ブロガーで作家のはあちゅうさんが、AV男優のしみけんさんと事実婚されたと公表し、話題になっています。
はあちゅうさんは何度か私の事実婚についての著作を取り上げてくださっていました。その時に私が感じているのと同様に「法律婚をすると、男の稼ぎを頼りにしていると誤解される」ことへ共感してくださっていたので、ああ、いいご縁で事実婚を選択されたんだな……と、祝福の気持ちで報道を見ておりました。
しかし、SNSなどでは、はあちゅうさんへの祝福の声の中に、事実婚を正しく認識してないための誤解、偏見も見てしまうことになりました。例えば「AV男優との結婚だから。戸籍を汚さないために事実婚にしたのでは」というようなものです。
これにはかなりひっかかりました。職業差別についても唖然としますが、私が特に気になったのは「戸籍を汚さない」という言葉です。
そもそも、「戸籍が汚れる」というのはどういうことでしょうか。
私も結婚するまではなんとなく「離婚というのはよくないことだ」「戸籍が汚れる、戸籍はキレイなままがいいもの」と思っていました。「バツイチ」という言葉も戸籍に「バツ」が付くからそう表現する、ということも知っていました。
しかし、私が実際に離婚をしてみると、戸籍に「バツ」はありませんでした。私は筆頭戸籍主ではなかったので、離婚したという事実が記載されているだけだったのです。
この後、再婚時に「事実婚」を選択しました。ただし出産時に現夫と一時的に法律婚しているので、私はこれまでに5回戸籍が変わっているのです。「戸籍の変更」については「役所に婚姻届、または離婚届け」を出すだけで簡単に変わってしまうので、戸籍に対する考え方がすっかり変わってしまいました。
現夫も離婚経験者なので、出産前に婚姻届を出すときに夫の戸籍を見ました。戸籍筆頭主であった夫の籍は抜けた人間には「除籍」とあり、確かに線が引いてありました(バツではありません)。しかしこれをして「籍が汚れている」というのだろうか? と疑問に思いました。
ちなみに「戸籍が今住んでいる自治体と違うと、取りに行くのが面倒だから」という理由で、法律婚するときに新しく戸籍を作ってしまったので、初婚の妻子が除籍された記載も新しい戸籍からは記載が消えてしまいました。世の中的にはこれを「戸籍をキレイにする」という表現を使う人がいるようなのですが、親子関係は変わりませんし、記録自体は残ります。
調べてみると、「昔は全ての戸籍は手書きだったので、離婚や除籍があると戸籍に記載が重なり、実際に汚れるように見えた」そうです。
しかし現在は戸籍がほぼ電算化されており(1994年から開始された戸籍の電算化において、全国1859市区町村の中で戸籍の電算化に着手していない残りの自治体は38市区町村ということです)、多くの人は役所で戸籍を出してもらうとただ出生、婚姻や離婚の事実が記載されたプリントされた書類を受け取ることになります。
そもそも戸籍の記載がどうであろうと、結婚して離婚した事実は変わりありません。離婚したことが記載されているのは「戸籍が汚れる」ということになるのでしょうか? そして事実婚で戸籍に「結婚」の記録が残らなければそれは「無かったこと」にできるのでしょうか? 私はとても違和感を受けました。
昔は手書きだったゆえに、実際の戸籍の記載が乱雑になり「汚い」「汚れた」と感じたかもしれません。しかしそれはもはや「概念」と化して、実際の戸籍の表記がどうであれ「社会的な呪い」と変化しているのではないでしょうか。