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【芸能・社会】

演出家・浅利慶太さん死去 劇団四季創設、85歳

2018年7月19日 紙面から

ミュージカル「キャッツ」の製作発表をした浅利慶太さん(左)と出演者ら=2004年7月

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 劇団四季を創設した元代表でミュージカル「キャッツ」「ライオンキング」などを手掛けたほか、長野五輪では開閉会式の総合プロデューサーを務めた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため東京都港区の病院で死去した。85歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻で女優の野村玲子(のむら・りょうこ、本名浅利玲子=あさり・りょうこ)。後日、お別れの会を開く予定。

 関係者によると浅利さんは昨年9月、悪性リンパ腫の診断を受けた。最後の演出作品は、劇団四季を退いた後に立ち上げた「浅利演出事務所」のプロデュース・演出作品として今年4月10~22日に東京・浜松町で上演した「ミュージカル李香蘭」。浅利さんは投薬治療を受け、体調が万全ではなかったものの、都内のけいこ場に通い、劇場で上演を見守ったという。

 慶応大学在学中の1953年、故日下武史さんらと劇団四季を創立。「ウェストサイド物語」「オペラ座の怪人」「コーラスライン」などブロードウェーミュージカルを日本に紹介し、ミュージカル人気の礎を築くと同時に、日本発のミュージカルの定着にも尽力。昭和の歴史三部作「李香蘭」「異国の丘」「南十字星」や、「ユタと不思議な仲間たち」などオリジナル作品も数多く世に送り出した。

 83年初演の「キャッツ」では専用のテント劇場をつくり、日本初の無期限ロングランを成功させるなど、これまでの演劇人にはなかった経営手腕を見せた。

 「四季といえばミュージカル」というイメージが定着したが、2003年に東京・浜松町に自由劇場をオープンさせ、フランス現代劇、古典、日本の創作劇など自らの演劇の原点に立ち返ったストレートプレイの上演にも力を注いだ。

 活躍は演劇界にとどまらず、1998年の長野冬季五輪の開会式、閉会式のプロデュース、演出を担当。開会式は諏訪の御柱(おんばしら)、横綱の土俵入り、卑弥呼(ひみこ)風の衣装に身を包んだ元フィギュアスケート選手の伊藤みどりさんの聖火点火など日本の伝統を取り入れた演出で、日本文化を世界にアピールした。オペラの演出も手掛け、イタリア・ミラノのスカラ座など海外の劇場で「蝶々夫人」「トゥーランドット」の上演も成功させた。

 14年、劇団代表を退任。妻で元劇団四季女優の野村玲子(56)と浅利演出事務所を立ち上げ、15年から「浅利慶太プロデュース公演」として独自の演劇活動を再開。「ミュージカル李香蘭」まで全12作品をプロデュース、演出した。同事務所によると今年9月に上演する「アンドロマック」がプロデュース作品としての「遺作」になるという。

◆五輪で点火・伊藤みどりさん「大きな経験をさせてもらえた」

長野冬季五輪の開会式で聖火台に点火した伊藤みどりさん=1998年2月

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 1998年長野冬季五輪の開会式は、米国向け放映権を持つテレビ局の意向で米国時間の夜に合わせた午前11時から屋外の会場で行われた。予算や演出上の制約も多く、総合プロデューサーだった浅利さんは当時「夜なら光を使って、もっといろんな仕掛けができたのだが…」と嘆いたが、長野の伝統の祭りや大相撲の力士、子どもを使った演出は素朴で力強い印象を残した。聖火の最終点火者を務めたフィギュアスケート女子の五輪メダリスト、伊藤みどりさん(48)は、突然の訃報に驚きつつも「日本(の五輪)で点火者をやるのは、メダルを取るより難しい。大きな経験をさせてもらえた」と感謝を口にした。

<浅利慶太> 1933(昭和8)年3月16日生まれ、東京都出身。慶応大学文学部中退。61年、日生劇場製作営業担当取締役に就任。66年から80年に越路吹雪さんが逝去するまでリサイタル公演を日生劇場で演出。3度の結婚歴があり、最初の妻は藤野節子さん、2度目の妻は影万里江さん(ともに劇団四季の浅利さんの同志)、03年に元同劇団の女優野村玲子と再々婚。大叔父は2代目市川左團次。父は映画俳優としても活躍した浅利鶴雄さん。

 

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