『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』著者・吉川浩満さん 刊行記念特別インタビュー!!【前篇】

Printロボット、人工知能、ゲノム編集、ナッジ、利己的遺伝子……そもそも「人間」とはなんだろうか? 近代の人間観が大きく揺れるなか、『理不尽な進化』で「絶滅」の視点から歴史と人間を問い直した吉川浩満氏の新作がいよいよ刊行されました。 その舞台裏を特別インタビューとして、前篇・後篇の2回に分けてお届けします。

 

──書店店頭ではこの明るいピンク色のカバー、インパクトの強いタイトルがまず目に飛び込んできますね。はじめにこの本のコンセプトと、タイトルについてお聞かせいただけますか?

 

吉川■コンセプトを一言でいえば、「人工知能とゲノム編集の時代における人間とは?」という感じでしょうか。あるいは、「認知と進化の観点からみた人間とは?」といいかえることもできるかもしれません。認知と進化の観点こそ、現在の問題や将来の課題を解く鍵になるのではないかという見立てから、この本を企画しました。

 

──「認知と進化の観点」とは、具体的にはどのようなことでしょうか?

 

吉川■たとえば、いま三度目のブームを迎えている人工知能関連技術は、20世紀なかばに起こった認知革命と呼ばれる知的運動の産物です。認知科学と総称される学際的な科学研究を生みだしたこのムーヴメントは、人間の認知バイアスの仕組みを実証的に明らかにした行動経済学や認知心理学など、従来の人間観に改訂を迫るような興味深い知見を次々と生みだしています。また、ほぼ同時期に生物学もブレイクスルーを迎え、進化の観点を中心に据えた生命科学とバイオテクノロジーが急速に発展しました。CRISPR/Cas9〈※〉で話題のゲノム編集技術はその最新の成果ですね。

こんな具合に、20世紀に生まれた認知と進化にかんするサイエンスとテクノロジーが、約半世紀にわたる発展を経て、ついに日常的なレヴェルで我々の社会や生活に深甚な影響をおよぼしつつある。今後の我々の自己イメージ──我々は自分自身をなんだと心得るか──は、これらの知識と技術を抜きにしては考えられなくなるはずです。こうした状況を念頭に置いたうえで人間を見つめなおしてみたらどうなるだろうか、というのが出発点でした。

まあ、要するに「21世紀の人間論」とか「これからの人間の話をしよう」みたいな話なんですが、そんな大それたタイトルは知の巨人的な著述家にしか許されないのではないでしょうか。私がそんな本を出したところで、おまえ誰やねんっていう話です。そこで、私の好きなカール・マルクスの言葉、しかも本書のモチーフにもぴったりくるような言葉をタイトルに借用した次第です。

※CRISPR/Cas9:クリスパー・キャスナイン。「クリスパー」「キャスナイン」という2つの働きで遺伝子の改変・編集ができる技術。従来の技術と比べ、特定のDNAを狙った操作が可能で、効率よく対象の遺伝子を改変できる。

 

──ちょっと意表を突かれるというか、疑問符が頭に浮かぶタイトルです。

 

吉川■そうですよね。人間を理解するためにサルを解剖するならともかく、サルを理解するために人間を解剖するなんて、話がひっくり返っているんじゃないのか、そう感じるのが普通だと思います。でも、逆説の魔術師たるマルクスはあえてひっくり返った議論を行うことで、我々の歴史認識のあり方を照らしだす卓抜な修辞を生みだしました。元の文章はこんな感じです。

 

人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である。より低級な動物種類にあるより高級なものへの予兆は、このより高級なもの自体がすでに知られているばあいにだけ、理解することができる。(マルクス『マルクス資本論草稿集1 一八五七─五八年の経済学草稿第一分冊』資本論草稿集翻訳委員会訳、大月書店、1981、p. 58)

 

まず、実際に人間にかんする知識は猿についての研究に役立つということがあります。たとえば、猿のグルーミング(毛づくろい)には順位制の維持や紛争の調停といった社会的コミュニケーションの機能があるといわれますが、それを我々が理解できるのは、すでに我々がコミュニケーションにかんする高度な理論と実践を身につけているからです。

それと同じことが、人工知能と人間の知性の関係にもいえるのではないかと思います。人工知能は、どれだけうまくいっているかはべつとして、いわば人間の知性をモデルとしながら独自の進化を遂げつつある知性ですよね。そうだとすれば、人工知能にあらわれた美点や問題点の解明が、人間の解明のための鍵となることも十分に考えられる。実際、人工知能やロボットにはない人間独自の美点とはなにかといった議論がなされたり、人工知能やロボットに見出された弱点を補うかたちで人間の労働が再編成されつつあるという事実がありますよね。

さらに、マルクスの言葉は、進化や歴史がいかに意外な道筋をたどるものであるかということにも気づかせてくれます。鳥の羽毛は、当初はもっぱら体温調節の役割を担っていたのだけれども、いつしか飛行の役に立つように転用されたのだといわれています。前適応と呼ばれる現象ですが、これを逆に考えると、いまあるものは将来まったく異なったものに大化けする可能性があるということになります。なかなか夢のある話ではないでしょうか。もちろん自由自在にというわけには全然いきませんが。

 

──なぜいまこの本を出されたのでしょうか?

 

吉川■すでに科学者、哲学者、芸術家等々の先人たちによる厖大な仕事の蓄積があります。やるべきことはひとつで、とにかく勉強しなければならない。そこで、各種の媒体からいただいた執筆依頼にかこつけて、「人工知能とゲノム編集の時代における人間」を考えるのに役立ちそうなトピックや作品をひとつひとつ調べていきました。そうこうするうちにできあがったのが本書です。よくいえば現在の人間状況(ヒューマン・コンディション)にかんする調査報告書、わるくいえばお勉強ノートということになるでしょうか。

刊行を思い立ったのは、昨年暮れに出た『『サピエンス全史』をどう読むか』(河出書房新社)のインタビューを受けたころです(「ヒトの過去・現在・未来──『サピエンス全史』とともに考える」として本書収録)。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』(河出書房新社)は、7万年前に起きたとされる「認知革命」を軸に人類史を再構築した野心作で、昨年のベストセラーになりました。なんでおまえがこの本についてインタビューされるんだと疑問に思う人もいるでしょうけれど(私にもわかりません)。

それはさておき、そのインタビューでは、我々は半世紀をかけて学問上の認知革命の意義を理解したことで、『サピエンス全史』の認知革命史観を受け入れる準備が整ったのだという話をしました。そのとき、私もそろそろ調査結果をまとめるべきではないかと感じたのです。ちょうどリドリー・スコット版『ブレードランナー』の舞台となったのが2019年ということもあり、どうせならそれに間に合わせたいと考えました。これを逃すとドゥニ・ヴィルヌーヴ版の2049年まで待たないといけなくなりますから(『ブレードランナー』論は「レプリカントに人間を学ぶ」として本書収録)。なんとか滑り込めてホッとしています。

以上のような経緯から、このたびの刊行とあいなりました。本にまとめられるだけの分量の書き物がたまってきたという行きがかり上の理由に加えて、『サピエンス全史』のおかげでプロジェクトの全体像を見直すきっかけができたこと、さらに『ブレードランナー』にあやかりたくなったこと、これら三つが刊行の動機です。本を出すには十分な理由ではないでしょうか。

 

──エッセイ、インタビュー、対談・鼎談、作品評など、さまざまな形式の文章が収められているのは、そうした事情によるのですね。

 

吉川■はい。いっけん雑多な寄せ集めに見えるかもしれませんね。でも、まったくの無秩序というわけでもありません。

 

──全体の構成と狙いについて、お聞きしてもよろしいですか?

 

吉川■本書はおおまかにいって三つのパートで構成されています。ある程度まとまった考えを述べる試論のパート、他者との対話のパート、そして書物や映画などの作品評(と人物評)のパートの三つです。私があるテーマを探究しようとする際にやりたいと思うことのすべてはほぼこれで尽きる気がします。つまり、重要な作品を読解し、面白い人と対話し、下手なりに自分の考えをまとめる、ということ。ほかにいったいなにが必要だろうと思います。そういう意味でこの本は、「人工知能とゲノム編集の時代における人間」というテーマにかんして、私が微力ながらも全精力を投じ、あらゆる可能な手段を用いてやってみたことを、まるごとパッケージしたものです。それでこの程度かよ、という向きもあろうかとは思いますが、思索の出発点や中継点としてみなさんのお役に立てないこともないのではないかと思い、こうして世に問うてみた次第です。

もう少し具体的にいうと、まず、試論のパートでは私の見解や解釈や筋立てに同意したり反論したりしながら、「人工知能とゲノム編集の時代における人間」を考えるための叩き台として読んでいただけると思います。対話のパートについては、ラインナップをご覧いただければわかるとおり、私が日ごろから敬愛するすごい人ばかりにご登場いただいたので、説明の必要はないでしょう。各氏のファンの方々にも読んでいただきたいです。万が一、この豪華ラインナップに興味がないという場合でも、作品評のパートは必読・必見のブックガイド、作品ガイドとして活用できるのではないかと思います。とまあ、こんなふうに、どこから読んでも、どれだけ読んでもいい本を目指しました。

この本はべつに画期的な学説とか決定的な回答を提示するものではありません。たんなる安楽椅子派の読書愛好家である私にそんな能力はありません。その代わり、愛好家のつとめとして、読んでくれる人が本書をきっかけとしてさまざまなトピックや文物に飛んでいけるように工夫を凝らしたつもりです。すでに飛びまわっている人にも、旅程(文脈)を確かめるためのサービスエリアとしてご利用いただけるのではないでしょうか。出発点や中継点と申し上げたのはそういう意味です。

そんなわけで、人間にかかわるすべての人に手にとってもらえたらと思っています。

(後篇に続く)

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吉川浩満

1972年、鳥取県米子市生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。関心領域は哲学・科学・芸術、犬・猫・鳥、卓球、ロック、映画、単車など。著書に『理不尽な進化ーー遺伝子と運のあいだ』、共著書に『脳がわかれば心がわかるかーー脳科学リテラシー養成講座』『問題がモンダイなのだ』(ともに山本貴光氏との共著)ほか。訳書に『先史学者プラトンーー紀元前一万年-五千年の神話と考古学』(山本氏との共訳、M・セットガスト著)など。

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