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筆者
デボン・ブキャナン

デボン・ブキャナンさんはUK在住のアニメ初心者。
フィクションを通じて自分や他人のことを知ることが大好きなためフィクションに入り浸っていたが、他の人にもフィクションを通じて自分や他人のことを知ってもらう手助けがしたいと思うようになった。 現在ヘルスケアの仕事のための訓練を積んでおり、成人後に自閉症と診断される。
記事ソース:Anifem
ヴァイオレットエヴァーガーデンにおいて私の自閉症の体験を最も鮮やかに反映しているシーンはヴァイオレットが試験に落第するシーンです。作品の主人公であるヴァイオレットは自動手記人形になるために訓練を重ねています(通常”ドール”と呼ばれる)。彼らは読み書きが一般的でない社会において手紙を書くために雇われており、感情を巧みに見極めて文章で表現することも求められています。

訓練の間、ヴァイオレットは文法や語彙などのルールに基づくスキルには能力を発揮するものの、言葉の裏に隠された意味を見極めなければならない試験では不合格となってしまいます。このスキルは他の生徒が無意識にこなしている一方で、ヴァイオレットは苦手だと自覚しているスキルです。 ヴァイオレットは合格した受験者のリストに自分の名前が現れるのを待つも、一度もその名が呼ばれることはなく不合格を悟ります。

私と同じく、ヴァイオレットは大抵の人間が無意識にこなしているスキルをこなすことに対しいつも困難を抱えてきました。 そしてまさに私がそうであったように、ヴァイオレットは重要な試験に落第したことを悟りました。 あのシーンには当時の自分のような感情を覚えます—孤立し、上達も達成も決して望めないのではないかという恐怖に怯えていました。

ヴァイオレットも同じ心持ちのようです。他の生徒が自らのキャリアの中で次に何を始めるのかを議論する一方で、ヴァイオレットは黙りこんで座っています。 その後ヴァイオレットはこう尋ねます。「私は良きドールになれるのでしょうか?」

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ヴァイオレットとルクリアは橋の上を歩いていく。
ヴァイオレットは「以前も同じような事を言われた事があります。」とルクリアに語る。

実際ヴァイオレットはドールになりますが、そのいきさつがこの作品の前半5話に渡り重要なテーマとなります。5話までのストーリーの中で、ヴァイオレットは自閉症の人が共通して経験する困難や振る舞いを肯定的に演じています。そしてヴァイオレットはどのようにドールになるのか、その過程は障害者の権利運動における重要な概念 ─ 障害の社会モデル ─ を反映したものとなっています。
障害の社会モデル: 障害者が障害を負っているのは社会に原因があり、その人個人の問題ではないという考え方のこと。後者の考え方を医学モデル(個人モデル)と呼びます。
医学モデルにおいて要求される個人への負担や責任の大きさを社会モデルは批判しています。

自閉症とは、社会との関わりや言葉の使用や理解において生涯にわたり困難を抱え、具体的なもの、あるいは珍しいものに関心を持つ状態を指します。社会的スキルやコミュニケーションスキルは大抵の人が無意識の内に習得しこなしているものの、自閉症の人々には不可能であるため上記のような困難が多数生じます。

自閉症の人は互いに共通の特徴があるものの、どういったことが困難なのか、そして深刻さの度合いはさまざまです。そのため自閉症はしばしばスペクトラムと称されます。作品全体に渡り、ヴァイオレットは自閉症の人々に共通して見られる症状に似た振る舞いをいくつか見せています。

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ヴァイオレットは客の腕を背中に回して押さえつけ、「具体的且つ、適切な指示を速やかにして下さい。」と求める。客に襲いかかるという振る舞いは、ヴァイオレットが見せた社会的に不適切な振る舞いの中でも最も極端なものだった。 

まず第一に、ヴァイオレットは社会的に適切な形で振る舞うことに困難を覚えています。社会的な行動のための暗黙のルールに従うことが困難であるため、自閉症の人は社会的に不適切な形で振る舞ってしまうことがあります。 自閉症ではない人はふつう教えられなくとも学んで適応しますが、自閉症の人は適応すべき場合でも常にこういったルールから学ぶことはなく、気づくこともありません。

怒った顧客に対する謝罪の手紙をエリカ(もう1人のドール)と2人で書いているときも、ヴァイオレットはこのような振る舞いをするようです。 手紙を書いている途中で突然客がむせび泣き始めたのにヴァイオレットは「業務が滞りますので即座に泣くのを中断して下さい」と言います。客とエリカは共にショックを受け、ヴァイオレットはのちに客が不満を漏らしていたことを知ることとなります。

大抵の人はこの状況では「誰かが泣いていたら思いやりの言葉をかけるべき」というルールに従うべきだということに賛同するでしょう。ヴァイオレットがこのルールを破った理由は明かされませんでしたが、その淡々とした口調からはルールの存在や自分の行動が社会的に認められないものであることに気づいていないという印象を受けます。ヴァイオレットの振る舞いは自閉症の人に共通の問題を反映していますが、ヴァイオレットがそうであったようにこの問題は雇用上のトラブルを引き起こす可能性があります。

ヴァイオレットの言葉の解釈もまた、自閉症的な振る舞いを示しています。言葉が使用される際には文字通りの意味に加え言外の意味が含まれることが多いため、自閉症の人は言葉を解釈するのに苦労することがあります。

自閉症の人はこのような言外の意味を把握することが苦手な傾向にあり、言外の意味を汲むことを期待されている場合に額面通りの解釈してしまうことがあります。言外の意味に気づくことができないのは自閉症に限った話ではないのは明らかですが、自閉症の人はそうでない人に比べてはるかに影響を受けやすいのです。

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ガス灯の明かりの下でヴァイオレットは中佐に向き合い、困惑した表情で「燃えていません」と伝える。「燃える」という言葉の比喩的用法もヴァイオレットは理解することができない。

先に述べた試験では、ヴァイオレットは言外の意味を見分けることに困難を感じていました。 試験においては、クラスメイトのルクリアに手紙をかくことでルクリアの感情を読み取り表現しなければなりません。 ルクリアは手紙の宛名を両親にして、お礼を言えなかったことや両親と一緒に行きたかった場所(なぜか過去形)のことを話しながら、悲しんでいるのかもしれないということを暗に伝えました。

ヴァイオレットはこの言外の意味に気づくことが出来ず、ルクリアの話を額面通りに受け止めて次のように手紙を書きました。
「一緒に行った場所、行きたかった場所に関して、伝えるべき情報は無し。」
ヴァイオレットのクラスはこれに驚き、先生は「手紙とは呼べません。」と言います。先生やクラスの反応から判断するに、ヴァイオレット以外の人はルクリアの言外のメッセージを当然理解するものだと考えていました。ヴァイオレットの失敗はドールとしての資格がないことを意味していました。

最後に、ヴァイオレットの非言語コミュニケーションの不足は自閉症の特徴を反映しています。非言語的コミュニケーションを構成するものは、大抵の人が何かしらの意図、特に感情を伝えるために無意識に用いている表現やジェスチャーです。自閉症の人がこれらを用いる頻度は非常に少ないのです。
非言語コミュニケーションとは、言葉以外の手段によるコミュニケーションのことである。人間は非言語的コミュニケーションを、顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって行っている。また、非言語コミュニケーションには身振り、姿勢、表情、視線に加え、服装や髪型、呼吸、声のトーンや声質などの種類がある、とも。(Wikipediaより)

作品を通してヴァイオレットが目に見える形でいくつかのジェスチャーを使ったり表情を変化させるのは、非常に強烈な感情を経験したときに限られています。他のキャラクターは感情を示すためにさまざまな表情やボディランゲージを用いているため、これは明らかに意図されたものです。 ヴァイオレットの非言語的コミュニケーションの不足はクライアントであるシャルロッテ姫が「もう少し表情豊かに話せないの?」と不満を漏らした際にもはっきりと触れられています。

(中略)

さらにこの作品では、他人に対する思いやりがないとか感情を持っていないといった自閉症に関する誤解を促さない配慮がなされています。ヴァイオレットは障害という特徴しか持たないステレオタイプな人間ではなく、さまざまな性格的な特徴や動機を持っています。

自閉症の症状を描いたものがヴァイオレットであるという解釈しかありえないわけではありません—シャイで他人を理解するのが苦手な人として捉えることもできます。現実世界における両者の経験や振る舞いは非常に似通っているため、この作品ではどちらの解釈も可能になっています。このような人物像を正確に描いて彼らに対するポジティブな見方を促すことは両者にとって有益なのです。

(中略)

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ガス灯の光が水たまりに反射する中で、エリカは「自動手記人形に向いていないのは私の方だ。」と語る。 自閉症には見えないキャラクターですらヴァイオレットに自分自身の一部を見出している。

ヴァイオレットの自閉症的特徴はドールとしてのキャリアを追求する中でさまざまな問題の種となりますが、ほとんどのエピソードで相手の本当の気持ちを上手く手紙に表現することができています。障害を持った人がどうやって苦手なことを上手くこなすか、といったお決まりの展開は数多く存在します。障害が治るかもしれないし、並外れた努力によって障害を「克服する」かもしれない。ヴァイオレットは先のような理由で上手くやれませんが、その代わりにヴァイオレットの成功は障害の社会モデルを表現しています。

障害の社会モデルは経済的、身体的、文化的バリアーによって障害者の社会への参加が妨げられているという視点を重視しています。 このモデルは機能障害(impairment)と能力障害(disability)を区別することでこの視点を重視しているのです:機能障害は生物学的な差異や制限のことを意味します。一方で能力障害は社会の作り出す不利益であり、機能障害とは馴染みません。

これらの定義は万人に受け入れられるものではありませんが、ヴァイオレットエヴァーガーデンは障害にまつわる思い込みに対してしっかりと疑問を投げかけています。 能力障害は機能障害の必然的な結果であるという考え方や、社会の仕組みを変えることなく接するのが障害への対応の仕方であるべきという考え方にも疑問を呈しています。

先に述ベたヴァイオレットの人付き合いや、言葉、非言語的コミュニケーションにおける困難は機能障害です。前半5話の中で、ヴァイオレットはドールとして社会に参加しようと努力しますが、大抵上手くいきません。これが能力障害です。しかしヴァイオレットの能力障害は一度も機能障害の必然的な結果として見なされたことはありませんし、ドールとして成功した際には一貫して社会の変化によってバリアーが上手く取り除かれたことが要因となっています。

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エリカは「なにも辞めさせることはないと思います。」と中佐に懇願する。

まず初めに、ヴァイオレットの雇用者と同僚は機能障害に気付いていましたが、それでもドールになれると断言しました。例を挙げると、クライアントがヴァイオレットの振る舞いに不満を漏らした際、アイリスは会社の評判を守るためにヴァイオレットを辞めさせるよう上司に訴えました。上司とエリカのどちらもヴァイオレットの長所を挙げたりいずれ学習して改善できると信じていると言って、訴えを拒否しました。

厳密に言えば自閉症と無関係ではあるものの、タイプライターには身体を変化させる役割(バリアーを取り除く)としての機能があります。これまでヴァイオレットは両腕が切断された状態であったため、代わりに精巧に作られた機械仕掛けの義手を使っていました。ドールとしての訓練を始めたとき、ヴァイオレットはこの義手では器用にペンで字を書くことができないことをはっきり説明していました(機能障害)。しかしこのことはドールになるための能力には影響しませんでした。ドールは常にタイプライターを使用しており、ヴァイオレットの腕はタイプライターを操作できたからです。

ヴァイオレットとは異なる機能障害を持った人にとってもタイプライターはバリアーを取り除いてくれます。これに該当するのは、あるエピソードの終盤でエリカがタイプライター発明のストーリーを語るシーンです。このシーンでは、タイプライターは小説家である妻の目が見えなくなっても執筆できるように夫が発明したものであるとエリカが解説しています。

ヴァイオレットは最初の手紙を書く試験に落第した後にしっかりとドールとしての資格を得て、ドールになるという目標を実現しました。これは言外の意味を理解することが難しいヴァイオレットに合わせて、周りの人たちがよりはっきり気持ちを伝えるようにしたからです。 ルクリアはドール学校でヴァイオレットに再開した際に、両親は戦争で亡くなっており、兄弟のスペンサーは両親の死に責任を感じていることを説明しました。ルクリアはスペンサーが戦争を生き延びたことが嬉しかったと伝えて罪悪感を和らげたかったものの、ヴァイオレットにはそれができませんでした。

ルクリアがよりはっきりと気持ちを伝えたところ、ヴァイオレットは手紙に表現することが出来ました。このおかげでヴァイオレットはドールとしての資格を得たのです。このおかげでヴァイオレットは感情を文字にする方法や率直に気持ちを伝えてもらうための励まし方を学ぶことができたという印象もこの作品からは受け取ることができます。

(中略)

いずれの場合においても、障害の社会モデルがテーマになっています。ドールはペンを使うべきだとか、無意識のうちに言外の意味を理解できるといった思い込みは、ヴァイオレットがドールになる上でバリアーになっていた可能性があります。

実際そうはならずに、労働環境のおかげでヴァイオレットはドールになることができました。ヴァイオレットは一個人として学び、変化したのです。これを実現できたのは社会が変化してヴァイオレットを受け入れることができたことが大きな要因となっています。

しかし、このアニメの障害の社会モデルの描写は必ずしも一貫しているわけではありません。まず第一にヴァイオレットがドールの試験に落第した後、資格取得の手助けをしたのは友人でした。ヴァイオレットの通っていた学校は、ヴァイオレットに合った教え方をすることはなく、一度も疑問視したり異議が唱えられることはありませんでした。次に、ルクリアの兄弟のスペンサーはいくつかの機能障害(左足が麻痺しており、アルコール中毒と思われる)を抱えていましたが、視聴者はスペンサーのことを気の毒に思うよう促されただけで、スペンサーの障害の一因となっている社会構造に対して疑問を投げかける方向には行きませんでした。

さらに注目すべき点は、障害を理解するために障害の社会モデルそれ自体が用いられることは稀だということです。社会的バリアーを特定して除去することに加え、障害者のための活動家は機能障害を適切に取り扱うことを求めており、機能障害は「制限」ではなく健常者のバリエーションの一つなのではないかという問題提議もしてきました。それにもかかわらず障害の社会モデルは大きな影響力を持っており、未だに障害に対する社会の役割に関心を集めるための便利な方法という見方から脱却できていません。

自閉症の人にとっては、障害の社会モデルが描かれることは特に意義深いことです。自閉症は治癒できない—つまり、自閉症的特徴を持った人はずっとそのままなのです。 しかし自閉症は治療することができます。ヘルスケアのプロによる治療も提供されていますが、自閉症の人が十分に社会に参加するためには、彼らがヴァイオレットのためにそうしたように学校や職場や文化におけるバリアーをまとめて取り除く必要があります。

ドールの試験に落第したヴァイオレットを見ると、同じような状況で試験に落第した時の感情を思い出します:孤立し、上達することも何かを成し遂げることを決して望めないのではないかという恐怖に怯えていました。ヴァイオレットエヴァーガーデンは架空の物語ですが、ヴァイオレットと自分が良く似ている点や他人のことを上手く理解できているヴァイオレットの姿を見ていると自分にも自信が湧いてきました。自分にも上達したり成し遂げることができるのではないかと思わせてくれたのです。
ヴァイオレットが自閉症だと考えたことはなかったな
彼女の振る舞いは兵器として育てられ、一度も感情について教えられなかったことが招いた結果のように見えたからね
でもそう考えてみた方が納得の行くシーンがいくつかあるね
どのみちちゃんとした答えはないだろうけど、ヴァイオレットがスペクトラム障害だと解釈することが極めて妥当であることは間違いないと言っても良いだろうね

それにとにかくこのアニメは最高だよ
戦争を題材にしたアニメは数多くあるけど戦争の後の生活で人々がどのように困難に対処しようとするのかを題材にしたものはほとんどないんだ
ヴァイオレット自身にはなかなか普段の生活に慣れることができない兵士の側面もあるんだよ
障害の社会モデルは一度も耳にしたことがなかったけど、このテーマに関して考えたり話したりするにはすごく興味深い枠組みのようだね
この記事を書いてくれてありがとう ヴァイオレットエヴァーガーデンは大好きだよ 
この作品について異なる観点からの意見を見たり、みんながこの作品とどのように関わりを持っているのかを耳にするのはクールだね
素晴らしい記事だね!自分も自閉症だからヴァイオレットには始終非常に共感したよ
自分の他にもヴァイオレットを自閉症だと受け取っていた人がいて嬉しいな

この記事を読むまでは障害の社会モデルには馴染みがなかった(あるいは少なくとも専門用語自体を知らなかった)から、勉強になったしこういう視点からこのアニメを捉えるのはクールだったよ