嘆き、絶望し、彼は魔王となった 作:スペシャルティアイス
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また、たっちさんの外見は100%捏造です
街外れの人気のない場所に男女が二人、互いの体を寄せ合わせている。
こう聞くと何やら色気のある風に感じられるが、骨だけのアンデッドと血まみれの女がその当事者であれば先ほどの感想はまったく違う意味を持ってくる。
深夜の墓地、数え切れぬアンデッド、オーバーロードの腕の中で血反吐を吐きながら抵抗する女殺人鬼クレマンティーヌ。
「クソ、クソックソガァァァァァァ!!」
「そんなに暴れるな」
レベル100の腕力でゆっくりと絞め殺そう、己の中に残る苛立ちからそんな手段をとるため、モモンガから名を変えたアインズは腕に力を籠める。
「お前だって、あれを殺すのに時間をかけたのだろう?だから私だって、ゆっくりやってやるさ」
あの気のいい冒険者たち、漆黒の剣を殺された苛立ち、不快さを消化するために。
女のしなやかな筋肉越しの骨が折れる感触を感じたが、存外人間の肉体というのは脆いようで、必死に抗うクレマンティーヌの力も少しずつ弱くなっていく。その必死さが滑稽で、しかし煩わしく感じていっそ終わらせるかと考え直す。
「死の舞踊か」
少し、それこそ枯れ木を折る程度の力を更に腕に加える。それだけで柔らかなクレマンティーヌの筋肉の内側、臓腑の芯が爆ぜた。
その痛みというより衝撃によって、彼女の裡から断末魔と共に情念が迸る。
「あの虫野郎といいなんであたしより強いんだよぉぉぉぉぉぉ!!」
吐き散らされた血が夜の空気に散り舞い、鉄臭い香りがアインズの嗅覚をくすぐる。しかしそれも消え、後には静寂が残った。
生きていた躰を粗雑に取り落とし、今際の女が放った言葉を反芻してみる。
(この程度より強いというのもたかが知れている、か?いや油断するな。もしかしたら他プレイヤーの可能性は?またこの世界特有の強者という可能性、そうンフィーレアのような特殊な
そう考えるとこの女のもつ情報が惜しい気持ちが湧く。しかしそれを上回る動機が、アインズにこの死体を朽ち置かせるという選択肢を取らせた。
「それにしても虫野郎、か」
高レベルの昆虫NPCである恐怖公やコキュートスを思い出すも、いまだ拠点であるナザリック地下大墳墓から出ていない彼らをこの女が知っていたはずもない。では彼女の言った虫野郎とは一体?
(……今は残った仕事を片付けるか)
そう思い直したアインズは、青ざめた月光に照らされる霊廟の入り口に目を向けた。そこにいるだろうンフィーレア少年を助け、アンデッドの軍勢の原因を排除するという目的を果たすために。
夜半の月が輝くも、その光が差し込まぬ洞窟の中は血の臭いで充満していた。只人ならえずくその鉄臭さは、人外であるヴァンパイアにとっては恍惚へ誘う阿片の薫煙だ。
「くひゃっひゃっああはははっは」
男たち、野盗であろうその集団はたった一人、一匹の存在に蹂躙されていた。断末魔が輪唱し、反響したその叫びは幾重にもなって化物の耳に届く。
「いいねぇ、いいねぇええええええ!!」
そのたびに襤褸を纏い乱杭歯から長舌と涎を垂らした真祖、吸血鬼は嗤い狂う。もっと聞かせて、啼いて、私を悦ばせて!と。その化物、名をシャルティアというが彼女の常はこのような醜姿ではないのだが、久方ぶりの血に当てられ《血の狂乱》が発動してしまっていた。
攻撃力が上がり判断能力を失ったその姿はまさしく狂乱、しかしこの場に彼女を止められるものはいない。洞窟の中には大の男が数十人いたようだが、そのほとんどが血の池の一部分になって床を濡らしていた。
そうして奥へと進んだシャルティアだったが、ある男を一人取り逃がしたことに気づき痛恨の叫びをあげる。
「シャルティア様。複数の何者かがこちらに近づきつつあります」
下僕である吸血鬼の花嫁の報告にシャルティアは快哉を心の中で上げた。
洞窟の外には数人の冒険者、うち一人は若い女であった。その事実に好色なシャルティアは口角を上げる。吸血鬼が好むのは乙女の血と古来より決まっているのだ。
「殺したィ潰してぇぐちゃぐちゃにしたいぃぃ」
しかしシャルティアの脳裏に主人より言われた言葉がひっかかり、見えなくなった。主人であるアインズ様より仰せつかった“武技や
血の狂乱の衝動がシャルティアを煽る。“欲望を満たせ。鮮血で喉を潤せ。全てはお前の獲物だ”だから彼女は奔った。銀の武器を手に抵抗しようとした全てを、瞬時に首を刈り取りその血を舐める。
「甘いぃぃ」
特に赤毛の女の血は、恐怖が血にまで浸透したのか実にシャルティア好みの風味で笑みが止まらなかった。
この世界に来てからの初めての蹂躙に心を躍らせ、血の甘さに酔いしれたがゆえにその気配に気づくのが遅かった。
「真祖とは、久しぶりに見たな。ユグドラシルからの来訪者が現れ始めたか?」
「うあぁぁ?」
振り返ったシャルティアの目の前には鎧姿が一人。粗末な鎧と外套の切れ端が肩に乗り、腰の剣だけが輝いていた。その貧相な姿にも関わらずシャルティアは目が離せない。
「う、うそぉ……なんで、どうして」
暴走していてもなお感じた衝撃に彼女の瞳に輝きが戻っていく。ゆっくりと、その騎士に呆然と相対する。
目の前の人物から確かな上位者の気配を、主人であるモモンガ——今はアインズと名乗っているが——と同じものを感じたのだから。
わかる、わかってしまうのだ。なぜなら親ともいうべき至高の御方々の気配とは、それほどまでに圧倒的なものであり、彼らの被創造物であるシャルティアらナザリックの守護者にとっては心が暖かく満たされるものなのだから。
白刃が走る。
「えっ」
無防備にそれを受け止めたシャルティアの身体は小さな衝撃しか感じなかった。目の前の騎士は構えを取らぬままだったが、その手には先程まで無かった抜身の剣が握られている。
「っく、かっ……!?」
遅ればせながら地面を蹴って後方に下がり着地する、と同時にその両の肩口に血の珠が線状に走り鮮血が噴き出した。
「ぎぃいぃぃ!?」
「硬いな。竜王の頸より硬いとはレベルは80、いや90。所詮はこの武器ならこんなものか」
騎士は独り言をこぼしながら、肩口を抑えてうずくまるシャルティアへ近づく。
そんな騎士へ顔を上げた彼女の顔は普段の美少女のものに戻り、見開かれた瞳は濡れていた。
「な、なぜ……?至高の御方の気配がする、のにどうして、私を」
やっと会えたはずなのだ。アインズ様以外の至高の御方、このことをナザリックの皆に伝えればどれだけの歓喜に包まれるか。特に愛しいアインズ様がどれだけお喜びになるか。
廓言葉を忘れ、呆けながら涙を流すシャルティアへ再び剣閃が迫る。
「ギィィ!?」
今度は己の意思で確かに躱した筈だった、にもかかわらず身にまとった襤褸ごとシャルティアの身体に切れ目が走った。
「シャルティア様ァ!!」
追いついた吸血姫の下僕たちが身を挺して主人を害する者の前に立つ。
「やめろ!お前たちじゃ」
どさりと、倒れこむ音が四つ重なった。真っ二つになった二人の吸血姫の花嫁が地に伏した音だ。
この光景に目を見開いたシャルティアは手に己の武装、スポイトランスを握る。そして震える穂先で己の下僕を殺した騎士へと向けた。
「お、おまえは誰だ!?なぜ至高の御方の、ナザリック至高の四十一人の気を纏っているッ?!」
その言葉に騎士の歩みが止まった。
「ナザ、リック……?ナザリック、ナザリック地下大墳墓……アインズ・ウール・ゴウン。懐かしい、ギルドの名だ」
「ッ!?やはりおまえ、あなたは至高の」
身を乗り出したシャルティアだが、咄嗟にスポイトランスで防御する。目の前には己の首元に剣を振り下ろした状態で鍔競る騎士がいた。凄まじい速さで迫ったその斬撃は、レベル100であるはずのシャルティアであっても押されるほどの圧がある。
と同時に騎士の鉄仮面の目元から緑色の血がこぼれ、シャルティアの顔に落ちた。
「な、なんで……!?どうして、攻撃されるのですか!?私は、私はシャルティア・ブラッドフォールン!!ペロロンチーノ様に創造された守護者です!だからあなたの敵ではありません!!」
「ペロロンチーノ、ペロロンチーノ……あぁ……彼は、今もあそこにいるのか?」
「!??ペ、ペロロンチーノ様が何処に——きゃうッ!?」
戦闘の中で不覚にも期待に心臓を跳ねさせたその隙は大きかった。破城槌をうちつけられたかのような衝撃と共にシャルティアは吹き飛ばされ、勢いを殺せぬまま地面を転がる。口に土の味を感じながらも、シャルティアの心に苦いものは浮かばない。
「ペロロンチーノ様が、この地にいる……!!」
ペロロンチーノ様、地に伏したままにその名を口にすると驚くほどの勇気が湧き、その存在がここにいると自覚したとたんシャルティアの四肢に力が漲った。
彼女の足元が爆ぜる。と同時に騎士に向け槍を構えた突撃するシャルティアが見えた。
「ハァァァァッ!」
「シッ!」
騎士はその渾身の突きをいなし、受けた勢いを利用した薙ぎ払いが今度こそその細首を刎ねんと迫る。しかしシャルティアは、その膂力でもって無理やり握り上げたスポイトランスの柄頭でその一刀を受け止めた。人外の動体視力と剛力による受けであったが、騎士もまた常人離れした反応速度で間合いを詰め彼女の腹部に膝蹴りを叩き込む。
「ッ!?」
華奢な少女の体躯がくの字状にかしぎ腹部が膝鎧の形にへこんだ。どんなに頑丈な生き物でも、内臓にダメージを受け無理やり呼気を吐き出させられればその動きを止めてしまう。それは呼吸を必要とする生物では避けられぬものだ。
「クアァァァ!!」
「!?」
しかしシャルティアはアンデッド、その血は冷たく内臓器官は初めから機能していない吸血鬼だ。ゆえに生物なら生じるはずの隙は生まれず、騎士の胸へ向け槍を突き込んだ。
剣で受けるにもその一槍の勢いはそれで止められそうもなく、かといっていなすには膝蹴りを加えた直後で体勢が整っていない。そのため騎士は体を捻ってシャルティアの一撃を躱さんとしつつ、剣を持たぬ片手で槍を弾き飛ばそうと振るう。
「ぐっ」
アダマンタイト製の籠手ごと切り飛ばされた騎士の手首から先が宙に舞うが、その槍の穂先は騎士のこめかみを少し掠るに留まった。
片手を失った相手に追撃せんとシャルティアは腕に力を込める。
彼女が至高の御方の気配あるものにこうして攻撃を重ねられるのには理由がある。一つは彼女の“頭がよくない”という設定。頭がよくない、単純だからこそ目の前の戦闘に全力で向かうことができる。目の前の人物は何か深い思惑のもとに動いているのかも、はたまた人質をとられ不本意な戦闘を強いられているのかも。そうした余計な思考を彼女は抱かない。何故なら創造主にそう設定されたから。
そしてもう一つの最大の理由が。
(ペロロンチーノ様っ)
ペロロンチーノ、爆撃の翼王と呼ばれた遠距離戦のエキスパート。その一射から逃れえるものはなく、九陽を墜とした武神の弓を手に戦場を支配した者。シャルティアの創造主であり、他の何者をもっても替えがきかぬ存在。それはナザリックに残られた慈悲深き彼の存在であっても例外ではない。
「貫けえぇぇぇ!!」
「……不味い、か」
アインズかペロロンチーノ、二つのうちの一つをとれとなれば、彼女は血を吐き懊悩しつつもペロロンチーノを選ぶだろう。それほどまでに至高の御方、その中の己が創造主という存在は重いのだ。その存在の情報、それは彼女にとってどんな美姫や享楽よりも優先され、正体不明の至高の御方?を相手にしても戦闘できていたのはそのためだ。
そしてシャルティアの全力の一撃を、ヒビの入った兜と片手の剣でもって騎士は迎えようとする。
『虫よ、“盾”を使うことを許可します』
何処からか聞こえた少年の声が耳に届くもシャルティアの一撃は止まらない。躊躇なく突き込んだ槍の感触に固いものが混じり、そして彼女は吹き飛んだ。
「ぐうぅ……ゲホッガハァッ」
先ほどの吹き飛ばしとは比にならないダメージがシャルティアの全身を貫く。水平に飛んだ体が数本の木々を薙ぎ飛ばしようやく止まった時、シャルティアの意識は強制的に朦朧となっていた。
(う、そ……これ、
耐性によりすぐに頭を振って意識を取り戻し、彼方に見えた騎士と初めて見る人間を目にシャルティアは体を起こそうとし、動けなくなった。
隻腕の騎士の手には剣ではなく円盾が握られ、祈りを捧げる女神のレリーフの周囲に無数のルーンが刻まれたその盾は間違いなく一級品である。そしてその騎士に某か話しかける長い黒髪の少年、人間らしい。
「あ、あぁ……!?そんな、嘘……あの顔、あれは」
しかしそれらにシャルティアは動きを止めたのではない。
ひび割れ零れ落ちた金属片が騎士の足元に散らばっていた。砕けた兜、そのアダマンタイトの欠片に反射した月光が揺らぐ。騎士の素顔は昆虫らしい黒いキチン質の甲殻に銀の筋が走り、光のない赤い複眼から止めどなく緑血が流れたものだった。
「たっち・みー様……たっち・みー様、なのですか?!」
叫ぶように呼び掛けるも騎士は意に介さず、流れる血涙をそのままに盾を構えシャルティアへ跳んだ。蹴った地面が爆砕し轟音を伴った衝撃が円上に周辺を薙ぎ広がる。しかしその衝撃波よりも早く、盾を構えた騎士が超音速でシャルティアに突っ込んできた。
莫大なエネルギーを乗せたその突貫をシャルティアは避けようとし、思い返す。
(さっきからの攻撃、もしかして必中効果のあるスキル?であればこれもっ)
回避した後のリスクを考え、騎士の一撃が己に届く瞬間に備えた。日に二度しか行使できないスキルだが、ここが使いどころだとシャルティアは確信する。
「不浄衝撃盾!」
シャルティアが翳した手の先に赤黒色の力場が顕れ、しかし騎士は躊躇なくそれに突き進む。
最高の盾の防御と最強の盾の攻撃が触れ合い、爆ぜた。莫大なエネルギーの衝突に大気が震え、周囲の地形を巻き込んだ衝撃波が二人を震源地に大地を蹂躙していく。
その中で騎士の攻撃をシャルティアは凌ぎきった。自分へ向かってくる圧が消え、開けた視界には蜘蛛の巣上にヒビの入った盾を構えた姿勢のまま静止する騎士の姿。
「これで、終わりですねっ」
まずは相手を行動不能にしようと槍を突かんとして、
「そう。これで終わりだ」
「……えっ?」
澄んだ音と共についに破損する盾。しかし砕け散って宙を舞う破片が光り出し、再び騎士の腕で一つとなって実体を持たない光の盾となる。
「《
生じるはずの遅延もなく、先ほどと同じ攻撃がシャルティアに迫り、直撃した。
「……っぁ」
完全装備でない襤褸のままに受けたその一撃は強烈だった。声も出せないまま、今度こそ完全な《
薄れゆく意識の中、彼女は目の前のたっち・みーに手を伸ばす。
(アインズ様、そしてペロロンチーノ様……ごめんなさい)
ナザリック最強の一人にして、純銀の聖騎士と呼ばれたワールドチャンピオン。かつては最前線にて仲間の盾として攻撃を受けつつも、数多の敵をその剣技で切り伏せた勇姿。
しかし薄汚れた姿と粗末な装備の目の前の御方はあの頃とは余りにかけ離れ、完全ではないシャルティアに手を切り飛ばされ満身創痍になるほど弱っていた。その事実が、場違いではあったがシャルティアは悲しかった。
そして絶えず血涙を流す姿が、彼が悔恨のあまり泣き叫んでいるように見えて更に悲しみが誘われた。
(たっち・みー様。なぜ、貴方は泣いておられるのですか……?)
その思いを抱えながら、シャルティア・ブラッドフォールンの意識は闇に沈んでいった。