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2018/6/16

国民が正しい判断を下せる「竹島」に関する真実の情報  Ⅸ増田の部屋
 ◆ 外務省(日本政府)の「竹島」主張はフェイク(嘘)だらけ!? (『さようなら!福沢諭吉』)
増田都子


「改正日本輿地路程全図」(1846年)(明治大学図書館所蔵):外務省HP

 1、はじめに
 私は東京都の公立中学校の社会科教員でした。教員歴33年目の2006年3月31日、石原慎太郎配下の都教委によって「公務員不適格」として分限免職されました。それは、ノ・ムヒョン大統領の05年3・1演説を教材にして、侵略と植民地支配の過去を持つ日本が本当に韓国と和解するためにはどうしたらいいか、授業で生徒に考えさせたからです。
 その中で関連して、都教委や右翼都議が大好きな扶桑社教科書(後継が育鵬社教科書)は「日本の侵略戦争を自衛の戦争と書く『歴史偽造』の教科書です。」と事実を教えたのです。


 それをもって「検定済教科書と都議に対する誹謗を生徒に教えた。」と「東京都教職員研修センター」と称する教員ラーゲリに隔離収容・軟禁され、6ヵ月の間、四六時中「反省」を強要されました。
 で、「反省すべきは私ではなく、歴史偽造の扶桑社教科書を教師や市民の反対を無視して採択した都教委である。」と主張したので「反省しないため、改善の見込み無し。公務員不適格」というのです。詳細は、ぜひ『たたかう! 社会科教師』(社会批評社)のご購読を!

 国内では産経新聞が「やっと偏向教師が首になった」という報道をしてくれた以外は、ほとんど報道されなかったのですが「ノ大統領演説を紹介し、扶桑社教科書を批判した教師が免職された」ということで、韓国では大きく報道され、たくさんの励ましをいただきました。
 中でもノ大統領の同志だった方が主宰される釜山の市民団体とは現在でも交流が続き「この夏、ぜひ『日本の竹島教育』の現状について話してほしい」というリクエストをいただきました。

 2、外務省(日本政府)HPにある竹島(韓国名:独島)についてのフェイク主張!?
 そこで、ネットなどで「竹島授業」について指導案などを検索してみました。ヒット数は少ないのですが、やはり、日本政府の主張そのままを教えている(教え込んでいる)のです。
 教員たちが、授業で資料として生徒たちに配布しているのは、ほとんどが外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_kinshi.htmlに掲載されている「日本の領土をめぐる情勢『竹島』」からとったものでした。

 一例を挙げますと「竹島の認知」として「経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の『改正日本輿地路程(よちろてい)全図』(1779年初版)のほか,鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。」とし、明治大学図書館所蔵の弘化3年(1846年)の地図を載せています。
 確かに、これには竹嶋(現:鬱陵島)・松嶋(現:竹島=独島)を隠岐と同じ黄色で着色してあり、経緯線もあります。で、教員たちは生徒たちに「ね、江戸時代から、竹島は日本の領土だったんだよ」と教えるわけです。

 そこで、私は明大図書館に行って、原図を確認しようと思い立ちました。ところが「卒業生でもない一般市民には、その近くの図書館の紹介状が無いと図書館に入れない」というのです。
 で、何か、簡単に入れるテはないか? 「そうだ、安川寿之輔さんは大学の先生だから何かツテがあるかも」と思い相談しましたら、彼の大ファンの明大卒業生を紹介してくれました。
 そこで、卒業生の方の後ろに隠れて入れるかな(笑)と思いましたが、そんなに甘くなく、やはり、私の居住地の市民図書館に紹介状を書いてもらいました。発行まで1週間くらい…心細いので明大卒業生の方にも一緒に行っていただき助けてもらいました。お二人には感謝!

 そして、調べてビックリ! 明大図書館蔵の「改正日本輿地路程全圖」は全部で17枚もあったのです。
 そのうちの2枚だけが外務省HPに載せてある弘化3(1846)年のもので、あとの15枚のうち、全体着色なしのもの、つまり、竹島・松嶋の所属は不明の2枚を除くと、残りの13枚は竹嶋(現:鬱陵島)・松嶋(現:竹島=独島)の部分には緯度経度を入れず、朝鮮と同じ白色にしており、しかも、そのうち4枚には「官許」という文字が記載されていました。

 つまり、同HPに載っている赤水地図は「官許=江戸幕府の許可」の無いもので、海賊版なわけです。

 どちらを採用するべきか、常識的判断力があればすぐわかるのですけど、普通の人=普通の教員は「外務省HPに載っている」ということで信用してしまいます。
 それで、教員はこの海賊版「改正日本輿地路程全圖」を生徒に見せて「ほらね、江戸時代から日本のものだったんだよ。なのに、今は韓国が不法占拠してるんだよ。」と教えるのです。
 当然、生徒は「韓国って悪い国だ」「江戸時代から日本のものなんだから、日本に返してもらいたい」「韓国が嫌いになった」となるのです…。

 同HPに記載の「長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』(1779年初版)」については、弘化3(1846)年のものと同じく現在の鬱陵島・竹島を隠岐と同じ黄色で着色してあり、経緯線もありますが、実は赤水は1791(寛政3)年に第2版を出しており(これが赤水による完成版)これは、両島を朝鮮と同じ白色にし、経緯線もありません

 外務省=日本政府は「竹島は江戸時代から日本の領土だった」という主張に反するものは、有るものを無かったことにするのです。
 現在のアベ政権の公文書改竄・隠ぺいは「日本政府の伝統文化」でしょうか…。

 3、外務省の名乗らずの担当者(職員たち)はシャーシャーとフェイク(嘘)を述べる!?
 さらに私は外務省に電話しました。実は5~6回、電話したのですが、「竹島」担当者は席を常に外していて、ついに出てきませんでした。
 電話に応対した、その都度、違う人物に名前を聞いても「名前は名乗らないことになっている」とヌカシました(笑)。

 ラチがあかないので、途中から「さあ、私の質問をメモしてください。そして、必ず担当者に答えを聞いてメモしておいて、増田から電話がかかってきたら誰が出てもそれを読んでくれるようにしといてくださいね。」と念を押しました。
 結局、電話をかけ始めてから2週間くらいたった本年4月11日、やっとこさ、以下のQ&A が成立(笑)。
 Q:外務省ホームページに「竹島の領有」において「我が国は,遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには,竹島の領有権を確立しました。」とあるが、どこの藩の領地だったのか? 天領だったのか?

 Aどこの藩(の領地)というわけではなく、ウルルン島への渡海権をもって竹島を利用していた経緯があり、日常的に(渡海が)行われていたことを踏まえて17世紀半ばには領有権を確立していたと考えられる
 ()内は増田
 江戸時代、竹島=独島は「どこの藩(の領地)というわけではな」いし、天領=幕府直轄地でもないけど、漁師たちが「日常的に」行ってたので(これも真赤な嘘!?)日本の領土と「確立していたと考えられる」から、「日本固有の領土なんだ」!? と、日本外務省=日本政府は主張するのです。
 江戸時代に、どこの藩の領地でもなく天領でもなければ、日本の領土なわけない、です。普通に判断力があれば、誰だって理解できると思うんですが…。

 実は『竹島(独島)・ウルルン島(鬱陵島)』については江戸時代に朝鮮政府と「領土紛争」が起き、江戸幕府は「元禄竹嶋一件」「天保竹嶋一件」と2度にわたり「日本の領土ではない」と宣言している事実があります(この「竹嶋」は現:鬱陵島)。

 「元禄」については、漁に行っていたのは鳥取藩米子の商人たちだったので、幕府は鳥取藩の領地だと思って同藩に質問し、その回答が残っています(鳥取県立博物館蔵)。
※1695年12月24日付質問書(御尋の御書付))
「 一 因州伯州に付けている竹嶋(鬱陵島)は,いつから両国に附属することになったのか。
  一 竹嶋の外に因伯両州に附属する島はあるか。」

 鳥取藩の翌12月25日付回答書
「一 竹嶋(鬱陵島)は因幡・伯耆の附属ではありません。
 一 竹嶋 松嶋(現:竹島=独島)外 両国(因幡・伯耆)の附属の島はありません。」
 日本政府=外務省は、この文書を知っていますが、国民には隠しています
 「竹嶋(現:鬱陵島)と松嶋(現:竹島=独島)が鳥取藩(因幡・伯耆の二国を領地とする)の領地ではない」ということは、日本の領土ではない! ということです。封建社会にあっては土地はどこかの大名のものか天領です。念のため幕府は松江藩にも聞いていますが、松江藩も関係ないという返事でした

 そこで幕府は外務省HPの記載にあるように「『鬱陵島を日本領にしたわけではないので,ただ渡海を禁じればよい』と朝鮮との友好関係を尊重して,日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定」します。
 同HPはその後に「その一方で,竹島への渡海は禁止されませんでした。」と記載します。
 確かに、この時の幕府の渡海禁止文書には「竹嶋(鬱陵島)」という文言しかありません。しかし、鳥取藩が「竹嶋(鬱陵島)も松嶋(竹島=独島)も自国領地ではない」という回答をした上での幕府決定なのですから「日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定」には、当然「竹島への渡海」禁止も含んでいたのです。

 現に池内敏氏の「国境未満」(『日本史研究』15年2月号)には、幕府と米子商人のやり取りについて、以下のような一級史料が紹介されています。
 「次ニ御尋之趣、竹嶋・松嶋 両嶋 渡海禁制ニ 被為仰出候 以後ハ」(元文5(1740)年の文書)、
 「私共儀、元禄年中 竹嶋・松嶋 両嶋之渡海禁制ニ 被仰出候以後ハ」(翌年の文書)
 現在の日本政府(外務省)の言い草ときたら「『廊下を走るな』と書いてあるけど『下駄箱の所で走るな』とは書いてないから、下駄箱の所で走ることは禁じられていない」と言って走り回る悪ガキと同レベル!? 

 しかし、こうした「竹島に関する真実と日本政府(外務省)のフェイク(嘘)主張」について、日本のマスメディアは絶対に取り上げません
 なんとか、国民が正しい判断を下せるように真実の情報を広く知らせたいですが…

『さようなら! 福沢諭吉 第5号』(2018年)
タグ: 増田都子


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