賀茂斎院の登場する文学作品より、斎院または賀茂社・賀茂祭関連の部分を抜粋。
文中の()は振り仮名、[]は注釈・補足を表す。また、和歌冒頭の()は歌を詠んだ人物。
『枕草子』
(参照:『枕草子』新編日本古典文学全集18巻,小学館,1999-2001)
83 職の御曹司におはしますころ、西の廂に
局へいととく下るれば、侍の長(をさ)なるもの、柚(ゆ)の葉のごとくなる宿直衣(とのゐぎぬ)の袖の上に、青き紙の、松につけたるを置きて、わななき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば、「斎院[選子内親王]より」と言ふに、ふとめでたう覚えて、取りてまゐりぬ。
[中宮定子は]まだ大殿籠りたれば、まづ御帳(みちゃう)にあたりたる御格子を碁盤などかき寄よせて、一人念じあぐる、いとおもし。片つ方なれば、きしめくに、おどろかせたまひて、「などさはする事ぞ」とのたまはすれば、「斎院より御文の候ふには、いかでかいそぎ上げはべらざらむ」と申すに、「げにいと疾(と)かりけり」とて起きさせたまへり。御文あけさせたまへれば、五寸ばかりなる卯槌(うづち)二つを、卯杖(うづゑ)のさまに、頭(かしら)などを包みて、山橘、日陰、山菅(やますげ)など、うつくしげに飾りて、御文はなし。「ただなるやうあらむやは」とて御覧ずれば、卯槌の頭つつみたる小さき紙に、
(中宮定子)
山とよむをの[斧]のひびきをたづぬればいはひの杖の音にぞありける
御返し書かせたまふほどもいとめでたし。斎院にはこれより聞えさせたまふも、御返しも、なほ心ことに書きけがしおほう、御用意見えたり。御使に白き織物の単衣、蘇芳なるは、梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきてまゐるもをかしう見ゆ。そのたびの御返しを知らずなりにしこそくちをしう。
206 見物は
見物は行幸。祭のかへさ。御賀茂詣。(中略)
祭のかへさいみじうをかし。きのふは萬の事うるはしうて、一條の大路の広う清らなるに、日の影もあつく、車にさし入りたるもまばゆければ、扇にて隱し、居なほりなどして、久しう待ちつるも見苦しう、汗などもあえしを、今日はいと疾く出でて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵かつらもうちなえて見ゆ。(中略)
いつしかと待つに、御社の方より、赤き衣など著たる者どもなど連れ立ちてくるを、「いかにぞ、事成りぬや」などいへば、「まだ無期」など答へて、御輿、腰輿など持てかへる。これに奉りておはしますらんもめでたく、けぢかく如何でさる下司などの侍ふにかとおそろし。はるかげにいふ程もなく帰らせ給ふ。葵より始めて、青朽葉どものいとをかしく見ゆるに、所の衆の青色白襲を、けしきばかり引きかけたるは、卯の花垣根ちかうおぼえて、杜鵑もかげに隱れぬべう覚ゆかし。昨日は車ひとつに数多乗りて、二藍の直衣、あるは狩衣など乱れ著て、簾取りおろし、物ぐるほしきまで見えし公達の、斎院の垣下にて、ひの裝束うるはしくて、今日は一人づつ、をさをさしく乗りたる後に、殿上童のせたるもをかし。(後略)
24 宮仕へ所は
宮仕へ所(みやづかえどころ)は、内(うち)。后(きさい)の宮。その御腹の一品の宮など申したる。斎院、罪深かなれど、をかし。まいて、余のところは。また春宮の女御の御方。
『紫式部日記』
(データ提供:「源氏物語の世界」様)
斎院に、中将の君といふ人はべるなりと聞きはべる、たよりありて、人のもとに書き交はしたる文を、みそかに人の取りて見せはべりし。いとこそ艶に、われのみ世にはもののゆゑ知り、心深きたぐひはあらじ、すべて世の人は、心も肝もなきやうに思ひてはべるべかめる、見はべりしに、すずろに心やましう、おほやけ腹とか、よからぬ人のいふやうに、にくくこそ思うたまへられしか。文書きにもあれ、
「歌などのをかしからむは、わが院[斎院選子内親王]よりほかに、誰れか見知りたまふ人のあらむ。世にをかしき人の生ひ出でば、わが院のみこそ御覧じ知るべけれ。」
などぞはべる。
げにことわりなれど、わが方ざまのことをさしも言はば、斎院より出できたる歌の、すぐれてよしと見ゆるもことにはんべらず。ただいとをかしう、よしよししうはおはすべかめる所のやうなり。さぶらふ人を比べて挑まむには、この見たまふるわたりの人に、かならずしもかれはまさらじを。
つねに入り立ちて見る人もなし。をかしき夕月夜、ゆゑある有明、花のたより、ほととぎすのたづね所に参りたれば、院はいと御心のゆゑおはして、所のさまはいと世はなれ神さびたり。またまぎるることもなし。上に参う上らせたまふ、もしは、殿なむ参りたまふ、御宿直なるなど、ものさわがしき折もまじらず。もてつけ、おのづからしか好む所となりぬれば、艶なることどもを尽くさむ中に、何の奥なき言ひすぐしを交はしはべらむ。
かういと埋れ木を折り入れたる心ばせにて、かの院にまじらひはべらば、そこにて知らぬ男に出であひ、もの言ふとも、人の奥なき名を言ひおぼすべきならずなど、心ゆるがしておのづからなまめきならひはべりなむをや。まして若き人の容貌につけて、年齢に、つつましきことなきが、おのおの心に入りて懸想だち、ものをも言はむと好みだちたらむは、こよなう人に劣るもはべるまじ。
されど、内裏わたりにて明け暮れ見ならし、きしろひたまふ女御、后おはせず、その御方、かの細殿といひならぶる御あたりもなく、男も女も、挑ましきこともなきにうちとけ、宮のやうとして、色めかしきをば、いとあはあはしとおぼしめいたれば、すこしよろしからむと思ふ人は、おぼろけにて出でゐはべらず。心やすく、もの恥ぢせずとあらむかからむの名をも惜しまぬ人、はたことなる心ばせのぶるもなくやは。たださやうの人のやすきままに、立ち寄りてうち語らへば、中宮の人埋もれたり、もしは用意なしなども言ひはべるなるべし。上臈中臈のほどぞ、あまりひき入り上衆めきてのみはべるめる。さのみして、宮の御ため、ものの飾りにはあらず、見苦しとも見はべり。
これらをかく知りてはべるやうなれど、人はみなとりどりにて、こよなう劣りまさることもはべらず。そのことよければ、かのことおくれなどぞはべるめるかし。されど、若人だに重りかならむとまめだちはべるめる世に、見苦しうざれはべらむも、いとかたはならむ。ただおほかたを、いとかく情けなからずもがなと見はべり。(中略)
斎院などやうの所にて、月をも見、花をも愛づる、ひたぶるの艶なることは、おのづからもとめ、思ひても言ふらむ。朝夕たちまじり、ゆかしげなきわたりに、ただことをも聞き寄せ、うち言ひ、もしは、をかしきことをも言ひかけられて、いらへ恥なからずすべき人なむ、世にかたくなりにたるをぞ、人びとは言ひはべるめる。みづからえ見はべらぬことなれば、え知らずかし。
かならず、人の立ち寄り、はかなきいらへをせむからに、にくいことをひき出でむぞあやしき。いとようさてもありぬべきことなり。これを、人の心ありがたしとは言ふにはべるめり。などかかならずしも、面にくくひき入りたらむがかしこからむ。また、などてひたたけてさまよひさし出づべきぞ。よきほどに、折々のありさまにしたがひて、用ゐむことのいとかたきなるべし。
まづは、宮の大夫参りたまひて、啓せさせたまふべきことありける折に、いとあえかに児めいたまふ上臈たちは、対面したまふことかたし。また会ひても、何ごとをかはかばかしくのたまふべくも見えず。言葉の足るまじきにもあらず、心の及ぶまじきにもはべらねど、つつまし、恥づかしと思ふに、ひがごともせらるるを、あいなし、すべて聞かれじと、ほのかなるけはひをも見えじ。
ほかの人は、さぞはべらざなる。かかるまじらひなりぬれば、こよなきあて人も、みな世にしたがふなるを、ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ。下臈の出で会ふをば、大納言心よからずと思ひたまうたなれば、さるべき人びと里にまかで、局なるも、わりなき暇にさはる折々は、対面する人なくて、まかでたまふときもはべるなり。そのほかの上達部、宮の御方に参り馴れ、ものをも啓せさせたまふは、おのおの、心寄せの人、おのづからとりどりにほの知りつつ、その人ない折は、すさまじげに思ひて、たち出づる人びとの、ことにふれつつ、この宮わたりのこと、「埋もれたり」など言ふべかめるも、ことわりにはべり。
斎院わたりの人も、これをおとしめ思ふなるべし。さりとて、わが方の、見所あり、ほかの人は目も見知らじ、ものをも聞きとどめじと、思ひあなづらむぞ、またわりなき。すべて、人をもどくかたはやすく、わが心を用ゐむことはかたかべいわざを、さは思はで、まづわれさかしに、人をなきになし、世をそしるほどに、心のきはのみこそ見えあらはるめれ。
いと御覧ぜさせまほしうはべりし文書きかな。人の隠しおきたりけるを盗みてみそかに見せて、取り返しはべりにしかば、ねたうこそ。
『源氏物語』
(データ提供:「源氏物語の世界」様)
- 葵
≪光源氏の異母妹が賀茂斎院に。御禊に源氏が供奉するのを見物にやってきた、葵の上と六条御息所の車争い≫
そのころ、斎院も下りゐたまひて、后腹の女三宮[桐壺帝皇女]ゐたまひぬ。帝[父桐壺帝]、后[母弘徽殿大后]と、ことに思ひきこえたまへる宮なれば、筋ことになりたまふを、いと苦しう思したれど、こと宮たちのさるべきおはせず。儀式など、常の神わざなれど、いかめしうののしる。祭のほど、限りある公事に添ふこと多く、見所こよなし。人がらと見えたり。
御禊の日、上達部など、数定まりて仕うまつりたまふわざなれど、おぼえことに、容貌ある限り、下襲の色、表の袴の紋、馬鞍までみな調へたり。とりわきたる宣旨にて、大将の君[光源氏]も仕うまつりたまふ。かねてより、物見車心づかひしけり。
一条の大路、所なく、むくつけきまで騒ぎたり。所々の御桟敷、心々にし尽くしたるしつらひ、人の袖口さへ、いみじき見物なり。
大殿[葵の上]には、かやうの御歩きもをさをさしたまはぬに、御心地さへ悩ましければ、思しかけざりけるを、若き人びと、
「いでや。おのがどちひき忍びて見はべらむこそ、栄なかるべけれ。おほよそ人だに、今日の物見には、大将殿をこそは、あやしき山賤さへ見たてまつらむとすなれ。遠き国々より、妻子を引き具しつつも参うで来なるを。御覧ぜぬは、いとあまりもはべるかな」
と言ふを、大宮[葵の上の母]聞こしめして、
「御心地もよろしき隙なり。さぶらふ人びともさうざうしげなめり」
とて、にはかにめぐらし仰せたまひて、見たまふ。
日たけゆきて、儀式もわざとならぬさまにて出でたまへり。隙もなう立ちわたりたるに、よそほしう引き続きて立ちわづらふ。よき女房車多くて、雑々の人なき隙を思ひ定めて、皆さし退けさするなかに、網代のすこしなれたるが、下簾のさまなどよしばめるに、いたう引き入りて、ほのかなる袖口、裳の裾、汗衫など、ものの色、いときよらにて、ことさらにやつれたるけはひしるく見ゆる車、二つあり。
「これは、さらに、さやうにさし退けなどすべき御車にもあらず」
と、口ごはくて、手触れさせず。いづかたにも、若き者ども酔ひ過ぎ、立ち騒ぎたるほどのことは、えしたためあへず。おとなおとなしき御前の人びとは、「かくな」など言へど、えとどめあへず。
斎宮の御母[六条]御息所、もの思し乱るる慰めにもやと、忍びて出でたまへるなりけり。つれなしつくれど、おのづから見知りぬ。
「さばかりにては、さな言はせそ」
「大将殿をぞ、豪家には思ひきこゆらむ」
など言ふを、その御方の人も混じれば、いとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつくる。
つひに、御車ども立て続けつれば、ひとだまひの奥におしやられて、物も見えず。心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと、限りなし。榻などもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人悪ろく、くやしう、「何に、来つらむ」と思ふにかひなし。物も見で帰らむとしたまへど、通り出でむ隙もなきに、
「事なりぬ」
と言へば、さすがに、つらき人[源氏]の御前渡りの待たるるも、心弱しや。「笹の隈」にだにあらねばにや、つれなく過ぎたまふにつけても、なかなか御心づくしなり。
げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間どもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目にとどめたまふもあり。大殿のは、しるければ、まめだちて渡りたまふ。御供の人びとうちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさま、こよなう思さる。
(六条御息所)
影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる
と、涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さま、容貌の、「いとどしう出でばえを見ざらましかば」と思さる。
ほどほどにつけて、装束、人のありさま、いみじくととのへたりと見ゆるなかにも、上達部はいとことなるを、一所の御光にはおし消たれためり。大将の御仮の随身に、殿上の将監などのすることは常のことにもあらず、めづらしき行幸などの折のわざなるを、今日は右近の蔵人の将監仕うまつれり。さらぬ御随身どもも、容貌、姿、まばゆくととのへて、世にもてかしづかれたまへるさま、木草もなびかぬはあるまじげなり。
壺装束などいふ姿にて、女房の卑しからぬや、また尼などの世を背きけるなども、倒れまどひつつ、物見に出でたるも、例は、「あながちなりや、あなにく」と見ゆるに、今日はことわりに、口うちすげみて、髪着こめたるあやしの者どもの、手をつくりて、額にあてつつ見たてまつりあげたるも。をこがましげなる賤の男まで、おのが顔のならむさまをば知らで笑みさかえたり。何とも見入れたまふまじき、えせ受領の娘などさへ、心の限り尽くしたる車どもに乗り、さまことさらび心げさうしたるなむ、をかしきやうやうの見物なりける。
まして、ここかしこにうち忍びて通ひたまふ所々は、人知れずのみ数ならぬ嘆きまさるも、多かり。
式部卿の宮[桐壺帝の弟]、桟敷にてぞ見たまひける。
「いとまばゆきまでねびゆく人の容貌かな。神などは目もこそとめたまへ」
と、ゆゆしく思したり。姫君[朝顔]は、年ごろ聞こえわたりたまふ御心ばへの世の人に似ぬを、
「なのめならむにてだにあり。まして、かうしも、いかで」
と御心とまりけり。いとど近くて見えむまでは思しよらず。若き人びとは、聞きにくきまでめできこえあへり。(後略)
- 賢木
≪桐壺帝崩御により、朝顔姫君が賀茂斎院に≫
斎院[桐壺帝女三宮]は、[父院崩御の]御服にて下りゐたまひにしかば、朝顔の姫君は、替はりにゐたまひにき。賀茂のいつきには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ。大将の君[光源氏]、年月経れど、なほ御心離れたまはざりつるを、かう筋ことになりたまひぬれば、口惜しくと思す。中将[朝顔の女房]におとづれたまふことも、同じことにて、御文などは絶えざるべし。昔に変はる御ありさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきままに、こなたかなたと思し悩めり。(中略)
大将の君は、宮[藤壺中宮]をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心のほどを、時々は、思ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さるれば、秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり。(中略)
吹き交ふ風も[紫野に]近きほどにて、斎院[朝顔]にも聞こえたまひけり。中将の君[朝顔の女房]に、
「かく、旅の空になむ、もの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」
など、怨みたまひて、御前には、
(源氏)
かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿欅(ゆふだすき)かな
「昔を今に、と思ひたまふるもかひなく、とり返されむもののやうに」
と、なれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。
御返り、中将、
「紛るることなくて、来し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえさすること多くはべれど、かひなくのみなむ」
と、すこし心とどめて多かり。御前のは、木綿の片端に、
(朝顔)
そのかみやいかがはありし木綿欅心にかけてしのぶらむゆゑ
「近き世に」
とぞある。
「御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり。まして、朝顔もねびまさりたまふらむかし」
と思ほゆるも、ただならず、恐ろしや。
「あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうのもの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし。わりなう思さば、さもありぬべかりし年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや。
院[朝顔]も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、えしももて離れきこえたまふまじかめり。すこしあいなきことなりかし。(後略)
≪源氏と朧月夜の密通露見。弘徽殿大后激怒、源氏の追い落としを画策≫
宮[弘徽殿大后]は、いとどしき御心なれば、いとものしき御けしきにて、
「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ落としきこえて、致仕の大臣[左大臣]も、またなくかしづく一つ女[葵の上]を、兄[朱雀帝]の坊にておはするにはたてまつらで、弟の源氏にて、いときなきが元服の副臥にとり分き、また、この君[朧月夜]をも宮仕へにと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰れも誰れもあやしとやは思したりし。皆、かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違ふさまにてこそは、かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、いかでさる方にても、人に劣らぬさまにもてなしきこえむ、さばかりねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべれど、忍びて我が心の入る方に、なびきたまふにこそははべらめ。斎院[朝顔]の御ことは、ましてさもあらむ。何ごとにつけても、朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮[のちの冷泉帝]の御世、心寄せ殊なる人なれば、ことわりになむあめる」
と、すくすくしうのたまひ続くるに、[右大臣は]さすがにいとほしう、「など、聞こえつることぞ」と、思さるれば、
「さはれ、しばし、このこと漏らしはべらじ。内裏にも奏せさせたまふな。かくのごと、罪はべりとも、思し捨つまじきを頼みにて、あまえてはべるなるべし。うちうちに制しのたまはむに、聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当たりはべらむ」
など、聞こえ直したまへど、ことに御けしきも直らず。
- 朝顔
≪朝顔姫君、父式部卿宮の死により斎院を退下。源氏、桃園の邸に戻った朝顔に求愛する≫
斎院[朝顔]は、[父宮の]御服にて下りゐたまひにきかし。大臣[光源氏]、例の、思しそめつること、絶えぬ御癖にて、御訪らひなどいとしげう聞こえたまふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞こえたまはず。いと口惜しと思しわたる。(中略)
あなたの御前[朝顔がいる寝殿の西側]を見やりたまへば、枯れ枯れなる前栽の心ばへもことに見渡されて、のどやかに眺めたまふらむ御ありさま、容貌も、いとゆかしくあはれにて、え念じたまはで、
「かくさぶらひたるついでを過ぐしはべらむは、心ざしなきやうなるを、あなたの御訪らひ聞こゆべかりけり」
とて、やがて簀子より渡りたまふ。
暗うなりたるほどなれど、鈍色の御簾に、黒き御几帳(みきちやう)の透影あはれに、追風なまめかしく吹き通し、けはひあらまほし。簀子はかたはらいたければ、南の廂に入れたてまつる。
宣旨[朝顔の女房]、対面して、御消息は聞こゆ。
「今さらに、若々しき心地する御簾の前かな。神さびにける年月の労数へられはべるに、今は内外も許させたまひてむとぞ頼みはべりける」
とて、飽かず思したり。
「ありし世は皆夢に見なして、今なむ、覚めてはかなきにやと、思ひたまへ定めがたくはべるに、労などは、静かにやと定めきこえさすべうはべらむ」
と、聞こえ出だしたまへり。「げにこそ定めがたき世なれ」と、はかなきことにつけても思し続けらる。
(源氏)
人知れず神の許しを待ちし間にここらつれなき世を過ぐすかな
「今は、何のいさめにか、かこたせたまはむとすらむ。なべて、世にわづらはしきことさへはべりしのち、さまざまに思ひたまへ集めしかな。いかで片端をだに」
と、あながちに聞こえたまふ、御用意なども、昔よりも今すこしなまめかしきけさへ添ひたまひにけり。さるは、いといたう過ぐしたまへど、御位のほどには合はざめり。
(朝顔)
なべて世のあはればかりを問ふからに誓ひしことと神やいさめむ
とあれば、
「あな、心憂。その世の罪は、みな科戸の風にたぐへてき」
とのたまふ愛敬も、こよなし。
「みそぎを、神は、いかがはべりけむ」
など、はかなきことを聞こゆるも、まめやかには、いとかたはらいたし。世づかぬ御ありさまは、年月に添へても、もの深くのみ引き入りたまひて、え聞こえたまはぬを、見たてまつり悩めり。
「好き好きしきやうになりぬるを」
など、浅はかならずうち嘆きて立ちたまふ。
「齢の積もりには、面なくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを、今ぞ、とだに聞こえさすべくやは、もてなしたまひける」
とて、出でたまふ名残、所狭きまで、例の聞こえあへり。
おほかたの、空もをかしきほどに、木の葉の音なひにつけても、過ぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見えたまひし御心ばへなども、思ひ出できこえさす。
心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして、寝覚がちに思し続けらる。とく御格子参らせたまひて、朝霧を眺めたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひてたてまつれたまふ。
「けざやかなりし御もてなしに、人悪ろき心地しはべりて、うしろでもいとどいかが御覧じけむと、ねたく。されど、
(源氏)
見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ
年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも、思し知るらむやとなむ、かつは」
など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知らぬやうにや」と思し、人びとも御硯とりまかなひて、聞こゆれば、
(朝顔)
秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかに移る朝顔
「似つかはしき御よそへにつけても、露けく」
とのみあるは、何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。青鈍の紙の、なよびかなる墨つきはしも、をかしく見ゆめり。人の御ほど、書きざまなどに繕はれつつ、その折は罪なきことも、つきづきしくまねびなすには、ほほゆがむこともあめればこそ、さかしらに書き紛らはしつつ、おぼつかなきことも多かりけり。
立ち返り、今さらに若々しき御文書きなども、似げなきこと、と思せども、なほかく昔よりもて離れぬ御けしきながら、口惜しくて過ぎぬるを思ひつつ、えやむまじく思さるれば、さらがへりて、まめやかに聞こえたまふ。
- 乙女
≪朝顔、父の服喪を終える。源氏と時候の挨拶を贈答するが、結婚は拒否≫
年変はりて、宮[式部卿宮]の御果ても過ぎぬれば、世の中色改まりて、更衣のほどなども今めかしきを、まして祭[賀茂祭]のころは、おほかたの空のけしき心地よげなるに、前斎院[朝顔]はつれづれと眺めたまふを、前なる桂の下風、なつかしきにつけても、若き人びとは思ひ出づることどもあるに、大殿[光源氏]より、
「御禊の日は、いかにのどやかに思さるらむ」
と、訪らひきこえさせたまへり。
(源氏)
「今日は、」
かけきやは川瀬の波もたちかへり君が禊の藤のやつれを
紫の紙、立文すくよかにて、藤の花につけたまへり。折のあはれなれば、御返りあり。
(朝顔)
藤衣着しは昨日と思ふまに今日は禊の瀬にかはる世を
「はかなく」
とばかりあるを、例の、御目止めたまひて見おはす。
御服直しのほどなどにも、宣旨のもとに、所狭きまで、思しやれることどもあるを、院[朝顔]は見苦しきことに思しのたまへど、
「をかしやかに、けしきばめる御文などのあらばこそ、とかくも聞こえ返さめ、年ごろも、おほやけざまの折々の御訪らひなどは聞こえならはしたまひて、いとまめやかなれば、いかがは聞こえも紛らはすべからむ」
と、もてわづらふべし。
女五の宮[式部卿宮の姉妹]の御方にも、かやうに折過ぐさず聞こえたまへば、いとあはれに、
「この君[源氏]の、昨日今日の稚児と思ひしを、かくおとなびて、訪らひたまふこと。容貌のいともきよらなるに添へて、心さへこそ人にはことに生ひ出でたまへれ」
と、ほめきこえたまふを、若き人びとは笑ひきこゆ。
こなた[朝顔]にも対面したまふ折は、
「この大臣[源氏]の、かくいとねむごろに聞こえたまふめるを、何か、今始めたる御心ざしにもあらず。故宮も、筋異になりたまひて、え見たてまつりたまはぬ嘆きをしたまひては、思ひ立ちしことをあながちにもて離れたまひしことなど、のたまひ出でつつ、悔しげにこそ思したりし折々ありしか。
されど、故大殿の姫君[葵の上]ものせられし限りは、三の宮[大宮]の思ひたまはむことのいとほしさに、とかく言添へきこゆることもなかりしなり。今は、そのやむごとなくえさらぬ筋にてものせられし人さへ、亡くなられにしかば、げに、などてかは、さやうにておはせましも悪しかるまじとうちおぼえはべるにも、さらがへりてかくねむごろに聞こえたまふも、さるべきにもあらむとなむ思ひはべる」
など、いと古代に聞こえたまふを、心づきなしと思して、
「故宮[式部卿宮]にも、しか心ごはきものに思はれたてまつりて過ぎはべりにしを、今さらに、また世になびきはべらむも、いとつきなきことになむ」
と聞こえたまひて、恥づかしげなる御けしきなれば、しひてもえ聞こえおもむけたまはず。
宮人も、上下、みな心かけきこえたれば、世の中いとうしろめたくのみ思さるれど、かの御みづからは、わが心を尽くし、あはれを見えきこえて、人の御けしきのうちもゆるばむほどをこそ待ちわたりたまへ、さやうにあながちなるさまに、御心破りきこえむなどは、思さざるべし。
『狭衣物語』
(参照:『狭衣物語』新編日本古典文学全集29-30巻,小学館,1999-2001)
- 巻二
≪源氏の宮、賀茂斎院に卜定≫
皇太后宮の斎院[嵯峨院女一宮]の御代りには、一条院の后の宮の姫宮[一品宮]こそは居させたまひしか、大膳職にわたらせたまひにしを、代らせたまひて斎院も下りさせたまひぬれば、代りに居させたまふべき宮も、このごろはおはしまさざりけり。
「源氏の宮の内裏(うち)参りや、いかが」
など、世の人やうやう言い出づるを、大殿[堀川大臣]など聞かせたまひて、
「あなあぢきなや。まだ二葉よりただ人にならせたまひにしかば、神もおぼえも知りきこえたまふべきならず」
とて、思しもかけたらず。さぶらふ人々も、内裏わたりのいまめかしきを、いつしかと心もとながり思ふべし。
宮の御容貌(かたち)、このごろ盛りに整はせたまひて、まことに光るとはこれを言ふにやと、見えたまへり。
「帝と申すとも、かかる人世におはしけりと、さは言ふとも驚かせたまひなんかし」
と、見たてまつるかぎりの人は言ひあはせつつ心もとながるに、宮の御夢に、あやしう心得ずもの恐ろしきさまにうちしきりて見えさせたまふを、いかになりぬべきにかと、人知れず心細く思さるれど、「かくこそ」なども、母宮にも申させたまはで過させたまふに、殿のうちにおびただしきもののさとしどもあれば、もの問はせたまふに、源氏の宮の御年あたらせたまひて、重くつつしませたまふべきさまをのみ、あまた申したれば、いと恐ろしう思しめして、さまざまの御祈りども、心ことに始めさせたまふ。殿の御夢にも、賀茂よりとて、禰宜と思しき人参りて、榊に挿したる文を源氏の宮の御方へ参らするを、我も開けて御覧ずれば、
(賀茂神の使い)
神代より標(しめ)ひき結ひし榊葉(さかきば)は我よりほかに誰か折るべし
「よし試みたまへ。さては、いと便なかりなん」
とたしかに書かれたりと見たまひて、驚きたまへる心地、いと恐ろしう思されて、母宮大将殿[狭衣]などに語りきこえさせたまへば、聞きたまふ心地、なかなか心やすくうれしうぞなりたまひぬる。(中略)
内裏の御夢などにも、さだかに御覧ずることもありて、思しめし驚く。大臣(おとど)は語りあはせきこえさせたまひて、御心の中口惜しけれど、御占(うら)などあるに朝廷(おほやけ)をはじめたてまつり、殿の御ためにも行く末遠くめでたかるべきさまにのみ、占ひ申しければ、とかく誰も定むべきかたなくて定まりたまひぬるを、世の中には思ひかけぬことにぞ言ひける。(中略)
三月になりぬれば、下りにし大弐の家に斎院[源氏の宮]わたらせたまふべきことどもなど、いまはひきかへていそがせたまふ。殿の内の明け暮れのいそぎにも、年ごろ思しおきてさせたまへるに、思ひの外(ほか)なる御事を、いと口惜しく思しめさるるよりも、母宮はいにしへ[自分が斎宮であった頃]のこと思し出づるに、いまさへ神の斎垣(いがき)にたづさはらんこと口惜しう思されて、かつ見るだにあかぬ御さまを、いかにおぼつかなきほども、おのづからや隔たらんと思し嘆きたるを、院[源氏の宮]は、いづくなりとも、一日も隔たらば、いかでかさはとのみ恨めしげに思ひきこえさせたまへるを、ことわりに心苦しうて、
「尼にならざらんかぎりは、いかでかおぼつかなきほどにはなしはべらん。行く末のこと思ふぞ、口惜しうは」
など、慰め申したまひながら、いまはとならん命のほど、見たてまつるまじきぞかしと思すはしのびがたくて、今より思し続くるに、はやう伊勢へ下りし折のこと、故院の泣く泣く別れの櫛もえ挿しやらせたまはざりしほどなど、ほのぼの思し出づるに、いとものあはれに思されけり。(中略)
行方も知らずとだにもえ言ふべくもなかりけるを、斎院の渡りの日にもなりぬれば、つとめてより上達部、君達よりはじめ、世にある人参り集まりて、もの騒がしう、女房などさぶらふかぎり参り集まりたるかたちありさま、衣(きぬ)の色、うち目重なりもなべてならず、いづれともなくめでたし。内裏わたりの交じらひのほど、いかにめでたからましと見えわたさるるに、御前には桜の織物の重ねたる、紅うち、桜・萌葱の細長、浮線綾の山吹の小袿などの、ところせくものはかばかしげなるを、いかなるにか、たをたをとあてになまめかしう着なさせたまひて、常よりもひきつくろひておはします。人々の参りたるを、御几帳のほころびより御覧じなどする御ありさまも、光るとはこれを言ふにやと見えさせたまふも、神はいかが見はなちきこえたまはざらんと見ゆれば、まいて、大将の御心の中(うち)、ことわりなり。
御心地もいとあしう、現し心もなきやうなれば、起きあがるべうもあらねど、さて臥したらば、誰もまた、よろづを捨ててかしがましう思し騒がんむつかしければ、我にもあらず落つる涙をのごひ隠しつつ歩びたまふけしきは、一乗の門をだに見捨てでは行きはなれがたき御さまなれど、院はただ、かかること見えざらんところもがなといそがれさせたまふ。御手洗川(みたらしがは)に禊せさせたまはんことのみ思しめさるる。
時(じ)になりて、御車寄せつれば、またも見たてまつるまじき人のやうに、かぎりの心地したまひて、いまはかくぞかしと心細く悲しうて、我も、やがて今宵のうちに、いづちもいづちも消えやうせなまし、殿も宮も、しばしこそ、恋しや悲しやとも思しのたまはめ、我もいかがせん、かぎりと思ひ焦がれんやうには、さりともと誰も思さじものをと思すには、たちまちにいとやすかりぬべかりけるものをと過ぎぬるかた、せめて心のどかに思ひしのび過しつらん。いみじう悪かりける心かな、さて遂にかかる目をみるよと思ひ続くるは、やがて、げに神の狂はしたまふにや、思ひもあへず暗き紛れに、あまた立てたる几帳に紛れよりて、御衣(おんぞ)の裾をひきとどめたまへり。とみに、動かせたまはぬに、あやしと見かへられたまへば、やがてひかれて、心にもあらずひき寄せたまへるに、
(狭衣)
今日やさはかけ離れぬる木綿(ゆふ)だすきなどそのかみに別れざりけん
とて、扇を持たせたまへる御手を捕手、泣きたまふさまいみじげなり。(中略)
宮司参りて、御祓つかうまつりて、榊青やかに挿しつれば、いとわづらはしうなるを見るも、心まどひのみしてうち休むことおぼえず。やがて見えぬ山路にも隠れなまほしきに、「大将の、御宿直所(とのゐどころ)さぶらはれんこそよからめ」など殿ののたまふを聞くも、かかる心の中をば知りたまはで、あるべきものと思したるこそあはれなれ。いかばかり思しまどはん。かぎりあらん命なりとも、いかがと思ひ続けたまふには、またひきかへしやるかたなきに、ひとかたならずさへ悲しうて、「心こそ、野にも山にも」と言はれたまふは、いかなるべき御ありさまにか。(中略)
大宮[堀川の上]はそのままにおはしまして、とみにも帰らせたまはぬを、殿は、「さのみはいかがは」と誘ひきこえさせたまふを、院はいと心細げに思しめして、さらにゆるしきこえたまはぬほどに、常に院がちにおはしませば、上達部・殿上人など、ただ明け暮れ大宮一条のわたりを行きかへりつつ、そのわたりもの騒がしきまでなりにたり。(後略)
- 巻三
≪源氏の宮、紫野本院へ入る。狭衣はなお彼女を諦めきれない≫
年返りぬれば、今年は斎院[源氏の宮]渡らせたまふべしとて、本院造り磨かせたまふ。大宮のわたり、賤の垣根まで、心ことに思ひ設けて、用意加へたるは、げにこよなし。今年の祭[賀茂祭]は、今よりさまことに、世の中ゆすりて思ひ営む。
随身、小舎人、雑色の姿、馬、鞍、舎人、その夜の飾りを、いかでめでたうめづらしきさまに、人に優れんと思し営むをばさるものにて、さるべき宮々、殿たち、また、少しも人数に立ち上がりたる所々、物見たまふべき出だし車の袖口、童の形姿、屐子、葵の飾り、めづらしうと、心を尽したまふ。中の品ほどだに、一条の大路、さし出づべき所なうやと聞こゆるに、遠き所の民どもも、苗代水の行方も知らず、苗ひき植うる田子の裳裾ども、川上に晒し営むを役にして、物見ん事を営みたり。まいて、都の内の賤の男は、道、大路の行き交ひにも、明け暮れの身の営みの苦しげさにもうち添ひて、言ひ嘆き思ひ設くるなりけり。姿はいかならんと心もとなし。
殿[堀川大臣邸]の中にも、いつしかと、この御事をこそ、いと年ごろ思し設けしに、限りあれば、はえなき御ありさまのさうざうしき事ども、候(さぶら)ふ人々も思ひたるに、この折こそはと、物のけうらを尽し、神さびにけるさまにはあらず、めづらしう、人の思ひぬべからんありさまにと思し掟つれど、何事も限りあることなれば、白銀(しろがね)、黄金(こがね)をうち重ね、高麗(こま)、唐土(もろこし)の錦を裁ち重ぬとも、目馴れぬやうのあるまじきぞ口惜しかりける。さすがまた、例なき事はびんなかるべければ、おもしろう、思し慎(つつ)みて、そのかみの事を、例(ためし)に引かせたまへり。
世の中の人のことごとしきありさまに思ふらんしるしに、出だし車の飾りなど、例にはまさりたらんを見よかしとて、やがて候ふ人々、数を引き続くべくも思し掟てける。やむごとなき人は、女別当(にょべったう)、宣旨など、人々同じと、いま四十人、童八乗るべき車は、透き通りて、隠れなくあるべきよし、簾も上がりて、我も我もと、心を尽したるに、いかばかりめでたからんずらん。
「近衛司の、年に一つし出でたるをこそは、その日の見物(みもの)にしためれ。かばかり挑みかはして、よろしからん頭(かしら)つき、容貌(かたち)どもに乗らんは、まばゆかるべきわざかな」
と、今より大将殿は言ひ恥ぢしめたまふに、若き人々は、まめやかにわび惑ふこそことわりなれ。
さるべき人々の女(むすめ)どもの、心の限りかしづきたてて、親、兄(せうと)などにだに、さし向ふことせず、帳の内の、母屋の際に、小さき几帳放たずなど、慣らひたるは、ただ簾上げて昼中に一条の大路渡らんだに、いとわびしかるべきに、まいて扇をだに隠れなくしなされたらば、まめやかに泣きぬばかりのけしきどもなり。
その日[御禊当日]にもなりぬれば、つとめてより、大将立ち居いそがせたまひて、
「人の上にて見るだに、日の暮るるは心もとなきに、遅し遅し」
といそがしたまへば、げに常よりことに、事ども疾くなりて、出だし車ども寄せて、人々乗せさせたまふ。わりなしと、わぶわぶゐざり出でたる人々の容貌、げに年ごろ三十余り具したらんをと、尋ねさせたまふしるしにや、二なう見ゆ。心ことに世に聞こゆる透車の透影ども、うしろやすく御覧じわたす。
衣(きぬ)の色ぞ、ことにめづらしからねど、千代の例にとや、千歳の松の深緑を、幾重ともなく重ねたる多さはこちたく、同じ色の桜の表着、藤の浮線綾(ふせんりゃう)の唐衣、「松にとのみ」、縫ひ物にしたり。裳は、青き海賦の浮線綾に、沈の岩たて、黄金の砂(いさご)に、白銀の波寄せて、浸れる松の深緑の心をぞ、縫ひ物にしたりける。童も同じ色にて、上の袴、汗衫(かざみ)、女房の裳、唐衣、同じことなり。(中略)
御車は唐のが、例よりも小さく、めづらしう、うつくしきさまにこよなし。大将、殿、御几帳の左右に立ちたまへるに、つくろひ、乗せたてまつりたまふにも、なほややましげに、とみにもえ奉りやらぬを、大将、几帳の側より、少しのぞきたまへれば、唐撫子の三重の織物に、小袿奉りて、釵子(さいし)ささせたまへる、元結(もとゆひ)に、御額髪のうち添ひて、なよなよと引かれ出でたるは、いとどもてはやされて、なまめかしう見えさせたまふにも、なほなほ、かくまで見たてまつりなしつる悔しさは、「八千代の悔い」とか、名につきたりし大将には、やや優りたるを、神もいかに御覧ずらん、いでや、かくのみさすがに離れずおぼえば、さらにはかばかしからじと、自らの心にだに、ことわられたまふ。
御車引き出でつれば、上も殿も御覧じて、やがて本院に留らせたまひにければ、また、御車寄せて奉りぬ。かねて聞きし、一条の大路、つゆの隙(ひま)なく、立ち重なれる事、桟敷の多さなど、次々ならん人、頭さし出づべくもなきに、かしこう、身のならんやうも知らず、同じ上に重なりゐたるさまども、いと苦しげなり。さるべき所々、桟敷の多さも、物見車の袖口ども、げにかねて聞きしに違はず、目も輝くことのみ多かり。ほのぼのいそぎ出でつらん家々の人もいかなりつらんと見えて、よろづめでたき年の御禊(みそぎ)なり。
[賀茂川の]河原におはしましたる御ありさまなど、例の事にも事添ひて、永き世の例にもと、よろづをせさせたまへり。宮司参りて、御祓仕うまつるは、いと神々しく聞こゆれど、大将殿は昼の御ありさまのみ心にかかりたまひて、
(狭衣)
御禊する八百万代(やほよろづよ)の神も聞けもとより誰か思ひ初めしと
と思すは、うしろめたき御兄の心ばへなり。
帰らせたまひては、いと苦しうて、誰も皆休ませたまひて、またの日ぞ、めづらしう、院のありさま御覧じわたすに、いと狭くて、晴るる間なく思しめさるるは、殿の内の御目移りなるべし。かくてこそと、いと行く末遠く思しめさるに、広くおもしろかりつる池、山、木立のおもしろさを、または見るまじきと思し出づるに、この御前に流れたる遣水は、「有栖川となん申す」と、人の聞こえさせければ、
(源氏の宮)
己のみ流れやはせん有栖川岩もる主我と知らずや
契り深く御覧じやりて、東面(ひんがしおもて)の中の柱に寄りゐさせたまへる、御様体(おんやうだい)、頭つき、御髪のかかりなどの、絵にもなほ少しは描き似せて、人に見せまほしき御さまなる。
折しも、大将殿、上のおはします南の戸口より参りたまひて、隅の間の御簾引き上げて見まゐらせたまへるに、障子の開けたりけるより見通したまへる、なほいと忍びがたくて、榊をいささか折りたまひて、少し及びて参らせたまふ。
(狭衣)
榊葉にかかる心をいかにせん及ばぬ枝と思ひ絶ゆれど
見だに返らせたまはぬぞ口惜しきや。
祭の日[賀茂祭当日]の事も、例の事なり。近衛司の使は、太政大臣(おほきおとど)の御孫の少将ぞかし。権大納言の御子よ。いと若ううつくしきさまにて、参りたまへるに、やがて、内[帝]の御文つけさせたまへれば、南の戸口に、めでたき袖口して、取り入る。上、御覧ずれば、
(後一条帝)
我が身こそあふひはよそになりにけれ神のしるしに人はかざせど
葵がさねの紙やう、色はなべてならんやは。
今日は、四季の花の色々、霜枯れの雪の下草まで、数を尽して、年の暮までの色を作り、表着、裳、唐衣など、やがて、その色々にて、つがひつつ、高麗、唐土の錦どもを尽しけり。各々、白銀の置口、蒔絵、螺鈿をし、絵描きなど、すべてまねび尽すべき方もなかりけり。御輿の駕輿丁(かよちゃう)、形姿まで、世の例にも書き置かんとせさせたまひけり。口も筆も及ばで、いと口惜し。
渡らせたまふほどに、そこら広き大路ゆすり満ちて、えも言わず香ばしきに、我はと思ひたる車どもの榻(しぢ)下ろさせて、過ぎさせたまふは、なほいと気高し。御社(みやしろ)に参り着かせたまふありさまなど、例、作法の事に事を添へさせたまへり。殿も、やがて留まらせたまひぬれば、いづれの殿上人、上達部かは帰らん。若上達部などは、土の上に形(かた)のやうなる御座(おまし)ばかりにて、夜もすがら女房たちと物語しつつ、明くるも知らぬさまなるに、京にはいまだ音せざりつるほととぎすも、御垣(みかき)の内には、声馴れにけり。内も外(と)も耳留めぬは、いかでかはあらん。いとをかしう、歌ども多かりけれど、え書き留めずなりにけり。(中略)
例ならず、晴々しき御しつらひに、紛るるものなく、けざけざと光るやうに見えさせたまふに、いと小さき葵を御髪(みぐし)にかけさせたまふを、例の見過ぐされたまはで、御車など、引きつくろはせたまふとて、
(狭衣)
見るたびに心惑はすかざしかな名をだに今はかけじと思ふに
とて、御衣の裾を、ただ少し引き動かしたまへれば、思しもかけず、見返らせたまへる御顔の、隈なき所にては、いとど千歳まぼるとも、飽くべうもあらず、まばゆきまで見えさせたまふ。物見るとて、人々の皆端つ方にあるほどなるべし。気近きも、あまり恐ろしければ、立ち退きたまふも、飽かずわびしきに、いでや、かくぞかしと、見たてまつりし折、身をあらぬさまになしてましかば、かうのみ心尽しにわびしからで、やうやう今はこの世の事も忘れなましものを、なほかくてはあり果つまじかめりと、いとど思しぞ立ちぬる。
事は手塗れば、帰らせたまひぬ。楝(あふち)、むら濃(ご)に、やがて染め分けつつぞありける。御前のかへり遊び、果てぬれば、
「ありし内の御返り聞こえさせたまへ」
とのたまへど、「いみじう苦し」とて、やがて臥させたまひぬれば、「おぼつかなからんやは」とて、上ぞ聞こえさせたまふ。
(堀川の上)
よそにやは思ひなすべき諸葛(もろかづら)同じかざしはさしも離れず
桂にささせたまへり。御覧ずるにも、口惜しき御心の中、なほ絶えざえりけり。(後略)
≪出家を思い立った狭衣、斎院を訪れる≫
月は出でにけれど、嘆きの蔭も他所よりは事繁ければにや、心もとなげに、所々より洩りたる影、心尽しなるに、はらはらと吹き払ふ木の下風の音も、例の所には似ず、神さび、心細げにて、心あらん人に見せまほしきを、いとど眺め入りたまへる人柄は、言ひ知らず異(け)なり。[狭衣は]御前なる琴を引き寄せたまひて、黄鐘調(わうしきでう)に調べて、「仙遊霞(せんいうか)」弾きたまへる、空に澄みのぼりて、世に知らず、あはれにおもしろし。
院[源氏の宮]、何事よりも、御心留めさせたまふ事にて、常に聞こえさせたまへど、あやにくにうち解けては、聞かせたてまつりたまはぬを、かう例ならず心留めたまへるは、うれしう思しめさる。自らの御心、またしもやはと思せば、二返りばかり弾きたまへれば、まことに、昔ありけんやうに、現れ出づるものやあらんと、聞く限りの人、涙も止まらず。
母宮[堀川の上]、聞きたまふに、ありし笛の折、思し出でられて、いとゆゆしければ、惑ひ渡らせたまへり。さすがに、「あな」ともえ聞こえたまはず、ゆゆしう思されて、涙を流しつつ、近く寄らせたまふけしき、いと恐ろしと思したり。げに俄に、風荒々しう吹きて、村雨おどろおどろしう降りたる空のけしき、いかなるぞと見えたるに、神殿(かんどの)の内、二度(ふたたび)、三度(みたび)ばかり、いと高う鳴りて、言ひ知らず香ばしき匂ひ、世の常の薫りにあらず、さと燻(くゆ)り出でたるに、まことに髪逆様(さかさま)になる心地して、もの恐ろしきこと限りなし。(中略)
殿[堀川大臣]も参らせたまひて、神殿にて御祓へたびたびありて、賀茂の御社(みやしろ)に、さまざまの御誦経(みずきゃう)などこちたかりけり。(後略)
- 巻四
≪源氏の宮と女御(嵯峨院女一宮)の歌の贈答。狭衣、斎院を訪れる≫
弥生の一日(ついたち)頃、斎院の御前の桜いみじきさかりなるを、つれづれなる昼つかた、御髪上(おぐしあげ)の間にゐざり出でさせたまへるに、空の色浅緑にて、うらうらとのどかなるに、野辺の霞は御垣(みかき)の中まで包むめれど、なほこぼれたる匂ひ所狭(せ)きなるに、この対の前なる桜の、匂ひえならぬかたはらに、榊の青やかにて色もてはやしたるなど、外(ほか)の木立には似ずさま変りて、をかしう御覧ずるにつけても、明け暮れ御覧じなれし古里の八重桜いかならんと思しやらるる、ひとつをだに今は見るまじきかしと、花の上はなほ口惜しき御心の中なり。
(源氏の宮)
一重づつ匂ひおこせよ八重桜東風(こち)吹く風のたよりすぐすな
と思しめすも、待遠なれば、女御殿[嵯峨院女一宮]に聞こえさせたまふ。
(源氏の宮)
時知らぬ榊の枝にをりかへてよそにも花を思ひやるかな
榊の枝につけさせたまへり。思しやるもしるくなん。殿の桜は、峰の続きもかくやと見えて、盛りなるも、さまざまにめでたきを、女御は、悩ましき御心地の紛らはしにも、眺め出ださせたまひけるほどに、この変らぬ色は珍しく思されて、過ぎにし方いとど恋しう思し出でさせたまひにけり。
(女御)
榊葉になほをりかへよ花桜またそのかみの我が身と思はん
なべてならぬ枝にさしかへてぞ、たてまつらせたまひける。
大殿[堀川大臣]、内裏より出でたまふままに、まづこなた[女御の御前]に参りたまひて、近き御几帳のもとにて、上のおぼづかながらせたまふこと、御消息など聞こえさせたまふに、ありつる榊の御前なるを見たまうて、
「そのかみの心地しはべる枝ざしは、思しめし出づることも侍りけるにや」
と聞こえさせたまへば、
「斎院よりたまはせたりつる」
とのたまへば、
「さては、いかやうにか」
とゆかしがりたまへば、ありつる文をさし出ださせたまへり。
「あなをかしげの御書きざまや」
とうち笑みつつ、うち返しうち返し見たまへるけしき、おほろけの人は恥づかしげなるを、珍しとおぼいたるさまぞなのめならぬ。
「げに、思ひかけはべらざりし御住居(すまひ)どもなりかし。あまたの中に、この高き八重をば、幼くより我がと取り分かせたまひて、静心なげに思し扱ふめりしを、いかにゆかしう思し出づらん。何事も世の中ばかり思はずなるものは侍らざりけり。まいて、これより年積りぬる人、いかなることを見はべるらん。何事も見る人なくて過ぎたまひなば、かへりて口惜しきさまに物せられしかば、思ひ立つこと侍りしかど、かくひきたがへ、標の外になりたまひにしも、これこそはあるべきことと思ひながら、なほしばしば本意(ほい)なき心地しはべりきかし。されど、昨日今日となりて思うたまふるには、いと目安き御宿世とぞ思うたまふる。女は高きも短きも、一筋によりてぞ、心より外にも人にもどかれ言はれ、さるまじき心のほどをも見え知られはべるかし。我が心と、あはあはしう、見朽たすことなけれど、おのづからそれに従ひて、あらする人なくなりぬれば、身を心とまかせぬやうにて、はてはては思ひ嘆き扱ふめるに、命の限りはかく乱るる心なくて、心のどかに過したまふべかめれば、世に侍らずなりなん後も、あながちに後ろめたいことも侍らざりけり。ただ、仏の御方ざまを背きたまへるのみぞ、後の世のため口惜しきことに侍る。それも女の身は、斎宮・斎院に定まりたまはずとも、三千大千世界を照らす玉の行方知らでは、仏になりたまはんこと難くこそはべらめ。三十二相もよく具はりたまひて、仏の御身をば得たまへる」
などのたまふほどに、大将殿は、参りたまへれば、この御文見せたてまつりたまひて、
「只今、この御手ばかり書く人は、誰かある。式部卿宮の上こそ名高う物せらるなれど、文字様の、こまかにをかしげなるさまなどは、なほ勝(すぐ)れてこそ見ゆるは、思ひなしにや。いかが」
とささめきたまふに、まいて、何事も、類なき物に思ひしめきこえたまへる御目には、珍しうさま殊にのみおぼえたまへば、うち置かれずまぼりたまひて、
「今も昔も、かばかりなるは難うやさぶらふらん」
とばかり申させたまへど、わが物と見ずなりぬる口惜しさを、まづ胸騒げば、参らせたまひつ。
女御は、我が御身の行く末心細く思さるるままに、殿ののたまふことどもの耳とまりたまひて、この御ありさまをうらやましうぞ思されける。(中略)
大将殿は、すぐれたる枝を折らせて、斎院に持てまゐりたまへり。御前には琴(きん)の琴(こと)を弾きすさびておはします。御几帳より琴の端(つま)ばかりさし出でて、桜萌黄、三重の御衣どもに紅の擣(う)ちたる、樺桜の二重織物の小袿など、重なりたる御袖ばかりぞ見ゆる。
「女御殿の御前に、ゆかしげに聞こえさせたまへりつれば」
とて、参らせたまふを、見苦しかりけることを見たまひにけるにやと、なかなか知らぬ人よりも恥ずかしう思しめしたるに、御顔いと赤うなりて、御扇をさしやりて花をうけさせたまひて、少し傾(かたぶ)かせたまへるに、はらはらとこぼれかかる御額髪のかかり、御つらつきなど、久しう見たてまつらざりつるけにや、さま殊なる御匂ひにこそならせたまひにけれと、とみに花もうち置かれず、つくづくとまぼられて、涙のみこぼれぬべきを、人々あやしうや見むと思ふに、強ひて侘しければ紛らはしに、ありつる女御殿の御返しの、御硯の上にうち置かれたるを、取りて見たまへど、いとど、かく近きほどの心の中は、なほ更に紛れがたし。(中略)
(狭衣)
はかなしや夢のわたりの浮橋を頼む心の絶えもはてぬよ
「浮木にあはむよりも難きことどもかな」
と、忍びて聞こえたまへど、悩ましきさまにもてなさせたまひて、寄り臥させたまひぬれば、はしたなくて立ち出でたまへるに、東の隅の間に、花取るとて、人々あまた出で居たる所に寄り居たまひて、
「君達さへ、余りつつしみたまひて、今は、目も見せたまはねば、いみじうつれづれにこそなりにたれ」
とのたまへば、新少将とておとなしき人、
「ものにもがなとこそ、皆思ひたるけしきども侍るめれば、まいて、何かは見入れ参らする人も侍らん」
と聞こゆれば、
「心憂(こころう)のことや。物恐ろしからで過しし末の中頃、くやしうこそ思ひ出でらるれ」
など、いづれとなく言ひ戯(たはぶ)れたまひて、
(狭衣)
御垣守(も)る野辺の霞も暇なくて折らで過ぎゆく花桜かな
と、わざとなく言ひすさびたまへば、少将、
(少将)
花桜野辺の霞のひまひまに折らでは人の過ぐるものかは
「さまでは、なんでふいさめか侍る」
と聞こゆれば、うち笑ひたまひて、
「一文字も思し咎むるこそいとほしけれ。さらば、いかがすべき。かの東の対に、昔もさることありけるは」
とのたまへば、
「逢ふにしかへば、かばかりの身は、まいて何か惜しく侍らん。この世の面目にこそ」
など、わららかに戯れきこゆるを、若き人々は、あいなう汗あえてぞ聞きける。(後略)
≪夏、狭衣斎院を訪問≫
暑きほどになりては、いとど思ふあたりの涼しきよりほかにいちどたちはなれがたうて、起き臥しもろともに乱れ過したまふほどに、斎院にも例ならずおぼつかなき日数隔たりにけるを思し出でて、涼しき夕風待ちつけて参りたまへれば、人少なに静かなる心地して、御前に二三人候ひける人も、皆うち伏して寝入りたるに、やをら近う参り寄りて、御几帳のそばより見入りたまへれば、御前にも御殿籠りたるなりけり。
二藍の薄物をたてまつりて引き被(かづ)かせたまへれば、御顔も身も露ばかり隠れなきに、御髪は行方も知らずつやつやとたたなはりいきて、額髪のすこしかかりたる御分け目、かんざしなども、中々いとかう細かには、久しう見たてまつりたまはざりつれば、珍しううれしうてつくづくとまもりきこえたまふに、昔よりなほ、おほろけならず思ひしみきこえさせてしけにや、いとかばかりなる匂ひなどを、更にならびきこえさすべき人こそなかりけれ、いで、なほ、我が宿世の口惜しうもありけるかな、これを我が物と見たてまつらずなりにけるよ、「逢ふにし換えば」とかや、いとかばかりなる人にしも言ひ置かざりけんかし、この御身に換えん命は、更に惜しげなかりけるものを、心清く見ないたてまつりてける我が心は、おほろけならず心強うもありけるかな、今とても、御身をひたすらなきものに思ひなさば、難うしもやあるべき、月頃、すこし思し紛れつる心の中もかきくづし思し続けて、長押に寄りかかりたまひて、つくづくと居たまへるに、うち驚きて、見合わせたまへるもあさましう、いかに見たまへらんと、恥ずかしう思しめされて、御顔もいとど赤うなりて、やうやう几帳に紛れ入らせたまひぬるも、いと口惜しう、(後略)
≪狭衣の即位が決定。別れの挨拶に斎院を訪問≫
みづからの御心にも、思し立ちし方ざま、いとかけ離れ果てて、今更に、いとあたらしう、ありつかぬ心地ぞしたまひければ、ふさわしからぬ身の宿世と、思し嘆かるる中にも、斎院を見たてまつりたまはんことの、今はありがたうなりぬべき口惜しさは、更に言ひやるべき方なければ、この、世に言ひ扱ふらんやうに、げに、えあるまじきことなれば、いとかうもおぼゆるにやあらん、また、え保つまじかりけると、さすがなるをこがましさを、現し果ててむことよなど、方々にさへ安からず、わりなき御心の中、来し方にもいや増さりになりたり。されど、帝の御心地まことしう重らせたまひて、一条院に渡らせたまひぬれば、逃れたまふべきやうもなくなりぬるに、思し侘びて、今は、御歩きもあるまじけれど、斎院に夜さりつ方、いと忍びて参りたまふ。
常よりは暑さ心なき年にて、御前にも悩ましきまで思しめさるるに、からうじて夕風涼しう吹き出でたれば、人々、端つ方に出で居つつ、月の心もとなきを待ちわたるほどのたどたどしさに、紛らはさせたまひて参りたまへば、ふともえ入り果てさせたまひぬ御けはいの、常よりは近き心地するにも、いとど心のうちはかき乱りて、いと忍びがたし。
「かやうに、参りはべらむことも、今よりはあるまじきさまにうけたまはれば、今宵ばかりも、なほ、見たてまつりてこそはとなん。いとあまり思ひかけぬありさまに侍れば、宿世なども尽きて世には長からぬやうも侍りなん。また、さらずとも、見たてまつらんこと、今宵こそは限りにも侍らめ」
など、えも言ひやりたまはず、いと余りなる御けしきをも、かうのみ限りなき御仲らひどもと見たてまつりたるに、まいて、この御ありさまは、おぼつかなう一日二日(ひとひふつか)も、げに過しがたう思ひきこえさせたまはん、ことわりぞかしなど、あはれにぞ見たてまつる。御前にも、見るを逢ふにては止むべきものと思しめしつるを、思ふさまにうれしき御ありさまながらも、おぼつかなさは、げにとばかりは、耳とまらせたまへれど、例のごと、続けてあるべかしき御答(いら)へしなければ、我が御心の中は晴るべきやうもなし。
明らかならぬ空のけしきも、なほ心づくしに見まゐらせたまへるを、桂男もおなじ心に、あはれとや見たてまつるらん、厚げにたち曇りたる村雲も晴れて、月の影華やかにさし出でたるに、御几帳のはづれ、けざやかに見えさせたまへる御髪のかかり、つらつきなどは、等覚(とうがく)の位に定まるとも、見たてまつらずなりなんことは、口惜しかるべきを、まして、もとよりはこの世のことは、殊に好まずなりにし御心なれば、いかでかはなのめに思されん。
あさましき心の中の、かけかけしき方ざまをば、今はいかなりとも、思し寄るべきならねど、水の白波なる御ありさまを、雲のよそにのみ思ひやりきこえさせたまはんには、長らへぬべからん命のほどなりとも、いかがと、思し続けて、月の顔をのみ眺めさせたまへり。
(狭衣)
めぐりあはん限りだになき別れかな空行く月の果てを知らねば
とて、押し当てたまへる袖のけしき、限りある世の命ならぬには、げに、さ思しめさるらん。あまりまばゆければ、御几帳ひき寄せさせたまひて、やをら入らせたまふ紛らはしに、
(源氏の宮)
月だにもよその村雲へだてずは夜な夜な袖にうつしても見ん
と、なほざりに言ひ捨てさせたまふ、慰めばかりも、げに、なかなか思ひ離れぬ絆(ほだし)ともなりぬべし。(後略)
≪狭衣帝、賀茂祭に斎院へ扇を贈る≫
はかなう年も返りて、賀茂の祭のほどにもなりぬれば、御禊の御前ども、使々(つかひつかひ)など定めさせたまふには、過ぎにし方のことども思し出でられて、斎院のわたり、常よりも恋しう思しやらせたまふに、大方の殿上人などのしつつ、あまた参らせし扇どもはさるものにて、自らの御料などは、我が御心とどめてせさせたまひつつたてまつらせたまひしをのみ、持たせたまへりしかば、おほやけしき絵所など、筆あらあらしきにはあらで、さるべき蔵人どもも、うけたまはりて、日ごとに、代るべき女房の料どもなど、さまざまに心殊にせさせたまふさま、めでたしなども、世の常ならぬさまにしたてさせたまひて、
(狭衣)
名を惜しみ人頼めなる扇かな手かくばかりの契りならぬに
と、御料なるは、別(べち)なる包み紙に、書きつけさせたまひても、院[狭衣の父・堀川院]などもこそ御覧じつくれ、と思し返せど、しどろもどろにや思しなりぬらん、ひきもかへさせたまはずなりぬ。
御使は五位の蔵人にやあらん、思しやらせたまへるもしるく、院のおはします頃なれば、御使、かひがひしうもてなさせたまふ。扇どもの目も及ばぬを、あまり公(おほやけ)しからぬ物かなと、愛でさせたまふに、また別にて心殊なるは、御前のと見ゆるに、書きつけられたる事も御覧じつけたれど、いとかばかり多くの年月を経て、思し焦がれ惑ふ御心とも知らせたまはねば、ただ大方の事をのたまはせたるとのみ御覧じて、御手をのみ、珍しからん人のやうに、袖のいとまなくおし拭(のご)ひつつ愛で居させたまへり。
斎院は、なま苦しう思しめさるれど、
「御返り、疾く疾く」
とのみ聞こえさせたまへば、思しもあへず、ただ、
(源氏の宮)
あふぎてふ名をさへ今は惜しみつつかはらば風のつらくやあらまし
とあるを、御覧じても、例の心をのみぞ尽させたまふ。祭の日、近衛司の使のしたてて参るを、うらやましう見送らせたまひても、
(狭衣)
ひきつれて今日はかざしし葵さへ思ひもかけぬ標の外かな
と思し続けて眺めさせたまへる御まみなどの、なほ国王と聞こえさするにも余りてけ高うなまめかしう見えさせたまへり。(後略)
≪狭衣帝、賀茂社に行幸。源氏の宮への叶わぬ恋を思う≫
賀茂の行幸は、九月(ながつき)晦日(つごもり)なれば、野辺の草どもも、皆枯れ枯れになりて、道芝の露ばかりぞ、見しに変らぬ心地しける。心は行かずながらも、あまたたび行き返りしそのかみは、何事をか思ひけんと、恋しう思し出づるに、例の御心の中をも知らず、川渡らせたまふほどは、駕輿丁の声々も聞きにくきを、身も投げつべき契りを、などかう言ふらんと聞かせたまふ。
(狭衣)
思ふことなるともなしにいくかへり恨みわたりぬ賀茂の川波
なめげなる心のほどは、来し方・行く末も限りなくおぼゆるを、露ばかり思し咎めず、かうあるまじきさまにさへしなしたまへる神の御心は、思へばかたじけなく、ありがたく思ひ知られたまふを、一方しも見がたうのみなりたまひにけるのみぞ、なほさらに恨めしうおぼえさせたまふ。
上の御社に御祓つかうまつるにも、過ぎにし年、立てたまひし御願叶ひたまひて、今日参らせたまひたるさま、今より後、百廿年の世を保たせたまふべきありさまなど、聞きよく言ひ続くるは、げに、天照神達も耳たてたまふらんかしと聞こえて、頼もしきにも、さしも長うとも思しめさぬ御心の中には、うれしかるべくぞ聞かせたまはざりける。
(狭衣)
八島もる神も聞きけんあひも見ぬ恋ひまされてふ御禊(みそぎ)やはせし
そのかみに思ひしことは、皆違ひてこそはあめれ、とぞ思しめしける。