平安~鎌倉時代、文学作品の中でも斎宮・斎院はしばしば登場しており、神に仕える神聖な皇女への「禁じられた恋」はとりわけ恋物語の格好のテーマであった。しかし伊勢斎宮が『伊勢物語』以降、禁忌の犯しを表わす題材として好んで取り上げられ「密通される皇女」として描かれたのに対し、賀茂斎院は『源氏物語』の朝顔斎院や『狭衣物語』の一条院一品宮などに見られるように、婚期を過ぎて恋のヒロインにはふさわしくなくなった「さだ過ぎた女性(=「不婚の皇女」)」という人物像を当てられる傾向がある。特に『源氏物語』の時代、実際に斎院の任にあったのは在任歴代最長で大斎院と称された16代
選子内親王であったことから、その人物像が物語にも少なからず投影された可能性が考えられ、「不婚の皇女」であると同時に「文化サロンの女主人」としてのイメージも合わせて浸透したと思われる。
また後の鎌倉期の物語に登場する前斎宮・前斎院たちには、天皇家の子どもたちの養母となる例も多い。鎌倉時代には既に斎院は廃絶したが、それ以前の院政期の女院や不婚内親王たちがそうであったように、物語の斎宮・斎院たちも天皇家を側面から支え守護する役割を担った。
参考図書:
・田中貴子『聖なる女 斎宮・女神・中将姫』(人文書院、1996)
※改版『
日本〈聖女〉論序説:斎宮・女神・中将姫』(講談社学術文庫)
『源氏物語』
平安中期、紫式部作と伝えられる。皇子光源氏の愛の遍歴と栄華を描いた長編物語。
斎院が登場する作り物語の最も初期の作品のひとつであり、作中に二人の斎院が登場する。なおどちらも主に第一部の登場人物で、それ以降の斎院は物語には殆ど現れない。(なお唯一登場する斎宮、即ちのちの秋好中宮も同様である)
≪あらすじ≫
桐壺帝鍾愛の皇子・光源氏は後見なく臣籍に下ったが、輝くばかりの美貌と才気に恵まれていた。母桐壺更衣の死後、新たに若い妃となった藤壺(のち中宮)が母に似ていると教えられ睦まじく育った源氏は、元服と同時に結婚した正妻葵の上との不仲もあり、次第に藤壺への恋を自覚する。ついに二人は禁忌を踏み越えて密かな逢瀬を遂げ、その結果誕生した御子(のちの冷泉帝)は東宮に、藤壺は中宮になったが、罪の意識に苦しむ藤壺は桐壺帝亡き後出家してしまった。しかし藤壺を忘れきれぬ源氏は、藤壺の姪で彼女に生き写しの少女・紫の上を強引に手元に引き取り、理想の女性に育て上げて妻とした。
源氏はその他にも多くの女性たち(六条御息所、朧月夜、花散里、明石御方など)との恋の遍歴を重ねる一方、政敵の策略による失脚・須磨隠遁を経て政界に復帰し、実子冷泉帝の後見となって権力を握る。贅を尽くした広大な屋敷・六条院に紫の上を始めとする妻たちを集め、一人娘(明石姫君)は今上帝(兄朱雀帝の子)の皇子を産んで中宮となり、源氏は太政大臣から准太上天皇となり最高の栄華を極めた。
しかし晩年、朱雀帝の娘・女三宮(紫の上と同じく藤壺の姪)を正妻に迎えたことで、紫の上が心労から病に倒れた。また妻女三宮と若い柏木(源氏の親友・頭中将の長男)との密通が発覚し、柏木は源氏の怒りを恐れるあまりに病み臥し死去、罪の子を産んだ女三宮も出家する。自らの過去の過ちを振り返って苦悩し、ついには最愛の紫の上にも先立たれて深い悲しみに沈んだ源氏は、最後にすべての栄華を捨てて出家しその生涯を閉じた。(以上は第一部・第二部(いわゆる正編)で、光源氏死後の第三部「宇治十帖」では女三宮の不義の子・薫が主人公となる)
- 朝顔斎院(朝顔姫君とも)
桐壺帝の弟・桃園式部卿宮の娘。光源氏の従姉妹にあたる。初登場は「帚木」帖。
朱雀帝の御代に斎院となり、その後冷泉帝時代に父式部卿宮が亡くなるまで斎院の任にあり続けた。斎院としては珍しい女王出身で、作中にも「孫王のゐたまふ例多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ(皇孫の女王が斎院になられた例は多くはないが、ふさわしい内親王がいらっしゃらないので)」と言及がある。(「源氏」以前に生涯女王であった歴史上の斎院は、9代直子女王のみであった)
朝顔は源氏が若い頃から想いを寄せていた女君の一人で、嗜み深い人柄に加え薫き物合わせや仮名文字にも優れた当代一流の貴婦人である。高貴な出自と斎院としての格式高さから朝廷にも重んじられ、源氏の正妻候補として世間の噂でも幾度か取り沙汰される。朝顔自身も、源氏とは折々の時候の挨拶を交わし彼を憎からず思ってはいたが、一方で葵の上や六条御息所が源氏との愛執に苦しむ様子を冷静に見つめ、自分は深い付き合いにはなるまいと固く決めていた。しかし源氏の方は朝顔が斎院となってからも密かに執心で文を送り、後にそれが政敵に攻撃され失脚する一因ともなった。
斎院を退いた後、既に婚期も過ぎた朝顔に、壮年の源氏が再び求愛する。朝顔の後見である女五宮(源氏と朝顔の叔母)も二人の結婚を歓迎し、世間でもふさわしい仲と噂されたため、それまで源氏の正妻格とされてきた紫の上も心中密かに苦しんだ。(*1)
しかし当の朝顔は最後まで源氏の求愛を拒み通し、その後も親しい知人としての交流は続けつつ、最後は出家して静かに退場した。彼女に顕著な「結婚拒否」の思想は後に宇治十帖の大君に受け継がれたと見られるが、主要な舞台が都を離れた宇治十帖では既に斎院も斎宮もまったく登場しない。(ただし薫や匂宮が思いを寄せた宇治の大君・中の君姉妹は、血筋からいえば斎宮・斎院候補にもなりえた姫君たちだった)
なお源氏が思いを遂げられなかった女性は、他に養女の秋好中宮と玉鬘がいる。特に秋好はかつて伊勢斎宮であった人物で、作者が朝顔と秋好の二人、ひいては斎王という存在に特別な思い入れを持っていた可能性をうかがわせる。
*1:紫の上は兵部卿宮の側室の娘であり、源氏との結婚も正式な手続きを踏んだものではなかったので、葵の上の死後源氏に正妻はいなかった(紫の上の妻としての立場については諸説あるが、女三宮降嫁までは事実上の第一夫人として「正妻格」だったと見なすのが妥当であろう)。しかし格式で紫の上に勝る前斎院の朝顔が源氏と結婚すれば、朝顔が源氏の正妻となるのは確実だったと見られ、紫の上の苦悩もこの故であった。
なお平安時代の結婚制度については、「正妻」が結婚の時点で決まるのか、または結婚後も妻たちの身分次第で変化するのか、あるいは「内親王」は正妻とはまた別格と見なされるのか等、明確でない点が多い。そもそも「正妻」の定義自体、「唯一の妻(一夫一婦制)」なのか「複数の妻の中の第一位(一夫多妻制)」なのかもはっきりせず、研究者の間でも諸説分かれている。
参考図書:
・園明美『王朝摂関期の「妻」たち─平安貴族の愛と結婚』(新典社、2010)
- 桐壺帝女三宮
光源氏の異母妹。母は弘徽殿女御。(※後に光源氏の正室となった、朱雀院女三宮の叔母にあたる) 初登場は「桐壺」帖。
桐壺帝斎院(後述)の後を受けて、同母兄朱雀帝の即位の頃(「花宴」から「葵」の間)に卜定される。後に「賢木」で父桐壺院の崩御に伴い斎院を退いた。(なお同母姉に女一宮がいるが、こちらは一品に叙されており、恐らくは斎王経験もないとみられる。また異母姉と思われる女二宮は、作中にまったく登場せず詳細不明)
本人は殆ど登場しないが、女三宮が斎院に着任して最初の賀茂祭こそが、源氏の正妻葵の上と六条御息所の車争いのきっかけであった。この他、源氏が朧月夜の素性を知った右大臣家の宴には裳着を終えたばかりの女一宮・女三宮が出席しており、桐壺帝は相談に来た源氏に「あちらは(源氏の姉妹の)皇女たちもいるから、そなたのこともまんざら他人とは思っていないのだろう」と語っている。そして桐壺院崩御で女三宮が退下した後、後任の斎院として朝顔姫君が選ばれた。また六条御息所の娘(伊勢斎宮、のちの秋好中宮)が退下し都に戻った際に、朱雀院が「こちらには前斎院もいらっしゃるので、同様に(=姉妹同然に)お世話しましょう」と入内を勧める口実にしているなど、目立たないながら物語の重要な転機に名前が出されている人物である。
- 桐壺帝斎院
桐壺帝女三宮の前の斎院。出自は一切不明。
「末摘花」帖で「侍従(末摘花に仕える女房)は、斎院に参り通ふ若人にて、この頃はなかりけり」とあり、時期的に見て後に「葵」帖で「そのころ、斎院も下りゐたまひて」と語られる斎院と同一人物と思われる。さらにその後「蓬生」帖で再び「侍従などいひし御乳母子のみこそ、年ごろあくがれ果てぬ者にてさぶらひつれど、通ひ参りし斎院亡せたまひなどして」とあり、源氏の須磨隠遁の頃に亡くなっていたらしいことが判る。
※桐壺帝斎院の退下事情については、【歴史と文学における斎院】を参照のこと。
- 今上帝斎院
出自不明、本人も登場せず。(朝顔の後任の斎院か?)
「若菜・下」で朱雀院五十の御賀の年、斎院御禊のために女三宮方より斎院へ12人の女房が奉られたとの記述がある。(このことと祭見物で女三宮の周囲は人少なになり、柏木が忍びこむ隙を与えてしまった) 作中でこのような記述はここだけであり、また女三宮の女房50~60人の中からおよそ五分の一にあたる女房を(一時的にとはいえ)差し向けるなど、扱いが並々でない様子から、この斎院は女三宮の近親、恐らくは(物語には登場しない)異母姉妹の女一宮・女四宮のどちらかである可能性が高いと思われる。(※朝顔斎院が退下の後、次に選ばれた斎院と同一人物だとすれば、朝顔退下当時6歳の女三宮の姉・妹のどちらだとしても不自然ではない) 現任の斎院が作中に登場するのはこれが最後で、同じく「若菜・下」で朝顔斎院の出家が語られたのを最後に、賀茂斎院は源氏物語の舞台から姿を消した。
なおこの「若菜・下」の賀茂祭は、斎院御禊前夜の柏木と女三宮の密通から始まり、祭のかへさの日に紫の上の危篤と六条御息所の死霊出現があるなど、光源氏の周辺で重大な事件が次々起こった数日に重なっていた。晴れがましい祭の華やかさはこれらの事件の陰に隠れて殆ど語られることはなく、物語の暗い行く末を暗示している。
【登場人物系図】
弘徽殿大后 ┌─朱雀帝───────今上帝
* | *
* ├─女一宮(一品宮) *
*────┤ *────女一宮(一品宮)
* └─女三宮(斎院) *
* *
┌──桐壺帝─────光源氏───────明石姫君(中宮)
| *
| *──────冷泉帝(実父:光源氏)
| * *
| 藤壺中宮 *
| *
├──故・前坊 *
| * *
| *──────秋好中宮(斎宮)
| *
| 六条御息所
|
└──桃園式部卿宮──朝顔姫君(斎院)
『狭衣物語』
王朝物語の中で、作中に登場する斎宮・斎院の数が一際多い作品。主人公・狭衣の母は前斎宮、また狭衣の最愛の女性である源氏の宮も斎院であり、この他登場する皇女も殆どが斎宮・斎院経験者である。(しかも后腹内親王の斎王も多い)
なお『狭衣』の作者は19代
禖子内親王に仕えた六条斎院宣旨であると言われるが、実際に当時(後一条~後三条朝)は11人の皇女の内9人までが斎宮・斎院に卜定されており、作中の卜定事情もそうした歴史的背景を反映したものとも考えられる。(のちに狭衣の后となった式部卿宮の姫(藤壺)も、出自から言えば斎宮・斎院候補に該当したはずだが、結局卜定のことはなかった)
≪あらすじ≫
堀川大臣の子・狭衣中将(二世源氏)は、共に育った従妹の源氏の宮を密かに恋していた。しかし源氏の宮は東宮(のちの後一条帝)に入内が決まっており、耐えかねた狭衣が想いを打ち明けても受入れない。失意の狭衣はふとしたことから出会った飛鳥井女君に入れ込むものの、素性を明かさずにいるうちに女君が狭衣の子を宿したまま失踪してしまう。また婚約していた嵯峨院女二宮とは、始め気が進まなかったにもかかわらず、その美しい姿を垣間見て一夜の契を結んでしまう。この結果女二宮は身籠るが、狭衣が名乗り出なかったために女二宮の母(嵯峨帝皇太后)は心痛のあまり病死、絶望した女二宮も若君を産んだ後に出家した。さらに源氏の宮が思いがけず賀茂斎院に選ばれ、狭衣の恋は皆不幸な結果に終わった。
その後狭衣は飛鳥井女君の行方を知り、女君は死んだが生まれた娘が一条院一品宮の養女となっていることを教えられた。娘会いたさに一品宮邸に忍び込んだ狭衣だったが、そのために一品宮との噂を立てられ、不本意な結婚に追い込まれる。一時は出家しようとまで思いつめるも、その後源氏の宮そっくりな式部卿宮の姫君と出会って自らの屋敷へ迎えとり、さらに神託により思いがけず帝位へと登りつめた。式部卿宮の姫君は中宮となり皇子を産み、女二宮の若君と飛鳥井腹の姫君もそれぞれ皇子・皇女となったが、最愛の源氏の宮や女二宮を思い切れない狭衣の心は至尊の位に至ってもなおも満たされぬままであった。
- 源氏の宮
故・先帝の晩年の皇女。母は中納言御息所(嵯峨院皇太后の姉妹)。
狭衣の母方の従妹(狭衣の母・堀川の上と、源氏の宮の父・先帝が兄妹)にあたる。幼くして両親と死別した後、叔母・堀川の上に引き取られ養育された。
源氏の宮と兄妹同様に育った狭衣はやがて、美しく成長した彼女に密かに想いを寄せるようになる。しかし当の源氏の宮は狭衣を実の兄のように慕いつつも、異性としての狭衣の恋心は疎ましく思って受け入れない。(なお源氏の宮自身が特定の男性へ想いを寄せたことはないようで、結婚忌避の思想も伺える) 元々は東宮(のちの後一条帝)に入内する予定だったが、一条院崩御による一品宮の退下後に予期せぬ卜定で賀茂斎院となり、のち狭衣が即位してからもそのまま斎院であり続けた。
狭衣は源氏の宮をただ一人の女性として思慕し続け、他の女君たちとの愛の遍歴を重ねても、それはすべて源氏の宮への恋心が満たされぬ故であった。そのため嵯峨院女二宮には若宮を、飛鳥井女君には姫君をそれぞれ産ませながら、彼女たちとの関係を源氏の宮に知られることを憚った結果、二人を不幸に陥れた。しかし源氏の宮は終始一貫して狭衣の求愛を拒み通し、やがて斎院となったことで狭衣は彼女を手に入れる機会を永久に失った。
※源氏の宮の背景と卜定の事情については、その他の考察を参照のこと。
- 一条院女一宮(一品宮)
一条院の第一皇女で、母は皇后(のち女院)。狭衣の父方の従姉にあたる(一条院は、狭衣の父堀川大臣の兄弟)。
嵯峨院女一宮が斎院を降りた後、新たな斎院に卜定されたが、父一条院の崩御により紫野院に入ることなく短期間で退下。(このためか、彼女が作中で「斎院」「前斎院」と呼ばれることは殆どない) その後は内裏の藤壺に住み、今上である後一条帝の同母姉として一品に叙されたことから「一品宮」と称された。
前斎院にして后腹の一品宮という一際高貴な内親王であり、それにふさわしい気品高く奥ゆかしい女性であるとされる。しかし狭衣と結婚が決まった当時既に三十を過ぎており、狭衣が愛した美しく可憐な女君たち(源氏宮、嵯峨院女二宮、飛鳥井女君など)に比べて女性としての魅力では劣っていた。
一品宮は飛鳥井女君の伯母(常盤の尼君)と縁があり、飛鳥井女君が産んだ狭衣の娘(飛鳥井姫君)の愛らしさを気に入って養女に迎えていたが、姫君の素性については何も知らなかった。しかし姫君の存在を知った狭衣が、娘会いたさに一品宮の邸に忍び込んだことから二人の仲が世間の噂となり、事実無根のまま狭衣との不本意な結婚を余儀なくされることとなった。
盛りを過ぎた我が身を自覚する一品宮は、自分よりも若く美しい狭衣との似つかわしくない仲を引け目に思い、さらに養女としていた姫君が狭衣の実の娘だと知った後は、姫君さえも疎んじるようになる。一方の狭衣も魅力的とは思えない一品宮との結婚を嘆くばかりで、さらに源氏宮や女二宮への報われない恋にも悲観して出家を図り、失敗の後も源氏宮に瓜二つの式部卿宮の姫君を見出し自邸へ迎えとるなど、夫婦仲は終始冷え切ったままだった。
やがて狭衣は神託により思いがけず帝位につくが、一品宮は唯一の正妻でありながら頑なに宮中入りを拒み、程なく病で出家し亡くなった。前斎院の一品内親王という最高貴の身でありながら、互いに愛のない不幸な結婚に運命を狂わされた末の哀れな死であり、彼女を疎んじていた狭衣もさすがに生前冷たく当たり続けたことを後悔した。
- 嵯峨院女一宮(院の女御、後一条帝中宮)
嵯峨院の第一皇女、母は皇太后。狭衣の子(若宮)を産んだ女二宮と、伊勢斎宮となった女三宮は同母妹。狭衣の父方の従姉妹にあたる(よって一条院一品宮とも従姉妹同士である)。また源氏宮も、互いの母同士が姉妹の従姉妹であり、親しく交流している。
女一宮は物語の始めから既に斎院として登場、のち母皇太后の崩御により退下したと見られる。女二宮が若宮を産んで出家、さらに女三宮も斎宮となった後は、女一宮が一時若宮を養育していた。(ただし表向き若宮は嵯峨院と皇太后の皇子とされており、女一宮は弟と思っている)
源氏宮が斎院となった後、堀川大臣は源氏の宮を入内させられなかった代わりに女一宮を後見し、後一条帝への入内を世話する。女一宮本人は、斎院として長く仏事から遠ざかっていたことから出家を望んでいたが、入内後はその美しさと優れた人柄で帝の寵愛を受け、やがて皇女を産んで立后した。
『源氏物語』の薫大将が宇治八の宮の三姉妹と次々に恋の遍歴を重ねたように、女一宮も一時は狭衣との縁談があったが、結果的には姉妹の中でもまた三人の斎院の中でも最も幸福な結婚に恵まれた。狭衣にも女二宮を出家に追い込んでしまった負い目があり、その罪滅ぼしの意もこめて女一宮・女三宮姉妹に対しては色めいた振る舞いには出ず、父と共に誠実な後見役に徹した。(しかし内心では妻の一品宮と比べて女一宮の方が魅力的だと感じ、どうせなら女一宮と結婚したかったと後悔している)
【登場人物系図】
┌─後一条院────女一宮(母:嵯峨院女一宮)
|
┌───一条院───┴─一品宮(前斎院)
| *
├───堀川大臣 *
| * *
| *──────狭衣大将(帝)──飛鳥井姫君(一品宮養女)
| *
| ┌─堀川の上(前斎宮)
| |
| └─先帝──────源氏の宮(斎院)
|
└───嵯峨院───┬─女一宮(前斎院,後一条院后)
|
├─女二宮
|
├─女三宮(斎宮)
|
└─若宮(実の父母は狭衣と女二宮)
『いはでしのぶ』
いわゆる中世王朝物語(擬古物語)の一つ。ヒロイン一品宮の、密通から降嫁を経て国母・女院へと至る数奇な半生を軸に、二人の貴公子の「いはでしのぶ(口には出さずに密かに思う)」恋と周囲の人々のドラマを語る。作品が成立したのは斎院廃絶後と思われるが、何故か斎宮は登場せず斎院が主要人物の一人となる。(なお「密通される斎院」を描いた王朝物語は、現存作の中ではこの『いはでしのぶ』のみである)
≪あらすじ≫
故・一条院の子である内大臣は、父院の死後関白太政大臣の養子となっていた。彼は白河帝鍾愛の皇女一品宮に想いを寄せ、密通の結果許されて結婚した。夫婦仲は円満であったが、妻一品宮は不本意な形で離れた宮中を内心恋しく思っている。また二位中将(白河帝女一宮の子、一品宮の甥)も、幼馴染として育った一品宮を密かに恋しており、内大臣に奪われてしまった後も一品宮への想いを捨て切れずにいた。
内大臣はその後異母兄・伏見入道に乞われ、やむなく姉姫の大君も妻に迎えるが、一品宮を深く愛する彼はどうしても大君には夜離れがちだった。やがて大君は偶然から嵯峨帝に見染められ、それがきっかけで内大臣が一品宮を顧みなくなったという事実無根の噂が流れる。これを聞いた白河帝は激怒し、一品宮は父白河帝の元へ連れ戻されてしまった。
二位中将は妻と引き裂かれて悲嘆に沈む内大臣を慰めていたが、その後白河帝中宮(一品宮母、二位中将養母)が病で亡くなった。悲しみにくれる二位中将はついに一品宮へ想いを打ち明けるが、一品宮はほどなく母の供養のため落飾してしまう。一品宮の出家で復縁の望みも失った内大臣は絶望のあまり病に倒れ、臨終に駆けつけた一品宮と二位中将に看取られ死去。夫を嫌って別れたわけではなかった一品宮は深く悲しみ、恨みを残して死んだ内大臣の霊の救済を祈って一筋に供養を行った。
その後内大臣と一品宮の息子は嵯峨帝の養子となって即位(今上帝)、一品宮は女院となった。また一品宮生き写しに成長した娘・二品宮(今上帝妹)は、関白(二位中将)に見染められて北の方となった。
- 前斎院(一条院女一宮)
一条院の第一皇女。母は皇后。内大臣の異母姉で、一品宮は父方の従姉妹にあたる。
前斎院は同母兄・伏見入道の二人の娘たち(大君・中君)と共に暮らしており、大君はどこか一品宮を思わせる美しい姫君だった。始めは父の意向で内大臣の妻となるが、ふとしたことから嵯峨帝の寵を受け、さらに一品宮の面影を求める二位中将にも見染められ契りを結ぶ。これがきっかけとなり、中将はさらに妹の中君、叔母の前斎院とも密通し、この結果三人の女性はそれぞれ中将の子を身籠った。
その後大君は嵯峨帝の皇后となり、大君と二位中将との娘は帝の第一皇女とされて、のち今上帝(一品宮の息子)の中宮となる。また中君は男子(のちの左大将)を産み、中将と正式に結婚して対の上と呼ばれた。しかし前斎院は中君の叔母である自分までもが中将との浮名を立てるのを恐れ、生まれた男子(のちの右大将)を一品宮(女院)に託して亡くなった。
なお前斎院の遺児右大将は物語後半の主人公として登場、父関白(二位中将)の北の方(つまり継母)である二品宮を垣間見て恋心を抱く。しかしそれは若き日の父同様、所詮は報われぬ想い、即ち「いはでしのぶ」恋であった。また妻女四宮(白河皇女、一品宮の異母妹)と異母兄左大将の密通事件も重なって、右大将は世を儚むようになる。最後に彼は二品宮へ想いを告げるが、同じく今上帝中宮へ叶わぬ恋をしていた友人宰相中将と共に出家を志し、二人吉野へ旅立つという悲恋遁世譚として幕を閉じる。
【登場人物系図】(「★関白(二位中将)」は同一人物)
┌─────────女一宮(前斎院)
| *
| *
| *─────────右大将(一品宮養子)
| * *
| * *
| ★関白(二位中将) 女四宮(白河帝皇女)
| * *
一条院后 | * *
* | *─────────左大将
* | *
* | *
*────┴─伏見入道──┬─中君(対の上)
* |
* └─大君(嵯峨帝皇后)───女一宮(実父:関白)
* * *
┌──故一条院 * *
| * * *
| *──────────────内大臣 *
| * * *
| 女御 * ┌─今上帝(嵯峨帝養子)
| * * |
| *──────嵯峨帝中宮 *───────┤
| * * |
|┌─関白太政大臣 * └─二品宮
|| * *
|└─白河帝中宮 ┌─女二宮(一品宮、女院) *
| * | *
| *────────────┼─女三宮(斎院) *
| * | *
└──白河帝 └─嵯峨帝 *
* *
*──────女一宮 *
* * *
貞観殿女御 *────────────────★関白(二位中将)
*
右大臣(関白太政大臣弟)
補足:
『夜の寝覚』(『夜半の寝覚』『寝覚』とも)
平安中期、菅原孝標女作と伝えられる。(『狭衣物語』より前か?) 女主人公(寝覚の上)と男君との、あやにくな恋のもつれを描いた物語。深い心理描写に優れるが、中間と末尾に大幅な欠落があるため、詳細不明な点も多い。原作と改作があり、原作で男君の正室として寝覚の上の苦しみの一端となる女一宮が、改作では降嫁することなく斎院となる。
なお原作・改作共に前斎宮(女主人公の叔母)も登場しているが、この物語では斎宮は密通という悲劇に見舞われることなく出家し落ち着いた生活を送る年配の女性で、様々な男たちの間でままならぬ運命に翻弄された女主人公にとって理想の人物として描かれている。こうした人物像は、むしろ他の作品における斎院の位置づけに近いと言えるだろう。
≪あらすじ≫
源太政大臣の次女で美貌と音楽の才に優れた中の君(以下寝覚の上)は、ある時方違え先で姉・大君の婚約者(以下男君)と出逢い、お互い素性を知らずに一夜の過ちを犯してしまう。二人は男君と大君の結婚後に真相を知り驚愕するが、寝覚の上は既に男君の子を身ごもっていた。忠実な侍女や男君の助けで密かに女子(石山姫君)を出産したものの、石山姫君が男君の両親に引き取られたことで男君と大君の夫婦仲が悪化、さらに男君と寝覚の上との関係も発覚する。妹の裏切りを激しく憎む大君やそれに味方する長兄との不和で、傷心の寝覚の上は広沢に隠遁する父入道の元へ身を寄せた。
入内も断念した寝覚の上はやがて老関白と不本意な結婚をするが、老関白は妻と男君との過去を知りつつも寝覚の上を責めることなく熱愛し、寝覚の上が産んだ男子(まさこ君。実父は男君)も我が子として慈しんだ。始めは老関白を厭っていた寝覚の上も次第に夫の寛大な優しさに打たれ、妻として尽くすようになる。一方、寝覚の上との文も途絶えがちになり絶望した男君は朱雀院女一宮と結婚、妻大君はその衝撃で小姫君を出産後に亡くなった。
やがて老関白が死去すると、寝覚の上は継娘たちの縁談にもよく気を配り、尚侍(関白長女)の入内に後見の母として付き添った。しかし帝(のちの冷泉院)は尚侍よりも、寝覚の上に魅せられてしまう。また太皇宮(帝と女一宮の母)も、娘婿となった男君が今も寝覚の上を愛していることを危惧して寝覚の上の元に密かに帝を手引きするが、寝覚の上はかき口説く帝を最後まで拒み通した。
帝闖入事件の衝撃で、寝覚の上は今なお心の底で男君を忘れきれずにいることを自覚した。その後寝覚の上は苦悩しつつも再び男君と逢瀬を持つが、女一宮の病床に寝覚の上の生霊が現れたとの噂が立った。寝覚の上は我が身の不幸な宿世を嘆き、再び父入道の元へ逃れて密かに出家を決意する。この知らせに男君は二人の子を連れ広沢に向かい、入道にすべてを打ち明けて結婚の許しを得た。ようやく男君の妻となり三人目の子にも恵まれた寝覚の上であったが、男君の身勝手な嫉妬やなおも続く帝の執心、また正妻女一宮の存在に苦しむ彼女の物思いは、その後も絶えることはなかったという。(現存本はここまでで、この後寝覚の上がさらなる波乱の末に出家し亡くなるまでの話は欠落している)
- 朱雀院女一宮
今上帝の姉妹。父は朱雀院、母は太皇宮。寝覚の上とは父同士が兄弟の従姉妹にあたる。
寝覚の上が老関白の後妻となり男君との交流を絶ってしまったことがきっかけで、男君が女一宮との結婚を承諾、男君に降嫁する。既に男君には正室大君があったが、身分では太刀打ちできない高貴な后腹内親王の登場に、それまでも夫に愛されず苦しんでいた大君は、悲嘆のあまり姫君を出産後に亡くなった。(先述の通り当時の結婚制度については諸説あるが、大君が受けた衝撃の強さから見て、後からの結婚であっても女一宮の方が妻として格上であったと見るのが順当と思われる)
また寝覚の上にとっても男君と女一宮の結婚は衝撃であり、老関白の死後晴れて男君の妻となっても、自らを「劣りざま(内親王には身分で及ばない)」であると劣等感を持っている。そのため女一宮が正室として重んじられることに密かに嫉妬し苦しみ、却って内心では次第に男君に隔てを置いていく結果となった。
一方当の女一宮も、自分という正妻がありながら男君が寝覚の上を熱愛することを密かに辛く思っていたが、嫉妬に心を擦り減らせて亡くなった大君とは対照的に、それを表に出さず奥床しくふるまう皇女らしい鷹揚さを備えた魅力ある女性であった。そんな女一宮を男君も愛しく思い、また世間体もあって寝覚の上よりも女一宮のもとに通う方が多かったが、子はなかったらしい。(以上原作)
改作『夜寝覚物語』では、女一宮と男君の結婚の噂で大君が産褥死するところまでは同じだが、その後女一宮が斎院に卜定され、結局降嫁は実現しなかった。(斎宮ではなく斎院としたのは、やはり后腹内親王でしかも長女である女一宮の重い身分を考慮したものであろう) その後老関白が没し、男君との間の障害がすべてなくなったことで寝覚の上はようやく男君と結ばれ、その後は男君の正妻として原作のような懊悩の人生を送ることなく大団円を迎えている。
※改作は『夜寝覚物語』(中世王朝物語全集19、笠間書院、2009)に現代語訳あり。
【登場人物系図】(「★男君」は同一人物)
┌──大君
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| *──────────小姫君
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┌─源氏入道──┤ ★男君 ┌──石山姫君
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| | *───────┼──まさこ君
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| └──寝覚の上 └──男子
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├─前斎宮 * ┌──三君
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| ┌──老関白──────┼──中君
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| | └──尚侍
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| └──左大臣───★男君 *
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└─朱雀院 ┌──女一宮 *
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*──────────┴───────今上帝(冷泉院)
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太皇宮