2018年7月21日で『スプラトゥーン2』は発売から1周年を迎えることになる。発売直後のレビューにも記したが、この手の対戦ゲームは発売直後にすべてがわかるわけではない。アップデートにより変化し、いかに遊ばれ、そしてどんな姿になっていくかも重要な要素なのだ。今回は、あらためて『スプラトゥーン2』のレビューをするかのような気持ちで本作について語ろうではないか。

発売当初のスクリーンショット。1周年時点ではVer.3.1.0までアップデートが行われている。
発売当初のスクリーンショット。1周年時点ではVer.3.1.0までアップデートが行われている。

この『スプラトゥーン2』1周年記念記事では、前編でそのバトルについて、そして後編でそれ以外の魅力について語ろうではないか。イカたちのバトルはどのように変化していったのか、プレイした人もそうでない人も読んでほしい。

“4対4の真剣勝負”という対戦ゲームとしての理念

 

少人数による真剣勝負のおもしろさ

さて、そもそも『スプラトゥーン』シリーズの魅力は「4対4のかなりガチな対戦ゲームだけれども、極めてカジュアルに楽しませることができている」というところにある。対戦ゲームをよりカジュアルにするのであれば大人数にすべきだが、本作はそこをあえてそうしていない。それは単純に、少人数による真剣勝負のおもしろさを追求しているからだろう。

『スプラトゥーン2』のようなシューターの対戦というのは、参加人数が多ければ多いほど大雑把になっていく。1000対1000ならば数十人が遊んでいても戦局に影響は少ないし、そもそもそれに気づく人が少ないかもしれない。しかし4対4となると、ひとりあたりの責任は重くなるわけだ。

すでにプレイしている人ならわかると思うが、このゲームはひとりが回線落ちをすると途端に不利になる。そもそもステージなども4対4用に作られているわけなので、ひとり欠ければ手が1本なくなるようなもの。絶対に勝てないわけではないが、それでも大打撃なのは疑いようがないだろう。

こうなると4対4のチーム戦というものに関して重責を感じる人も出てくるわけだ。それならば100人でバトルロイヤルをするだとか、32対32で対戦をするだとか、人数を増やす形でカジュアルさを表現する方法も出てくる。それらもよい方法であることはたしかなのだが、『スプラトゥーン』シリーズはやはり4対4にこだわる。

 

プレッシャーがあるということは、それだけ勝ったときの勝利も喜ばしいということだ。チームメンバーの持つブキを見て自分の役割を考え、逆に相手を見てどのように動くかをも想像し、あるいは味方のどこを信頼してどこを信じないのか思案を巡らせる……。こうして苦労してもぎ取った勝利は、どんな砂糖水よりも甘美に感じられるのである。さらに味方とうまく協力できたときには、その喜びは数倍にもなるだろう。

『スプラトゥーン』はイカしたポップな見た目で責任の重さなんてものはまったく感じさせなかったし、そもそもこのゲームにはヘッドショットといった複雑な概念もなくインクの塗りで戦況が可視化されるという、プレイヤーが理解しやすくするアイデアも複数盛り込まれている。当然、『スプラトゥーン2』もその心意気はきちんと引き継いでおり、発売されてからもずっと理念は揺るがないのである。

『スプラトゥーン』シリーズはガチの対戦を気軽に遊ばせることに成功している

ちなみに、『スプラトゥーン2』には新モードとなる「サーモンラン」が追加されているのだが、これは4人チームでCPUと戦ういわゆるPvEモードだ。発売前はこのモードが追加されることにより「対戦ではない楽しみを増やしてしまっては、人口が分散するうえに方向性もブレるのでは?」と心配していたのだが、それはまったくの杞憂だった。

そのあたりの話については後編に譲るが、ともあれ『スプラトゥーン』シリーズはガチの対戦を気軽に遊ばせることに成功している。プレイヤーは最初こそなんとなく塗っているだけでも楽しいが、次第に真剣勝負の場へと足を踏み入れることになる。その基本的な理念とでも呼ぶべきものは、『スプラトゥーン2』になっても変わっていないし、発売後も変える気配は感じられなかった。

バトルのバランス調整における成果と課題

前作『スプラトゥーン』のスクリーンショット。この作品では無敵になれるスペシャルウェポン、バリアやダイオウイカが猛威を奮っていた。
前作『スプラトゥーン』のスクリーンショット。この作品では無敵になれるスペシャルウェポン、バリアやダイオウイカが猛威を奮っていた。

さて、レビュー記事にも書いたが、前作『スプラトゥーン』は途中からバトルの環境が停滞しつつあった。そのため、続編となる『スプラトゥーン2』になるにあたりゲームバランスを根本から変える必要があったわけで、そういう意味でも続編にするべき状況になっていたわけだ。

では、その根本から変えたゲームバランスは良いか悪いのかと言いたくなるが、これに関しては断言することを避けようと思っている。以前に「対戦ゲームのバランスは何が“正解”なのか?」という記事でも書いたが、昨今はゲームバランスにプレイヤーの権利も絡んできているわけだ。それならば、良し悪しを語るよりも客観的な事実を語るべきだろう。

『スプラトゥーン2』は定期的にアップデートが行われており、新たなブキやステージの追加はもちろん、各種バランス調整も行われている。どのブキやスペシャルウェポンが強いかという環境は変化し続けており、最初はインクアーマーやジェットパックあたりがとても高く評価されたが、その後はイカスフィアが活躍、また調整が行われバブルランチャーやハイパープレッサーが強くなったり、再びジェットパックに回帰したりもしている。

ブキにはそれぞれスペシャル必要ポイントが設定されており、強いと評価されたブキほどこの数値が高くなる(=スペシャルウェポンを撃つのに必要な塗りポイントが高く設定される)。
ブキにはそれぞれスペシャル必要ポイントが設定されており、強いと評価されたブキほどこの数値が高くなる(=スペシャルウェポンを撃つのに必要な塗りポイントが高く設定される)。

ブキに関しても同じで、評価が一気に上がったブキはスペシャル必要ポイントが調整され、扱いづらくなる。スペシャル必要ポイントが上昇するとギアパワーの選択肢が狭まるため、そのブキの人気が下がるというわけだ。中にはクアッドホッパーブラックのように、誰かに強さが発見されて人気に火がつくなんてこともあった。

"調整により変化が起こること"はプレイヤーにとって喜ばしい

結局のところゲームバランスに明確な正解なんてものはないわけで、このように"調整により変化が起こること"はプレイヤーにとって喜ばしいことだろう。少なくとも『スプラトゥーン2』は変化し続けており、新たなブキが登場するたびに、あのブキが調整されるたびに、実際に触らずにはいられないのだ。

もともと発売から1年で終わる予定だったアップデートは2018年いっぱいまで続き、4色ボールペンのようなクーゲルシュライバー、重量級で爆弾を放り投げるかのようなエクスプロッシャーといった新たな潮流も生まれている。

 

とはいえ、『スプラトゥーン2』のゲームバランスに問題がないわけではない。強くなったり弱くなったりする要素はさておき、ほとんど無視されてしまっている存在、つまるところ環境に置いていかれているブキやサブウェポンが問題だ。たとえばサブウェポンのトラップは射程が長いブキならまだ使えるのだが、相手に近寄って戦うブキ(スパイガジェットやケルビン525)についた場合はほとんど足枷と化している。

あるいはギアパワーであれば、受け身術はアップデートで特殊効果がついてもほかのギアにメリットで押し負けやすいし、マーキング時間短縮なんかに至っては発売直後からずっと不人気だ。マーキング時間短縮は相対的にポイントセンサーを強くすればいいように思えるが、それだと前作の問題(マーキング時間を短縮するギアが半ば必須になる)を引き継いでしまうのでなかなか解決が難しい。

『スプラトゥーン2』から登場した新ブキなのに魅力に乏しいというのも悲しい話

また、あくまで私見であるがマニューバー系列のブキに関しては発売直後から強くしてよかっただろう。初お披露目された際のスプラマニューバーは「とりあえず使ったけどもういいや」という感じの状態で、先行試射会でも人気が上昇せずかなりのテコ入れが行われた。その後も上方修正が行われ続け、結局、マニューバーが一気に人気となったのは発売から半年近く経ったVer.2.2.0あたりからである。

強すぎて下方修正するのは確かに問題なのだが、せっかく『スプラトゥーン2』から登場した新ブキなのに魅力に乏しいというのも悲しい話だ。ただ、開発チームも最近はそのあたりを理解しているらしく、新たなブキの場合はハズレがだいぶ少なくなっている。

ともあれ、『スプラトゥーン2』のゲームバランスには問題といえるべきものはあるものの、常に環境を変化させることには成功しているだろう。昨今は前作のサイクルを終了させた復活時間短縮のギアパワーがかなり増えてはいるものの、それに対するメタもあるし今後の調整にも期待できる。課題は残るが、それでもすべきことは成せているのだ。

細分化されたマッチングと放棄されているマッチング

 

ところで、『スプラトゥーン2』のバトルを語るうえで外せないのがマッチングについてだろう。こちらもゲームバランスと同じく触れづらい要素である。というのも、「負けたのはマッチングのせい」と言えてしまうように、事実より感情が先に立ちやすいのだ。

マッチングを細分化してより自分と腕が近い人たちと当たるようになった

というわけで、こちらも明確にわかる部分だけを触れていこう。『スプラトゥーン2』におけるマッチングで大きく変化したのは、Ver.3.0.0からガチマッチに追加されたウデマエXだ。これはいわゆるレーティング制度で、Xパワーという数値でプレイヤーがどのくらい強いのかを明確に表すようになったのである。

それまでもフェスパワーやガチパワーといったレーティングシステム自体はあったのだが、マッチングは割と幅を取っていたし、プレイヤーはウデマエという累積の数値を上げることが目的となっていた。しかしゲームのサイクルが後半になってきたということもあり、レーティングをしっかりと表示し、かつマッチングを細分化してより自分と腕が近い人たちと当たるようになったのである。

ウデマエXに関しては喜ばしいばかりで、以前よりさらに白熱する試合を楽しめるようになった。これが実装される前はS+1桁とS+50が同じ試合に入れられることがしばしばあったのだが、試合内容を見ると実力差はかなりのものだった。また、ウデマエの上位層ができると下位プレイヤーもウデマエを上げやすくなり、さらにマッチングが細分化されてより適当に遊べるようになっていくだろう。

 

そんなわけでガチマッチに関してはよい方向に向かっているが、問題はレギュラーマッチ(ナワバリバトル)である。こちらは前作からだがマッチングがかなり大雑把で、本当にはじめたばかりの初心者と慣れた人が当たることは少なくなっているものの、ウデマエBだろうとウデマエXだろうと一緒にされてしまうくらいのラフさなのである。

これだけウデマエに差があれば実力の差もかなりのもので、普段遊んでいる試合のレベルもかなり異なる。こうなるとお互いにあまりおもしろくない。実際のところ私も、ナワバリバトルを遊ぼうとしてもマッチングが大雑把すぎてすぐやめてしまうなんてこともしばしばあった。

フレンド合流をしなくても気楽に楽しく遊べるモードになっていてほしい

とはいえ、ナワバリでマッチングが細分化されない理由はわかる。まず第一に、このモードは気楽に遊べるようマッチング速度が優先されているわけだ。そして第二に、ナワバリバトルにはフレンド合流があるうえ『スプラトゥーン2』ではマッチング待ち中にブキやギアを変更できるようになったのである。この要素がある限り、厳密にマッチングすることは非常に難しくなるわけだ。

フレンド合流で誰が入ってくるかわからなければ正確なマッチングは難しいし、ましてやブキを変えつつ居座る人が増えるとなると均衡を取ろうにも難易度が跳ね上がる。となれば基本はマッチング速度を優先すればいいということになるのだろうし、もはやフレンドと合流して遊ぶという方法を基準に考えられているのだろう。

しかしながら『スプラトゥーン』シリーズにおいてプレイヤーが最初に対戦を体験するのはレギュラーマッチだし、フレンド合流をしなくても気楽に楽しく遊べるモードになっていてほしいところだ。これは前作からずっと思っているのだが、未だに手を加える様子が見られないのは残念である(ガチ寄りのナワバリバトルはフェスで体験してほしいという意図もあるのかもしれないが……)。

バトル以外の要素も『スプラトゥーン2』の魅力

 

さて、『スプラトゥーン2』のバトルが完璧かと問われれば、イエスと答えるのは難しいだろう。そもそも、ゲームバランスというものは個々人の利益や感情も含まれたうえで見られるので万人に受けるのは容易ではない。そしてそういった部分をなるべく避けて見たとしても、気になる部分があるのは事実だからだ。

とはいえ、だからといって『スプラトゥーン2』がつまらないというわけではない。気になる部分はありつつも私は700時間以上遊んでいるし、新しいブキやステージが追加されたら触れずにはいられないわけだ。ガチマッチに潜り、かつてはS+50を目指してバトルを続けたし、現在もXパワーをあげようとすれば数時間は熱中してしまう。誰かがリーグマッチを募集していたら喜んで駆けつけるだろう。フェスだって毎回いろいろなブキを持って参加しているし、フレンドと談笑しながらするバトルは楽しい。

やはり『スプラトゥーン2』は4対4の真剣勝負をここまでわかりやすく楽しませるゲームとして優秀である。私がこのゲームに惚れ込んでいるのは複数の理由があるものの、いちばん大きいところは“開発陣が考えた対戦ゲームの魅力”を譲ろうとせず、しかしながらなるべく噛み砕いて理解してもらおうと努力するところだ。これは本当に、容易なことではない。

ところで『スプラトゥーン2』の進歩はバトルだけではない。もともと対戦ゲームにはより多くの人口が必要不可欠だし、めちゃくちゃにうまいプレイヤーだけでなく気楽に遊ぶ人もたくさんいなければ息が続かない。『スプラトゥーン2』はそこもきちんと考慮しておりなかなかうまくやっているのだが、これについては後編で語ろうではないか。