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若者と民主主義との「ディスコネクト」

若年層の民主政治軽視、保守化は世界的な傾向。民主主義の後退は防げないのか?

吉田徹 北海道大学教授

 「民主主義国において、新しい世代は新しい人民なのだ」――トクヴィル『アメリカの民主主義』

若い世代ほど民主主義を重視しない

ウォール街占拠デモでメッセージをかかげた若者たち拡大ウォール街占拠デモでメッセージをかかげた若者たち

 一昨年、世界の注目を集めた論文がある。2人の若い政治学者、ロベルト・ステファン・フォアとヤシャ・モンクが、世界価値観調査というよく知られた意識調査のデータをもとに、民主政治や民主的価値を若者が重視していないことを明かしたからだ(邦訳は『世界』2017年2月号に収録)。

 例えば、アメリカやヨーロッパ諸国で「民主的に統治された国に生活することが重要」と答えたのは、1950年代生まれではそれぞれ6割弱いたが、1980年代生まれ(ミレニアル世代)をみると、アメリカでは約3割、ファシズムを経験したヨーロッパでも約4割と低い。また、統治の方法として民主主義が「悪い」もしくは「とても悪い」と答えた若年層は、アメリカでは24%、ヨーロッパでも13%にのぼった(2011年調査)。欧米ともに政治への関心が若い世代ほど低下しているというデータもあわせて紹介されている。

 ここから著者は若者世代の「民主主義とのディスコネクト(断絶)」の可能性を指摘し、来たる時代に起こりうる「民主主義の後退」に警鐘を鳴らしている。彼らは紹介していないが、日本も欧米ほどではないにせよ、若年層であればあるほど、民主政治を重視しない傾向にあることは、同じ調査から分かっている。

調査数字の背後にある時代背景 

 こうした意識調査の数字の取り扱う際には、時代背景などに目配りすることが必要である。

 例えば、ヨーロッパで戦中ないし戦後直後に生まれた世代にとって、民主主義は当たり前のものではなかった。それゆえ、希少なものと感じられ、くわえて冷戦時代には民主的価値の重要性がことさらに喧伝されたから、高年齢層ほど、民主主義に強い愛着を持つとも考えられる。

 対照的に、低成長時代に生まれ、リーマンショックのような経済危機の衝撃をもろに受けた若い世代は、現状に対してそもそもからして批判的で、日々どう生き抜くかということのほうが、政治的意見を持つことよりも大切と考えている可能性がある。モンク=フォア彼らの指摘に対しても、若者世代は時代を追うごとに寛容でリベラルな価値を重んじるようになっており、年齢を重ねれば政治意識も変化するはずという反論もなされている。 

若年層の「保守化」は先進国に共通の潮流

 ただ、数字をどう解釈するにせよ、世代が移り変わることによって、政治的意識の変動が起きているのは間違いないようだ。日本を例にとれば、やはり注目を浴びた早稲田大学-読売新聞の世論調査(2017年)でも、中高年と若年層の政治意識が大きく異なっていることが明らかになっている。

 この調査では、「リベラル―保守」のスケールでその政党についての認識をたずね、その結果、18-29歳、30代、40代が「リベラルな党」と認識しているのが維新の党で、その反対にもっとも「保守の党」とされたのが共産党だった。18-29歳に限ってみると、維新の党に次いで「リベラル」とされたのは、なんと自民党であった。理由は何であれ、若年層の政治意識が過去のそれとは大きく異なってきているのは明白だ。

 2017年の衆院選において、18-19歳と20代の約半数が自民党に投票したこと(比例区、NHK出口調査)が驚きをもって報じられた。この年代では約4割が同党を支持していること(日経新聞調査、第2位の希望の党は1割)も話題になった。

 ちなみに、17年衆院選でもっとも自民党への投票率が低かったのは、60代の32%だった。政権支持でみると、財務省事務次官のセクハラ問題を受け、10・20代の7割が麻生大臣は辞任する必要がないと回答。反対に60歳以上では6割が辞任すべきとしている。(「『麻生太郎財務相辞任必要』世代別でクッキリ 高齢者は58%も若年層は26%/産経新聞・FNN合同世論調査」産経ニュース2018年4月23日

 解釈の余地は残るが、近年のシールズなどによるデモ参加などの印象とは異なり、いわゆる若年層の「保守化」は、先進国に共通する潮流であり、日本もそうした潮流のただなかに位置づけられるようにみえる。実際、日本を対象にした大規模な社会調査では、1990年代半ばと比べて、各世代の反権威主義的傾向の漸減が認められるが、とりわけ若年層(25-34歳)、しかも高等教育修了者のほうが、その度合いが高いことが確認できる(数土直樹編『社会意識からみた日本』)。

 こうした傾向を追認するかのように、文化人類学者の木村忠正は、文化心理学の見地から日本人の道徳的基盤(何が正しいかという感情)を調査・分類しているが、16-35歳の層で「リベラル」な価値観である「ケア」と「公正」を重視する人の比率は、上の世代の半分程度しかいないことを突き止めている(「『ネット世論』で保守に叩かれる理由」『中央公論』2018年1月号)。

最後の記者会見で念写真に納まる奥田愛基さん(前列左から3人目)らシールズのメンバーたち=2016年8月16日拡大最後の記者会見で念写真に納まる奥田愛基さん(前列左から3人目)らシールズのメンバーたち=2016年8月16日

 現状に不満だが変える意志はない日本の若者

 それでは、若年層の民主的価値からの離反が確認できるとして、それはいかなる理由によるのか。

 シンクタンク「Fondapol」による、米欧アジア中東など25か国の青少年(16-29歳)を対象にした調査(2011年)では、「自分の人生に満足している」とする若年層の比率は、各国平均77%に対して日本では45%に留まっている。若年層の2人に1人は不満を抱えているわけだ。経済的な不満(平均59%、日本75%)や仕事に対する不満(平均43%、日本60%)も高く、社会に不満を抱く傾向が総じて強いことがわかる。これと関連して、日本の20代と30代の死因のトップが自殺であることも想起されるべきだろう。

 一方、大学の無償化、健康保険が無料であること、失業給付などに賛成する青少年は少なく、個人への社会保障や機会の平等についての意識は、他国と比べて高くない。自分を「社会の一員と感じている」日本の若年層は64%で、これもまた各国平均の74%を下回っている。現状変革に対して受動的な点も特徴的だ。日本の若年層で、「選択・行動によって人は社会を変えられるか」という問いに否定的に回答した人は70%。これは25ヵ国中、ハンガリー(65%)に次ぐワーストランクだ。専門用語でいうところの「政治的有効性感覚」に乏しいと言い換えてもいいだろう。

 さらに、「政治団体の活動家になることについて興味があるか」という質問に対し、アメリカで21%、中国で33%、スウェーデンで23%が「あり」と答えているのに対し、日本で「ある」は10%どまり。社会の成り立ちが異なるとはいえ、政治に関与することには消極的な姿が浮かび上がる。

 現状に不満を抱えつつもそれを変える意思や自信がないのであれば、民主主義は機能し得ない。

将来の見えない若者の保守化は合理的

 最近の日本の社会学者の調査では、若年層の自民党支持が世代別にみて相対的に高いまま、非大卒の男性青年層を中心に自己肯定感や社会的積極性が相対的に低いといった指摘もある(橋本健二『新・日本の階級社会』、吉川徹『日本の分断』)。

 日本の若年層が現状に不満を蓄積させ、能動性に欠けているのは、様々な理由が想定できる。低成長のみならず、そのしわ寄せが若年層や非正規に直接的に及ぶ構造や、2009年の政権交代が失敗例として認識されていることなどが考えられる。

 最近のポピュリズム政治の支持者は、所得の多寡などではなく、将来を悲観している有権者であることが意識調査でわかっている。例えば、2016年のアメリカ大統領選でトランプに投票した人々の6割超は、「次世代の状況はいまより悪くなる」と考えているアメリカ人だった(CNN出口調査)。

 2011年の段階で、アメリカの35歳未満の若年層の純資産は、1984年時点の同世代のそれの3割に過ぎない。欧米諸国では、約6割の人々が、自分たちの子どもが自分たちほど経済的に良い生活を送れないと考えている。だが、日本でそう考える人びとは、実は7割以上と、群を抜いて高い(ピューリサーチセンター調査、2017年)。

 日本の若年層の可処分所得は大きく減ってはいないが、収入の平均値は下降し続けている。これまで日本の生活保障は、男性の正規雇用を前提に組み立てられてきた。こうした前提が崩れさり、脆弱(ぜいじゃく)な立場にあって将来の見通しが立たないとき、若年層が保守的になり、権威に従うようになるのは、むしろ合理的な態度とすらいえるかもしれない。

民主政治への信頼が失われる悪循環

 重要なのは、こうしたトレンドが、先進諸国を襲う「民主主義とのディスコネクト」の波と呼応していることだ。

 民主主義とは、社会の構成員一人ひとりが共同体の未来を統御するために、能動的に環境に働きかけていくことだとして、そうした意識の欠落は、民主主義そのものを劣化させていく。そして、民主政治を通じて社会構造は変えられるという「期待値」や「経験値」が失われれば、民主政治への信頼そのものが失われていく悪循環に陥ることになる。

 2018年は、世界中で学生運動が繰り広げられ、時代が大きく変転した「1968年」から半世紀に当たる。この頃であれば、教育を受けた若年層こそが変革の担い手であり、その結果としてマイノリティの権利や女性の自己決定権、社会権の拡充や環境権の尊重などの実現が目指され、実現されていった。

1968年の東大紛争で封鎖された東大法学研究所の前に集まる全共闘の学生たち=1968年12月23日拡大1968年の東大紛争で封鎖された東大法学研究所の前に集まる全共闘の学生たち=1968年12月23日

 ただ、若年層は権威に反発するものであり、反権力の砦(とりで)になるべきというのは、もはや稀有な時代として認識されつつある。それは、戦後の民主政治の発展と民主的価値の伝播(でんぱ)の中で形成されてきた意識に過ぎない。それも1960年代から70年代に政治意識を形成した、今の世代的多数派の規範意識だ。かつてナショナリズムやファシズムの熱烈な支持者となったのは、そもそも若年層ではなかったか。言い換えれば、若年層の保守化を指摘し、警戒し、批判すること自体が、もはや的外れとなりつつことを踏まえた上で、民主主義は議論されなければならないだろう。

先行世代がやらなければいけないこと

 政治のすべてを世代で占うわけにはいかない。しかし、若年層の意識は、数十年後のこの社会のあり方を決める「先行指数」でもある。それまでに先行世代がやらなければならないことは、沢山あるはずだ。

 少なくともそれは、下の世代に勝手な期待や失望を抱くことであってはならない。そうではなく、彼らを守り、導くこと。簡単に言えば、上の世代の責任を果たすことなのだ。その世代的責任を果たすことで、民主的価値もはじめて守られることになるだろう。

(本稿は2018年2月15日にパリ第7大学・フランス国立東洋言語文化研究所主催「社会科学と現代日本」シリーズでの報告をもとにしている。関係者に記して感謝する)


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筆者

吉田徹

吉田徹(よしだ・とおる) 北海道大学教授

1975年生まれ。慶応義塾大学卒。東京大学大学院総合文化研究家博士修了。学術博士。専門は比較政治、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(法政大学出版局)、『「野党」論』(ちくま新書)、『ポピュリズムを考える』(日本放送出版協会)、共編著に『ヨーロッパ統合とフランス』(法律文化社)、『政権交代と民主主義』(東京大学出版会)など。