釜ヶ崎は警察、ヤクザ、ヤカラの影響力が少なくなった分、魑魅魍魎が跋扈し始めた。
以前も個性の強い人たちは沢山いたが、自分の発言や行動に責任を負わない連中はスグに居場所が無くなってしまったから、存在できなかったのだけど…。 こういう男がいた。ある労働者支援団体に社会運動はできないが福祉的支援の手伝いがしたいと。彼は頑張って沢山のケースをこなし経験を積んだ。沢山本も読み勉強した。 だが、彼が担っているのは労働者支援のほんの一部でしかない。運動にも興味を持ち始めたが労働者と面と向かってする勇気はない。 困っているので助けて下さい、と頭を下げて来る労働者の相手は出来るが寄せ場労働の経験も無いので現役の労働者の相手はできない。 そのうちに後輩スタッフもでき指導者ともなったが、頑張る後輩がいつの間にか上司になってしまった。こんなに俺が頑張っているのに、彼はそう思ったのだろう。 しかし、それは彼に大きな弱点があったからだ。彼のエリート意識の強さと承認欲求の強さだ。彼の国立大を出ているオレを認めろという態度は相談者である困窮労働者に上から目線で接する態度となり、酒を断ち切れない、金銭管理の出来ない労働者を怒鳴り飛ばし、薬漬け医療を強要する態度として現れた。 承認欲求の強さは「オレがこんなに頑張っているのに」「勉強しているのに」なぜ、理事長や事務局長、或いは後輩の女性スタッフが上司になるのか?なぜオレは評価されないのか?となっていったのだろう。そのツケは労働者への横柄な態度と酒への依存を加速していった。彼が相談者を道端で怒鳴りまくる姿は日常化し、自分は酒の匂いをプンプンさせながら勤務し、依存症の労働者に酒を飲むなと説教を繰り返した。そしてついにヤクザでも黙って近づきいきなり刺すというウワサの労働者を頭ごなしに侮蔑し怒らせた。とうとうその団体は開放されていた相談室に鍵付きのドアをつけ本人は防刃チョッキを着た。 労働者支援団体としては前代未聞の恥ずかしい話である。 その後配置転換させられたが、新しい配置先でもアルコールの問題を解決できず、自分の好きなことしかせず、まともに従事しないので、責任者に愛想をつかされその団体の中での居場所・働き場所を失ってしまい、故郷へかえることとなったようだ。 教育者家庭で育ち、国立大まで出ていながら「落ちこぼれた」と思っているのか、自分の見えない彼は、インテリコンプレックスが非常に強く、頑張っているのに周りが評価をしてくれない、周りはバカばっかりなのにと支援活動や運動で名が知られる人々を妬み続けた。分けても自分のせいで居られなくなった 支援団体関係者に異常な執念を燃やし憎み続けた。 中でも故郷にいる時に、彼とともに活動していた女医さんが亡くなった件でTV出演し(モザイク掛け)「釜ヶ崎は怖い所、見てはいけないものを見て殺されたのだろう」と釜ヶ崎差別を振り撒き、支援団体関係者を「殺人」犯にしようとする連中に手を貸した。 自分が09年11月16日の早朝から「女医が自殺した、自殺した」と触れ回っていたのにである! 元々彼は書物からの知識はあるが思想が無く「立ち位置」が定まっておらず、自分の都合で180度違う事を平気で言い始めたりした。それが彼が承認されない一因でもあったのだが。他人を冤罪に落とすのも平気とは… 釜ヶ崎を怖い街と差別を振りまいていた男が故郷で喰えなくて戻って来たら「労働者の為に…」などと叫んでいるらしい。 そしてかつて「カンパ泥棒」と言っていた某委員長の腰巾着のようになっているというのが笑ってしまう。 また、彼は差別問題では様々な発言をするのだが、被差別の当事者とそうでない者の違いを理解出来ずに、被害に会った人の親族に成り代わったかのようにヒステリックに加害者を責めるマスコミの如く、代理糾弾を行う。代理糾弾が被差別者の糾弾権を横取りする差別行為だとも認識できず、差別を認識している「ワタシ」が差別・被差別を超えた神の位置とでもいう場所から「差別を断定し」「断罪する」ことが出来ると思っているらしい。 そうした浅い認識は実践の場では、下層で喘ぐ多くの釜ヶ崎労働者の前で「部落解放同盟なんて言うのは釜ヶ崎労働者を差別しているんですよ!そういう連中です。」などと対立を煽る某組合(実は個人商店)の委員長を名乗る人物と一緒に腰巾着のように「運動」をすることに結実している。 日雇労働も街の歴史も知らないのにする彼らの「運動」とは、実は当事者運動でもなく、当事者へ向けての運動でもない、外の人達に向かって行う自己顕示と自己承認のための「運動」でしかない。 オノレの立ち位置を認識しえない者たちのすがたである。 人の話によると自分の承認欲求、自己顕示欲から労働者支援団体やキリスト教団体、子どもの支援団体で苦労を重ねて来た人たちを悪し様に罵り、執拗に攻撃をしているようだ。社会的に評価されている人を叩けば自分が評価されるという勘違いは惨め以外の何ものでもない。地道な頑張りが評価を受ける、ただそれだけのことだと理解できれば、他社を羨むことも妬むこともいらなくなるのだが。 彼が悪し様に言う人たちが釜ヶ崎労働者のために何をして何を勝ち取ってきたのか、それを腐す本人は何をしてきたのかを見てみれば一目瞭然だが、この男は自分が何様なのかを理解することも出来ない。 彼はアルコール依存者は薬漬け医療にし、デモや集会に参加したがる相談者には恣意的に「あそこのデモに行くなら面倒見ない」とケースワーカーとしての権力を使って要支援者の政治的権利を奪い、支配してきたのだ。 しかし今の釜ヶ崎はこんなヤカラでも生存できるようになってしまった。今ではフェミニズムを語りながらヒモ生活をしていると誰かが言っていたが単なる噂なのだろう。働きながら活動をしてきたわが組合員とは大違い。当事者とごく近いものなら真実を知っているだろう。もし本当なら新しいボスと同類か。 |
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