を打ち立てたのは朱元璋だけである(中国共産党を一種のカルトだとみなす場合は毛沢東も該当する)。
紅巾の乱を通じて、朱元璋は教祖の韓林児を名目的なトップに押し立てて宗教勢力をバックに台頭したが、政権掌握の最終段階で韓林児を暗殺し、その後は白蓮教を弾圧した。宗教団体の「中の人」でありながら、宗教を徹底して成り上がりの道具に使ったわけだ。
仮に麻原がこの史実を踏まえた上で「朱元璋の生まれ変わり」を称していたなら、なかなか示唆に富んだ話ではある。