広島にとって”未曾有の豪雨”だったのか

 POST:岩永 哲


広島県内だけでも犠牲者が100人を超える
歴史的な災害となった今回の豪雨災害。
「これまでに経験のないような大雨」と
表現されることも多いですが
果たして広島にとって
未曾有の豪雨だったのでしょうか。

過去の歴史的資料をもとに少し振り返ってみます。



今回の豪雨では、県内多くのアメダス観測点で
48時間雨量や72時間雨量などで
観測史上最大の記録を更新しました。
ただ、現在のようなアメダス観測網が整備されたのは
1970年代以降です。
過去40年ほどでいえば確かに経験のない大雨ですが
それ以前は雨量の細かい観測データはありません。





一方で、今回、甚大な土石流被害が相次いだ
広島市東部から安芸郡周辺にかけての地域では、
今からおよそ100年前に、二度にわたって
土石流による大きな被害を受けています。

一つは今から92年前、
1926(大正15)年9月11日に
広島市やその周辺を襲った豪雨です。
現在の広島地方気象台の前身である
広島測候所がまとめた被害報告が残っていますが、
そこには各地で洪水や山津浪が発生して
多数の犠牲者が出た様子が詳しく記されています。



このときに広島測候所があった
広島市中区で観測された1時間や24時間の雨量は
今回の豪雨で観測された値より大きく
今でも広島地方気象台の最大記録となっています。



今回、土石流によって
甚大な被害がでた場所の一つ坂町小屋浦地区。
ここでは今から111年前にも
まったく同じ場所で
大規模な土石流被害を受けていました。



1907(明治40)年7月15日に
44人が犠牲となった水害です。
今回の被災地には、
当時の惨状を伝える石碑が建っています。

そこには土石流が発生する前の雨の降り方、
起きた状況や被害の様子が漢文で刻まれています。
こうした石碑は、特に戦前は
石碑を建てた人の品格を高める目的もあり
漢文で刻まれることが多かったといいますが、
逆にそれは
より多くの情報を載せることにつながりました。



こうした石碑が残っているのは
小屋浦だけではありません。
今回の豪雨で大きな被害が出た安芸区矢野東も
111年前の同じ豪雨で
64人が犠牲となる水害に見舞われましたが、
ここにも当時の被害を伝える石碑が建っています。
そこには実際に土石流を目撃した人ならではの
リアルな様子が刻まれています。



明治時代と大正時代の
二度にわたって広島を襲った豪雨。
当時、被害が大きく石碑が建てられた地域は、
今回の豪雨で甚大な被害が出たエリアと
多くが重なっているのは複雑な思いです。



広島大学の研究グループの調査では、
江戸時代末期から現在までの水害に関する石碑が
県内には少なくとも50基あるといいます。

戦前はその時に起こったことを後世に伝えるため、
戦後は水害にあった地域の慰霊を目的に
建てられているという石碑。

こうした石碑の情報をはじめ、
過去に広島で起きた水害については、
広島県がまとめているホームページで確認できます。

地域の砂防情報アーカイブ 
ー広島県の土砂災害情報サイトー


記録を残すことが難しかった時代、
豪雨災害の記憶を
なんとか後世に残そうと建てられた石碑。
先人たちの教訓をムダにしないためにも
いま一度、確認してみてはいかがでしょうか。