「義経北行伝説」
目太郎行信は、佐藤基治の子で
現在の福島県庁の場所にあった、奥州杉妻城の城主
行信が義経の身代わりとなって首を差し出されたとの事は
延宝年間の「可足記」や「鎌倉実記」に記されている
行信は義経の母方の従兄弟と伝わり、年、背格好が義経とよく似ていた為
以前から義経の影武者となっていた
ある夜乞食の身なりに変装して行信の館に
頼朝軍から追い詰められ憔悴しきって泰衡が訪れ
義経の屋敷を偽装襲撃する機会に義経を逃亡させるが
その際義経の身代わりになって焼け落ちる屋敷の中で
自害する事を泣く泣く懇願された
行信は主君の身代わりとなる事を快諾し、泰衡による偽戦闘の中
享年29歳に若さであっぱれな散り際の役目を果たした
その後義経一行は束稲山麓にある佐藤基治の屋敷へと向かった
偽義経の首は塩漬けにされ鎌倉へ義経の偽胴体・・・
杉目太郎の胴体は栗原市沼倉の「判官森」に埋葬されたが
その後この地の運ばれたと伝わっている
~ ぶらりぶらりん ~
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