カメキチの目
よく人工知能、ロボット、IT、コンピュータ…の「悪口」書いていますが、あくまでカッコ付きのこと。
技術の「行き過ぎ」(どこで線を引くかがむずかしいところですが)、反・非人間的な利用はあってほしくないので、一庶民の感ずることをモノ申しているだけです。
(「技術」は放っておけば、研究・開発自体のおもしろさもあるでしょうし、ましてや「誰かの役に立つ」ということがあれば強い「動機」も生まれる。はたまた、何々を開発すればコレコレの褒美をとらせようぞ!と誰かさんにでも言われれば、「ハイ、仰せのとおり…」となりやすい。「自分を律する」ことはきわめてむずかしい)
もうひと月になりますが、6月21日は「世界ALSデー」ということで、難病のALS( 筋萎縮性側索硬化症)を発症した若い男性が、IT、コンピュータの力を借り、少しでもできることが減らないようにとガンバっている姿がNHKの朝のニュースで放映されていました。
ALSの恐ろしさは、時間の経過とともに、今できていることが筋肉の機能低下という病によりできなくなることだ。できなくなることが増えてゆく。
その若い男性は、今は小さい声ながらもしゃべられるけれど、喉の筋肉の力が弱り、いずれは自分では発声できなくなる。
自分で発声できなくても「人工音」で表現できたり、入力が指の操作でなく目を瞬きさせるだけでできたり、さまざまなすばらしいコンピュータ技術の進歩のおかげで「できなかった」が「できる」になっています。
しかし、この青年はコンピュータの世界に明るく、自分の声で話せる今のうちに自分の肉声を残しておき、発生できなくなったときは、そのアプリを使って肉声でしゃべれるというアプリを開発された。
すばらしい!
テレビ画面は、
彼が目を瞬くだけで、映像の画面が変わり、音楽が変わるところが映しだしていた。
「世界ALSデー」にちなんだ集まりが開かれ、700人もの人々が舞台の車イスに座ったその青年に万雷の拍手をおくり、笑顔で叫んでいた(何と叫んでいるのかはよく聞きとれませんでしたが、最高レベルの共感でした)。
番組は、ALSという難病の方だけでなく、さまざまな病気・障害に苦しんでいる(苦しんではいなくても)人たちにとって、さまざまな電子技術の進歩・発展がその病気や障害による不自由を克服(もしくは軽減)していくすばらしさを感じさせてくれました。
同じくテレビでずっと前、お年寄りの介護施設で、孫のようなかわいい人型ロボットや愛くるしいペット型ロボットが愛嬌をふりまき、おばあちゃんたちが大喜びするのをみました。
「介護」といえば、お年寄りを抱いたり、力のいる動きが必要な場面が多いですが、こんなときに介護ロボットが助けてくれれば、介護者は助かります。
「自動運転」もいいけれど、いまだにアクセルとブレーキを踏みまちがえる悲惨な事故が絶えない。自動運転のような高度な技術があれば、アクセルとブレーキを踏みまちがえない技術はすぐにでも可能だと思いますが…(どうなんでしょう?いちばんのトヨタさん、技術の日産さん、世界のホンダさん)