女装かくれんぼレポート

目的:女装している人を探している人々の中で自分の性別がどう認識されるか調査する。女装して出かけていくら違和感を抱かれたとしても、それを指摘されることはほとんどあり得ない。そこで、リスクを抱えつつも女装を指摘することが許されている環境を作り、その中での被験者の行動を観察する。

実験方法:#女装かくれんぼ でタグ検索すればわかるので省略。一人が女装を指摘した後、そこで騒ぎが起こることで連鎖的に女装が指摘されることを回避するように配慮した。

実験結果:自然に指摘されたのは4人(このうち2人は過去に私が女装したときの写真を見ている)。その後は測定不能な人数に不自然に指摘された。過去に女装写真を見ていない場合、注意深く見ないと男性だとは認識されないようだった。以下では今回の実験に参加した人たちの感想のうち、一般的な女装に役に立つと思われる意見を挙げる。※N...自然に指摘した方の意見  U...不自然に指摘した方の意見 a...既に女装写真を見たことがある  y...女装写真をみたことがない

・第一印象が男っぽく、足や歩き方では判別できなかったが顔を見て分かった(学食にて指摘Ny)

・先入観がないと気付けるか怪しいが、女装している人がいると分かっているとウィッグに違和感を感じた(Uy)

・ウィッグの色や質感が不自然、髪形も今ではあまり見ない(Ua)・服装も違和感があった(スカートの長さ等々)(Ua)

・ブラが透けていたのでキャミソールを着たほうが良いと思う(Uy)以下では東工大に女装登校する際に役に立つと思われる意見を挙げる。

・学食ぼっち女子は目立つ(Na)・男女ペアは目立つ(Ua)

感想実験手法についての感想から。まず、夏は女装に向かない。ろくなことがない。どうしても夏に女装をしたいのなら万全の体調で臨むか、目的地に着いてから女装することが望ましい。また、協力者とはしっかりと話しておく必要がある。これは実験としては当然なのだが、協力者に何をしてほしいか、どのようにふるまってほしいか、どのような目的で実験をするのか等々を伝えておく必要がある。今回はこれらができていなかった。

実験結果についてについての感想。自分が思っていた通り女装に使う道具についての指摘が多かった。諸事情でメイクがボロボロだったこともあり、顔についての意見も散見された。男性特有の骨格を隠そうとすると肌の露出率が下がるので、そこの違和感を少しでも軽減するために(まだマシな)足を露出するという作戦に出たのだが、服装の違和感が勝ってしまったようで反省が必要だと感じた。顔については繰り返しになるが、万全の状態で臨むことで対策するべきだと感じた。具体的には前日に十分な睡眠をとる、水分補給をしておく、崩れてもなおせるようにメイク道具をもっておく、などといったことが挙げられる。また、よく見てみると割としっかりめにメイクしている人もいるのでウィッグや服次第ではしっかりメイクをして行くのも良いかもしれない。

目的を達成できたか:部分的にはできたと思うが、残念な点が多かった。単純に有効な検証時間が短すぎた。それに女装以外の点での違和感をなくすことが難しく、女装に伴う違和感のみを測ることが難しいと感じた。今回行った女装で僕は意識していない人からすると女性だと認識され、意識している人からすると男性だと認識される場合と、女性だと認識される場合があった。ある人の性別が観測者に依る、性別は絶対的なものではなく、あくまで相対的なものだという考えをより強く信じることができるようになったのは自分にとって良かった。また、今回の実験で「自分の周りの人間が全員僕を女性だと認識したら、僕の性別はどうなるのか」ということについての自分なりのこたえがより欲しくなったし、そのこたえを求めるために再び実験という手法をとるのもありかなぁと(せっかくアドバイスいただいたし、理想的な実験条件を追求してみたい)。それと、皮肉なことに女装をすればするほど自分にとっての性の基準が分からなくなるので、ここについてもそろそろ自分なりのこたえが欲しい。自分が生物としての女性を必要としているのかが分からない限り、生物として男だから自分は男、という考えは疑ってみるべきだと思う。

(エンタメとしての女装かくれんぼについて):やはり被験者が必要なのでエンタメ性も必要なのだが、そこに重きを置くのは違うと思っていて、通常授業の日にこういうことをされると不愉快な人も一定数いるだろうし、そもそもエンタメ性に重きを置くなら工大祭などでやればいいだけの話だし。あえて通常授業の日にやったのは実験の側面に重きを置いていたからであって、その点ではこのイベントは失敗だったと思っている。ただ、僕以外に僕と近い考えを持っている人たちと繋がることができたのが唯一の救い。

これから:とりあえず冬を待つ。冬に今回の反省を活かして有意義な実験ができるならまたやるかもです。告知はするか分かりません(今までの文を読んでれば理由はわかるはず)。

謝辞、謝罪:「実験」と聞いて科学的で多くの人が関わるような発見のために行うものを想像された方、ごめんなさい。これは自分が自分をどう解釈するかについて考えるための手法としての実験であって、正直なところ皆さんには関係ないです。ただ、呼ぶかを考えたときに実験という言葉が一番しっくり来たので使っているだけです。助けてくれた駅員さん、東工大生のみなさん、本当にありがとうございました。また、参加者の方々には重ねて感謝します。ありがとうございました。